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37話 ツユハとその行方

『起きなさい。イルヴァ』


 誰かがイーラの名を呼んだ。

 イーラはその声に目を覚ました。眩しい陽光が、イーラを暖かく包んでいた。青々と茂った草花が、イーラの身体を支えていた。

 イーラは慌てて起き上がると、イーラの目の前には愛しい母──マシェリーの姿があった。


『イルヴァ、会いたかった』


 ──私もよ。母さん。


『でも、側にいられるのはほんの少しだけ。寂しいわね』


 ──母さん、ここはどこ?


『あの世とこの世の境界線の世界。まぁ、世界樹の根っこの端の端とでも思ってくれたらいいわ』


 ──私は死んだの?


『いいえ、いいえ。死んでないわ。ただ、意識が戻らないってだけね』


 マシェリーはイーラを愛おしそうに見つめると、すぐに悲しげに俯いた。イーラはマシェリーに手を伸ばそうとした。しかし、マシェリーはイーラの手を魔法で弾いた。


『私に手を伸ばしてはいけない。イルヴァ、私の愛しい娘。あなたには必ず、世界樹の聖堂に向かってもらわないと』


 ──どうして?


『イルヴァ、これはサプライズよ。私のサプライズが一度でも失敗したことがあった?』


 ──失敗ばかりだったじゃない。


 突然イーラに強い風が吹きつけた。イーラはその力に耐えられず、後ろに下がった。左足が地面を捉え損ね、イーラは地面から落ちてしまう。



「きゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁあ!!」



 イーラは空に手を伸ばした。何も掴まないと分かっている手を。

 イーラは遠くなった陽の光に目を閉じた。ずっとここに居てもいいと、思えた光だった。


 ***


「こんなサプライズがあってたまるかぁぁぁ!」

「俺らのセリフだバカヤロォォォォ!」


 イーラが飛び起きる耳元でギルベルトは叫んだ。

 イーラが汗ばんだ顔で周りをぐるっと見れば、膝元で泣きじゃくるフィニとそれを慰めるエミリア、戸口を忙しなく歩き回るスイレンと、壁際に呆然として座るトウジロウがいた。


 スイレンはイーラに気がつくと、ギルベルトを突き飛ばして駆け寄った。イーラの汗を袖で拭ってやると、イーラの手をキツく握る。


「嗚呼良かった。目を覚まさないものだから、治療が不完全かと思ったよ。魔法薬を試そうかと思っていたところサ」

「心配かけたわ。その、スイレンさん」

「いいや、気にすることはない。怒りで警戒を怠ったあちしの責任サ」

 スイレンはイーラに今の状況を説明した。


 城主とオリバーは行方をくらませたままで、スイレンは一時間のうちに城主の屋敷を襲った凶悪犯となっていた。

「おかげさんで、外に出られたもんじゃない。迂闊に動けばあちしは咎められるし、お前さんたちにも迷惑がかかる」

「それは気にしないわ。でも城主とオリバーがいないなら、どうやってオモト様の病を治すのよ」

「それこそ、ツユハを優先すりゃあいいじゃねぇか」


 ギルベルトは額を痛そうに擦りながら言った。スイレンは「馬鹿かい?」と呆れて返した。

「ツユハは戸籍にも死亡記録にもなかったじゃあないか。また墓場を探すのかい? 城主に見つかるか住民に見つかるか、どちらにせよイルヴァが傷を作ることになる!」

「お前、少女趣味のケはねぇよな?」


 スイレンとギルベルトがまた言い争う中で、フィニがイーラの袖を握った。濡れた手がイーラの袖にうっすらとシミをつくった。

「イーラァ、死んじゃったかと思ったよ······」

「私も驚いたけどね。あの世に母さんがいる以上、私は簡単に死ねないかもしれない」

「でもさぁ······」


 フィニはイーラの袖を離さなかった。とても強い不安だったのだろう。イーラはフィニの手に自分の手を重ねた。


「私は簡単に死ぬ気ないから」


 そうしっかり宣言した。フィニは少し安心したようで、イーラの袖を離すと、布団に顔を沈めた。


 まだスイレンとギルベルトの争いは続く。お互いリスクと作戦を押し付け合うように言い争っては、互いの悪口を挟む。ギルベルトが銃を持ち出したあたりで、トウジロウが口を開いた。



