15話 海神の十字架
軍事会議室を借り、リノアと呼ばれていた人魚から改めて自己紹介を受けた。
「リノアです。海底の古城の第三軍隊を率いています」
「イルヴァーナ・ミロトハよ」
「フィニアン・レッドクリフです」
「エミリアですわ」
お互いに名乗り合い、机上の海底図を囲んで会議を始めた。
「まず、海底の古城がここです。そして、セイレーンの住処はここから7km先の海淵です。まず、あなた方の戦力を確認したいのですが」
「私は土魔導師ですから、海中戦となるとお役に立てそうにありません」
「僕も、魔法陣が書けなければ魔術は使えないです」
リノアは項垂れ、困り顔でため息をついた。
考えていることは分かる。『どうしてこんなにも使えないのか』一択。イーラもリノアと同じ立場なら同じことを考えるからだ。
しかし、リノアは期待した目でイーラに視線を送る。喋らずとも聞きたいことは嫌でも理解していた。
イーラはわざと視線を逸らし、地図の端から見える机の木目を数えながら答えた。
「なんの魔力も持ってないわよ」
返事はない。大方、目を丸くしているところだろう。
リノアは「冗談ですよね」と、聞き返した。
「だって、イルヴァーナさんのご母堂はかの有名な『エルフ紋』のマシェリー様でしょう? ならば僅かにでも魔力の遺伝はあるはずで······」
「魔力なんて一滴もないわ。正真正銘一般人なのよ。母さんこそすごい人だったでしょうけど、私と母さんを並べないで」
リノアはストンと座ると、頭を抱えた。
指の間から見えたその瞳は、イーラに落胆を語る。
言葉にせずとも理解出来た。理解せざるを得なかった。
『マシェリーは偉大な魔導師だったのに』
イーラの肩をそっと支え、エミリアはリノアを慰めた。
「悲しむ必要はありませんわ。海底戦でなら土がありますし、私も戦えるかもしれません。私たちでも出来る作戦を立てましょう」
「そうですよ! それに──」
フィニは部屋をキョロキョロを見回した。
「軍事会議室ってなんか、身が引き締まる気がしますしね」
少し照れたように頬をかくが、イーラは呆れて頬杖をつく。エミリアも少し緊張しているようだった。
「私は使い慣れてますから、そんなにですが······」
「そうよね。一応、軍の指揮官ですものね」
リノアはその言葉を聞くと目を伏せて机の上の地図を撫でた。
「形だけですよ。第三軍隊は私しかいないんですから」
イーラたちの視線はリノアに注がれた。
リノアは諦めたような目で天井を仰いだ。
「海神の十字架が盗まれたのは、当時見張りをしていた私がセイレーンを見抜けなかったから。その前も、海中戦でセイレーンを取り逃がすし、その更に前も、別の拠点の伝令者の護衛も失敗した。······私は使えない駒なんだ」
思っていた以上のポンコツぶりに、イーラは返す言葉もなかった。
それと同時に疑問も生じた。リノアの度重なる失敗に、どうして軍人としての地位を奪わないのか。
エミリアもそれは気になったようで、おずおずと手を挙げた。
リノアはイーラたちの表情を察し、海底図の重石替わりに乗せた海神の十字架の模造品を胸に抱いた。
「人魚は生来、魔力を持たない種族です。しかし、私は何故か魔力があった。······微力ですが、海神の十字架の力の一部を引き出せたのです」
「そうですか。それなら、納得がいきますわ」
エミリアは納得すると、海底図に視線を落とす。
「使えない物を使える人がいれば重宝しますもの。私も経験があります」
リノアも伏せがちに海底図に目を向けた。
失敗は許せない。だが、七宝を扱える唯一の人魚。
中途半端な扱いに、女王の顔が脳裏をよぎる。
イーラはフンッと鼻を鳴らした。
立ち上がって海底図を見下ろし、海底の古城の先に伸びる長く深い海溝をじっと見つめた。
「セイレーンが居る海淵ってどの辺?」
