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21話 母と娘

 ルッツが連れて来たのは、ギルベルトが昔住んでいた家だった。

 石を無造作に積み上げ、今にも折れそうな木材で支えているだけの心許ない家だ。

 ギルベルトはとうに壊されたと聞いていた家に額を寄せた。



 それは先ほどまでの話。

 今は熱気がこもっていた。ギルベルトの中心に民が集まり、反乱の士気を高めているのだ。


「悪しき王に死を!」

「新しき王に栄光を!」

「我らの王子に玉座を!」


 誰かが叫び、皆が賛同の雄叫びをあげる。

 ギルベルトは浮かない顔で雄叫びに耳を傾けていた。

 ギルベルトの肩を誰かが叩く。

 ギルベルトが振り向くと、エミリアが立っていた。軽く頭を下げ、民の様子をちらりと確認すると、ギルベルトを家の裏へと連れ出す。


 溶岩の川が近くを通る家の裏は足場が無く、落ち着いて話が出来るような場所では無い。

 エミリアは杖で地面を叩くと、川から土が盛り上がり、二人が立てるだけの橋を造った。

「すげぇな。魔法ってこんなの出来んのか」

「えぇ、わたくしでは力不足ですが、力のある者だとお城も造れるそうですわ」

 エミリアは杖で地面をかくと、小さな城を築いてみせる。ギルベルトは目を輝かせて笑った。


「で、なんの話だ?」

 ギルベルトは川を見つめて聞いた。エミリアも、同じく川を見つめた。

「いいえ、決起集会だというのに浮かない顔をされるもので」

 ボコボコと燃える川が二人を照らす。エミリアは静かに言った。



「お兄さんを、傷つけたくないのでしょう?」



 ギルベルトは驚きもしなかった。

 エミリアは何も言わずに川を見つめていた。


「······そうだとしたら?」


 ギルベルトはそう投げ返した。

 川に手を伸ばし、その溶岩をすくって弄ぶ。


「俺を殺そうとした。火魔導師サラマンダーじゃなきゃ王座には座れない。俺が反乱を起こすのを恐れていわれのない罪を被せて死刑にしようとした。それでも俺は兄を殺そうとは思わない。だが民は······皆は俺が王を殺すことを望んでる」


 ギルベルトはすくった溶岩を土の城にかけた。城は脆く崩れ、溶岩に飲まれてしまう。



「俺は誰も傷つけたくない。そう言ったら笑うか?」



 ギルベルトは無傷の手を見つめた。

 兄にとって魔導師となった弟は脅威だ。それも、純血ではない王族が。それこそ寝耳に水だろう。

 ギルベルトは沈んだ胸の内を明かし、「いっそ笑ってくれ」と零した。しかし──



「笑いませんわ」



 エミリアはきっぱりと言い切った。

「人を大切にするのがギルベルトの良いところですわ。憎みたくなるほど嫌なことをされても、あなたが許すと言うのなら、そうすればいい。あなたが正しいを思う道を歩めばいいのです。誰かを愛することは何も悪くありません」


 ギルベルトはそうか、と言うと気の抜けた笑みを浮かべた。

 拳を握り、何かを決意すると、雄叫びをあげ続ける民の元へ戻ろうとした。そしてふと、エミリアに振り返った。

「ありがとな。ちょっと楽になったわ」

 エミリアは首を横に振ると、愛おしそうに杖を抱く。

「いいえ。わたくしは何もしていませんわ」

「ああ、そうだ。イーラに話があるんだけど」

 ギルベルトがそう言うと、エミリアの表情が曇った。

 ギルベルトも何となく不穏な空気を察した。




「イルヴァーナさんは──」




 ***


 硬い地面にボロ布を一枚敷いただけの寝床。

 壁の隙間を埋めるためにねじ込まれた紙。

 闇市時代を語る露店の看板。


 洒落た家具の類もない必要最低限の質素な家で、フィニの寝顔を光のない瞳で眺めるイーラがいた。

 倒れてからまだ二時間も経っていない。しかし、フィニは酷くうなされては気絶したように眠り、また時間が経つとうなされてを繰り返す。イーラも気が気ではなかった。


 気分を落ち着かせる薬の作り方は知っている。その材料も量も分かっている。薬研も秤もカバンの中だ。だが、イーラは薬を作らなかった。

 いや、作れなかった。


 材料のほとんどを持っていなかったのだ。カバンにある薬材もほとんどは傷薬や毒消しなどのよく使う常備薬材で、心に作用する薬材はない。



(薬材も道具もあるのに助けられないのね──)

 イーラはフィニの汗を拭い、手拭いを水に浸す。

 そしてフィニの傍を離れ、また体育座りでその寝顔を眺めた。


(これが目に見えるケガなら良かったのに)

(使えそうな薬はいくらでも思いつくのに今必要な薬は使えない)

(ああ、どうして大事な時に限って何も出来ないのよ!)



