13話 人魚の勘違い
イーラは甲板にどっかりと座り、薬学の本の裏にある世界地図を眺めていた。傍らに広げた紙に太陽の位置と風向きを書き、大まかな現在地を割り出していた。
だが見渡す限りの大海原では場所の確認なんてまるで意味がない。せめて方位磁石を······と思っていると、エミリアが甲板に上がってきた。
「イルヴァーナさん、少し船室に入った方がいいですわ。甲板は暑いですよ」
エミリアは大きく伸びをして潮風に髪をなびかせた。
だがイーラは少し休もうという気にはなれなかった。
イーラたちは海で遭難していたのだ。
陸地を離れたのはいいものの、三人揃って船に乗った事がなく、まともな動かし方も分からないままに船を進めたが為に、ここがどこかも、自分たちがどこにいるかも分からずにいた。
分かったことは船の動力が石炭と魔力ということと、海図がないと海は不利だということ。
エミリアは杖を甲板に立て、太陽に祈りを捧げた。
「偉大なる太陽よ。慈愛に満ちたその光で我が魔力を癒したまえ」
祝詞を唱えるとエミリアは太陽に杖を掲げた。
杖は太陽に共鳴するように強い光を放ち、辺り一面に光の粒子を散らした。
光が消えると、エミリアは一息ついた。
「エミリアさんは土魔道師でしょ? 土魔導師が太陽に祈るって、何だか意外ね」
イーラがそう言うと、エミリアはクスクスと笑った。
「ええ、確かにそう思うでしょう。しかし、全ては繋がっているんです。花を育てるとして、土に種だけ蒔いても光がなければ育ちませんし、水がなければ枯れてしまいます。風が吹かねば実は成らず、人がいなければ手入れが不完全です」
「一つでも欠けては命は芽吹かず、何かが間違えば育ちません。『慈愛』を冠する土魔導師はそれを大事にするんです」
イーラが納得すると、ゴンッと音がした。
船に何かがぶつかったらしく、船尾を見に行くと半裸の女がうつ伏せで浮いていた。
イーラは血の気が引いた。
「動力を止めて!タービンに近づいたら波に飲み込まれてしまうわ!」
エミリアは急いでフィニの元へと走っていった。イーラは甲板にあったロープを浮き輪に結び、船尾に走った。
船尾の船飾りにロープの端を括りつけ、浮き輪を投げようとする。が、意識のない人間に浮き輪だけを投げても掴めるわけがない。
イーラは浮き輪に掴まり、自身を海に投げ出した。
全身で感じる潮の香りと口に広がるしょっぱさに咳き込んだ。浮き輪に女の体を通し、ロープを掴んで船に這い上がった。船に上がると、フィニとエミリアが駆けつけて、三人がかりで女を引き上げた。女の腰が海から上がると、フィニが「待って!」と静止を呼びかけた。
「この人───」
***
イーラの船室は小さな薬局のようだった。
薬材用の引き出しが壁一面を陣取り、ベッドの横には小さな本置きが建て付けられ、仕事用のテーブルには商人の街でも見たことの無い本格的な調剤器具が並んでいた。
最初こそ驚いたイーラも、数時間後には全てを自分の手足のように使いこなし、薬を作っていた。
葉からエキスを抽出し、小鍋で煮詰めた実に根っこを落とす。
抽出したエキスを足しながら色を確認し、すり潰した数種類の薬剤を混ぜて、赤い飲み薬が出来た。
薬が出来ると、イーラはそれを持って甲板に出た。
甲板に現れた大きな浴槽。
船内にあった板とロープで作られた即席のプールに浸かる女に薬を飲ませた。フィニは不安そうにしていたが、船を動かすために動力部へと戻って行った。
女が目を覚ます。虚ろな目で空を映した。
「ここ······は···?」
イーラは女の顔を覗いた。
しかし、女は意識がハッキリしてきたのか、イーラを見るなり爪でイーラの顔を引っ掻いた。
「触るな! 汚れた種族め!」
イーラは甲板に倒れ、女はプールから身を乗り出してイーラの首を絞める。
「吐け!我らの宝をどこに隠した! お前たちが盗んだことは知ってるんだぞ!」
「ちょっと、人違い······」
「人違いなものか! その鴉色の髪! セイレーン特有の髪色だ!」
イーラは手に触れたバケツを強く振って女の頭を叩く。エミリアに引っ張られ、女から離れると、女は魚の半身を引きずってイーラににじり寄る。
「卑怯者! 逃げられると思うなよ!」
「助けてあげたのにいきなり首を絞めるなんて礼儀知らずね! 卑怯者なんて言われる筋合いないわ! まずはお礼を言ったらどうなの!?」
「はっ! セイレーンに礼など無用! その体、切り裂いてやる!」
女が爪の伸びた手をイーラに伸ばす。イーラもじりじりと追い詰められていたが、女がいきなり脱力した。
