31話 オモトの病の原因は
次の日、イーラはスイレンと共に、城主の屋敷に向かっていた。
大通りを少し歩いただけで、スイレンは色々な人に声をかけられる。
「スイレン様! おはようございます!」
「おはようさん。今日も元気だねぇ」
「スイレン様! ご機嫌麗しゅう」
「おやぁ、今日は一段と別嬪さんだ。お見合いかい? 高下駄を履いてるんだ、足元に気をつけて行くんだよ」
「スイレン様、息子が三日も帰ってこないんです。どうか占いで探してくれませんか」
「今は小さな水晶しかないんだがねぇ」
スイレンは男性に片手ほどの水晶を向けると、水晶をじっと睨めつけた。何も映らぬまま、スイレンは水晶を仕舞うと、男性に「山の方角にいる」と告げた。男性はスイレンに頭を下げると、急いで山の方へと走っていった。
イーラは腕を組み、再び歩き始めるスイレンの後ろをついて行った。
「随分と慕われてるのね。見る人みんなスイレンさんに声をかけてるわ」
「いいや。好かれてるのは私の人徳なんかじゃあないさ。魔導師という称号だよ」
「謙遜しちゃって」
イーラが頬を膨らませると、スイレンはふぃと空を仰いだ。
風を浴びる、それだけで絵になる男だ。イーラはその容姿さえも腹立たしく思った。
気を紛らわせようと景色に目を移した。
通りのあちこちに張り巡らされた水路に、軋む音を立てて回る水車の音が心地よく響く。
陽光に輝く水は、洗濯に使われたり、店先の技芸の水魔法に使われている。イーラの村には魔法はなかったが、それでもこの国の生活風景は故郷に似ていた。
さらさらとした水の音が、イーラの心を鎮めていく。強い風がイーラの体を撫でた。
「さぁさ、ここが城主の屋敷だよ」
スイレンがそう言うと、イーラの目の前には豪華な屋敷があり、後ろを振り向くと、アマノハラの街並みが竹林の向こう側にあった。
「······またズルをしたのね」
「何のことやら」
城主、と呼ばれている割にはそんなに豪華な城ではなく、堂々とした面構えの屋敷だった。大きな塀で家の周りをぐるりと囲み、中が見えないようになっている。
塀の上から覗く大木が葉を散らし、二人に手を振るように枝を揺らした。
スイレンは大きな門の脇にある、小さな戸を叩いた。
その戸から、使用人らしき男が顔を覗かせると、スイレンと少し言葉を交わす。話を終えると、スイレンはイーラに手招きをして屋敷に入れた。
石畳の道の脇を、模様の美しい枯山水が飾っていた。枯山水の真ん中にドカンと置かれた岩は苔と数本の竹で趣を演出する。
イーラは屋敷に上がると、スイレンの後ろをついて屋敷の奥へと進んでいった。
屋敷のどこからでも見える枯山水は、場所によって顔を変え、イーラの目を楽しませた。
スイレンは最奥の部屋の前で止まると、その場に正座し、手をついて頭を下げた。イーラもスイレンに倣うと、スイレンはコホン、と咳払いをした。
「オモト殿、タキナミでございます。······お目通り願えますか」
「どうぞ。お入りになって」
部屋からは、やつれたような声が返事をした。
スイレンは戸を開けると、イーラをその場に待たせ、先に一人で部屋に入っていった。イーラは床を見つめたまま、スイレンの指示を待つ。
「イルヴァ、入りなさい」
イーラは部屋に入ると、戸を閉めた。そしてスイレンの近くまで行くと、スイレンは手で「座れ」と合図をした。
「オモト殿、彼女が昨日文に書きました旅の薬剤師です」
「そうですか。そなた、名をなんと申されますか?」
「······イルヴァーナ・ミロトハです」
イーラはその時ちゃんと、オモトの顔を見た。
その病的なまでに──病気なのだが──痩せ細った姿に、やはり昨日見たものは間違いでなかったと確信した。
オモトはイーラの顔を見ると、ほんのりと微笑んでみせた。その笑みも、病気でなければ美しかっただろう。痩せこけた顔ではむしろ痛々しい。
オモトはイーラにずいと寄り、イーラの頬を撫でた。
「そなたがここに訪れた目的は何でしょうか」
乾燥でザラザラの指が、より細枝のように感じた。イーラは堅い空気に呑まれないように、グッと唾を飲み込んだ。
「······オモト、様は、万能魔導師によって全快されたとお聞きしまして。その魔導師の手腕を、確かめさせていただきたかったのです。オモト様の、健やかな姿が見られて良かったです」
「そうですか」
イーラはオモトの手を握るふりをして、脈を測った。今まで診てきた大人の平均よりもやや早く、温度も高い。手が湿潤気味なところから、少し興奮していると判断した。
