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102話 何を差し出すか

 ギルベルトの怒鳴り声。


「ちくしょう! さっさと出しやがれ!」


 エミリアの祈り。


「イルヴァーナさん。どうか、ご無事で。必ず助けに行きますわ」


 ジャックの試行錯誤。


「鍵穴の形が雪の結晶のようだ。でも牢の枝を何とか切って、それっぽい形にすれば······」


 タタラの飄々(ひょうひょう)とした注意。


「ちょっとちょっと〜。牢屋の管理責任者の前でそういう事しないでよねぇ。刑罰加算しちゃうよ」


 少しだけ騒がしい牢屋の中で、スイレンは徐々に大きく、早くなる心臓の鼓動に耳を澄ませていた。

 ここに来るまで何も言わず、何もせず、ただじっと、静かに。

 ずっと自分の心臓を聞き続けていた。



 タタラが管理する牢獄の山。

 彼女はイーラの仲間たちを拘束すると、たった一人でこの山の頂点まで宙吊りにして連れてきた。

 慣れた手つきで身体チェックし、牢屋に放り込むと、彼女は彼らの牢の前で疲れた羽を癒すように気に寝そべる。監視が主な目的だろう。だからずっと、彼らの行動に口をだすが、手は出してこない。

 ギルベルトは金剛樹の牢をガンガン蹴り飛ばし、ジャックは鍵穴を弄ってこじ開けようとする。エミリアはずっと、イーラのことを心配していた。


「おいジジイ! お前の脳みそ貸せよ! さっさと出てイーラを助けねぇと、あのクソ野郎が何するか分かんねぇぞ!」

「だぁから〜! ボクの前で脱出計画練るなって、さっきから言ってんじゃん! ジャ〜ックくぅ〜ん? それ特殊タイプの錠前だから、ピッキングとか魔法とか効かないよ〜。ボクの持ってる鍵しか使えないもんね!」


「よっしゃ、我が銃よ 魔力を燃やせ」

「ねぇいきなり魔法ぶち込もうとしないでくれるぅ?」


 ギルベルトとタタラがギャアギャアと罵り会う中、スイレンは静かに血を流す。

 破裂しそうな心臓の鼓動と、身体のあちこちから火が吹きそうな痛みを感知する。スイレンはそっと、口を押さえ、我慢するように血をこぼした。

 しかし、スイレンのその優しさに、忍耐に、助けを求める心に、カナがいち早く気がついた。


「レン!!」


 ──ごぼっ。


 カナが叫ぶと同時にスイレンは激しく吐血する。

 体のあちこちが抉れ、削れ、だくだくと血を流し、普通の人間であればとっくに死んでいるような傷に、ヒューヒューとすきま風のような呼吸をする。


 エミリアはカナの目を塞ぎ、自分に引き寄せる。

 ギルベルトは崩れ落ちるスイレンの上体を受け止めて、自分の火魔法で止血を始めた。

 ジャックは突然の事に驚き、タタラは「やっぱりな」と言わんばかりの表情になる。


「おい、エミリア! 水っ、水持ってねぇか!?」

「ここに水はありませんわ!」

「あったとしても使えない。レンは魔法を封じられてる。自力で助かる術がないの」

「だったなぁ!! おいジジイ、しっかりしろよ! 今、今血を止めるから!」


「死にゃあ······しな、いサ。阿呆たれめ。·········あちしが···誰か、お前······さん、は···知、ってる·········だろ」

「ああ、そりゃあな! でも今は、それどころじゃないだろ!」


 ギルベルトはスイレンを支えたまま止血をしていくが、傷が大きくて深くて、止血出来るような傷の方が少なくて、手がつけられないでいた。

 穴が開いているんじゃないかと思う程の傷の大きさに、ギルベルトは何も言えなかった。

 タタラは自分のポケットを漁りながら、「やられちゃったねぇ」と他人事のように話す。


「アルバートの固有魔法は、『自分の傷を他人に押し付ける』魔法。受けた傷をそっくりそのまま別の人間に移して、自分は無傷の『被害対象を変更する』魔法なんだよねぇ。万能魔導師(エルフ)にしては珍しい弱っちい魔法なんだケド。でもさ、それって『攻撃を受けたら受けただけ他者の被害が大きくなる』、ある意味チートってやつじゃん?」


 タタラは三本の小瓶を出すと、一本ずつ蓋を開けて中を確認する。

 そのうちの一本、赤い小瓶以外をポケットにしまうと、檻の中に腕を入れて、スイレンを無理やり引き寄せる。

 抵抗する力もないスイレンに、乱暴に薬を飲ませると、「ジャック〜」とタタラは声をかけた。


「君もこっちにおいでよ。どーせ怪我してんデショ」


 ジャックは傷を庇うように警戒したが、タタラにはそんなの関係なく、無理やり引き寄せると、大きく鴉の羽を広げた。


「あの子ほどの力も他の魔族のような治癒能力もないけど、やんないよりはマシかな〜?」


 タタラは二人の傷を握りつぶすように掴んだ。ジャックは唸り声をあげて抵抗する。スイレンは小さく悲鳴をあげた。


「風に散る羽 翼の休む雲の上

 大空の使徒より降り注ぐ慈しみよ 傷を癒せ、疲労を吹き飛ばせ!