「あ、あれ? ······力が······出ない」
そしてパタンと倒れた。
エミリアと顔を見合せ、二人で抱えてプールに入れる。
すると、シャキンッと元気になり、イーラをプールに引きずり込もうとした。エミリアが女の腕を掴み、「止めなさい」と諌めた。
「完全にあなたの勘違いですわ。ここは船の上、私たちは人魚ではありませんよ」
女はようやく状況を把握した。
そして顔を真っ赤にしてプールに潜ってしまった。
***
「先程はすみませんでした。助けて下さり、ありがとうございます」
人魚はまだ赤い顔で拳を包むように重ねた手を頭よりも高く上げた。イーラはそれに満足はしなかったものの、腹を立てるのを止めた。
「さっき私をセイレーンだとかって言ってたけど、それはどういうこと? 宝がどうとかっても言ってたわよね」
人魚は恥ずかしそうに「すみません」と謝罪を重ねた。
「私は見ての通り人魚で、海底の古城の者です」
エミリアは『海底の古城』に反応した。イーラが首を傾げる。
「海底の古城はサンゴや真珠が特産の国ですわ。宝石商が扱う真珠の九割が海底の古城産です」
「九割って、そんなに?」
女はコクコクと頷いて話を付け足した。
「私たちが集め、育てる真珠の中には魔力を秘めるものが稀に出るんです。その真珠は水魔導師の魔法道具として使われるんですよ」
「そうなのね。初めて知ったわ」
「ですが、その真珠を狙ってセイレーンが現れるのです」
女は海を見つめ、深いため息をついた。
「魔力を秘めた真珠は、水を司るものに力を与えます。人魚には無用の長物ですが、セイレーンにとってはそうじゃない。セイレーンはその魔力を使って私たちを海から追い出したいんです。ですがセイレーンにその力はない」
「だから真珠を奪いたいのね。でもそもそも海底の古城に侵入出来ないんじゃない?」
「ええもちろん。私たちは真珠を水魔導師様方に差し上げる代わりに故郷を守護して頂いています。侵入どころか近づくことも出来ません」
「しかし、それが出来てしまった」
女は唇を噛み、悔しそうに膝に爪を立てた。
「奴らは人魚に似ています。それを利用して人魚に成り済まし、侵入したのです。そして奴らは、私たちが反撃出来ぬよう! 我らの宝を! 盗んでいったのです!」
「へぇ、それで私を襲ったわけねぇ。宝って、何を盗まれたのよ」
女は重々しく口を開いた。
「───『海神の十字架』です」
エミリアは口を押さえ、イーラは目を丸くした。
それは誰もが聞いたことのあるおとぎ話であり、誰もが恐れる『七宝』の一つだった。
イーラは嘘だと呟くが、女は首を横に振る。エミリアは額を押さえて伏してしまい、イーラも狼狽した。
「嘘でもおとぎ話でもなく、本物の七宝です。それが私たちが守ってきた『海神の十字架』! それを奪われるなぞ、末代までの恥だ!」
「さっき私の首を絞めたのは?」
「それは私の生涯の恥です!」
イーラはフンと鼻を鳴らし、女を見つめた。
女は顔を真っ赤にして「······海に帰ります」とか細い声で言った。
イーラはふと何かを思い出すと、半身を引きずって海に戻ろうとする人魚を止めた。
「ねぇ、人魚って世界中の海にいるわよね」
「え? はい。人魚は分布が海では最も多い種族。九つの海域を拠点に別れています。それが?」
「なら、海図を持っている所があるでしょ?」
イーラは昔、海図の在処を聞いたことがあった。村の大人から聞いたことだった。
『もし海に出るんだったら海図ってのが必要だ。だが海図は手に入れにくくてな。メルッザよりもでかい街の貿易商から買うか、水魔導師の都で買うか──』
『人魚から貰うしかない』
今の状態で水魔導師の都になんて行けるわけがない。でかい街なんてそもそもどこにあるかも分からない。ならば今、海図を手に入れる現実的な方法は人魚から貰うことだ。
イーラは人魚に「海図が欲しいの」と頼んだ。
人魚は「可能ですが」と渋った。理解している。人間に海図を渡すことよりも『七宝』を取り返すことが先だと。
だがイーラにはどうしても必要だ。イーラは交換条件を持ちかけた。
「その『海神の十字架』を取り返すの、手伝うわよ」
人魚はしばらく考えた。そしてイーラの腕を払って海に飛び込んだ。
イーラは肩を落としたが、海から女が叫んだ。
「まずは海底の古城に来てください! 女王とお話頂きたいので!」
女は船を先導するように泳ぎ始めた。
エミリアは喜んでフィニに伝えに行った。イーラも安堵のため息をつき、船の帆を張った。
船は風を切って海を渡る。




