36話 嘘吐きのエルフ紋
イーラを乗せた小船はゆったりまったりと海原を進む。
船に置かれたランタンは、朝日が昇ったあともオレンジの光を灯し続ける。スッキリとした快晴に心地よい追い風が吹いていた。イーラはその風に回る風車をぼぅっと見つめていた。
嵐の夜にもらった風車は、たしかにイーラの船室にあった。イーラはそれをどこにも動かしておらず、ずっと壁に飾っていた。なのに、それが今ここにある。
いつの間にか持ってきてしまったか。
それともあの女の子がここにいたか。
「考えてもわかんないわね。それよりどうやって都に入ろうかしら」
イーラは頭を掻くと、別の問題に目を向けた。
オリバーに騙されて海に流されたのはまだ何とでもなる。一番面倒なのは都に入ることだ。またあの審査を受けなくてはならないのかと思うと、気が重い。イーラは誰も見ていないのをいい事に、あぐらをかいて頬杖をつき、過去最高に苛立った顔でため息をついた。
「審査受けて入るでしょ。そんで大通りを抜けてスイレンさんの家に行って? あのクソ野郎の事話してそれで? 殴り込んでやろうかしら。でもスイレンさんはそんなことする人じゃなさそうよね。エミリアさんだって、野蛮なことはしたくないだろうし。一人で行った方が──」
イーラはオリバーに一発殴る算段を立てている途中、ふと疑問を口にした。
「あれ? あのクソ野郎、どうやって私を海に流したの?」
夜も更けた頃とはいえ、イーラを引きずって大通りを歩いたらそりゃ目立つ。しかもオリバーの髪の色は金色だ。尚のことだろう。
それに入る時にあんなに必要性のない審査を受けたのだ。出る時だって何かしらの審査はあるはずで、後ろめたいことをするのにそんな審査は受けられないだろう。
ならどうやって海に送り出せたのか。イーラの頭の中には一つの仮説が浮かんでいた。
「抜け道があるんだわ」
イーラの呟きに反応してか、風車が激しく回ると風向きが変わる。小船の進行先が東にずれて進み出した。
イーラはその間、自分の居場所を太陽と合わせて大まかに割り出す。
「死霊魔術師のいた命の灯台は水魔導師の都から見て北西の方向にあったのね。今は南東に移動してるから、灯台を出た頃と太陽の位置から時間として······」
イーラはあと一時間ほどで都に着くことを知ると、あとは風に任せることにして、オリバーへの怒りを溜めた。
(必ずぶっ飛ばしてやる────!!)
***
小船は水魔導師の都を捕らえた。正面には進まず、島の裏側の断崖絶壁へと突き進む。
「······流石に、崖にぶつかるのは困るんだけど」
イーラがハラハラしても小船は崖へと突き進む。
崖に追突して死ぬのだろうか。イーラは腹を決めて小船の行先を真っ直ぐ見つめた。しかし小船は崖を逸れ、小さな洞穴へと向かった。
イーラが屈めば通れるくらいの穴だ。
洞穴に入ると中は開け、ランタンの光が淡く照らす。揺らめく灯火が岩や水面に反射して幻想的な空間を創り出した。
イーラがその光景に見入っていると、小船はゴツンと岩にぶつかって停る。ランタンで岩を照らすと、その先にも道があるように見えた。
イーラはランタンを持ち、風車を腰に差して道を歩く。
薄い水の層があり、ジャブジャブと音を立てながらイーラは先へ先へと足を進めた。
歩いていると水が引き、段々と岩の道から苔むした道に変わる。イーラが進んだ先は、苔と雑草の生えた行き止まりだった。
「何もないわね」
イーラは行き止まりにそう吐き捨てると、開けた空間にランタンをかざす。やはり何も無い。ランタンと風に過信しすぎたか。
イーラは来た道を戻ろうとすると、頭に水が落ちてきた。イーラが降ってきた方を見上げると、丸く空が見えた。跳ねれば届きそうな距離に釣瓶が見える。ここは井戸の中のようだった。
「なるほど、ここが抜け道ね」
水の都に枯れ井戸とは珍しいが、イーラはランタンを咥えると、足の裏全体で地面を踏みつけると、全身をバネに釣瓶を掴んだ。
揺れるロープを手と足でたどたどしく掴みながらも、何とか外の世界へと出ることが出来た。
「──何コレ」
出てきたのは城主の屋敷の外のようだ。しかし辺りは水浸しになっていて、前に来た時の威厳やら美しさやらは無くなっていた。
門の前にはスイレンがいた。近くにはトウジロウやギルベルトもいる。スイレンの傍らにある大きな水の玉にはボロ布の醜男が閉じ込められていた。
イーラはあんぐりと口を開け、ランタンを地面に落とした。
いち早くイーラに気がついたギルベルトが青白い顔で駆けて来る。声を落としてイーラに話しかけた。
「何でいるんだよ! いや、いてくれた方が良いけど。つーか今はどっか逃げてろ! あのジジイ機嫌悪ぃから!」
「ねぇスイレンさんなんで機嫌悪いのよ! 穏便にことを進めそうな人が、拷問じみたことしてんの見たくなかった!」
