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103話 割れる

(──ここは、どこなのかしら)


 イーラはふと目を覚ます。

 さっきまで、世界樹の聖堂にいたはずなのに、フィニとアルバートに挟まれていたはずなのに。

 気がついたら、イーラは真っ暗闇の中に寝そべっていた。


 体を起こすと、自分を中心に緩やかな波紋が立つ。

 決して『無』の空間ではないようだ。だが、途方もなく広がる闇と、前も後ろも分からないだだっ広いこの場所は、内なる恐怖を引き出す。


(──なんで、ここにいるんだろう)


 イーラはゆっくりと周りを見回して、ぼぅっと、上を見つめた。


 声を出す気にもなれない。


 体を動かす気にもなれない。


 何もしたくないし、感情が揺さぶられることもない。



 ──いつものように、怒る気にすらなれない。



(何があったんだっけ? アルバートとフィニがグルで、私はひとりぼっちで、確か······)



 イーラは起きたことを思い出すと、「ああ···」と声をこぼした。




「──私、死んだのね」




 ***


 一時間前。

 イーラはフィニが敵であることを知り、味方がいないことを知った。

 イーラの後ろにアルバートが立ち、イーラの逃げ場を奪う。

 アルバートはイーラの顔をぐいと掴み、改めてイーラの顔をマジマジと見つめる。


「──マシェリーのような、淡い瞳。お前に受け継がれたのは、とことん腹が立つな」

「仕方ないでしょ。私はマシェリーの娘。ついでに言うと、あんたの子供でもあるわよ」

「私に娘はいない。お前は彼女の愛しい子。私はお前を愛さない」

「それで結構よ! でも事実は変わらないんだから!」


 アルバートはイーラを投げ飛ばし、向かいの壁に叩きつける。

 心底腹立たしそうに舌打ちをすると、ナイフで自ら顔に傷をつける。

 顔を横に横断する傷は、切ったそばから消えていく。


 イーラは切られる痛みに顔を歪めると、手の甲に落ちる血に、目を見開いた。土魔導師(ノーム)の里でついた時と、同じような傷が父親の手でつけられた。


「忌まわしき世界の滅びの種。お前さえいなければ、マシェリーは死ななかったのに」


 アルバートは悔しそうに自身に傷をつけていく。その傷は、全てイーラに転送され、イーラは傷だらけの体に悲鳴をあげた。

 アルバートはなおも傷をつけ続け、イーラの足元に血溜まりが出来るまで、イーラがどんなに苦しもうと、悲鳴をあげて声を枯らせようと、止める素振りを見せなかった。


「アルバート、それ以上は止めてよ。約束が先なんだから」


 冷たいフィニの声がアルバートを止める。

 アルバートは「ああ、約束か」と柔らかく笑って一度手を止めた。


「約束だよね。『イーラをここに連れてきたら、失われた十三席を復活させてくれる』って。僕の席を教えて。そこに、僕の名前を登録する」


 フィニはアルバートに言った。アルバートは「あの席だよ」と、イーラの側にある椅子を指差した。

 フィニは「あっそ」と言って、その席の前に立つ。

 イーラは軋む体を起こし、今にも消えそうな声で、「どうして」とフィニに尋ねた。


「仲間······だったじゃない」

「──ごめんね、イーラ。僕達は世界の生死を司る、重要な役回りにいたのに、たったひとつの掟のせいで、命を脅かされてきた。幾千年もの間、僕達は日陰で生きる羽目になって、議会からも追い払われた」


 イーラを見下ろすフィニの表情は、苦しそうで、でも嬉しそうで。

 一筋流した涙は、いつものフィニのようで安心した。


「でも、僕が議席を取り戻せたら、僕の仲間が皆助かるんだ。もう一度、僕たちは外に出たい。僕たちも太陽の光を浴びたいんだ」


 イーラと同じ、小さな体に押し付けられた期待は、希望は、未来は、どんなに重たいのだろう。

 仲間を敵に回しても、利用しても、魔術師の仲間を救うために動き続けた彼の努力は、どれほど苦しいものだったのだろう。


 イーラには、フィニを責められなかった。

 弱音も吐けず、歯を食いしばって、考えて、考えて、考えて──。

 イーラや他の仲間を(あざむ)いてでも、自分のために、同じ力を持つ仲間のために、汚泥を歩き、冷たい闇の中で空を見上げ、微かな光を掴み取るためにここまで来た彼を、どうして怒れるだろうか。


「······君を犠牲にするのは、ちょっと心が痛い」


 フィニはイーラに後悔をこぼす。けれど、芯のある瞳で議席に手を伸ばした。



「でも、僕たちにも生きる権利が欲しい」



 議席まであと数ミリ。

 フィニは議席に触れるその瞬間に胸を高鳴らせる。

 イーラは目を伏せて、痛みに耐えながら、フィニに未来を譲った。



 ──バキッ!!