「えっと、この辺です」
リノアが指差したのは斜め右柄にある、海溝の少し太くなった部分だ。
イーラは二つを直線距離で結ぶと、ブツブツと呟く。
「リノア、あなた船を海底に引き込めたなら、海淵部まで持ってくのって出来る?」
「出来なくはないでしょうが、水圧の差がありますので難しいかと。それに、人魚の笛がセイレーンに聞こえては七宝を持って逃げられるかもしれない」
「そっか。じゃあどうしよう······」
イーラがカバンに手を伸ばした。
海底図から目を離さいでいると、手がカバンを突き飛ばす。
派手な音を立ててカバンは机から落ちた。
「ヤバッ······薬が!」
さぁっと血の気が引き、イーラはカバンを拾って薬瓶のヒビを確認した。
「薬? マシェリー様の形見ですか?」
「いいえ、イーラさんの手作りですよ。イーラさんは薬剤師なんです」
イーラの後ろでフィニがリノアに説明をした。
イーラは薬の無事を確認すると、ほっと息をついた。
床に散らかした本を拾っていると、薬学の本があるページを開いていた。イーラはそのページを読むと、画期的なアイデアを思いつく。
それをリノアに提示すると、リノアは目を輝かせて作戦を立て始めた。エミリアやフィニの知識も練り込み、夜が更けても作戦を綿密に練っていく。
各々が納得する作戦が出来上がると、リノアは嬉しそうに微笑んだ。
イーラはその表情に安心して眠りについた。
***
朝になっても海底の古城の景色は変わらない。
窓もなく、太陽の匂いもなく、ただ鎧の音が冷たく響き、鍛錬に励む声が緊張感を募らせる。
イーラ船着き場に集まり、今一度作戦を確認する。
エミリアはイーラとフィニに土の加護を捧げた。フィニはぎゅっと服の裾を握った。
「成功すると良いね」
フィニがイーラに言った。イーラは無言で頷く。
するといい、ではない。成功させなくては。
水面からリノアが顔を出した。
水を滴らせ、イーラの指示した海藻を三人に渡す。
イーラは「行くわよ!」と声を張り上げた。
体が重い。
潮の流れに服を引かれ、ふらふらと安定しないままイーラとフィニはリノアの後ろを泳いだ。エミリアは海底から遠ざからないように杖に土を纏って下を泳ぐ。海溝が近くなると、リノアは巻貝の笛を吹いた。
荒々しく、そして繊細な笛の音は海中を伸びやかに響く。
フィニがハッと顔を上げた。
「イーラ! 上から来るよ!」
イーラが上を向くと、闇のように暗い髪を振り乱したセイレーンが襲ってきた。尖らせた爪がイーラの服をかする。
セイレーンは血走る目でイーラを見上げた。
「人間······!?」
イーラに驚いた隙をついてリノアは槍を海底に突き刺した。
セイレーンはサッと身を引くと、金切り声をあげて応援を呼ぶ。
綺麗とは程遠い不快音にリノア以外は耳を塞いだ。
「土よ、慈悲深き命の母よ、我が魔力を糧に恵みをもたらせ! 悪しきを屠る刃となれ!」
エミリアは素早く祝詞を唱え、セイレーンに特大の土槍を突きつけた。
「大地の鉄矛!」
セイレーンは槍に弾かれ、フジツボに背中を叩きつける。
エミリアはイーラたちを急かし、セイレーンの群れに杖を向けた。
海淵に近づくと、セイレーンは数を増す。
リノアは槍を振り回し、セイレーンを遠ざけるが、セイレーンは聞くに耐えない声で歌を歌う。
潮の流れを操り、渦潮を巻き起こした。
強い流れに体が引き裂かれそうになる。水圧が喉を絞めてくる。
イーラは上へ下へを繰り返しながら渦潮から逃れられないでいた。
フィニは比較的流れの緩い渦潮の上部になると、一枚の布を渦の外に投げた。
ひとりでに広がったそれには、死霊召喚の魔法陣が描かれていた。
セイレーンはそれを見るなり一目散に逃げていった。
リノアは笛を吹き、渦潮を鎮めると、セイレーンの住処へと迫っていく。




