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30話 イーラの診断

 喉から鉄の味がした。肺が焼けるように熱かった。

 イーラは大通りに近い路地裏で、壁に手をつき、膝を震わせて息をしていた。

 とても苦しかった。短時間で奥地から大通りまで走ったことも。マシェリーと同じエルフ紋の所持者だと思われていたことも。魔力がないと知った瞬間の、あの落胆も。



「っ! ······望んで一般人やってると思ってんじゃないわよ!」



 イーラの苛立ちが汗と共に落ちた。イーラは民家の壁を叩き、その場にしゃがみ込んだ。

 とても辛かった。周りの期待に答えられないことも。勝手に落胆されることも。

 イーラ自身、いずれ魔力が覚醒すると思っていた。しかし、何年経っても魔力は芽生えず、覚醒限度と言われた十歳の時もいたずらに過ぎただけだった。


 イーラは膝を抱え、怒りを押し殺した。

「落ち着きなさい。慣れてるでしょ。今更怒ったって、何にもなりゃしないのよ」

 自分にそう言い聞かせ、腕をさすって立ち上がる。それでも、イーラの気分までは立ち直ることはなかった。


「イーラ! 大丈夫?」

 フィニの声がした。後ろを見ると、フィニが息を切らせて走ってきた。

 汗を拭い、肩で息をするフィニは、疲れてその場に腰を落とした。イーラは大通りからフィニが見えないようにしゃがみ、声を落としてフィニに話しかけた。


「あんまり外に出ない方がいいわ。ここの兵隊は魔力が見えるみたいだから、フィニの魔力もすぐ分かるわよ」

「それは大丈夫。スイレンさんが魔力を隠す魔法道具を貸してくれたんだ」

 フィニはそう言うと、自慢げにチョーカーを見せた。

 色鮮やかな石を適当に磨いて混ぜて作ったようなチョーカーで、飾り用にゴツゴツのチェーンを選ぶあたり、大雑把な性格が表れていると思う。

 イーラはじっとチョーカーを見つめていた。本当に使い物になるのかと。だが、石の中にうっすらと文字が見えた。

 イーラが覚えた文字とは違うが、フィニが魔法陣に書く字とよく似ていたので、イーラは信用することにした。


「イーラ、戻ろうよ。ギルベルトさんもエミリアさんも、イーラのこと心配してたよ」

「······飛び出したことは、悪かったわ。けど」


 イーラはスイレンの家に戻るのが少し怖かった。

 家を飛び出しておいて、のこのこ戻るのも恥ずかしいし、何よりスイレンがまた失望の眼差しを向けてくるのが怖かった。

 イーラの浮かない顔を、フィニはじっと窺った。そして、イーラの手を取ると、「分かるよ」と声をかけた。


「僕は魔力があるし、きっと今よりもっと頑張れば、色んな魔術が使えるかもしれない。けど、皆の期待に応えられないって辛いよね。自分はすごく頑張ってるのに、周りはそれを知らないから。···どうしても、きつい言葉をかけられる」


 フィニはショボンと気を落とした。

 フィニの言う通りだ。どんなに頑張っても、自分なりの努力を示しても、周りは周りの理想を語り、イーラの努力を跳ね除ける。そして同じことを言うのだ。



『マシェリーは偉大な魔導師だったのに』



(──もう、聞き飽きてんのよ)

 イーラの陰鬱な気持ちを笑い飛ばすように、大通りが急に騒がしくなった。太鼓の音が胸を叩き、笛の音がイーラたちを大通りへと引き寄せる。

 路地を出て、大通りに顔を出すと、通りはアマノハラの住人でごった返し、歓声や楽器の音で溢れていた。

 空からは花びらをかたどった薄桃色の紙が降ってきた。イーラが空を見上げたちょうどその時、水魔法らしき龍が海に向かって空を駆けて行った。陽光を反射してキラキラと光る龍は、イーラの瞳に光を映す。

 住人の歓声はより一層大きなものとなる。



「ねぇ! これって何が起きるんですか?」



 イーラは近くにいた女性に話しかけた。女性は満面の笑みでイーラを見ると、少ししゃがんでイーラと身長を合わせた。フィニはイーラの後ろに隠れて様子を窺った。


「オモト様の回復を祝うお祭りさぁ。もう少しでオモト様の乗ったお神輿がここを通るんだよ」

「そうなのね。······オモト、様は酷い病だったと聞いたのだけれど」

「ああそうさ。重い頭痛と嘔吐、手足の痙攣と相当苦しまれたそうだよ」


 イーラは少し不思議に思った。

 今聞いた症状であれば、酷いとは言いがたかったのだ。適切な薬や診察で治せる範囲の病気だ。

 しかし、女性は更に続けた。


「しかもさぁ、夜な夜な屋敷を抜け出して墓に行ったり、土を食べたりしたって聞くじゃないの! うなされてたとか、領主様に斬りかかったなんて話もあったしねぇ。それが治ったんだ。めでたいと思わない?」


