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29話 占い師スイレン

 店の隅での井戸端会議、玩具を持って走り回る子供たち。イーラの育った村と変わらない風景に懐かしさを覚える。

 店主をおだてて商品を値切ったり、水路の水で洗濯をする所までそっくりだ。イーラはじっと、街の様子を見つめていた。


「ふふ、イルヴァは懐かしいと思うかい?」


 スイレンはイーラにそう聞いた。イーラは少し驚いたが、「そうね」とまた目を遊ばせた。

「住んでた村と同じだわ。場所も人も全然違うのに、何故かそう思うのよ」

「わかる気がするねぇ。あちしもマシェリーが根を下ろす地を決めた時、懐かしいと思ったのサ」

「まぁ違うとしたら街並みと············服装かしら?」


 イーラはスイレンの服に目を移した。

 直線的な縫い方の服は異様に袖が長く、男でもドレスのように丈の長いものを着ている。ボタンもベルトも無く、長い布一枚で服を留めているような珍妙な装いだ。

 他にごちゃごちゃと飾りをつけたり髪を飾ったりと、見た目が派手な人が多いと感じた。

 スイレンは自分の服装を見て、ふぅむ、と考え込んだ。

「これが伝統衣装だからねぇ。昔から着ていたものだから、あまり不思議に思ったことはなかったが。外から見たら不思議かい?」

「ええとっても」

「自覚なかったのかよタキジジイ」

「小僧は研究対象じゃあないが、その頭の構造は気になるなぁ。ちょいと切り刻んでやろうか」

「お前の内臓抉り出すぞ」

「ケンカすんじゃないわよ。まとめて薬漬けにするわよ」

「おお怖い。その口の悪さは一体誰に似たんだい? さぁさ、話しているうちに着いてしまったよ。ここがあちしの家だ」


 イーラがハッとして前を見ると、こじんまりとした御殿があった。周りを見ると、いつの間にか街の奥地に入っていて、大通りの喧騒は遠くなっていた。

 イーラが気づかなかっただけかと思ったが、比較的目移りしなかったフィニやエミリアも驚いていた。

 スイレンは睨みつけるギルベルトを、ケラケラと笑って額を小突いた。

「あっはっは。少しだけズルをしたよ。街を見たかっただろうが、許しておくれ。あちしも今は慌てているものでね」



 スイレンはドアを開けると、さっさと家の中に入っていった。イーラたちも続いて家に入る。

 家の中は本棚でいっぱいだった。家、というよりは書庫に近い。

 壁だけでは足りず、本棚で通路を作っても足りず、奥の廊下にも本棚が続いていた。

 それでも足りないのか、床にも本が積まれてあり、ギルベルトがそれに足を引っ掛けると、スイレンは眉間にちょっとシワを寄せてギルベルトに注意するように指を差した。

 ギルベルトは不満そうに足元を確認してついていく。


「凄い量の本ですわ。きっと世界中の本を全て集めたのでしょうね」

「いやいや、あちしが集めただけじゃあ遠く及ばないサ。世界中の本が集まる本の舘があるけれど、そこと比べたらまだまだ足りないよ」


 エミリアが感嘆を零すと、スイレンは満更でもなさそうに謙遜する。口を袖で隠して笑うと、廊下の横にあったドアを開けて皆を座敷に通した。

「靴は脱いでおくれ。履いたままだと汚れてしまうからねぇ」


 スイレンはイーラを置いて部屋を出て行った。

 ギルベルトはスイレンの背中に向かって舌打ちをした。

「ケッ、いけ好かない野郎だ。あんなヘラヘラした奴に手ぇ突っ込まれたって思うと虫唾が走る」

「でもその結果助かったのです。あまり怒っても意味は無いでしょう」

「そうですよ。それに、あまり悪い人には見えませんし」