 試練は今、乗り越えられたりっ!!」




「『癒しの羽風』!」



 タタラは羽をバサバサと音を立てて動かす。

 吹きつけられるその風は、予想していたよりも遥かに強く、座っているギルベルトやエミリアが転がされるほどだった。


 だが、スイレンの傷やジャックの銀の弾丸は確かに消えて、きれいさっぱりとは言わないが、動くのに支障がない程度には傷が癒えていた。

 タタラはどっと疲れたのか、二人から手を離すと、さっきまでいた位置に戻り、寝そべって喋らなくなった。


 スイレンは傷が治ると、すぐに腕についた札を剥がそうとする。

 だが、何度も試したそれが剥がれるはずもなく、「ド畜生!」と悪態をついた。


「フィニの奴め、一体どこにこんな高性能の魔術を仕込んでいたんだい! それにあの野郎! あちしに移す気で攻撃を受けたな! 二人してあちしを真っ先に潰しにきやがって腹立たしい!」

「やめろ病み上がりジジイ」


 ギルベルトは怒り散らすスイレンを止め、「さっさと出るぞ」と切り替える。スイレンは「無駄サ」とギルベルトの提案をバッサリ切り捨てる。


「この牢獄は金剛樹で出来ているんだ。特殊加工のナイフじゃあないと切れやしない。鍵だって、スノウピンっていう特殊タイプの錠前なんだ。それ専用の鍵でしか開かないし、今のところ、スノウピンのピッキング方法は発見されちゃいない」

「でも開けられるだろ。ジジイなら」

「もちろん! 魔法が使えりゃあね!」

「やいポンコツ」


 スイレンはギルベルトにデコピンすると、タタラに呼びかける。


「タタラや、牢獄に拘束するのは、刑が決まるまでの二日間だったねぇ」

「そーだよ。投獄して議会で刑を決めて、無罪なら釈放だしぃ、有罪なら刑執行だし。でも君らはゲンコーハン! 残念だけど、議論の余地もなく有罪なんだよねぇ。牢獄から出たいだろうけど、あ・き・ら・め・て♡」


 タタラは爽やかな笑顔で、背後に「終身刑だゴラァ」というオーラを貼りつけている。

 だがギルベルトやスイレンたちはここで大人しくしている訳にもいかない。アルバートがイーラを殺してしまうかもしれないし、イーラが終末をもたらしてしまうかもしれない。

 どちらに転んでも、最悪の未来になる。



「諦められるはずがありませんわ。わたくしは、必ずここを出ます」



 スイレンが考えを巡らせていると、エミリアが少し苛立った表情で、タタラに噛み付いた。タタラは「へぇ」と面白そうに微笑む。


「どーやってここを出るのさ。鍵はボクが持ってる。世界一硬い金剛樹の檻の中で、君はどーやって脱獄する気ぃ? なぁんにも持ってないじゃん!」

「宙吊りの檻だろうと、冷たい土の中だろうと、空の果てだろうと海の底だろうと! わたくしはイルヴァーナさんを助けにいきます! どうするかなんて、まだ考えていませんが、イルヴァーナさんは絶対に世界を滅ぼすような事は致しません! 命を救うことに全てを捧げられる、慈愛に満ちた人を、わたくしは見捨てられません!」


 エミリアは杖を構えた。

 カナはエミリアから離れると、スイレンの傍に隠れる。

 スイレンは腕の札をさすり、「魔法があれば」とこぼした。エミリアはそれに一喝する。


「魔法がなんですか! 罪がなんですか! 魔法なんて使えなくても脱獄は出来ます! 罪なんて、あとで償えばいい! 今すべきことは、イルヴァーナさんを独りにしないこと! 彼女は今、敵の中に独りで立っているのです! 仲間と一緒に閉じ込められているんじゃない!」

「エ、エミリア。落ち着けぇ? 俺らも別に助けにいかないって、言ってるわけじゃねぇし」

「なら立ち上がりなさい! 言い訳を飲み込みなさい! もう大人しくしていられません! タタラから鍵を奪ってでも、死んででもここから出ます! 祈ってるくらいなら、動いた方が早いですわ!」

「お前さんのアイデンティティみたいなところを否定しなさんな。でもたまに脳筋みたいになるとこ、嫌いじゃあない」


 タタラはエミリアをじぃっと見つめた。

 鴉の鋭い眼光に、エミリアは怯むことなく睨み返す。


「君はあの子とアルバートの関係を、どうやって見抜いたのかなぁ?」

「耳の形ですわ。同じなんですもの。昔は親子の関係を知る魔法なんてありませんでしたから、耳の形で把握したものですわ。違えばすぐに分かりますの」

「ああ、土魔導師(ノーム)の特性ね。家族愛確認ってヤツ?」


 タタラは納得すると、エミリアに尋ねた。


「君はイルヴァーナのために、何を差し出せるの? 『全て』なんて、ありきたりな答えはいらないかんね。ここに入った奴らはみーんな(おんな)じことを言うんだもん。聞き飽きちゃった」




