34話 死霊魔術師の本質
ペウロはヨボヨボの体で走った。イーラもその後ろをついて行く。
若い男はとある部屋に入ると、そこには沢山の死霊魔術師が一人の少年を囲んでいた。
少年はひどく汗をかいていた。身体を震わせて、呼吸もままならないような咳をしていた。ペウロは少年の傍らにしゃがむと、少年に祈りを捧げる。
「冥府を統べる我らが神よ。死者の書にあるアインの名を消したまえ。かの者が世界樹の根に触れるには早すぎる」
しかし、少年から苦しみが抜けることは無かった。ペウロは舌打ちをしてため息をこぼす。
「はぁ、ダメか。この子は以前も『繋ぎ』をしたからね」
「そんな! 族長!」
若い男は必死にペウロに縋るが、ペウロは首を横に振った。若い男はその場に崩れ、咽び泣いて少年の頭を撫で続けた。
イーラは人混みの間から少年をじっと観察した。
目に見える症状は痙攣、発熱、咳の三つ。
イーラは人混みをかき分けてペウロの横に座ると、少年の腕に触れた。若い男がイーラに気づくと、イーラの手を少年から弾き飛ばした。
イーラが弾かれた手を押さえると、男はイーラに叫んだ。
「触るな! 野蛮な魔導師め!」
それをイーラが黙っているわけもなく、イーラは顔を真っ赤にすると、男の顔面を殴り飛ばした。
「さっきから人を議会の人間だの魔導師だのと、勝手に決めつけて好き勝手言ってくれるわね! 私は魔力を持たない一般人なの! 議会も魔導師も私に関係ないわ! アンタはこの子を見殺しにする気なの!? 助けないなら黙って見てなさい! 邪魔くさいのよ!」
イーラは男に一喝すると、すぐに少年の腕を取り、脈を測った。そして少年の手を握り、「握り返してごらん」と声をかけた。
少年はひどく咳き込みながらイーラの手を握り返したが、全く握り返せなかった。イーラは今しがたぶん殴った男にいくつか質問をした。
「いつからこんな症状が出てるの?」
「い、一ヶ月前からだ。最初はただの風邪で、大して酷くはなかったんだ」
「薬は?」
「いや、飲ませてない。熱もあまり高くなかったし、咳だって······そもそも、俺たちはあまり外に出られないんだ。食糧くらいしか買えなくて、薬なんてとても······」
イーラはふむ、と納得すると、ペウロに身を向けた。
「ペウロさん、持ってきて欲しいものがあるの」
ペウロはイーラが頼んだ品に、目を丸くした。そんなもので治るのか、と聞きたげな眼差しにイーラは当然だ、と頷いた。
生姜とツモの葉、クモアラシの根を細かく刻み、すり潰す。それと同時に少年の枕元に数種類のハーブを刻んだものを置き、少年の背中をさする。
イーラは少年に昔話でも聞かせるように囁いた。
「大丈夫よ。すぐ良くなるわ。焦らなくていいの。ゆっくり息を吸ってちょうだい」
そう言ってイーラは唯一持ち歩いていたポプリを少年に嗅がせた。少年は息苦しそうにイーラの袖を握っていたが、少しずつ咳が落ち着いてきた。
イーラは少年の咳が弱まると、刻んだハーブの下で火を炊き、ハーブの煙を少年に吸わせた。煙を吸った少年は次第に咳が止み、そのままぐっすりと眠ってしまった。
若い男は少年に駆け寄り、安心した表情で彼の顔を撫でた。
イーラは薬を煎じると男に渡し、「起きたら飲ませて」と言いつけた。ペウロはイーラに顔の高さを合わせると、なんの病気なのか、と小声で聞いた。イーラはそれに合わせて小声で返した。
「肺炎よ。風邪をこじらせたのが原因でしょうね」
ペウロはそうか、と言うとイーラを連れて部屋に戻った。
部屋に戻ると、ペウロはイーラの前に座り、深く頭を下げた。
「助かった。アインはあたしらのムードメーカーでねぇ、いつも洞窟内に笑い声を響かせてくれる存在なんだ」
「良いのよ。一晩世話になるんだから、これくらいするわ。それに、私は薬剤師よ。医者まがいのこともするけど、あれが私の仕事だもの」
ペウロはいやいや、と唸りながら首を横に振ると、イーラの薬草の色に染まった手を握った。
「あたしはマシェリーに恩がある。いつか返さねばと思っていた恩だ。マシェリーが亡くなったのなら、あんたに返すべきさ」
ペウロはイーラの手を強く握った。イーラはその手の温もりが心地よくなり、胸の内に秘めていたあの悪夢を、ペウロに話した。
ペウロはその話を聞くと、イーラよりも悲しそうな表情を浮かべ「辛かったね」と声をかけてくれた。そしておもむろに立ち上がると、部屋の小箱からいくつかのハーブを取ると、それでイーラにお茶を淹れてくれた。ペウロはイーラの前でそのコップに祈るような仕草をして、イーラに手渡した。
赤茶色のお茶にイーラの顔が映った。ペウロに促され、イーラがそれを飲むと、自然と涙が溢れてきた。イーラは慌てて止めようとしたが、涙は溢れるばかりで止まることはなく、ペウロがまたイーラを抱き寄せて背中をさすると、イーラは決壊したダムのように泣き出した。
ペウロがイーラの背中をさする度に涙が流れ、イーラは涙が枯れるまで泣き続けた。
「どうだい。落ち着いただろう」
ペウロがカップを片付けながら言った。イーラは鼻をすすりながら「ええ」と返した。
思い切り泣いたらスッキリした。イーラは何となく、晴れ晴れとした気持ちになっていた。
ペウロはイーラの顔をじっと見ると、ウンウンと頷いてイーラにまた向かい合った。