スイレンはイーラの診察の様子を静かに観察すると、オモトに話を振った。
「そういえば、昨日は回復のお祝いを国挙げてされたとか」
「ええ、彼も喜んでくれていました」
「そうですか。それはとても喜ばしいことですね」
彼、とは誰だろうか。あの金髪の青年か? しかし、オモトの口振りからすると、どうやら恋人のようにも感じる。
オモトは指を重ねて頬を染めた。
「身を乗り出した時も、彼が『落ちたら危険だから』と肩を支えてくれまして。私ったらそれが嬉しくてつい何度もやってしまいました」
「彼? オモト様、肩を引いたのは城主様では?」
「父上はお神輿に乗られなかったはず」
「······イルヴァ、その神輿には城主と、オモトと、エルフ紋の男しか乗ってなかったはずだね?」
スイレンがイーラに耳打ちをした。イーラは無言で頷いた。
オモトは頬を押さえて、幸せそうにしていた。しかし、スイレンとイーラが話していると、突然立ち上がり、スイレンに掴みかかった。
「ツユハ様! なにゆえその女と話をされますか!」
「ツユハ? オモト様、そちらはスイレンさんで──」
「私を裏切るおつもりですか! 私を捨てるおつもりですか! 私の何が不満だと仰るのです!」
「オモト! 落ち着きなさい! 何が見えているというんだ!」
豹変したオモトに驚いて、イーラは一瞬動けなくなった。オモトの瞳に、驚くスイレンの顔が浮かんだ。
スイレンは咄嗟に水晶を出すと、オモトの前に突き出した。しかし、呪文は唱えない。
それもそのはず。イーラがスイレンが魔法を使う前に、オモトの腕をスイレンから引き剥がしたのだ。
そして、ポケットから小瓶を出してその香りを嗅がせた。
すると、オモトは糸の切れた人形のように崩れ、その場に倒れた。スイレンは驚いた顔でオモトを見下ろした。
「······イルヴァ、お前さん──」
「ただのポプリよ。リラックス効果のあるハーブを集めて作ったの」
イーラはスイレンにもそれを嗅がせた。自分のために作った物だったが、ここで役に立つとは思わなかった。
スイレンはオモトを仰向けに寝かせると、水晶をオモトの上にかざした。
「水の知恵 祈りの歌よ 水の加護を受けし子に癒しの雫を」
水晶から一滴、水が零れた。その雫はオモトの胸に真っ直ぐ落ちたが、オモトに触れる前に強い光に弾かれてしまった。
雷ともいえるその光にスイレンはふむ、と納得したようだった。
「治っちゃいない。というか、魔法じゃあ治せないねぇ。妨害の魔法がかかっている。それも、水魔導師じゃない。四大魔導師とも言い難そうだ。多少なりとも収穫はあったし、面倒なことになる前においとましようか」
スイレンと一緒にそそくさとその場を離れた。
しかし、外に出て、門を抜けようとしたところで「おい!」と後ろから怒鳴り声が響いた。
「またかお前は!」
スイレンは面倒だと言いたげに口を尖らせた。イーラが振り返ると、そこには猫目で短髪の男性が立っていた。
「やぁ、トラクモくんだったかな?」
「トウジロウだ。全く面白くないぞ」
トウジロウと名乗った男は、腕を組み、口をへの字にしてスイレンを睨んでいた。
スイレンはヘラリと笑い、袖をパタパタと振って誤魔化した。
「お前はまだエルフ紋の男を疑っているのか! オモト様の病を治して証明しただろうに!」
「いやぁ、あちしの占いじゃあ嘘だったんでね。確認しに来ただけサ。そんなカリカリしないでおくれ。お前さんが禿げてしまったら笑うからねぇ」
「誰のせいでカリカリしてると思ってる! お前の占いが珍しく外れただけで、無理矢理当たったことにしようとしてるんじゃないのか!」
「それは言いがかりサ。あちしは当たったと思ってるからねぇ。あの金髪くんに気をつけとくれ。いくらお前さんでも危険だろうよ」
「吾輩に対する嫌味か!」
「そんなこと言ってないだろう!」
トウジロウはスイレンに声を荒らげた。スイレンは呆れたように返すと、イーラを連れて門を出た。
トウジロウは捨て台詞のように、スイレンの背中に投げつけた。
「嘘をついたら死罪なのだぞ!」
「そりゃあいい。あちしが嘘をついたらお前さんは得をするもんねぇ。あちしには、嘘をついてる人間が別にいると思うけれども」
スイレンは戸を閉めると、スタスタと竹林を歩いていく。
イーラはその後ろを何も言わずについて行った。
「──嘘が死罪になったのは、大昔の事件が原因なのサ」
スイレンの家に戻る道すがら、彼がそうポツリと零した。イーラがスイレンの横顔を見上げると、スイレンは澄んだ目に遠くを映していた。
