26話 めでたい日
エミリアは杖を立て、祝詞を唱えた。
「慈愛に満ちた偉大なる土よ。母なるその御胸に魂を眠らせ給え。世界樹に還りし命に慈しみを。世界樹の礎となる宿命に哀悼を。そしていつか命が芽吹く時、土魔導師の名の元に、大いなる祝福を捧げましょう。恵みの陽光、命の大地、汝に祈りを──」
長い、本当に長い祝詞だった。エミリアは杖を支える手が震えるほど泣いていた。
フィニも杖を横に持ち、黙祷を捧げた。
双子は床の煤を手につけると、その手を固く結んだ。
ギルベルトはジギスムントが消えた後、拳銃を落とし、片膝を立てて胸に拳を当てた。それが、王族への最敬礼だと後に知った。
イーラはジギスムントの最期の笑みを思い出すと、ふんと鼻を鳴らした。それは苛立ちでもあり、怒りでもあり、悲しみでもあった。
ジギスムントが消失した部屋は、ギルベルトがつけた焦げ跡が壁一面に残った。誰も幸せにならない結末だけが笑っていた。
······後に、双子はギルベルトに死罪を申し出た。が、ギルベルトは頑として受け付けず、その理由も「めでたい日だから」としか言わなかった。そして気持ちを切り替え、嬉しそうにルッツを呼びに行ってしまった。
イーラは双子と一緒に首を傾げた。
城内──儀式の間
ルッツは顔を強ばらせ、儀式の間の真ん中に立つ。
不安そうに入口に立つギルベルトに振り向くが、ギルベルトはヘラヘラと笑って手を振るだけだ。
皆がルッツを見守る中、ルッツは空に手を伸ばす。
「ほっ、炎よ おいらの思いに答えよ」
儀式の間は赤く光るが、それ以上は何も起きない。
ルッツは怖気付いて戻ってきた。
「無理だよギル兄。おいらにゃ出来ないって」
「出来る出来る。いいからホラ、ちゃんとやれ。覚悟を示してこい」
「う〜、だっておいら──」
ギルベルトは尻込みするルッツの背を、バシッと叩いて儀式の間に戻す。恥ずかしそうにするルッツにギルベルトは笑った。
「ちゃんと名乗れよ!」
ドールがギルベルトの服の裾を引っ張った。
「何が起きるの? あの子はギルが育てた闇市の捨て子だよね」
ドーアもギルベルトの服の裾を引っ張った。
「城の記録上、ギルベルトが末っ子のはずだよ。なのにどうしてあの子?」
ギルベルトは「末っ子」という単語が気恥しいのか少し顔を逸らす。ギルベルトがその質問に答えようとした時、ようやくルッツが覚悟を決めた。
再び空に手を伸ばし、やけくそに近い叫びをあげた。
「炎よ! このルッツ・シュヴァルツフラムの覚悟に答えよ!」
皆が驚き、ルッツに注目する。
ルッツの手には炎が集まり、形を築き始めた。それにはルッツ自身も驚いていた。しかし、炎が自分を守るように燃える姿に、ルッツは自信をつけたようだった。
「我が身に宿りて大いなる力をもたらせ! 弱きを守る力となりて、炎の加護を授け給え!」
ギルベルトは誇らしげにルッツを見つめていた。双子はルッツのその背を呆然と眺めていた。
イーラが説明を求めるように咳払いをした。ギルベルトは鼻で笑い、イーラに目を移す。
「ルッツは先王たる親父と、音楽の花園の領主の娘の子だ。それを知ったのは牢獄にぶち込まれるちょっと前なんだけどな」
ギルベルトが国に帰ってきてすぐのこと、広場で仲間と楽しげに歌うルッツの歌が、音楽の花園に伝わる歌だった。
その歌でギルベルトはかつて先王が領主を招き、宴を開いたことを思い出したのだ。だが、その報告も出来ずにギルベルトは牢獄に入ってしまった。
イーラには、ルッツの小さな背中がどんなものを背負っているのか、想像もつかなかった。
「そう、ルッツが······」
「今日はルッツの十三歳の誕生日。魔導師の力が目覚める日だ」
「待って、ギル。つまり彼は」
「ドール、そういう事になる?」
「ドーア、そういう事だろうよ」
ギルベルトはククッと笑い、ルッツが剣を手にする瞬間を目に焼き付けた。
「ルッツ・シュヴァルツフラム。この火の国──シュヴァルツペントの第三十九王子だってこと」
