108話 取り戻す
世界は救われた。敵もいなくなった。
万事解決。めでたしめでたし──に、なるはずもなく。
「なぁ、これ本当に俺らで直すの? 夜中なんだけど」
「当たり前サ! 壊した人間が責任もって直さないと! 英雄は免罪符じゃあない。『世界を救った。後はよろしく』なんて、愚か者のすることだろう」
「聖堂は私が直せるでしょう。石は砂が凝固したもの。なんとでも出来ます。が、世界樹は······どうしましょうか」
エミリアは困ったように空を見上げる。
枯れかけの世界樹は自力で再生出来る雰囲気ではない。今こうして見上げて考えている間にも、世界樹はじわじわと枯れていく。
世界樹が枯れてしまったら、終末が訪れるのは時間の問題。イーラの中の魂を目覚めさせようがさせるまいが、世界が滅びるのは決定事項だった。
「イーラァ、何とか出来ねぇの?」
「ちょっと。私は薬剤師であって、樹木医じゃないのよ」
「でもよぉ。なんかほら、エルフ紋の力でパァーッと直すとか」
「出来るわけないじゃない! 私は今魔法が使えるようになったのよ!?」
「魔法を扱いきれてない小僧がなぁんか言ってるねぇ」
喧嘩を始めるギルベルトとスイレンを放っておいて、イーラは世界樹の周りをぐるっと回る。
カナは木の上に登り、枯れた葉っぱを労わるように撫でた。
ジャックはフィニを監視しながら世界樹の様子をじぃっと見る。
イーラは「タタラには怒られたくないな」と思いながら、スイレンに声をかけた。
「あのね、スイレンさん。原初の魔導師は、どうやって世界樹を育てたの?」
「あーっと、エルフ紋が木を植えて、あちしらが育てたのサ。何を考えているんだい? まさか、新しい世界樹を植えるなんて言わないだろうね。もしそうならあちしは全力で止めるよ。命の木を生み出す魔力は、今の人間にありゃしない。いくらイルヴァでも、体が四散してしまう」
「違うわ。そうじゃないのよ。私、さっきフィニを治したでしょう? その力をこれに応用出来ないかなって」
イーラが考えたのは、イーラが世界樹を再生させて、弱った木にスイレンたちが魔力を与えるというもの。
スイレンはしばらく考えると、「出来るかも」と提案に乗ってくれた。
スイレンはギルベルト、カナ、エミリアに立ち位置を指示すると、自分も定位置についた。
「いいかい? イルヴァ。まずあちしたちが世界樹に魔力を与える。その間に再生させておくれ」
「分かったわ」
スイレンにそう言われ、イーラは世界樹の根元に座る。
スイレンはギルベルトたちに「いくよ!」と声をかけ、一斉に魔法をかける。
「水の知恵! 祈りの歌よ!」
「我が銃よ! 魔力を燃やせ!」
「土よ! 我が魔力を糧として······」
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
「世界に宿りし聖なる魔力よ 我が祈りを聞き届け給え」
イーラは呪文を唱えて、世界樹を再生させようと試みる。
だが、魔力は世界樹に入っていくのに、それがいまいち魔法として開花しない。
スイレンたちも魔法を中断し、何とか息を合わせてみよう、タイミングを変えてみようと相談するが、全て失敗に終わった。
最初にギルベルトの限界が来て、次にカナが疲れを見せる。
イーラも初めての魔法に加減が出来ず、木にもたれて休憩する。
スイレンはブツブツと独り言を呟いて「何がいけないのか」と原因を探る。
フィニはイーラに恐る恐る近づく。ジャックの監視は厳しく、「大丈夫?」と声をかけただけでも威嚇するし、水を差し出せば毒味までする。
「ちょっと、ジャック。人の優しさまで疑わないで」
「さっきまで演技していた奴に、すぐ心を許せる方が不思議だ」
「もう魔物を召喚するだけの魔力はないよ。それに、イーラにもう、手は出さない」
「終末計画が失敗したからか?」
「助けてくれたから! 殺される覚悟で僕はずっと旅してたんだよ!」
フィニの声を荒らげる姿に、イーラは少し和んでしまった。
いつもオドオドして人の意見に流されてたのに。
「成長したって感じね」
「君は最後まで変わらない。お人好しだよ」
「褒め言葉だわ」
フィニがジャックに怒られているのを見て、イーラはふと妙案が浮かんだ。
ギルベルトとカナが寝そべっているところに行き、二人に魔法が使えるかを確認する。
「あと一回だな」
「カナも今はそのくらい。風が吹けば、いっぱい使えるよ」
「そう。分かった。あと一回だけ、頑張ってもらえないかしら」
「何を思いついた? お前いきなり『何で?』みたいなこと思いつくから。ちょっと聞いとかないと」
ギルベルトに言われ、イーラはその妙案を伝える。案の定、ギルベルトからは「何で?」と呆れて聞かれた。
