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32話 行方知れずの人

 草木が生い茂る森と恵みをもたらす水と、共生する地にある墓場は相対するように命が枯れ、石混じりの荒れ果てた地にあった。

 活気溢れる街外れの門をくぐったその場から、音が消え、命が消えた別世界に変わる。

 生と死の境がくっきりしているようだった。




「ツユハって方はきっと、亡くなられてると思います」

 本で埋まったスイレンの客間で、各々話し合っていた。そして、フィニのその一言から始まった。


 フィニが言うには、オモトが夜な夜な墓場をさまようという話に、少し引っ掛かりを感じたらしい。さらに、大通りを通ったパレードでオモトの背中に薄らと筋状のものが見えたそうだ。


死霊魔術師(デュラハン)は、目に見えない存在にとても敏感です。あれは確かに人ならざるものでした。もちろん、魔物という可能性も捨てられませんけど」

「でもよぉ、人は死んだら世界樹の根元で眠るんだろ? いるのか?」

「結構いますよ。未練を残されたり、誰かを恨んだりすれば、世界樹に眠ることが出来なくなるんです。ジギスムントさんも、その一人だったでしょう」

 ギルベルトはそれに納得すると、積み重ねた本をひじかけにして頬杖をついた。だが、それにはスイレンが少し口を挟んだ。


「ツユハがもし死んでたら、多分アマノハラの記録に載るだろう。でもあちしの記憶上、直近で三日前までの記録にはそんな名前はなかったはずサ」

「そうですか」

「フィニが魔術で呼び出したら?」

「やめた方がいいねぇ。ここは堅物・真面目が売りの水魔導師(ウンディーネ)の都だ。それに、一般人より魔導師が多い上に、水魔導師(ウンディーネ)は魔力痕が分かる。魔術なんか使ってごらん。一発で首チョンパだよ。お前さんら諸共ねぇ」

「く、首チョンパ······!!」


 フィニはさぁっと顔が青くなった。

 イーラも、さすがにこの都でフィニが魔術を使うのは危険だと察した。フィニはヘヨヘヨと身を縮め、どうしよう、と考えを巡らせた。



「そいつが死んでるってんなら、墓があるだろ。墓見つけて教えてやりゃいんじゃねえか?」



 ギルベルトがそう提案すると、スイレンは渋々納得した。エミリアも同意すると、重い腰を上げてスイレンが指揮を執った。


 ***


「全然見つかんないわね」


 イーラとフィニは墓石に刻まれた名前を一つ一つ丁寧に探して歩くが、今のところツユハの名前はない。

 フィニも宙を見上げて唸った。

「あるはずなんだけどね」

「あるはず······って、死んだこと確定なの?」

「死者の気配っていうか、足跡っていうか、伝えにくい何かがあるんだ」


 フィニはそう言いつつも、ツユハの墓をすぐには見つけられない。きっとその『何か』が墓場全体を覆っているのだろう。イーラは特別何も言わずに墓を探し続けた。


 だだっ広い墓場の半分をようやく探し終えた。その時点で太陽は西に傾き、空は赤く染まり、暖かい空気がだんだんと冷たくなってゆく。

 イーラは腰を叩き、つま先立ちをしてふくらはぎを伸ばす。半日でかなりの距離を歩いた上に、ほとんど休みもしなかった。足が痛くても仕方ない。

 フィニも頬を伝う汗が地面にポタポタと雫を落とす。フィニの顔も腕も赤くなっていた。


 これ以上は体に負担がかかると思い、中断を決めようとした。が、




「ここで何をしている」




 二人の後ろから声がした。イーラが振り向くと、ヒゲの生えた男性が立っていた。

 昨日見た城主だ。随分と険しい表情で仁王立ちしていた。昨日のような艶やかな服装ではないが、地味な色使いからも気品が溢れている。


 城主はイーラとフィニを交互に睨み、もう一度、「ここで何をしている」と問いかけた。

 フィニはイーラの後ろに隠れ、イーラは反射的に城主を睨み返した。

「墓を探しているだけですよ」

「誰の墓だ?」

「知人の墓」

「まともな嘘をつけ」


 さすが水魔導師(ウンディーネ)の都の城主だ。誰よりも嘘に聡い。城主は一歩イーラに近づいた。イーラはそれに合わせて一歩後退する。

 城主はじりじりと距離を詰めてくる。イーラとフィニは後ろを確認しながら後ずさるばかりだ。

「誰の墓を探している」

「あまり言いたくないです」

「よからぬ事を考えているわけではあるまいな」

「そのつもりは無いです」

「いいや、いいや。それも嘘だ。言え。何を企んでいる」


 城主の後ろの空で、水龍が飛んでいくのが見えた。

 イーラはどうやって逃げるべきか、どうしたら城主を納得させられるかを必死に考えた。


「ツ、ツユハさんのお墓を探してます!」


 フィニがたまらず叫んだ。城主は驚いて、目を見開いた。

 フィニはイーラの服をギュッと握って、全部話してしまった。

「オモト様の病気が本当は治ってなくて! その病気の原因がツユハさんにあるんじゃないかって思ってて! でもツユハさんは亡くなられてる可能性があるから、お墓を探しに──」

