23話 王座に座る者 2
兵士たちの雄叫びが響く。王座を目指すイーラたちに、戦争でもするかのような重武装で行く手を阻む。
エミリアやイーラも応戦するが、それよりも自国の兵士を薙ぎ倒し、廊下に散らかしては先頭を譲らない、ギルベルトが一際猛っていた。ギルベルトの後ろを、珍しくフィニが追いかける。いつも後方で怯えていたフィニが──とイーラは首を傾げた。
ギルベルトの異様な強さに兵士は恐れをなして後退する。しかし、ギルベルトはそんな引き腰の相手に容赦なく顔を鷲掴み、壁に叩きつけ、なすりつけるように引きずって向かってくる兵士に投げつけた。
その荒々しい姿に兵士は既に戦意喪失で、叫びながら逃げ出し、守らなければならないはずの王座は護衛が一人もいなかった。
その情けなさにギルベルトも少し落ち込み気味だ。フィニがそっとギルベルトの服を掴んで「相手が魔物レベルだから」とフォローした。
そのフォローにエミリアは渋い顔をする。
ギルベルトは深呼吸して、きらびやかな扉に手をかけた。しかし、弾かれたように扉から手を離すと、イーラたちに覆いかぶさった。
「伏せろ!」
ギルベルトが言うより早く、扉を突き抜けて火の玉が飛んできた。
目にも留まらぬ速さで飛んで火の玉が、イーラの顔の数ミリ先を掠め、壁を突き抜けて蜘蛛の巣のようなヒビを入れた。
「当たらなかったね」
「当たらなかったな」
赤い目の男が残念そうにイーラたちを見つめた。青い目の男が弓を構え直し、ギルベルトに狙いをつけた。
弓の弦に触れると燃え盛る炎が矢の形を成し、男は弓を限界まで引き絞る。ギルベルトが振り返ると同時に、顔めがけて矢を放った。
「死ね」
ギルベルトは咄嗟に素手で炎の矢を受け止めた。矢はギルベルトに触れると、手を包み込むように燃え、ギルベルトの手を焼いた。
熱さと痛みに呻くギルベルトに、青い目の男は容赦なく、また弓を構えた。それを、フィニが横から体をぶつけて押し倒した。
イーラはその隙に、ギルベルトの手にエンユトウのエキスを垂らした。血が滴るほどに酷い火傷が塞がっていくと、ギルベルトは驚きながらもイーラの腕を叩いて感謝を示す。
そして、赤い目の男がフィニを蹴り飛ばそうとするのを止めると、青い目の男共々王座に引きずり床に投げた。
「喧嘩にしちゃあ酷ぇやり方だな。流儀がないっつーか。えぇ? 双子の国王様よぉ」
ギルベルトの挑発的な笑みに、彼らは表情ひとつ変えない。
フィニのアザに薬を塗りながら、イーラはその異様な彼らを見つめていた。
「ちゃんと名乗りあってこその喧嘩だろ?」
「これは兄弟喧嘩じゃない」
「そう、これは王座をかけた殺し合い」
ギルベルトは拳を握り、腰を落として双子を見据えた。
「椅子より俺の『証』を寄越せ。俺が火魔導師になった以上、やるべき事があるんでな」
双子は顔を合わせ、「どうしよう?」「どうしようか?」と話し合う。
「返しちゃう?」「どうせ僕らに必要ない」「ギルは『証』が欲しいだけ」「でもきっと僕らに多くを望むだろう?」「取り返してから欲するの?」「そうじゃないと欲せない」「どうするドーア?」「どうするドール?」「『証』を渡せば終わるかも」「僕らの命も終わるかも」「それは困る。ドーアが死んだらボクも死ななきゃ」
「じゃあ殺してしまおう」
「そうしよう」
ギルベルトはその答えを聞くと、片腕を突き出して喧嘩の構えをとった。
「シュヴァルツペント第三十八王子──ギルベルト」
青い目の男が弓を構え、炎の矢を引き絞った。
「シュヴァルツペント国王──イージドール」
赤い目の男が炎の双剣を握り、前屈みになった。
「シュヴァルツペント国王──イージドーア」
三人とも名を渡し、睨み合いが始まった。火薬庫の上を散る火花のような緊張感に、イーラは息さえ出来なかった。
誰も動こうとせず、互いの隙を突こうとじっと待っている。
エミリアが杖を落とした。
硬い木の杖がゴトンと床を叩く。
それを合図にギルベルトが飛び出した。ドールが放った矢を避けて、姿勢を低くする。それを待ち構えていたドーアがギルベルトの腹に双剣を突き立てた。
ギルベルトが後ろに跳躍する。それを、ドールの矢が狙い、ギルベルトの肩を掠めていった。
「ぐっ······!!」
ギルベルトの呻き声にイーラが飛び出そうとすると、エミリアがイーラのフードを掴んで引き留めた。
「いけません。あの場に飛び出してはイルヴァーナさんが怪我をしますわ」
「でも、ギルベルトさんが!」
「あれはギルベルトが超えなくてはならない試練です。手を出してはいけません」
「あんな、本気で殺そうとする兄を相手に一人でなんて」
「イルヴァーナさん、人は時に独りで戦わねばならないことがあるのです」
そう言ったエミリアも、苦しそうな表情でギルベルトたちの争いを見つめていた。杖を抱き、祈ることしか出来ないことを土に、空に詫びる。
イーラも、ギルベルトが負けないことを願うしか出来なかった。
イーラたちの不安をよそに、ギルベルトの傷は増え続けた。
距離を取ればドールの矢がギルベルトに降り注ぎ、距離を詰めればドーアの双剣が体を切り裂く。
鉄壁の守りを崩せずに、ギルベルトはただ疲弊していく。