「見えてる面だけが全てじゃねぇよ! アイツの腹は真っ黒だ! 真っ黒!」


「少なくともあちしは色白の部類に入るんだけどねぇ」


 いつの間にか戸口にスイレンが立っていた。

 全員分のお茶を持ち、座敷に上がる。スイレンは温かいお茶を一人ずつ丁寧に配った。


「ありがとう、タキナミさん」

「他人行儀だねぇ。スイレンで良いのに」

「え、名前じゃないの?」

「アマノハラは苗字と名前が逆なんだよ。そうだろタキジジイ」

「お前さんは標本にして欲しいなら、素直にそう言ったらどうだい」


 スイレンは一息つくと、フィニに目を向けた。フィニは肩を跳ねさせてエミリアの後ろに隠れた。

 スイレンは指をわきわきと動かしてフィニに近づいた。

「おや、そんなに怖がらなくても。痛いことはしないサ。さぁこっちにおいで」

「ひっ、イーラァ!」

「スイレンさん、ストップ! フィニが怖がってるわ」

「タキジジイ止めろ。頭ぶち抜くぞ」

「はんっ! 生まれたてのサラム紋なぞ怖くないサ」

「何だと───!」




「タキナミ様! 緊急です!」




 突然外から大声がした。スイレンは呆れた様に耳を塞いで無視を決め込む。しかし、外の声は依然として大声でスイレンを呼んでいた。


「タキナミ様! 死霊魔術師(デュラハン)が入ったかもしれないんです!タキナミ様、緊急なんです!」


 その言葉にフィニが怯えだした。

 エミリアがフィニを守るようにドアに体を向けた。しかし、スイレンは「大丈夫サ」とエミリアを宥め、フィニを優しく撫でた。

 フィニからローブを借りると、渋々来客の対応に向かった。


 イーラは不安になり、ドアにピッタリと耳を当てた。どうにか話の内容を聞こうとしたが、周りを気にして話しているのか、どうにも聞き取れない。すると、ギルベルトがイーラの近くに来て、地面に落ちているビー玉を拾った。

 ギルベルトに襟を掴まれ座敷に戻ると、ギルベルトは自分のお茶にビー玉を落とした。


『結局何が言いたいんだい? お前さん達の話が見えないんだ。端的に話すってことを知らないのかい?』


 湯のみから声が聞こえた。

 ギルベルトはやっぱりな、と言いたげに頬杖をついた。

「出てく時に落としたんだよわざと。あの野郎、人の行動を先読みしたつもりか」


 ギルベルトは悪態をつくが、イーラにとってはありがたい事だ。

 スイレンの声は気だるげで、切羽詰まっている相手がどんなに言っても聞き流しているようだった。


『街の大通りに死霊魔術師(デュラハン)の魔力の痕跡があったんです! それに、土魔導師(ノーム)火魔導師(サラマンダー)の魔力痕跡も! きっと彼らが死霊魔術師(デュラハン)を連れてきたに違いありません!』

『存外失礼なことを言うね。 土魔導師(ノーム)火魔導師(サラマンダー)はあちしの客人サ。あちしの客人がそんなことをするって言うのかい?』

『い、いえ、決してそのような! しかし、死霊魔術師(デュラハン)の痕跡が······』

『あちしの手に入れたサンプルだ。それが尾を引いたんだろう。これでもまだ死霊魔術師(デュラハン)がうろついてるなんて、言うつもりじゃあないだろうねぇ?』


 少しの沈黙を置いて、相手は『いえ、勘違いしていたようです』と帰っていった。

 微かに聞こえる草をふむ音にイーラ達の気が抜ける。戻ってきたスイレンは、イーラたちをみるとくすりと笑った。

「盗み聞きかい? いけない子たちだねぇ」

「お前が置いてったんだろ。元凶」

「おやそうだったかな? さぁさ、お茶にしようか。あちしも疲れてしまったよ」


 ***


(貰ったものに文句をつけるなって教わってるけど、これは少し······)