「ちょっとフィニ!」


「貴様ら! 万能魔導師(エルフ)が偽物だというのか!」


 城主は衣服の袖から短刀を出すと、鞘を抜き、その刃をイーラに向けた。イーラは逃げられず、眼前に迫る短刀をただ見ていることしか出来なかった。恐怖に勝てず、目を瞑る。

 短刀は、イーラに当たることは無かった。



「城主殿、墓場で子供を襲うとは、無粋なことをなさる」



 城主の腕を、水の縄が縛り止めていた。その縄の先にはスイレンの水晶が繋がっていた。

 スイレンは冷たい瞳で城主を見据えていた。城主は短刀を落とすと、スイレンに向き直った。


「彼女はあちしの知人の娘でねぇ。傷つけられたらたまったもんじゃあない。今日の仕事は終りなすったのかい?」

「スイレン、この子らがお前の知り合いならば、よく言っておけ。勝手に墓場に入るなと。ここにツユハの墓はない!」


 スイレンはニヤリと不敵に笑うと、「ちゃあんと言っとくサ」と城主の背中を見送った。

 そして、城主が小さくなるまで見送ると、血相を変えてイーラたちに駆け寄った。二人の顔を撫でて安否確認をする。


「嗚呼すまない。二人だけで行かせるんじゃあなかった。空から見た時、肝が冷えたよ。あの小僧をつけとくべきだった」

「フィニは大丈夫よ。やっぱりあの龍はスイレンさんの魔法なのね」

「もちろんサ。収穫はあったし、もう帰ろうか。お腹も空いたろう。さぁさ、あちしに掴まって。とびきりの魔法を見せてやろう」


 そう言ってスイレンはイーラとフィニを抱き寄せると、水晶に息を吹きかけた。すると水龍がスイレンの真上を飛び回り、イーラたちを飲み込むように突き抜けた。


 全身が水に包まれた。冷たさも感じないほどに流れが早く、スイレンの服を一瞬でも離そうものなら簡単に流されてしまうだろう。スイレンも、二人を離すまいと爪を立てて掴んでいた。水の激流に耐え、水の流れを感じなくなったところで、イーラは目を開けた。


 墓場にいたはずのイーラはたった数秒でスイレンの家の前に立っていた。フィニもキョトンとして不思議そうに周りを見回していた。

 濡れたはずの服はどこも湿っておらず、何なら水龍に飲み込まれる前よりも乾いていた。

 スイレンは何事も無かったように家に入ってしまう。イーラとフィニは首を傾げながら家に入った。


 ***


 家ではギルベルトが先に戻っていたようで、夕飯を作って待っていた。エミリアも読み漁ったままの本を片付けながら、スイレンたちの帰宅に感謝を捧げる。

 スイレンはギルベルトの料理を見ると、深い深いため息をついた。

「なんだい。魚を焼いてしまったのかい。勿体ないなぁ、魚は生の方が美味しいもんだよ」

「ジジイ、衛生管理って知ってる?」

「またケンカですか? お互いいがみ合うのはもうやめませんか。争いは憎しみしか生みませんわ」

「刺身も知らん若造が」

「細菌摂取するクソジジイが」

「やめなさいよ。見苦しいわね。瓶に詰めてやるわよ」




 どうにかケンカを仲裁し、無言のまま食事が始まる。ギルベルトとスイレンは対面で睨み合ったままで、黙々と食事を済ませようと急ぐ。ギルベルトの隣でエミリアは何とか仲を取り持とうと、明るい話題を振るがことごとく喧嘩の火種となって終わった。


 イーラはその様子に呆れなから箸に奮闘する。

 たった二本の棒きれでよく食事が出来るものだ。器用に物を掴んでは口に運ぶギルベルトやスイレンを観察し、食べ方を真似てみる。

 だが目で見て覚えたところで体がついてくるとは限らない。結局ポロポロこぼして食べるのに時間がかかってしまう。

 フィニも使いにくそうに箸を見ていた。エミリアは、コツをフィニに教えながら一緒に箸の練習をした。


「聞いてんのか? イーラ」

「へぁ?」

 ギルベルトが唐突に声をかけてきた。イーラはせっかく掴んだ魚の身を落とすと、素っ頓狂な声を出した。

 ギルベルトは呆れ、スイレンはイーラの食器に落とした身と他の料理を乗せた。


「だーかーらぁ! ツユハの死亡記録も家も無かったんだって!」

「あ、そうなの」

「そうなのって、お前······。墓の方はどうだったんだよ。俺らはそっちに賭けてんだからさぁ」

「見つかってないわよ。けど、まだ半分残ってるわ」

 イーラはそう答え、スイレンに盛られた飯を食べる。ギルベルトはそうかよ、と空になった食器を置いた。そのままドア側の隅の方に寄ると、まだ手をつけていない本の山に目を通した。