「大昔、ある男がこの国の城主に仕えていてねぇ。そりゃあ良い仕事をするもんだから、城主から全幅の信頼を得ていたんだ。男はそのまま出世の道を歩んだよ。しかし、事件は起きた」
スイレンはおもむろに水晶を出すと、近くの川から水を引き寄せ、人形を作り出した。
イーラは水人形を見ながらスイレンの話を聞き入った。
「屋敷の蔵から金の入った箱が盗まれたのサ」
イーラの前で水人形は狼狽しながら走り回った。沢山の人形があちこちを走り回って、慌てた様子で話したり箱を探したりしていた。
スイレンは水晶をくるりと回して話を続けた。
「皆がみんな混乱している時に、男が言ったんだ」
『盗っ人は民の中にいる』と。
イーラは何となく察した。
城主の屋敷から金が盗まれ、信頼の置ける男からの進言はどれほどの説得力があったのか。
イーラの予想通り、水人形は一人の人形を責め、崩してしまうと、別の人形を責めた。
スイレンは水晶の中を見据えた。懐かしむような、恨むような目をしていた。
「城主は罪人を片っ端から尋問し、殺して回ったんだ。そして、最近罪を犯した者も、城主に疑われてその刃にかかってしまったんだ。そして、あってはならないことが起きてしまった」
城主の金を盗んだ者が一向に現れず、民は誰が盗んだのか、次は誰が殺されるのか気が気でない日が続いた。そして、あいつがやったのではないか、こいつが犯人なのではないかと疑心暗鬼になり──
──互いに殺し合う惨劇が起きた。
イーラの前で水人形はお互いを攻撃しあった。水が弾けて崩れ去り、全て無くなるまで攻撃が止むことは無かった。
これがいくら水人形だとしても、魔法による過去の再生だとしても、心が痛む光景だった。
スイレンはその様子を眺めつつ、淡々と話を続けた。
「国民の半数が死んだ後、あの男は言ったんだ。『全て嘘だった。金が盗まれたというのも、盗っ人が民の中にいるというのも全て』──」
男は言った。
『大した仕事もなく、単調な日々が続いて息が詰まりそうだった』と。
そんな理由でついた嘘が途方もなく膨れ上がり、人口の半数が死ぬ大事件にまでなってしまった。
城主は当然憤慨し、男を死罪にした。
そして、二度と嘘がつけぬよう、誰も同じことをしないように『嘘をついた者は死罪に処す』と法を定めたという。
「だからここで嘘はいけないよ、と口酸っぱく言ったのサ。その場しのぎの嘘だとしてもね。あの事件以来、アマノハラの民は嘘に聡くなるように進化を遂げた。お陰で嘘をつこうものならすぐバレて牢屋に入れられる。面倒だねぇ。実に面倒だ」
「でもそんなことが起きたなら仕方ないと思うわ。私だってそうすると思うもの」
そうだけれどね、とスイレンは含みのある返事をした。
物憂げに空を見上げたスイレンに、イーラはその言葉の裏を聞く気にはなれなかった。
***
スイレンの家では、エミリアとフィニがまだ本を読み漁っていた。
二人が帰って来たのを見ると、フィニが「おかえり」と満面の笑みで迎えてくれた。
「ただいまフィニアン。いやぁいいねぇ。おかえりって言ってくれる人がいるっていうのは」
「フィニ、そっちはどう?」
「薬の種類が色々あったけど、どれもあの心因性何とかっていうのに使えるやつじゃなかった」
「そう······」
「で? 結局オモトって奴の病の原因は何だったんだよ」
ギルベルトがいい香りを漂わせて奥から顔を覗かせた。スイレンはギルベルトの姿に怪訝な顔をしたが、突っかかって来るのが嫌だったので、何も言わずに話をした。
「ツユハって名前を聞いただけで、あまりよく分からないんだ」
「スイレンさんをその人と間違えてたから、多分まだ症状は出てるわ。その人が何をどうしたのか、見当もつかないけど」
「そうでしたか。しかし、その方が鍵を握っていることは間違いありませんわ。手分けして探しましょう」
「そうだな。城主の娘と付き合えるってあたり貴族だろ。その辺探してやれば」
「あちしは占いで探そうか。ある程度場所を絞った方が探しやすかろうサ」
「特徴さえ分かればいいんだけど、名前だけで探せるかしら?」
「まずは地図を共有しましょう。ギルベルトとスイレンさんは土地勘があれど、私たちにはありませんので」
「嗚呼そうか。じゃあ地図を持ってこよう」
皆でツユハの捜索に乗り出そうとしているところ、フィニが小さく手を上げた。
そして皆の注目を浴びるなか、オドオドしながら言った。
「ぼ、僕、場所分かるかも······しれない、です」




