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107話 怒りから目覚める

 イーラが目を覚ます。

 そこには、イーラに膝枕をするカナと、彼女を足の間に収めたギルベルトがいた。


「あら、何があったの?」


 イーラがそう尋ねると、カナはニッコリ笑った。



 光の柱は割れた。

 それはそれは脆く、簡単に。


 イーラの体は倒れ、今だ眠るイーラを、カナが優しく受け止めた。

 カナの力だけでは足らず、ギルベルトも支えてやる。


 カナはイーラの頭を優しく撫でると、「おかえりなさい」と嬉しそうに言った。


「きっと帰ってくると思ったよ。カナの大好きなイルル」

「っはぁ〜〜〜。絶対無茶すると思った。馬鹿じゃねぇの? ありえねぇだろ。でもまぁ、イーラらしいわ」


 スイレンはイーラの横に膝をつくと、水晶を床に落とし、イーラの額を撫でた。温かく、ただ眠るイーラの呼吸に思わず涙が出る。スイレンは片腕だけでイーラの手を握ると、額に寄せた。


「ああ、イルヴァ。無事で良かった······無事で」

「おうホントにな。こっちの気も知らねぇで」

「待ってよ。本当に何があったの? ねぇ、なんでスイレンさん片腕しかないのよ。まだ血が出てる! 聖堂もぐちゃぐちゃ!」

「ただのケンカだよ。そう騒ぐな」

「騒ぐに決まってんでしょ! スイレンさん動かないで! 今止血するから!」


 目を覚ましたイーラが最初にしたのは、スイレンの腕の止血。

 イーラらしい行動に、ギルベルトとエミリアがクスクス笑う。スイレンは「気にしなさんな」と遠慮したが、イーラに睨まれると大人しくなった。


「ちょっと待ってて。ミオロバ草の根っこ、ティギン草、ナチュべの葉っぱ······ああっ! カバンが無い! あっ! 焼けちゃってる! 何で!?」

「そこそこな争いがあったからねぇ。誰も気づかずに魔法を当てちまったかも。あと、止血なんざしなくても、あちしが死ぬことは無いよ」

「水がある限り、スイレンさんは生きるって言ってるけど、魔力が水に拡散して、また魔力が偶然同じ場所に集まるまで眠るのは、死と同じじゃないの?」

「イルヴァにとっちゃそうだろうよ。けど、あちしにとっちゃ、千年眠るのは夜に眠るのと同じサ」


 スイレンはイーラの髪を優しく撫でて、イーラを諭す。

 しかし、イーラはそれに聞く耳を持たず、スイレンの口に水筒を差した。


「がぼっ!!?」

「これだけが無事で良かったわ。ほら水よ。治しなさい。怪我人はアンタだけじゃないのよ」

「ごぼぼぼぼぼ······」


 水の力で再生するスイレンをその場に放置して、イーラはフィニの傍にいく。フィニはイーラを見ると、杖に手を伸ばそうとし、ジャックは杖を遠くに蹴飛ばすと、フィニの腹を踏みつけて大人しくさせた。


「ジャック! やめなさい!」

「その命令は聞けない。フィニアン・レッドクリフに近づくな。また何をされるか分からないぞ」

「こんだけ怪我をしてればなんにも出来ないわ。ジャック、フィニから離れて」


 ジャックはイーラに威嚇した。

 イーラのためを思っての行動だ。だが、イーラは一歩も引かない。


「ジャクイーン・ハルヴィア・モントベール」


 ジャックの真名を呼ぶ。ジャックは目を見開いた。


「······お願い。避けてちょうだい。私は、彼を見殺しにするつもりはないわ」


 命令ではない。決して、強制的な力が働いたわけではない。

 イーラはジャックにお願いした。イーラはもう一度「お願い」と言った。ジャックはとても迷った。

 不満そうな表情でフィニから足を避け、イーラに場所を譲る。


「······不穏な動きがあれば、お前が止めても喉を噛みちぎる」

「大丈夫よ」


 イーラはフィニの横に座ると、脈を測り、傷を確認し、必要な薬草を念仏のように呟く。

 フィニはイーラが診察している間、そっぽ向いて大人しくしていた。



「······いっそ殺してよ」



 フィニは消え入るような声で言った。

 イーラは聞こえなかった振りをした。


「反逆者じゃん。敵じゃん。別に治す必要もないし、僕だって生き延びたくない。お願い、このまま失血死させて。こんな惨めな思いをしてまで、生きて何しろって言うのさ」



「いっそ、このまま死ねばいいんだ」



 ──バチンッッッ!!