ルッツはギルベルトに剣を振り上げてみせた。すごく嬉しそうに剣を抱いて戻ってくると、高揚した気持ちを抑えきれずに飛び跳ねて自慢した。その右手には炎の紋章がちゃんとくっきり刻まれていた。
「ギル兄見てくれよ! これがおいらの剣だぜ!」
「ちゃんと見てたっての。いい剣じゃねぇか」
「だろぉ! おいらが魔導師だってまだ信じられないや」
「もっと信じられねぇったら国王が兄ちゃんになることだろ」
「へっ? それホント?」
ルッツは怯えた目で双子を見た。そして、ギルベルトを処刑しようとしたことを思い出し、きっと睨みつけた。
双子は顔を見合わせ、そっとルッツの頭を撫でた。
「ようこそシュヴァルツフラム家へ」
「初めましてボクらの弟、ルッツ」
ルッツは騙されまいと双子を睨んでいたが、段々と表情が緩み、最後にはへにゃっと笑って受け入れた。
イーラがふと思い出したように双子に聞いた。
「何でギルベルトさんを殺そうと思ったのよ?」
その質問に、双子は苦い顔をギルベルトに向けた。後悔ともとれるその表情に、イーラは目を逸らさなかった。
「······ギルが火魔導師になったから、きっと僕達の安寧を奪うだろうと思ったからだよ」
「······反乱を起こしてボクらを殺そうとすると思ったから先手を取ろうとしたんでしょ」
「そうなの」
イーラはギルベルトに目を向けた。ギルベルトはルッツの頭を撫でてやり、兄らしい表情を浮かべていた。この事件も、ギルベルトにとっては些細な事だったようだ。
イーラはまだ理解できないでいた。
ギルベルトはルッツから離れ、双子に向き直った。双子が身構えると、ギルベルトは片膝を立て、拳を胸に当てる。
「······国王に、王家の戒律の改正を求めます。このような悲劇が二度と怒らぬように。国だけでなく、王族も平和を求められるように」
何を言うかと思えば、ギルベルトは最敬礼で双子に嘆願した。その王子らしい表情に双子は微笑み、ギルベルトの頭をわしわしと撫でた。
「堅苦しい。ギルのクセに」
「他人行儀だ。ギルのクセに」
「「だがその申し出受け入れた」」
双子は人間らしい笑みを取り戻し、ギルベルトとルッツに絡んでいった。ギルベルトは恥ずかしそうに避けるが、双子のコンビネーションとルッツの便乗で逃げ道をなくす。
でも、少なからずイーラには、ギルベルトが嬉しそうに見えた。
自分はもう用済みだ。イーラはフィニとエミリアに目配せすると、静かにその場を離れた。
「ねぇイーラ、魔導師はどうするの? ギルベルトさんに頼めば早いと思うんだけど」
「別にここじゃなくても良いじゃない。どこかで何とかするわよ。それに──」
イーラはちらりと振り返った。双子とギルベルトとフィニが仲良さげに騒いでいた。イーラはふん、と鼻を鳴らす。馬鹿にするのとは違う笑みで、一つの兄弟を見つめていた。
***
翌日──イーラの船
「マジかよ。最新式じゃんコレ。魔力と燃料が使えるってなかなかねぇよ。お前ら俺がいないだけで何してたんだよ」
ギルベルトは動力室に入り浸り、燃料装置に目を輝かせる。イーラがドワーフ製だと自慢すると、ギルベルトは羨ましそうに燃料装置に手を置いた。
「ギルベルト王子! これはどこに置きましょうか!」
「それはイーラに聞け! この船は俺んじゃねぇぞ!」
イーラの船は賑やかだった。港から離れた岸であるにも関わらず、商人や見物客が集まっていた。
倉庫には石炭や食料が運び込まれ、甲板を子供たちが走り回る。
エミリアは子供たちと遊んでやり、フィニは船室で休養を取っていた。ギルベルトは積荷のリストを見ながら数や中身を確認し、イーラが置き場の指示をする。
「別に手伝ってくれなくて良いわよ。積荷の用意してもらったのに」
「俺が勝手にやってんだから良いんだよ。積荷だけ投げて寄越すわけにもいかねぇしな」
ギルベルトが最後の積荷の確認を終えると、リストをしまい、甲板から子供たちを追い出した。