「お前が帰ってこねぇからこんなことになってんだよ! 俺だってジジイ止められりゃ、こんな事させなかったわ!」
ギルベルトはとにかくイーラにこの場を離れさせようとする。しかし、せっかく城主の屋敷にいるのだから、城主にオリバーの居場所を聞いて思いっきり殴ってやりたい。
イーラはギルベルトの忠告も聞かず、スイレンの元へと走っていった。
「スイレンさん!」
イーラがスイレンを呼ぶが、彼には聞こえていないらしい。
さっきから水に閉じ込めた醜男を睨んでばかりで、目移りする様子がない。トウジロウもひどく落ち込んでいるようで、うわの空で何かを呟いていた。スイレンは苛立ったように醜男に話しかけ続けた。
「ったく、まだ言う気がないのかい? さっさと話して楽になったらどうサ。イルヴァはどこだい?」
「スイレンさん、私ならここよ」
「五分も水の中で耐えるなんてやるねぇ。普通は一分耐えれば良い方なんだ。その根性だけは褒めてやるサ」
「それ多分気絶してるんじゃない? もしくは既に窒息してるとか」
「さぁさ早くしとくれな。あちしゃイルヴァの居場所さえ聞けりゃあいいんだ」
「スイレンさん私ここだってば」
「イルヴァは少し黙っとくれ。あちしが聞いてんのはこいつなのさ」
「私の居場所でしょ。ここにいるってば」
「··················」
「··················」
「えっ!! イルヴァいつからいたんだい!」
「さっきからいるわよ! ここだって言ってんでしょ!」
驚くスイレンは水の玉をチョンとつついて魔法を解くと、イーラの前にしゃがみ、頬に触れて安否を確認する。
「嗚呼イルヴァ、無事で良かった。一体どこにいたんだい? デュール紋の魔力痕がこんなに残って······」
「場所は言わないけど、死霊魔術師の所に世話になったの。オリバーの居場所知ってる? 一発殴ってやるのよ」
スイレンはそれを聞くと、水に閉じ込めていた醜男を指さした。イーラはその男がオリバーだとは信じられず、睨むように凝視した。
スイレンはオリバーを睨みながら言った。
「あいつは悪魔導師なのサ。紋章を持たない、卑しい魔導師」
スイレンはオリバーに近づいて無理やり立たせると、イーラに投げて寄越した。
イーラは恐怖で震えるオリバーに顔を近づけ、にっこりと笑った。
「許すわけないでしょ!」
そして、利き手で思いっきり顔を殴った。
その場で気を失ったオリバーに舌打ちをこぼし、イーラは満足げに笑った。スイレンはイーラに親指を立てて微笑んだ。
「流石、いい腕をしているねぇ」
ギルベルトは二人の一連の流れを引き気味に見ていた。そして門から飛び出してきた城主に、反射的に拳銃を握った。
「お前ら、何をしている!」
城主は真っ先にスイレンを睨みつけた。スイレンはヘラリと笑うと袖で口元を隠して言った。
「城主殿、気になさるな。嘘つきを炙り出しただけさね」
「何を言うか! 万能魔導師に何かあったら······」
「いえ、エルフ紋は、偽物でした」
呆然としていたトウジロウが、唇を震わせた。城主はイーラに側で気絶しているオリバーに目を向ける。そしてあまりの変わりように愕然とした。
スイレンは城主の傍に寄ると、耳元で囁くように言った。
「······あちしの占いが当たってしまったようですよ。さぁさ、ツユハ様の居場所はどこでしょうな」
城主は観念したように目をつぶる。「仕方ない」と呟いた直後、イーラを睨みつけた。
「えっ────?」
何の衝撃もなかった。しかしイーラが下を見ると、その胸には銀色に光る短剣が刺さっていて、胸を赤く染め上げる。
あ、刺されたんだ。と自覚すると耐え難い痛みが全身を駆け抜けた。
そして声を上げることも出来ずにイーラは地面に倒れた。
「イーラ!」
「イルヴァ!」
ギルベルトがイーラから短剣を引き抜くと、血が溢れる傷口に手を押し当てた。「後でなんとでも言え」と許しを乞うと、その手から炎を放ち傷口を焼いた。
「あがぁあぁぁぁあぁ!」
「悪ぃ! ホント後で暴言吐くなりなんなりしてくれ!」
イーラはギルベルトの腕を剥がそうと爪を立てるが、ギルベルトは「我慢しろ!」と離さないように両手で傷口を押し付けた。
「傷は浅い! 後で治療頼むぞジジイ!」
「当たり前だ! 今は止血に集中しとくれ!」
城主は騒動の最中に姿を消した。オリバーの姿もなくなっている。スイレンは目を離した隙にいなくなり、悔しそうに地団駄を踏む。そして水晶を空に掲げると、辺りの水を集めて龍の形を創り、空へと放った。
イーラは火傷の痛みに耐えられず、意識が遠のいた。力なく腕を落とすと、スイレンがギルベルトを押しのけてイーラを揺さぶった。
ギルベルトは血だらけの手でスイレンを引き離し、止血を優先した。トウジロウは虚空を仰ぎ、「ツユハ様······」と呟いた。