「ツユハって男を、知ってる」



 消え入るような声だった。それでも、二人を止めるには十分で、スイレンとギルベルトはぴったりと口を閉じた。


「知ってる、というのは?」

 エミリアがトウジロウに聞き返すと、トウジロウは髪をぐしゃりと握り、呟くように言った。

「ツユハは吾輩の従兄弟だった。武芸に秀でた奴で、魔法はからきしだった。城主の娘と会ってから妙に色付いたとは思ってたが、一昨年から一度も見ていなくてな」

 トウジロウはそうか、と一人で納得したように呟いた。

 フィニは赤い目を擦り、トウジロウに近づいた。スイレンは止めたが、フィニは「あの」と声をかけた。


「ツユハさんから貰ったものとか、ないですよね?」


 トウジロウは目を見開いて驚いた。そしてすぐにフィニのチョーカーを引きちぎると、フィニの額に手のひらを押し当てた。


「叡智の水よ 魔力を溶かせ。汝の力で魔力の本質を証せ」


 そう唱えると、フィニの額とトウジロウの手の間から黒い水が滴った。トウジロウは「やはりな」と呟くと、着物の袖から瓶を出し、中の水でフィニを縛り上げた。


死霊魔術師(デュラハン)め、真相解明にかっこつけて禁忌を犯す気だったな!」

「トウジロウ! 止めなさい!」

「スイレン! お前知っていて黙っていたな!」


 トウジロウは息を吹き返したように激昂する。フィニは水の縄から逃れようともがくも、動けば動くほどに縄は絡まってくる。

 エミリアはフィニに杖を当て、魔法を解こうと試みるが、トウジロウがもうひとつ瓶を出し、エミリアを水で壁際まで飛ばした。


 スイレンはビー玉ほどの水晶をフィニに投げた。それがフィニの背中に着地した瞬間、フィニを締めつけていた縄は水へと還り、フィニの服と床をを濡らして力を失った。

 トウジロウはスイレンを睨んだが、イーラに瓶を取り上げられて術を無くす。



「邪魔をするな!」

「じゃあアンタなにかいい解決策を言ってみなさいよ」



「ツユハは記録にないし、墓は長時間探せない。アンタはツユハの従兄弟らしいけど、協力する気がない。早くしないとオモト様は死ぬのよ。私は人命優先だからフィニに頼るけど、アンタがもっといい案出してくれるならそれに従うわ。それとも何も無いのにでしゃばったんじゃないんでしょうね?」


 イーラが詰め寄ると、トウジロウは悔しそうに口を閉じた。そして上着を脱いだフィニに自身の指輪を手渡した。

「······昔、ツユハに貰った指輪だ。返せるというのなら、協力しよう」

 フィニは指輪を受け取り、じぃっと見るとにっこり笑って「約束します」と指輪を握った。

 スイレンはポンと手を叩くと、時計を見やって部屋を出ていった。


「勝負に出るのは今日の夜中、それならあちしらが外に出てもバレやしない。さぁさ、今は少し休もうか。夕餉でも食べよう。あちしが何か作ってこようねぇ」

「待て待て待て! ジジイの料理怖ぇから俺がやる!」

「お前また変な料理を作る気じゃないだろうな! 前のように蛇の肉を食わされたらかなわん!」

 スイレンを追いかけて、ギルベルトとトウジロウが部屋を出ていった。

 フィニはシンプルな指輪を握り、遠い空を見上げた。

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