スイレンとエミリアも集まって、イーラの口から作戦を聞く。ギルベルトと似たような反応をされたが、スイレンは「試す価値はある」と言ってくれた。
「いいんでしょうか。イルヴァーナさん、彼は······」
「手を貸してくれるわよ」
「何でそう言いきれんだよ。変な事しそうじゃん」
「しないわ。だって、私たちと一緒に旅してきたのよ。ねぇフィニ! ちょっと聞きたいんだけど!」
イーラはフィニの方に走っていく。カナは「やっぱりイルルだ」と、嬉しそうに呟いた。
「──はぁっ!? 世界樹に『繋ぎ』!?」
「出来ない?」
「できるよ! 命であれば、何だって出来る。でも、世界樹にやった事ないんだ!」
フィニはイーラの相談に、困り顔で乗ってくれる。が、フィニは難しいと言って中々やってくれない。
「前に言ったけど、あれは術者にも術を受ける側にも大きな負担がかかる。どんなに強い魔術師でも、連続でやるには三回が限度だよ」
「それは嘘じゃなかったのね。いいえ、一回でいいの。カナもギルベルトもあと一回が限界だわ。それにかけるしか今は出来ない」
「お人好しにも程があると思うよ。何で君を殺しかけた僕を頼るの」
「だって、お互い被害者なんだもの」
「──は?」
日陰に追いやられた命の門番と、仲間の悲劇に怒り世界を滅ぼしかけた魔導師の、心の片割れを背負うもの。
誰がどう言おうと、被害者であることに変わりはない。
日向を望んだ彼らが、やり方を間違えただけ。
今のイーラには、その程度なのだ。
フィニは呆れたように笑うと、「本当にお人好し」とイーラを馬鹿にする。「それでいいわ」とイーラが返す。
「で、やってくれるの? 冥府の門番さん?」
「万能魔導師様に言われるんじゃ、敵わないな」
フィニが了承すると、ギルベルト達は、再び定位置に着く。
フィニはイーラと世界樹を挟んだ反対側に座った。
杖を地面について、魔法陣を描く。指先の血を一滴世界樹に垂らし、最後の悪あがきが始まった。
「世界樹の下に生を受ける者、その命に祝福あれ。
世界樹の元に眠れる者、その命に栄光あれ。
世界樹の根に絡まる命ある者、死者の道に外れることなかれ。
冥界を統べる我らが神よ。冥界に落ちゆく生者を救い給え。命の根源に慈しみの涙を恵み給え!」
フィニがまず、世界樹に『繋ぎ』をする。その間に、ギルベルトとカナが十分な魔力を溜める。
「今一度、生きる喜びを与え給え! 『命を繋ぐ回廊』!」
フィニの魔術が決まった。
魔法陣の光は雪のように舞い、世界樹の幹に波紋が立つ。
その瞬間を見逃さず、ギルベルト、エミリア、カナ、スイレンが魔法を叩き込む。
「水の知恵! 祈りの歌よ!」
「我が銃よ! 魔力を燃やせ!」
「土よ! 我が魔力を糧として」
「風の戯れ 精霊の気まぐれ」
「世界に宿りし聖なる魔力よ 我が祈りを聞き届け給え」
イーラも魔力を注入する。
だが、やっぱりダメなのか、世界樹が再生する様子はない。
エミリアやスイレンも、魔法の威力が落ちてきている。
「やっぱり、無理なのでしょうか」
「諦めなさんな。気をしっかりもって」
「あーくっそ! そろそろ魔力切れんぞ!」
「カナもキツいぃ〜」
イーラが少し、焦った時だ。
「共鳴する狼の遠吠え!」
ジャックの遠吠えが、イーラたちの魔力に共鳴させる。
共鳴するジャックの魔力が、四大魔導師に力を与えた。
「あざっすジャック!」
「ジャックは優しいね」
ギルベルトとカナが元気になる。
イーラは世界樹に額を寄せた。
(愛されたイリアーナ。あなたの愛した世界は、私が愛し続けるから)
「世界樹よ 全ての命の泉よ
根を張り花を咲かせよ」
イーラが呪文──いや、祈りと言うべきだろうか。
世界樹に囁きかけるように、言葉をこぼす。それはとても小さな声だ。けれど、皆の耳に届く言葉だった。
「──慈愛の土よ 世界樹の根を支えよ」
エミリアが愛を謳う。
「──叡智の水よ 命を潤す大河となれ」
スイレンが知恵を湧かせる。
「──高潔なる炎よ 全てを等しく照らせ」
ギルベルトが志を掲げる。
「──自由な風よ 世界を駆け巡れ」
カナが心を解放する。
それぞれの魔法は繋がり、ひとつの輪を描いて世界樹に染み込んでいく。
イーラの手元から伸びる光の芽は世界樹を上っていく。
世界樹全体が眩しい光に包まれた時、イーラは力強い声で言った。
「終わらぬ今日が無いように、明けぬ夜もない。全ては等しく残酷に巡る時の中で起きること。
涙で袖を濡らそうと、怒りに身を焦がそうと、喜びを知り、今あることを楽しみ、命の尊さを噛み締めなさい。
月も太陽も、どちらもあなたを照らす光であるのだから」
「貴方に生きる喜びを」
イーラの祈りが、世界樹に溶け込んでいく。
世界樹は一際強い光を放つと、世界にその光を放つ。流星のように降り注ぐ光は、誰かの心に響くだろう。
世界樹は、青々とした葉を揺らしていた。