エミリアは名残惜しそうに子供たちと別れると、フィニに出発の知らせをしに行った。イーラも帆のロープを解き始めた。
急に辺りがざわめき出した。
ギルベルトが拳銃に手をかけ、辺りに警戒する。道が開かれ、悠々と双子が歩いてきた。
忍ぶ様子もなく、憎悪の人目を気にもせず、イーラの船に乗ると、ギルベルトと握手する。
ギルベルトは不安そうな顔をしていた。
「大丈夫か?」
ギルベルトが聞くと、双子は静かに頷いた。
「僕達は国の長だ」
「たとえ信頼がなくとも民を率いる義務がある」
その返答に、ギルベルトは更に不安そうになる。ドールはギルベルトの頬に手を当てると、「平気だよ」と声をかけた。
「ドーアがいる。ギルがいる。ルッツもいる。心配は何も無いよ」
「でもよ······」
「僕達は罪を重ねた分、国を豊かにする。それが僕達の贖罪で、僕達なりの正しさだ」
ギルベルトはドールの手をとると、頬を寄せた。ドーアはイーラを見つけると、ドールから離れ、ポケットからブレスレットを取り出した。
「これをあの死霊魔術師に。大っぴらに感謝を伝えることは出来ないから、ボクの加護を込めたお守りを」
イーラの手に乗ったブレスレットは、真っ赤な金属で出来たシンプルなデザインだった。
イーラが「渡しておくわ」と言うと、ドーアはイーラを抱きしめた。無言だった。イーラもドーアを抱き締め返す。きっとフィニの代わりなのだと思っていた。
「ギル兄!」
ルッツが甲板に駆け込んだ。勢い余ってギルベルトに突撃する。ギルベルトはルッツを受け止めると、背中をさすってやった。
ルッツは「ずるい」と言った。
ギルベルトは笑って誤魔化した。
「さて、そろそろ行くわ。兄弟で見送りありがとう。······お世話になりました。王様方」
「お互い様だよ」
「旅路に幸あれ」
「気をつけてなー!」
イーラとの別れを済ませると、双子達は船を降りた。
イーラは海を見渡した。そして、意気揚々と帆を張りに行く。
「さて、次の目的地に向かいましょ!」
「おう! 水魔導師の都に出発だぁ!」
「··················え?」
「え?」
ギルベルトとイーラが顔を見合わせる。
二人ともキョトンとして理解出来ていない。数秒固まってようやくお互いの言葉を理解した。
「「えっっっ!?」」
そして同じことをもう一度言った。
「待ってよ。アンタ国に残るんじゃないの!?」
「えっ!? 火魔導師が必要なんじゃねぇの!?」
「えっ? だって兄弟仲睦まじく暮らす雰囲気だったじゃない! 私空気読んだのよ!」
「脱獄からジギスムントのことまで世話になって積荷だけとか、俺が恥ずかしいわ!」
「知らないわよ! そういやアンタだけお別れの挨拶してないわ。あーもう! 私のしんみりした気持ちを返してよ!」
「それこそ知るかよ! 勝手に悲しんでろ!」
ギルベルトはイーラを追い越して舵に手をかける。
イーラを見下ろし、歯を見せて額の火の紋章を指さした。
「聖堂に行くんだろ。俺がついてった方が話はえーわ。ちょうど火魔導師になったわけだし。改めてよろしく頼むぜ、イーラ」
ギルベルトは勝手に舵をきると、船を大陸から離してしまう。
その強引さに呆れながらもイーラは、「よろしく」とギルベルトに笑った。
大陸ではドールが弓を構え、空に矢を放った。炎の矢は空高く飛んでいくと、色鮮やかな火花を散らして消えた。
ドーアが双剣の刃を擦り合わせ、火花を飛ばして旅路を祝福する。
「イージドール王、イージドーア王」
ルッツが双子を呼んだ。双子はルッツに振り向いた。ルッツはまだ表情が強ばっていた。
「······ドールって呼んで」
「······ドーアって呼んで」
「「兄弟でしょ」」
そう言われ、ルッツは顔を真っ赤にして俯いた。双子はそれを愛おしそうに抱きしめた。ルッツはおずおずと袖を握って返した。
ギルベルトは遠くなった兄弟を、柔らかい笑みで見つめていた。