 フィニが議席に触れる直前、突然椅子が壊された。

 ガラガラと崩れる十三席に、フィニは「ああ······」と絶望した。

 イーラはフィニの崩れ落ちる姿を見つめ、アルバートに目をやった。


 案の定、アルバートは手を伸ばしていて、その指先からは、炎と水がチラチラと顔を覗かせている。


「相反する魔法が生み出す力は、全てを打ち砕くほどに強い。悪いが君は、その席に座ることは出来ない」


 フィニは服の裾を握り、歯を食いしばる。

 今の今まで頑張ってきたフィニの全てが、水の泡になった瞬間だった。


「······ッ! どうしてっ!」


 フィニは悔しさを叫ぶ。アルバートは腕を擦りながら、あっけらかんとして言った。



「だって君。死霊魔術師(デュラハン)だろう?」



 死霊魔術師(デュラハン)だから、議席に座れない。

 そんな理不尽な理由が通るはずがない。

 フィニは崩れた椅子の欠片を拾い、怒りを、恨みを噛み潰す。

 椅子の欠片を胸に押し付けて声を押し殺して泣いていた。


「全く。死霊魔術師(デュラハン)が議会の席を手にするなんて、そんな事が許されるわけが無い。最初から知っているだろう。まさかあの約束を、本気にするなんて」

「······騙したのね」

「騙すも何も、私がうんと言おうと言うまいと、出来やしないことだった」


 ──久々に、胸の内からフツフツと音が聞こえてきた。

 マグマのように煮え(たぎ)り、熱く、込み上げてくる、『あの』感情。




「ふざっけやがってこの外道!!」




 傷の痛みも忘れ、喉の痛みすらも忘れ、イーラは大声で怒鳴った。

 本来イーラが怒ることではない。フィニが怒るべきことだ。だが、イーラはアルバートのやり方が気に入らなくて、腹立たしくて、思いっきり怒鳴りつけた。


「血を吐くような努力を、地を這う惨めな姿を晒しても! 仲間を助けるためにここまで来たフィニに、希望をチラつかせて踊らせるなんて酷い奴ね! フィニが敵でもどうでもいいわ! アンタのやり方気に食わない!」

「気に食わないと言っても、私は議会の第一席として世界を守る義務があり、その為に手段を選んでいられないんだ」

「だから人を騙していい理由にならないわ! 人の積み上げてきたものを崩してでも守る世界なんて、そんなの正しくなんかない! 全ては平等に生きる権利があり、日陰に押しやるような汚いやり方は間違ってる!」

「やれやれ、頑固なところもマシェリーに似たのか。お前に何が出来る? 世界に終末をもたらすだけの忌み子。偉大なる魔導師から産み落とされた世界の汚点。お前に与えられた運命は今この場で死ぬことだけだ」

「私にだって出来ることはあるわよ! 今この場で、アンタをぶっ飛ばすとかね!」


 イーラの全身に力が宿る。

 水のように流れ、風のように巡る。大地のように馴染み、炎のように吹き出す、怒りとは別の、大きな力が。


「覚えておきなさい。大嫌いな父さん。私は薬剤師のイルヴァーナ・ミロトハ。偉大なるマシェリーの娘にして──」


 胸が熱い。心臓が痛い。

 イーラの服の下から光が放たれる。

 イーラのちょうど心臓の上からだ。服の上からでも分かるその光の形は、アルバートが持つ紋章と、近しく見えた。



「──────え?」



 イーラの胸から、杖が突き出ていた。

 フィニの杖だ。背中から、心臓を射抜くように突き刺されていた。



「······お前が、約束を守らないなら、僕はお前が守る世界を壊す」



 イーラの体に刻まれた傷が、アルバートへと還る。

 アルバートは自分に刻まれていく傷に「馬鹿な!」と吐き捨てた。


「僕が新しい世界を作り直す! 死霊魔術師(デュラハン)が主導権を握る、『正しい』世界へ!」


 フィニは勢いよく杖を抜くと、地面に突き立てた。

 青白い光が放たれ、魔法陣を描く。


「『呪詛返し』! ねぇアルバート。お前が『受けた傷を他人に押し付けられる』なら、『押し付ける相手がいない』時、その傷はどこにいくのかな?」


 フィニは悪戯(いたずら)っぽく笑うと、呪詛を唱える。

 その矛先はアルバートではなく、イーラに向いていた。

 血が流れるその胸の上に、死霊魔術師(デュラハン)の魔法陣が浮き出る。イーラは「やめて!」と叫ぶが、フィニに届くはずもなく。




「冥府を統べる我らが神よ! 眠れる者を呼び覚ませ! 太古の力で世界に滅びをもたらし給え! 贄は捧げられた! 終末よ、今ここに!」




 フィニはその呪詛を、どこまでも轟く雷のように叫ぶ。

 泣き叫ぶようにも聞こえるその呪詛に、イーラは「あぁ」と、嘆くしかなかった。

 アルバートの体は魔法陣の中に引きずり込まれ、イーラは内側から湧き上がる、理不尽な怒りに耐えられず、溢れ出した赤黒い光が、イーラを包み込んだ。



「『世界は枯れた(デッド・ユグドラシル)』!!」



 フィニがそう唱えるのを聞き届け、イーラの体は砕け始める。

 焼けるような痛み、削られる体。切り刻まれる感情に、潰される悲鳴。

 全てがボロボロと崩れ、イーラの心も、消え去っていく。


『コロシテヤル! コロシテヤル! スベテ キエサッテシマエ!』


 誰かがそう怒り狂っていた。

 それは、イーラに似た声だった。

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