 スイレンも食事を終えると、空の食器を重ね、水晶の中をじっと見つめる。


 イーラは遅れ気味に食事を済ませると、ギルベルト同様、薬学の本を読み始めた。

 ふとスイレンが立ち上がり、その場を離れた。一分もしないうちに戻ってきたかと思うと、スイレンはイーラに手招きをした。少し険しい表情をしている。

 イーラはスイレンについて行くと、家の前にはあのエルフ紋の青年が立っていた。


「呼んできたよ。あまり時間を取らないでおくれな」

「もちろん。約束します」


 青年はイーラに一礼する。スイレンはイーラの頭をクシャクシャと撫でると、背中にすぅっと指をなぞらせて奥に消えた。

 青年はイーラを真っ直ぐに見つめ、「お話があります」とイーラを外へと連れ出した。



「私はオリバー。見ての通り、万能魔導師(エルフ)です」

 そう言ってオリバーは、右手の甲にあるエルフ紋をイーラに見えるように差し出した。

 イーラはジロッと一目見て鼻を鳴らす。オリバーは、イーラに背を向けて困った声を出した。


「私は流浪の魔導師です。人助けをしにあちこちを回っているんです。この国に来たのも城主の娘──オモト様が病に伏せっているとお聞きしたからです」

「で? 何が言いたいわけ?」

「私が来た時、オモト様は今にも死にそうな状態でした。城主様もおやつれになり、父子共々疲弊されていました」

「だから、何が言いたいの?」

「私の魔法が助けになるのなら、いくらでも使いましょうと心に決めて、私はオモト様を──」


「アンタの言いたいことがまるで分からないわ! 回りくどいったらありゃしない! ハッキリ言いなさいよ!」

「雰囲気って言葉知りませんか!」


 オリバーは咳払いをした。そしてイーラに嫌な顔をする。それだけでも言いたいことは伝わった。オリバーはイーラを突き飛ばすように言った。



「どうかオモト様に近づかないでほしい。せっかく魔法で病が治ったのに、あなたのせいで病がぶり返したら大変だ」



 その申し出を、イーラは馬鹿にするように笑った。おかしくてたまらなかった。腹を抱えて笑ってやった。

 ──私がそれを信じると思うか。


「お断りよ。だって、アンタは治せていないんだもの」

「私が嘘を言っているようにみえるのか」

「ええ。アマノハラの住人じゃなくても、アンタが言ってることが全部嘘だとわかるわよ」


 イーラはその根拠として三つ、指を立てて教えてやった。


 一つ、オモトの病は『心因性』で、魔法でどうにかなる病気ではないこと。


 二つ、治したと言う割に、誰もオモトの患った病名を知らないこと。


 そして三つめ、イーラはオリバーの胸を突き刺すように言った。それは自分に対して言ったようにも聞こえた。




「アンタが万能魔導師(エルフ)じゃないからよ」




 明らかにオリバーの様子が変わった。目に見えて狼狽え、イーラから距離を取った。オリバーは自分が本物であることを主張するが、イーラは彼を冷たく見下ろした。


「アンタ、自分が紋章書いたところちゃんと覚えてなさいよ。どうして右手を見せつけたのよ。アンタの紋章があったのは()()()()()?」


 オリバーはとっさに右手を隠した。今更隠したところで遅い。

 魔導師に刻まれる紋章は同じ場所から動いたりしないのだ。それはこの世界では常識で、一般人を含めて知らない人なんていない。

 イーラは蔑むような目をオリバーに向けた。


 腹立たしい。とても腹立たしかった。

 自分が持つことのなかったエルフ紋を見せつけたことも。それが嘘だったことも。何より本物の万能魔導師(エルフ)を、母を、冒涜したようで許せなかった。


 オリバーは見破られた事実を否定するように、何かを呟いては後ろに下がっていく。顔を覆い、何かに怯えるように独り言を言っては体を震わせた。

 そしてピタリと止んだかと思えば、オリバーはニヤリと笑ってイーラをその目に映す。

 イーラはその目に一瞬、足がすくんだ。


 その一瞬が明暗を分けた。


 イーラは深い意識の底まで落ちていった。眠りにつくように、体と意識が引き剥がされるように、イーラは体を地面に投げ出した。

 オリバーは倒れたイーラを見下ろして、体を激しく震わせるほどに笑い出した。

 雲が月を隠す。ほんの少し世界が暗くなると、オリバーの体は歪んだ姿をみせた。

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