2話 雨の日の珍客
酷い雨が降っていた。
窓の外は滝のようで、店にいてもうるさく聞こえるくらいの雨だった。
冷える店内でイーラの文句が零れる。
「誕生日だってのに、なんてツイてない日なの」
イーラは薬品棚の除湿をしながらため息をついた。
大事な薬草は湿気ってしまうと使い物にならないし、繊細なものはカビてしまう。雨の日は薬材管理に一日を取られるくらい忙しい。
イーラはどしゃ降りの雨を睨みつけた。
「······ケーキでなくとも、パイの一つくらい買いたかったのに」
ここ数年、イーラはケーキなんて食べていなかった。小さな薬局を切り盛りするのに精一杯で、贅沢なんてしていられない。せめて十五歳の、キリのいい数字の時だけにでもケーキを食べたいと、ちまちまと貯めた金で、ケーキを買おうと思っていたのに。──この有様。
十五歳の誕生日は今日だけなのに。だが、怒ったところで天気は変わらない。この大雨ならきっと客も来ないだろうと思い、イーラは『closed』の看板を持ってドアを開けた。
「キャアアアアッ!!」
ドアを開けると店の前で黒い何かが倒れていた。イーラは戸口のホウキを手に取り、黒い何かをじっと見つめた。
黒い何かは微かに動くと、イーラに手を伸ばした。か細い声で何か言ったが聞き取れない。
イーラは黒いものがローブである事を知ると、青い顔でその手を引いた。
店に入れるなり手近な椅子に座らせ、着替えとタオルを渡した。
ローブを剥ぎ取ると、白い髪の細い青年が現れた。
「私はあっちで薬と食べ物用意するから、アンタは早く着替えなさい!」
イーラはそう言って奥に籠り、食料庫を開いた。だが、昨日は買い物をしなかったし、今日は生憎の雨で買い物に行っていない。食料庫には主食たるパンと一昨日買った少量の野菜しか無かった。
仕方なくその余り物とで食事を作り始めた。キャベツと人参を切って鍋に入れ、本来は薬品として扱うハーブを入れた。水を被るくらいまで入れて煮込む。
その合間に薬品棚にしまった作り置きの薬を探す。イーラの手は震えていた。
店の方を覗くと、白髪の青年は椅子に座ってじっとしていた。いつの間にか着替えはしていたようで、濡れた服をちゃんと畳んでテーブルに置いてあった。力が入っていないような手で頭を拭いていた。
しけったパンとほとんど味のしないスープを彼に出した。小瓶を近くに置き、「食べたら飲んで」とだけ言った。
彼はもそもそと動き、食事をとった。イーラは彼の服を壁にかけ、暖房を付けた。
「ぶはぁっっ!」
イーラが驚いて振り返ると、薬を飲んだらしき彼が床に倒れて悶えていた。イーラが駆け寄ると、彼は涙目で舌を出す。
「ペッペッ! にっ、苦い! なんですかこれ!」
「体温を上げる薬だけど、元気が出ちゃったようね」
彼は口元を擦りながら起き上がった。
周りをキョロキョロしながら、「あの···」と尋ねた。
「ここは『マシェリー薬局』ですか?」
「そうよ。そうでなかったらその苦い薬を出したりしないわ」
「あ、じゃあマシェリーさん···」
「母ならいないわ。亡くなったもの」
イーラは知ってるでしょ、と言わんばかりに突っぱねた。彼は気まずそうに頷き、袖を握る。
「あの、僕が会いたかったのはそのマシェリーさんの、娘さんなんです」
「···私?」
イーラは首を傾げた。彼は目を逸らしたまま話をした。目は泳ぎ、指先をいじって緊張を紛らわせている。そうでもしないと、言い出せないのだろう。
「えっと、僕はその······まぁ、ちょっと特殊な魔術師で」
「知ってるわよ、誰だって。あのローブ見れば一発でね」
イーラは水の滴るローブを指さした。夜のように真っ黒なローブに光を当てないと分からないほど巧妙に、ランタンとかぼちゃの刺繍が銀色の糸で編み込まれていた。
「死霊魔術師でしょ」
彼は俯いて「はい」と言った。
死霊魔術は書いて字のごとく、死霊を扱うことに特化した古の魔法だ。死霊を召喚したり、使役したりする。今となってはごく少数となった術師の中で細々と伝えられている程度。だがそれは、この世界における『禁忌魔術』であった。
「死霊魔術師を見つけたら役人に報告しなきゃいけないのよ。悪いけど、待っててもらえる?」
「ま、待って下さい! 確かに死霊魔術は『眠りについた人を呼び覚ましてはいけない』という『世界樹の掟』に反するものです。でも、僕はその······」
「残念だけど、報告しなきゃ罰を受けるの。広場で何人縛り上げられたか知らない?」
イーラは冷たく言い放ってドアに手をかけた。
彼はイーラを引き留めようとしたが、何を言っても聞く耳を持たない。彼は細い声で呟いた。
「マシェリーさんの予言で来たんです」
イーラは目を見開いた。予想だにしなかった言葉に体を向き直した。
「母さんの予言って、どういうこと?」
「············」
「ねぇ、母さんの予言ってどういうことなのよ?」
彼は固く閉ざした口をようやく開いた。
二ヶ月前、彼は故郷の図書館でこっそり『口寄せ』の練習をしていたという。結局失敗続きで諦めようとした時にイーラの母、マシェリーが現れたらしい。
マシェリーは彼にこう言った。
『私の娘を世界樹の聖堂へ連れて行って。その旅路があの子に全てを教えるでしょう』
「······本当に、そう言ったの?」
イーラには信じ難い話だ。彼も早々信じてもらえるとは思っていないようで、目を合わせようとしなかった。
「正直、僕自身も口寄せに成功したのがそれ一回だけで、ホントにマシェリーさんだったかも分かんないですけど。でも『マシェリー薬局に娘がいる』って言ったんです」
イーラは視線を落とした。
頭に浮かんだ母の手帳。『誕生日に珍客』としか書かれなかったあの予言。もし、彼が言ったそれがその予言の続きなら、私はどうしたらいいのだろう。
イーラは目を閉じ、考えた。
この予言には解決策はない。自分が決めなくてはいけない。頼れる人はいない。私が取るべき行動は、私がするべきことは───
「──世界樹の聖堂へ行けばいいのね」
イーラは答えを出した。彼は顔を上げた。
彼は慌ててイーラに詰め寄った。
「いいんですか? 僕を信じて、ホントに世界樹の聖堂に行っても」
「いいわよ。私もちょうど、母の死因が知りたかったし」
イーラは良くも悪くも母の死因を知らなかった。世界樹の聖堂へ行ったっきり帰らぬ人となった、としか聞いていなかった。
母がそう言ったなら、知るべきことがあるのだろう。だったら丁度いい。知りたいことは山ほどあった。
「あなた、名前は?」
イーラは彼に聞いた。彼は恥ずかしそうに返した。
「フィニアン・レッドクリフ。死霊魔術師見習いです」
「そう。フィニアンっていうのね」
「はい。えと、あなたの名前は······」
イーラはそう聞かれて、少し躊躇った。やや暗い声色で答えた。
「イルヴァーナ・ミロトハ。エルフ紋の母を持つ一般人よ」
フィニは明るい表情で「はい!」と返事した。
予言通り、どしゃ降りの誕生日に珍客が来た。それはイーラに広い世界をもたらすことになった。