「薬剤師のくせに······っ!」



 イーラは苛立ったように膝を叩き、自分を責めた。だが自分を責めても何も変わらない。

「はぁ······薬じゃなくても、落ち着かせる方法はあるわよね。紅茶か何か、もらってこよう」



 イーラはドアに手をかけた。

 家の中にふわりと風が抜けた。イーラは反射的に振り返った。


 うなされるフィニの髪を優しく撫でる手に、覚えがあった。

 奏でられる穏やかな子守唄に、懐古の念を抱いた。

 同じ烏色の髪、自分よりも淡い緑の瞳に涙が溢れそうになる。



「悪夢には子守唄が一番よ。あなたにも歌ったでしょう?」





「───母さん」





 イーラは胸を押さえてマシェリーを見つめた。

 マシェリーは差し込む陽光に優しく微笑んでいた。

 イーラの目頭が熱くなる。しかし、イーラはぐっと堪えた。


「この子は死霊魔術師(デュラハン)って割にお化けに弱いのねぇ。感受性が豊かなのかしら。珍しいわよ」

「ねぇ、母さん」

「牢獄や廃墟に囚われたひとは危険だから結界を張るって聞いてるんだけど、もしかして出来ないのかしら」

「ねぇ、母さん」

「この子の魔力はちょっと変なのよね。そういえば外にいる女の人も──」


「ねぇ! 母さん!」


 イーラは叫んだ。マシェリーはイーラを見ると優しく微笑んだ。

「あら、私のイルヴァ。大きくなったわね」

「······ええ、そうでしょうね。母さんが死んでから、八年も経ったんだから。生まれたての赤ちゃんがもう家事手伝いしながら勉強出来る歳よ」

「そうよね。私がいなくなった薬局を切り盛り出来るだけの時間だわ」

 マシェリーはくすくすと笑うと、フィニの額に手を当てる。

 フィニから苦しそうな色が抜け、楽そうに眠っていた。

 マシェリーは口に指を当て、「内緒よ」とウインクした。


「······何でここに居るの?」

 イーラは数多ある質問や言いたいことを飲み込んでそれを聞いた。

 マシェリーは自分の胸に手を当てる。

「いつだって私はここにいるわ」

「いいえ。おかしいわ。死んだ魂は世界樹の元で眠るのよ」

「そんなの誰が決めたのよ。私は私が眠りたいところで眠るの。あんなでっかいだけの木の下で顔も知らない人達と雑魚寝なんて冗談じゃないわ」



「この世界の根源たる世界樹を『でっかいだけの木』って言えるの母さんだけよ」



 イーラは眠り続けるフィニに目を落とす。

 マシェリーも、フィニの頬を撫でて真剣な表情をする。

「気を張ってたのね。死霊魔術師(デュラハン)は掟に反する魔力の持ち主。何をしようとしなかろうと、その存在自体が罪だから。きっと自分を守るのが精一杯なのね」

「······そうね。きっとそう。私も最初はフィニを役人に突き出そうとしたわ。でも、母さんの予言があったから」

「あら、私の予言が無かったら突き出してたの?」

「きっとね。死刑にはさせなかったでしょうけど。でも、おかげでフィニを知ることが出来た。見方が少し変わったの」


 マシェリーは満足そうに微笑むと、フィニから離れ、イーラを自分の腕に包み込んだ。

「私のイルヴァ。最愛の娘。この手であなたを守れたらどんなに良かったでしょう。今やこの声も想いも満足に届けられない」

「十分よ。私は自分で身を守れる。今は仲間もいるわ。ねぇ母さん、どうして死んでしまったの? 母さんが死んだ原因は何なの?」


「全ては世界樹の聖宮に。私の死もあなたの運命もそこに置いてきた」


 ──自分の魂は置かなかったくせに。

 イーラはそう言うのをやめた。光に溶ける母の背は空気を掴むようで触れることは出来なかった。

 もう一度触れたい。その温度をもう一度感じたい。

 イーラはありふれた子供の欲を殺してマシェリーの消えゆく姿を目に焼き付けた。



「イルヴァ、よく聞いて。近いうちに男の火魔導師(サラマンダー)が王を殺すわ。何としてでもそれを止めて。そうしないと国は火に呑まれて命の絶える土地になる」

「まさかギルベルトさんのこと? 母さん、それって──」



「あなたは私の誇りよ。それは今も昔も変わらない。魔力があろうとなかろうと、あなたが私の宝であることを忘れないで」



 マシェリーは消え、眠り続けるフィニと入り口で固まるイーラだけが残った。

 不意にドアが開き、ギルベルトが不安げにイーラとフィニを交互に見やる。

「悪ぃ。フィニの様子を見に来たんだが。······大丈夫か?」

「今落ち着いたところよ。何か飲み物持ってきて。寝起きにまた泣かれたりしたら、私の心臓がもたないもの」

 イーラがいつもの強気を見せると、ギルベルトは安心してドアを閉めた。

 聞こえなかった雄叫びが耳を劈くほどに響き出す。

 イーラはマシェリーの予言を反芻しながら手拭いを絞った。

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