床に血の雫を落とし、ギルベルトは息を切らせた。しかし、呼吸を整える間もなくドールの矢がギルベルトの心臓を狙う。
「ドーア、ギルベルトはあと何分持つだろう?」
「きっと五分だ。ドール、もっともっと踊らせよう」
「そうだねドーア。死ぬまで踊らせよう」
「そうだねドール。死ぬまでずっと」
ドールは弓を引き絞った。しかし、矢の向きはギルベルトではなく、天井の方を指していた。
「我が弓よ。魔力を燃やせ。彼の者に火の雨を降らせよ」
エミリアが杖を高く掲げ素早く祝詞を唱えた。崩れた壁が砂となり、イーラたちを包み込む。
視界が土で覆われる直前、ドールが呪文を叫んだ
「五月雨の炎舞!」
「ギルベルトさん!」
イーラの叫びも虚しく、土のドームの向こうでは激しい衝突音が響いた。
火花の弾く音に、焦げた匂い。
イーラは最悪の未来に顔を覆って震えていた。エミリアがそっとイーラを抱き寄せ、フィニの目を覆う。
エミリアが土のドームに穴を開け、外の様子を窺った。
「──────え?」
エミリアは気の抜けた声を出した。イーラとフィニも、恐る恐る穴から外を覗いた。
穴だらけになった王座にギルベルトの背中があった。
ギルベルトがゆっくりと右手を空に伸ばすと、周りを焦がしていた炎がギルベルトの手に集まった。
「──炎よ。このギルベルト・シュヴァルツフラムの覚悟に応えよ」
ギルベルトがぽつりと言った。炎は次第に大きくなり、ギルベルトの手の内で形を変えていく。
轟々と燃える炎にギルベルトは叫ぶように祈った。
「我が身に宿りて大いなる力をもたらせ! 正しきを成す力となりて、炎の加護を授けよ!」
ギルベルトは炎を強く掴んだ。炎は唸りを上げてギルベルトの腕を燃やしていく。その炎が額に届くと、紋章を描いて消えた。
ギルベルトがだらんと腕を下ろすと、そこには赤く輝く拳銃が握られていた。
ドールとドーアは驚いていた。
「ちゃんと僕らが砕いたのに」
「火山に捨てて、使えないようにしたのに」
ギルベルトは拳銃を隅々まで眺めると、双子に目を向けた。睨みつけるような瞳に双子は背筋を凍らせる。
「よしっ! 話終わり!」
だがギルベルトはそう宣言して双子に背を向けた。
双子はまた驚いた。ギルベルトの服を掴んで引き留めた。
「ほんとに良いの?」
「おう」
「僕たちから王座を奪わないの?」
「ドールとボクはギルを殺そうとしたんだよ?」
「いらねぇ。俺が欲しいのはこれだけだからな」
ギルベルトは双子の前に拳銃を突き出して見せた。双子は顔を見合わせ、ギルベルトに「いっそ殺して」と願い出た。
しかし、ギルベルトは双子の額を指で弾いただけだった。
「悪政を働いたわけじゃない。民に危害を加えたわけじゃない。王座を守ろうとしただけだ。俺は別に怒ってない。『証』を奪われたことにだけ怒ってんだ」
「ギル、でも僕もドーアも、本気で──」
「ドールにもドーアにも、恩がある」
ギルベルトは双子にはにかんだ。
卑しい王族として王宮に住まうことになったギルベルトと、遊んでくれたのはこの双子だった。鬼ごっこや隠れんぼなど、日が暮れるまで遊んでくれた。一度だけだが、ギルベルトはその事を深く記憶に刻んでいた。
ギルベルトは孤独を拭ってくれた双子に、感謝をしていた。
「必ず返すと決めていた。それがきっと今日なんだ。それが俺の正しさで、善だろうさ」
双子はギルベルトの言葉を聞くと、昔のように頭を撫でた。
「同じ火魔導師として、ギルに加護を授けよう」
「この国の王として、ギルベルト王子に祝福を」
ギルベルトは恥ずかしそうに祝福を受け入れた。
イーラは複雑な心境だったが、ギルベルトの嬉しそうな背中に、何も言うまいと決めた。
「エミリアさん離れて!」
フィニが唐突に叫んだ。
イーラがフィニに目をやるが、何かを確認する前にイーラの体は浮き上がり、廊下の向こう側へと吹き飛ばされていた。
エミリアも同様に吹き飛ばされ、頭を打ちつけて昏倒した。
フィニは胸を押さえ、「来るな、来るな!」と何かに酷く怯えていた。すると、フィニの足元から火が上がり、フィニを中心に円を描き出した。
フィニは耳を塞いで悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込む。その間も炎は燃え続け、一つの魔法陣を描いてゆく。
イーラはその魔法陣に血の気が引いた。
「早く消して! 死霊魔術よ!」
ギルベルトは慌ててフィニに近づくが、それを阻むように炎が猛り、フィニを守っている。
「フィニ!」
ギルベルトが何とか手を伸ばすが、フィニはパニックで手を弾き返した。
ついに魔法陣は出来上がり、フィニを包んで炎が上がる。
フィニの断末魔を最後に、陣から人型の炎が双子を睨んだ。
「ツイニ断罪ノ時ガ来タ」
双子は震えていた。イーラは炎の魔人とギルベルト、そして双子に目を行ったり来たりさせた。
「ねぇギルベルトさん、その魔人は誰よ」
イーラは母の予言を思い出した。嫌な予感がした。それが当たらないで欲しいと願った。
なんせ母は『男の火魔導師』といっただけで、生きているなんて言っていなかった。
イーラの切羽詰まった質問に、ギルベルトは目を見開いて零した。
「······ジギスムント。この国の、第一王子──だった奴」




