19話 囚われの火魔導師 2
ひんやりとした壁と微かな鉄サビの匂い。こびり付いた古い血の跡が静かに恐怖を駆り立てる。
真新しいものと古いものが入り混じった藁くずを踏み、イーラは細い鉄格子を握った。震える唇をゆっくりと動かし、肺を空気で満たした。
「出ぁぁぁしぃぃぃなぁぁぁさぁぁぁいぃぃぃよぉぉぉ!」
イーラは腹の底から叫んだ。
鉄格子を激しく叩き、蹴り飛ばし、分厚い手錠をぶつけて不快な金属音を立てるが、鉄格子はビクともしなかった。
イーラは地団駄を踏み、牢の中でニコニコするエミリアに苛立ちをぶつけた。
「こんな作戦立てるなんて、どうかしてるわ!」
***
一時間前。
地下の立ち飲み屋を出ると、眩しい光と火山が目に沁みた。
街の至る所には既に人相書が張り出され、イーラたちは正式なお尋ね者となっていた。
フィニがその一枚を剥がすと、似ていない人相書に口を尖らせた。そしてサァッと血の気の引いた顔でエミリアを見つめた。
イーラは人相書の自分に舌を出す。そして顔の傷を撫でると、人相書を破り捨てた。
エミリアは街を見回すと、衛兵の巡回を見つけて笑みを零す。
イーラとフィニの肩を掴むと、衛兵の前に身を投げ出した。
「ギルベルトに会いに行きますよ」
***
「はしたないとは思いますわ。しかし、我ながらいい案だと思います」
「どこがぁ!? おかげで私たちは牢屋の中よ! ギルベルトさんに会う云々以前の問題だわ!」
イーラの怒りを受け止め、エミリアはこっそり持ってきた人相書をイーラに手渡す。
イーラはもう一度、顔の似ていない人相書を読んだ。紙の一番下には低額だが、賞金まで書いてある。
「仮に私たちが牢獄を訪れ、面会を申し込んだとして、何事も無く用を済ませられると思いますか?」
「それは······」
返事に困るイーラに、エミリアは手錠を前に出した。
「犯罪者に会うには、犯罪者になる方が怪しまれませんわ」
エミリアはイーラを納得させると、壁に背中を預け、優雅な音楽でも聞くように目を伏せた。
ふふっと笑い、手を藁に這わせた。
「そうでしょう? ギルベルト」
隣の牢屋から同じ手錠の音がした。深い深いため息が聞こえ、懐かしい声が呆れたように零す。
「バッカじゃねぇの? お前ら」
フィニは壁に縋り、「ギルベルトさん!」とギルベルトの名前を叫ぶ。それをすぐにギルベルトが黙らせ、巡回の看守が通り過ぎるのを待った。
「······ったく。ホントお人好しだな。何をしたらここに入れんだよ。国家反逆罪レベルの犯罪じゃなきゃぶち込まれたりしねぇぞ」
「僕は死霊魔術師ですから」
「神殺しの巫女ですもの」
「その人たちと行動する一般人」
「そうだったぁ〜······」
頭を抱えるのが分かるほどに落胆した声を聞き、イーラはふと、投獄されてまでやって来た用件を思い出した。
「ねぇギルベルトさん、アンタどうしてここに居るの? 街ではあなたが何かを盗んで捕まったって聞いたけど、そんなことする人じゃないもの」
ギルベルトは沈黙した。イーラはギルベルトが返事をするまで待った。
壁越しに悩む声が伝わり、イーラは服の裾を握った。
「······盗んでねぇよ。ただ──」
ギルベルトがようやく答えた。だが、その続きは言わなかった。
言いたくないのか、言えないのか。
フィニも不安そうに壁に寄りかかる。
「······火魔導師になっちまって、兄貴たちに目をつけられた」
ギルベルトの声は沈んでいた。
エミリアは口元を隠して驚いた。
ギルベルトは深いため息をついて、藁を蹴った。
「シュヴァルツペントの火魔導師は王族だけだ。それも、純粋な王家の血筋だけ。素質があれば十三歳の誕生日に儀式の間で火魔導師の証が貰えるんだってよ」
ギルベルトは心底興味無さそうな口ぶりだが、エミリアは一人で納得すると悲しそうな表情で話を聞いた。