 イーラは「そうね」と返したが、どうにも引っかかった感じがして抜けなかった。

 女性は近づいてくる太鼓の音に立ち上がって、「ほら、お神輿が来たよ!」とイーラに教えてくれた。

 イーラはつま先立ちで、こちらに向かってくる行列を見上げた。


 祭囃子の中をゆったりと神輿が通る。

 皆がオモトに回復を喜ぶ声を上げ、神輿に乗った儚げな女性も応えるように手を振った。


 あれがオモト様か、とイーラはじっと観察した。

 二十代前半くらいの歳にしては、枯れ枝のように痩せ細った体だ。髪も手入れされていないし、落ちくぼんだ目がとても痛々しい。

 しかしオモトは気丈に振舞って、神輿から少し身を乗り出して住人立ちと手を繋ぐ。


 神輿には城主と思われる髭の男性もいて、オモトが身を乗り出す度に肩を引いて神輿に戻して注意していた。

 その神輿には金髪の男もいた。

 おそらくオモトと同年代の青年だ。茶髪が多いアマノハラで金髪はよく目立つ。更に彼は手を振るようなこともせず、気配を消すようにして神輿に乗っていた。




「エルフ紋万歳! 万能魔導師(エルフ)様ばんざーい!」




 きっと彼のことだろう。

 神輿に乗る金髪の青年は満更でもなさそうで、声をかけられると、少し手を振ってまた気配を消した。

 左手にあるエルフ紋を、イーラはしっかりと目に焼き付けた。

 そしてイーラは路地裏に抜けて、大通りから離れていった。




 イーラは行列が通り過ぎたであろう通りに、ひっそりとした本屋を見つけた。店主の老人は水タバコをふかし、こっくりこっくりとうたた寝をする。

 イーラは本屋の奥で、背表紙をなぞりながら本を探す。

 切手のような大きさから、窓枠くらいの大きさまであり、ジャンルも娯楽本から実用本まで揃っている。

 小さいながらもありとあらゆる本が揃っている本屋は貴重だ。イーラの村にはそもそも本屋自体が無く、買いに行くとしたらメルッザまで行かなくてはならなかったし、メルッザでも本の種類は十もあればいい方だった。


「『実用薬学の書』、『本当は怖い薬の作用』、『魔法薬に匹敵! 野草の使い道』、『使えそうで使えない薬材名称』······うーん、ここじゃないのかしら? 医療関係の本はこの辺りの棚のはず」