 イーラのビンタの音が、部屋中に響く。

 フィニは真っ赤になった頬をさすることも出来ず、顔を無理やりイーラの方に向けられる。

 イーラは「よく聞け」と、フィニを脅すように言った。


「ウジウジうっさいのよ。よくも私の前で『敵だから助けなくていい』だの『このまま死にたい』だの言えたものね。惨めだろうが、恥だろうが、私たちは今を背負って生きなきゃいけないのよ。

 アンタは日陰に追いやられた忌むべき魔術師の一人、私は偉大な母と合理主義の父の間に生まれた世界の破滅を呼ぶ子供。ただでさえ生まれた時点で嫌がられるような命が、今更惨め? バカバカしいわ。そういえばかなり前に言ったわね。忘れてるようだからもう一度言ってあげる」



「命に優劣はないの。どちらが大事だとか、どちらが尊いとかそんなの言うも愚かなことなのよ!」



 イーラはそう言うと、フィニの心臓に手を当てる。

 目を閉じて、自分の魔力に呼びかける。


「──世界に宿りし聖なる魔力よ 我が祈りを聞き届け給え

 全ては芽吹く命のために 全ては大いなる巡りのために」


 手のひらが温かくなる。

 胸の中が愛で満たされる。これが魔法なのだ、とイーラは思った。



(──この愛が、変貌してしまうほど、彼女は仲間たちを愛してたのね)



 そうとも思った。

 だからこそ、イーラの魔法は力があったのかもしれない。

 イーラは呪文を口にする。




世界は笑顔(ルジャーダ・)から始まる(ユグドラシル)





 フィニの体を、黄緑色の光が包む。フィニの傷の上に苗が芽生え、花が咲きその花弁が、花粉が、キラキラと輝き散ると、フィニの傷はみるみるうちに治っていく。

 イーラが手を離すと、フィニの体はすっかり治っていて、フィニはゆっくりと体をいたわるように起き上がる。


「······どうして」


 フィニは悔しそうに呟く。

 心底屈辱だと、言わんばかりに。イーラはそれを、けろりとして返した。


「だって、私だもん」


 イーラにとって、十分過ぎる理由だった。

 ギルベルトが思わず吹き出し、スイレンは水を吐きながら「そういう子だ」と頷く。

 フィニは「ほっといてよ!」とイーラに八つ当たりした。


「どうせ僕は! 禁忌の魔術師で、この世にいることすら望まれない存在で! 生きても死んでも関係ない人間なんだ! 僕達が何を冠する魔術師か知ってる!?」

「ええもちろん。知ってるわ。私、死霊魔術師(デュラハン)の住処に一晩泊まった事があるもん」


 イーラはそう言うと、フィニに説明する。


「いい? アンタは自分のことものすごく低く見てるようだけど、全く違うのよ。

『慈愛』の土に『叡智』の水が降り注ぐ。『高潔』な炎の光が大地を照らし、芽吹いた命を『自由』な風が運ぶ。

 運ばれた命の『縁』を命の精霊が結び、種類を増やして、命の門番が『安寧』を導く。そして命は巡るのよ。あなたは自分の立ち位置を知ってるわよね」


 フィニはそう問われると、膝を握って「バカでしょ」と、声を震わせた。

 イーラは呆れたように返す。


「バカはそっちよ。何が『邪心』よ。他人が押し付けたものを堂々と名乗って。ふざけるんじゃないわ。自分たちの立場を取り返したいのなら、自分たちの権利を主張するのなら、ちゃんと名乗りなさい」


 フィニはポロポロと涙を流す。

 イーラはフィニを抱き寄せて言った。愛に満ちた、その声で。




「『僕はフィニアン・レッドクリフ。世界の生と死の均衡を守る者。『安寧』を冠する冥府の門番(オー・ジャック)だ』って」




 フィニはイーラにしがみついて泣いた。

 全ての努力は泡となり、長年の夢が潰えた場所で、取引材料・最終手段としか思っていなかった人間の腕の中で。

 フィニは声を上げて泣いた。情けなく、我慢を止めた子供のように、フィニは泣き続けた。

 イーラは止めることなく、フィニが泣き止むまで背中をさすり続けた。


 エミリアはイーラとフィニを優しく包み込む。

 ギルベルトとスイレンも、エミリアに倣って抱きしめた。ジャックはその場を離れようとしたが、カナに腕を引かれてその輪に入る。

 イーラはフィニに「おかえりなさい」と言った。


「あなたこそ、不必要な肩の荷をおろすべきだった」


 イーラはフィニを抱きしめる。フィニはまだ泣き止まない。

 壊れた聖堂に泣き声が響く。

 世界の終わりはもう訪れない。世界樹は半分枯れて、世界樹の周りも、聖堂も全てが壊された。

 それでも日は沈む。輝かしい明日の準備のために、癒しの月が昇る。

 世界樹は、優しく枝を揺らした。

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