看守が通り、ギルベルトに目をつけると、持っていた剣の鞘でギルベルトを攻撃した。
「王様に牙を向くとは恥を知れ! 王族の穢れめ!」
「ちょっと! 勝手に手ぇ出してんじゃないわよ!」
「黙れ! 醜い顔で偉そうに!」
「は? ケンカ売ってんの!?」
「イーラ、ストップ。ダメだよ」
フィニに止められるが、イーラは睨むのをやめなかった。鬼の形相のイーラを恐れた看守が唾を吐いてその場を去った。
ギルベルトはやれやれと首を振った。
フィニは「分かった」と呟いた。
「ギルベルトさんは市井の生まれなんだ」
イーラは張り詰めた気を抜いて、その場に胡座をかいた。
ギルベルトは鼻で笑うと、「そうだよ」と自虐的に肯定した。
「俺は闇市で育ったんだ」
ギルベルトは幼少時代、父の名もろくに知らず、仕事が出来ない母の代わりに、詐欺まがいの商売と喧嘩の雇われ金で命を繋げてきた。
工場の助っ人をきっかけにエンジニアの技術を学んだが、工場は前国王の政策で潰れ、また闇市を彷徨った。
エンジニアの技術を駆使し、あらゆる仕事に手をつけたが、全て国王の政策や思いつきで消えてゆく。
ギルベルトは日銭をかき集めながら国王を恨んでいたという。
ある日、視察で闇市を訪れる王様の護衛で城に雇われ、その時に国王の一言で自分が王子である事が発覚した。
王族としての生活は慣れなかったものの、自身の経験から民に苦労させまいとして、様々な学問を修め、政治の何たるかを知り、国の為に今まで尽くして来た。
「お前らに会ったのは国外の商業や法律の勉強だったんだ」
「意外ね。頭悪いと思ってたわ」
「否定しねぇけど失礼だろ。頭かち割るぞ」
イーラの話を遮り、エミリアが口を開いた。
「どうして魔導師の証を手にしたんですの?」
ギルベルトは少し考えると、「よく分かんねぇんだよな」と唸った。
「報告に帰ったら、儀式の間から光が見えて······えっと、覗いたらなんかさぁ、その───」
「証が飛んできた」
「「「飛んできたぁ!!?」」」
三人で声をハモらせた。ギルベルトも困ったように返す。
「額にビターンって当たって、見たらそこに落ちてたんだよ。それが兄貴たちに見つかって、あれよあれよという間にここにいたわ」
「えっえっ? でも、火魔導師は貴重ですよ。お兄さん達も弟が魔導師なったなら嬉しいはずじゃ······」
「王様は火魔導師でなくてはいけない。そして純粋な王家の血筋は皆、魔導師だ。つまり、魔導師が一人増えると王様候補は一人増える。──俺は純粋な王族じゃねぇからカンケー無かったけどよ」
背筋に電流が走り、イーラは反射的に壁を掴んだ。
爪を立て、その言葉の裏を掠れた声で言った。
「······玉座を、脅かす存在になったってこと?」
騒ぐ胸の鼓動とは裏腹に、ギルベルトは至って冷静に「ご名答」と返事をした。イーラは心臓を握り潰された気分になった。
「王様になれたってのに、欲張りだよなぁ。まぁでも、これが苛烈な王族争いだ」
「そんないけませんわ! 権力の為に命を奪うなんて」
「ギルベルトさん! 逃げましょう! 牢獄を出て! 国の向こうへ!」
「無理だ」
ギルベルトははっきりとそう言った。
打たれたように静まり返った空間で、ギルベルトはもう一度「無理だ」と言った。
「俺はここから出られない。聞いただろ。俺は明後日処刑されるんだ」
「でも、ギルベルト······」
「良いんだよ。俺はもう。最期に会えたのがお前らで良かったわ」
「あの、ギルベルトさん、そういうこと言うと───···」
フィニの不安は的中した。
先程とは異なる激しい鼓動と高まる力、そして抑制不可能な───苛立ち。
「寝ぼけてんじゃないわよっっ!!」
イーラが壁を殴った。