「イーラ、何探してるの?」

 遅れてフィニが顔を出した。

 イーラは棚を真剣に見つめながら本を探す。しかし、どんなに探しても目当ての本は見つからない。

 イーラはフィニに本探しを頼んだ。


「毒草と薬草をまとめた本と、珍しい病気の本を探してくれる? 私は調合に関する本を数冊と魔法薬に関する本を探さないといけないから」

「分かった。······って、そんなに買うの!?」

「私の予想だと病名は分かってるのよ。ただ、治療薬と魔法薬の作り方が分からないわ」



「さすがイルヴァだねぇ。今言った本は全部、あちしの家にあるだろうサ。何となく、記憶にあるんでね」



 いつの間にか背後にスイレンが立っていた。

 フィニが驚いて腰を抜かした。イーラがスイレンを睨むと、スイレンは目を伏せがちに本屋を出ていった。

「おいで。必要なものは全部揃えてあげよう。だからオモトの病を教えておくれ」


 イーラはスイレンの背中を見送った。スイレンが店を出る時、店主の老人が慌てて立ち上がってスイレンを見送った。その時、カウンターにあった本をバサバサと床に落とした。


「······イーラ、どうするの?」

 フィニがイーラの手を借りて立ち上がった。イーラの顔をのぞき込むように見ると、イーラはため息をついて本屋を立ち去った。


 ***



「『心因性ダラチュア症候群』だぁ?」



 スイレンの家で、ギルベルトが素っ頓狂な声を上げた。

 イーラがスイレンの本を漁るのを手伝いながら、ギルベルトはイーラの後ろをついて行く。

「俺でも知ってるぞ。ダラチュアっつったら結構な毒草だろ? それがどうして病名になるんだよ」

「それを食べたのなら、病名にはならないからよ。『心因性』って言ったでしょ」


 別の棚でフィニが本を探しながらスイレンに聞いた。

「スイレンさんは、オモトさんの病気を見たんですよね? 面影がないって言ってましたし」


 フィニが乗ったハシゴを押さえながらスイレンは頷いた。

 少し考えるように目を泳がせると、ふぅ、と息をついた。

「あちしが見た時は、息苦しそうだったり、嘔吐と目眩が酷かったかねぇ。何度か様子を見に行ったけれど、酷くうなされてたり、突然暴れだしたりと日によって安定しなかった。爪に土がくい込んでたこともあったから、もしかしたら夜中に墓場に行ってるってのも嘘じゃあないのかもねぇ」


「それが全部その病の症候なのよ」

 イーラはギルベルトに本を渡してすぐ別の本棚に足を運ぶ。エミリアがイーラに本を見せて必要の有無を求めた。


「ダラチュアは、とても強力な幻覚症状を引き起こす毒草です。幻覚・幻聴の他、頭痛や目眩、吐き気、意識喪失、呼吸困難に異常な興奮、錯乱を症状としますの。悪夢をみる方もいらっしゃるとか」

「しかも、それらをダラチュアを摂取せずに引き起こす。主に精神的な要因が多いから『心因性ダラチュア症候群』と呼ばれるの。世界でも六人くらいの前例があるわ。エミリアさん、この本は要らないかも」

「分かりましたわ」


 ある程度本をかき集めると、次は座敷に持ち寄って治療薬を探し始めた。

 ギルベルトが本を黙々と読みながらイーラに聞いた。

「その心因性ダラなんとかかんとかってのは、土を食ったりもすんのか?」

「しないわ。酷く痩せ細ってたから、多分鉄欠乏性貧血の影響で異食症を併発してると思うの」


 スイレンの眉がぴくりと動いた。しかし、スイレンは何も言わずに本を読み漁る。エミリアは次の本に手をつけて、会話に混ざった。

「しかし、幻覚症状が出ているだけならば、解毒薬で事足りるのではありませんか? イルヴァーナさんなら作れると思いますが」

「いいえ。あそこまで弱ってるんじゃ、普通の解毒薬では体に負担がかかっちゃう。かといって、弱い解毒薬を作っても意味ないし。そもそも、心因性なんだから薬の意味がないのよ」

「なるほど。それもそうですわ」

「イーラ、だったら症状に合わせて薬をいくつか作るのはどう? それならきっと病気を抑えながら体を回復させられるんじゃない?」

「無理よ。飲み合わせがあるの。弱い薬を作っても、確実に副作用を起こすわね」

「だったらなんで魔法薬も調べてんだよ。お前作れんのか?」

「作れないわ。魔法薬材は魔導師しか扱えないのよ。一般人が複雑な魔法薬材を見分けられるわけがないわ。龍の息と一角馬の咳の違いが分かる?」

「分かんねぇわ」


「心因性なら、発症する原因があるはずだねぇ。多分、墓場に行くってあたりがヒントだろうサ。もしその原因を突き止められれば、病気はある程度軽減するんじゃあないかい?」


 スイレンが本を閉じた。

 本を睨んでいても病気は治らない。そう判断したスイレンはイーラに問いかけた。

「オモトを間近で診察したいと、思わなかったかい?」

「······思ったわよ。でも、皆はもう治ってると思い込んでるし、旅の薬剤師がどうやって近づけるって言うのよ」


 スイレンはイーラの返事を聞くと、本を傍らに置いて、イーラに少し近寄った。

「あちしが口利きしてやろう。幼馴染が城主の側近だし、あちしも城主に何かと占ってくれと呼びつけられるんだ。ただ、気をつけておくれ。この国は嘘が重罪だ。嘘は絶対に言っちゃいけないよ。アマノハラの民は嘘に敏感だからねぇ」


 イーラはスイレンの忠告を受け、それに承諾した。

 フィニはふと思い出すと、エミリアにこっそり聞いた。

「オモトさんの病って、面影がなくなるほど治ってたんだよね?」

「ええ、そう聞きましたわ。どうかしましたか?」

「······イーラ、何で痩せ細ってたなんて言ったのかなって」


 エミリアはそれを聞いて、イーラの横顔を見つめた。

 そしてふと、イーラが七宝を使ったことを思い出したのだ。

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