「良かった。良くないものを連れているから、不安だったんだ」
「良くないもの?」
「そうさ。真っ黒いカスミのようなものがウヨウヨついてたんだ。それが原因だったんだね。きっと、暗い気持ちが連れてきた亡者の思念だろう」
イーラは目をゴシゴシと擦ると、急に気まずくなり、ペウロから目を逸らした。ペウロはしれっとして寝床を整えた。
「不思議ね。死霊魔術師ってこんなことも出来るのね。その、私の見た死霊魔術師は死霊召喚しかしてなかったから」
イーラがそう言うとペウロは目を細め、懐かしむような、悲しげな目で床を見つめた。ペウロは自分の杖を持つと、杖先のかぎ針のようなところにランタンを引っ掛けて自分の横に立てた。
「死霊魔術師ってのはね、本来世界樹に辿り着けない人を案内するのが仕事だったのさ」
「えっ?」
知らなかった。イーラは昔から死霊魔術師は世界の禁忌であり、絶対的な悪だと聞いていた。村に何度か死霊魔術師が訪れたが、周りの村人ほどそれを本気にしたことは無い。だが、面倒なことになるという理由で規則には従っていた。
ペウロは話を続けた。
「この世を彷徨う人を世界樹に導き、迷える魂が世に悪事を働けば、精霊と手を結び、世界樹に還元するのが本来のあたしらの在り方なのさ。死霊召喚なんて、生者と亡き人が一時の再会を果たし、互いの心の安寧をもたらす為の手段の一つ。それは何も悪いことでは無いんだ。誰だって一度は亡くなった人に、もう一度だけ会いたいと願うだろう?」
ペウロがそう問いかけると、イーラはマシェリーの柔らかな笑顔を思い出した。ペウロは光のないランタンが揺れるのを眺め、更に話続けた。
「あるべき人をあるべき所に還し、世界樹の司る破壊と再生を守り、生きる人の深い傷を癒すために今一度の巡り合わせを施し、個人から世界の、生死の均衡と平和を守る。それがかつて冥府の門番と呼ばれたあたしらの姿だ」
「『安寧』を冠する死霊魔術師の本質さ」
ペウロは誇らしげな眼差しでイーラを見据えた。イーラはペウロの言葉に胸を打たれた。
死者を導き、一時の巡り合わせを繋ぐ魔術師が、禁忌とされて住処を追われても、その誇りを捨てずに世界の隅でも堂々としている。
イーラはペウロが眩しく思え、それと同時に哀れにも思えた。
「さぁもう夜が更けた。そろそろ寝よう。明日は早いんだろう?」
ペウロはさっさと杖を片付けて寝てしまう。イーラもそれに急かされるように寝床に横たわった。
そして眠りに着くまでずっと考えていた。
どうしてこんなに堂々と出来るのなら、抗うことをしないのか。誇りに思うのならその権利を主張することは罪にはならない。
世界もどうして、死霊魔術師を禁忌だとしたのか。そもそも、どうして禁忌になったのか。
(あれ? 何で私、死霊魔術師を悪いと思わなかったんだっけ?)
イーラのいた村の人は異様に死霊魔術師を嫌っていた。イーラはそれを鼻で笑っていた気がする。どうして何とも思わないんだろう。あの環境で育ったのなら、毛嫌いしてもいいはずだ。
そこまで考えたところで、イーラは眠りに落ちた。眠るイーラの枕元で、儚く柔らかい手がイーラの頭をそっと撫でた。
『愛しいイルヴァ。全ては世界樹の元に』
***
朝日が昇る。海と空が美しい紫色になる頃、イーラは小船を岩から離し、こっそりと帰る準備をしていた。
明け方の潮風は体を冷やすが、水平線の向こうを見ても島は一つも見えない。水魔導師の都なら尚のことだろう。
イーラが小船に乗ろうとすると、ペウロとあの若い男がイーラの見送りに来た。
「全く、勝手に一人で消えるのもあいつ譲りだ」
「昨夜は、ありがとう。アインも咳が治ったんだ。ちゃんとお礼言いたくて」
若い男は申し訳なさそうに頭を掻くとイーラにお辞儀をした。イーラはハーブのお香の作り方を男に教えると、「二〜三日は毎晩炊くように」と男に言った。男は力強く頷いた。
「これを持っていきなさい」
ペウロはイーラにマッチ箱と一つのランタンを渡した。塗装の剥げた古いランタンだ。ペウロはそれを小突きながらイーラに言った。
「行きたい場所を呟きながらランタンに火を灯すのさ。そうしたらランタンがそこに導いてくれる。死霊魔術師の呪いが水魔導師に見つからないことを祈るがね」
「ありがとう」
イーラはペウロにお礼を言うと、小船に乗り込んだ。手で洞窟の外まで漕ぎ出すと、紫色の海がイーラたちを迎え入れた。
ペウロはイーラの後ろ姿に小さく手を振ると、誰もいない空間に声をかけた。
「······いい子だね。あんたそっくりで」
***
海に漕ぎ出たイーラは洞窟が遠ざかると、さっそくマッチに火をつけた。
「水魔導師の都──アマノハラ」
ランタンに火を灯して小船に置くと、船は一人でに海を進み始めた。それはお世辞にも早いとは言えないが、ゆったりと着実に都へと進んでいく。
ふと追い風が吹いた。いきなり変わった風向きに、イーラは不審に思った。
足元でカラカラと音がした。イーラが足元を探すと、風車が落ちていた。しかもそれは、嵐の時に少女から貰った風車だった。
「······どうして」
船室に置きっぱなしだったはずの風車がイーラの元にある。イーラは追い風に回る風車を見つめた。
海には青が混ざり始めていた。