 イーラは口を固く結んでお茶を飲み込んだ。

 湯のみのお茶は普段飲んでいるものよりもはるかに苦く、飲んだあとも舌に苦味が残るほどに味が濃いものだった。

 しかし、ギルベルトもエミリアも平然として、苦味に耐えているのはイーラとフィニだけだ。

 フィニなんて青ざめてまで苦味に耐えていて、見ているイーラが可哀想になるくらいだ。

 スイレンはイーラとフィニを微笑ましく見守っていた。

「ふふ、子供にはまだ早かったかな? きっと大人の味に感じているだろうサ」

「分かってんなら紅茶かなんか出してやれよ。わざわざ緑茶じゃなくてもよ」

「いいじゃあないか。体に良いんだもの」


 スイレンはお茶を啜り、傍らの本に手を伸ばした。それをギルベルトが払い除け、スイレンを睨みつけた。

「イーラに用があるだの、慌ててるだのと言っておきながら肝心な本題を出してこねぇな。なんのためにお前が管理局に顔出してまで呼んだんだよ」


 スイレンはギルベルトの顔を押しのけ、「無粋だねぇ」と湯のみを置いた。

 スイレンは姿勢を正すと、一枚の絵をイーラに見せた。


 美しい女性だった。女のイーラが息を呑むほどに。

 長い黒髪に真っ赤な唇の、儚げな美女は伏せがちな目で遠くを見つめている。


「彼女はこのアマノハラの城主の娘サ。あちしは興味ないけれど、アマノハラの男は皆彼女を慕ってる。馬鹿らしいったらないよ。平民は貴族になれないのだからね」

「さっさと要件言えっつーの」

「はいはい、せっかち小僧」


 スイレンは絵の女をトントンと叩きながら話を続けた。

「彼女──オモトと言うんだがね、ふた月も前から重い病に伏せっていたのサ」

 その話にイーラの眉が動いた。


「アマノハラの医者、貴賤問わず診せたけれど誰一人として治療出来なくてねぇ。ココ最近まではとうとう死ぬのでは、もう死んだのではと、噂で持ち切りだったんだ」

「何? 私が診ればいいの?」

 イーラは少し心が浮いた。

 もしかしたら自分の専門分野かもしれない。もしかしたら自分が役に立つかもしれない。

 だが、その期待も地面より深い所に落ちていった。



「いいや。そもそもイルヴァは薬剤師で医者ではないだろう? それに、オモトの病はもう治してしまったらしい」



 イーラは「あっそ」と素っ気なく言った。スイレンは少し首を傾げた。そこに噛み付くのはやはりギルベルトだった。

「じゃあなんでイーラに用がとか言うんだよ。何もねぇじゃん」

「それが大ありなんだよ。彼女の病の治したのが、エルフ紋の魔導師なんだからサ」



「エルフ紋!?」



 スイレンは平然としているが、エミリアは口を押さえ、ギルベルトも驚いて言葉が出なかった。

 ほとんど見たことも無い希少な魔導師が、水魔導師(ウンディーネ)の都で人助けしていた? そんな偶然があるのだろうか。

 しかし、スイレンの表情は険しいもので、複雑そうに腕を組んでいた。


「あちしも病が治ったあとのオモトを見たけれど、死にそうだった時の面影がさっぱりないんだ」

「良いことではありませんか。ご令嬢の病が治ったのでしょう?」

「いいや、あちしの占いだと治っていないんだこれが。病に伏せったばかりの時と同じ、死を示す結果だった」

「お前の占い外してんじゃねぇの? よく言うじゃん、当たるも八卦当たらぬも八卦ってよ」

「あちしの占いは百発百中サ。何度も経験してるだろうに。その占いでサ──」



「エルフ紋の魔導師が偽物、って結果だったらどうだい?」



 ギルベルトはそれを聞いて納得してしまった。

 フィニも少し考え、軽く頷いた。エミリアは納得したものの、どうしても分からないことがあった。

「あなたの占いが事実だとして、どうしてイルヴァーナさんが関わってくるのでしょう?」

「ああ、とても大事な部分だからサ」


 スイレンはイーラに向き直ると、先程までのヘラヘラとした様子を正し、真っ直ぐな瞳にイーラを映した。

 イーラも自然と姿勢が伸びる。それと同時に、何とも言えない影がイーラの背中ににじり寄っていた。


 スイレンが口を開かないで欲しい。スイレンが言うことが予想と外れて欲しい。

 そう願ったのも、イーラが今まで受けていた事に似た雰囲気が、スイレンから滲み出ていたからだろうか。イーラの胸が、掴まれたように苦しくなった。しかし、それもスイレンには知らぬ事だ。

 スイレンは口を開いてしまった。




「本物の万能魔導師(エルフ)のイルヴァに、偽物を摘発して欲しい」




(··················やっぱり、ね)

 イーラは胸を裂かれたような痛みをぐっと耐え、スイレンの話を聞いた。フィニはイーラの微かな異変に狼狽えた。


「アマノハラは他と違って『嘘』が大罪なのサ。あちしはあまり殺生は好まないけれどねぇ、オモトが死んだらそれこそ無益な争いが始まりかねなくて。誰が最初だ、誰がそう言ったってね。けれど、ここに本物のエルフ紋がいたら、偽物を追い出した上にオモトも治る! 一石二鳥だと思わないかい」





「ごめんなさいね。全然思えないわ」





 スイレンの頼みを、イーラはバッサリ切り捨てた。

 スイレンはキョトンとしてイーラを見つめた。そして納得した様に手を叩くと、スイレンは少しはにかんだ。

「ああ、そうか。エルフ紋は遺伝確率が9%だもの。エルフ紋から生まれる子は他の魔導師になる確率が90%なんだ。きっと四大魔導師のどれかなのだね。ノーム紋かい? それともシルフ紋? 癪だけどサラム紋──」

「違うわ。どれも違うの」


 イーラは暗い顔で、訴える様に言った。そして、今まで何度言ったか数えられない言葉をまた、今度はスイレンに言うのだ。





「私はなんの魔力も持たない一般人なの」





 ***


 零れたお茶を片付けるエミリアが、ふと顔を上げて開きっぱなしのドアを見つめた。哀れむように手を握って誰かに祈りを捧げる。

 ギルベルトは自宅のようにだらけて座り、隣で固い表情のスイレンを鼻で笑った。

「ざまぁねぇな。もっと言動に気をつけるもんだと思ってたけどよ」

「仕方ないじゃあないか。イルヴァがまさか──」

「いーや、気づくタイミングはもっとあったろ。なんなら最初からよぉ」

「そう言われてしまえばそうだねぇ。嗚呼······」


 スイレンは頭を押さえて項垂れた。

 フィニはエミリアたちを交互に見た後、いなくなったイーラを追うようにドアに目を向けた。

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