古くなっていたレンガが押し出され、ギルベルトの首裏を直撃した。声にならない呻き声を上げ、ギルベルトが向こう側で倒れる。
イーラは開いた穴からギルベルトに怒鳴りつけた。
「国の為に尽くして兄の為に死ぬって馬鹿らしいわ! アンタを慕う民はどうするのよ! アンタが死んだらその民を誰が守るのよ! カッコつけて潔く死ぬつもりだったんでしょうけどご愁傷さま! この世で一番カッコ悪いわ!」
イーラに怒鳴られ、ギルベルトもぽかんとする。だがイーラの怒りは止まらず、まだ続いた。
「兄に殺されそうになって悔しくないの!? なんの罪もないのに牢獄暮ししてんのが悔しくないの!? 全部自分が悪いみたいに言ってるけど弱い自分に酔ってんじゃないでしょうね!」
「なっ············!」
ギルベルトも怒りを露わにすると壁に手をついてイーラに怒鳴り散らした。
「お前に何が分かんだよ! 政治も知らねぇくせに口出しすんな!」
「少なくともこれが悪手だってことは分かるわよ! 馬鹿らしいったらないわ!」
「俺は死刑になる代わりに民の暮らしの保障を頼んでんだよ! 考え無しにここにいるわけじゃねぇわ!」
「自分の首をかけて民を守るくらいなら王様倒すくらいしなさいよ! なんで自分の首は差し出せて兄の顔をぶん殴れないわけ!? 自己犠牲ってヤツ? アンタがやってもお笑い草よ! 笑い通り越して本当ダッサァ!」
「テメェ大人しくしてりゃ好き勝手言いやがって! 国を守るためには犠牲が必要なんだよ!」
「その犠牲が命で払われていい理由なんてないのよ!」
イーラの渾身の一言を受け、ギルベルトは反論出来なくなった。
イーラは息を整え、ギルベルトを見据える。その瞳は、生きることを訴えていた。
「確かに犠牲は必要かもしれない。私は絵空事に浸って生きてきた。だから現実的なことにはちょっとズレてるの。でも犠牲の上に立つ平穏はとても悲しいことよ。それが失われた命ならば尚更ね。幸せを噛み締め、過去を戒めて生きなきゃいけない。アンタが望むのは他人の死を引きずって歩く民の国なの?」
「俺は、皆が笑って過ごせる国にする。そのために俺は牢獄で自分の死のカウントダウンをしてんだよ」
「ちゃんと聞きなさいよ。アンタがやろうとしてんのは国を守る偉業じゃなくて、民の心臓にナイフを突き立てる愚行なの。誰かの命の上に立って生きるのは息苦しくなるのよ。心に枷がはまるのよ。アンタ、エミリアさんに言ってたわね。『お前は里を守ってない』って。そっくり返した上で言わせてもらうわ」
「アンタが守ろうとしてるのは自分を殺す兄よ。アンタの言う国ってなんなの?」
ギルベルトは腕をだらんと落とすと、藁の上に座り込んだ。
項垂れる姿にイーラは落胆の色を隠せなかった。エミリアがイーラの汗を拭ってやると、ギルベルトが不意に笑いだした。
「あはははははは!」
イーラは頭の中で奇行に効く薬を錬成するが、ギルベルトは穴から手を出すとイーラを呼び、イーラの手を掴む。
顔は見えないが、その声は吹っ切れていた。
「やっぱお前は自由な奴だ。俺は一人で国を守ろうとしてた。お前に怒鳴られるまでこれが最適だと本気で思ってたんだ。手を貸してくれ。俺一人で出来ることは限られてんだ」
「『皆一緒に』──これが今の最善策だ。危険なのは承知だ。けど、手を貸してくれ。国の為に!」
強い意志にイーラは苦笑した。
人とはこんなに切り替わりが早いのか。
イーラは「わかったわよ」とギルベルトの手を握り返した。
「お前らと国を命をかけて守ってみせる。ギルベルト・シュヴァルツフラ厶。この名にかけて誓おう!」
「なら私は全力でサポートするわ。イルヴァーナ・ミロトハ、この名にかけて!」
互いに誓いを立て、固く手を握る。
穏やかな表情で見守っていたフィニは、ふと通路に目をやると、青ざめた表情で震え始めた。