「『慈愛』を差し出しましょう」




 その答えに、スイレンもカナも、あんぐりと口を開ける。ジャックは耳を下げて頭を抱えていた。

『慈愛』を冠する土魔導師(ノーム)が、『慈愛』を差し出すのは正気とは言えない愚行だ。魔導師が、魔導師の冠する性質を差し出すのは、魔力を捨てるのと同義と言われ、世界樹の掟にも『魔導師は魔導の性質を差し出すべからず』と記されているほど。


 それをエミリアは差し出した。

 それも、『司法神の聖典(スクリフ・ミスラ)』の所持者に。


 だがタタラは決して笑わなかった。

 腹を抱え、死ぬほど笑うと思っていたが、少しもエミリアのその覚悟を笑いはしなかった。


「······ふぅ〜ん」


 反応はそれだけ。

 すると、タタラは牢獄の前まで飛ぶと、手を差し出した。


「君がそこまでいうなら、いーよ。財産刑で勘弁したげるっ! 一人百金貨(ガナン)ね」

「譲歩してねぇじゃん! さっきまでの空気返せバカ鴉!」

「そんなこと言ったら、名誉毀損も上乗せするよ」

「持ってるわけねぇだろ!」


 タタラはムスッと頬を膨らませる。これ以上の譲歩をする気は無いらしい。ジャックは腰の剣を外すと、タタラに差し出した。


「──これで、罰金にはならないだろうか」


 タタラはその剣を指でなぞると、「いーの?」と尋ねた。


「これ、君が議会の遊撃隊として頑張った証じゃん。大事なんじゃないの?」

「別に構わない。俺はもう、議会とは関係ない。それに」


 ジャックはほんの少し笑った。それは、分かるか分からない程度だが、確かに笑っていた。



「大地を駆ける狼に、剣なんて要らないだろう」



 そう言われると、タタラは剣を受け取り、七宝の上にかざす。

 七宝はひとりでに開き、剣を吸収すると、金額を表示する。


「──ちょーど百金貨(ガナン)。あとは? 罰金になる物を出してくれたら、換算するよ」


 ギルベルトは迷わずネックレスを差し出した。


「先王から貰ったネックレスだ。初めて剣技大会で優勝したとき、くれたもんだ。

 俺は先王を殺した。持ってても仕方ねぇし、今の俺には必要ねぇ。戒めのつもりだったが、──俺はちゃんと、償った」


 七宝はそれを、罰金として認めた。

 ギルベルトの分が加算されると、次はエミリアが髪飾りを差し出す。


「母の贈り物です。愛を教え、愛を奪われた人のもの。

 両親は魔法を持たない一般人に殺された。だから私は愛を憎み、人を恨んで生きてきた。でも、イルヴァーナさんが変えてくれた。私はいつまでも、過去に縛れるつもりはありません。──私は、誤った人々を許します」


 エミリアがそれを手放すと、七宝に取り込まれた。

 エミリアの分が加算され、カナは微笑みながら足首に巻いた飾りを外した。


「原初の魔導師から、生まれ変わりへと受け継がれる足飾り。

 カナは生まれた時からつけてるし、原初の魔導師のお気に入りなのも知ってる。でも、山に捧げられる生まれ変わりには、自由の印が鎖になる。

 カナは風魔導師(シルフ)だよ! 自由な風に、鎖なんて要らないの!」


 手放した足飾りを七宝が取り込んだ。

 あと一人分。スイレンが罰金を払えば全員が釈放される。

 しかし、元々質素なスイレンに、差し出せるようなものはなく、魔法媒介の水晶も、手持ちは一つしかない。仮に札が外れた時、水晶が無ければスイレンの力を借りることは出来ない。


 スイレンは困ったように笑うと、長い簪を外した。


「小僧、悪いねぇ。この簪······気に入ってたんだが、つけられなくなっちまう」


 スイレンは簪をじぃっと見下ろすと、それを懐にしまい、持っていた小刀で髪をバッサリと切り落とした。

 綺麗な髪は、思いっきり短くなり、握った長い長い髪をスイレンはタタラに差し出した。


「原初の、水魔導師(ウンディーネ)の髪の毛サ。魔力が潤沢にあるだろうよ。

 あちしは人間に蓄えた知恵を尽く搾り取られた。ずぅっと昔のことだし、あちしはすっかり気にしないでいたつもりだったが、この間のことで思い知らされた。まだあちしは、人間が怖いのサ。けれど、あちしを連れ出してくれた人がいる。助けて欲しかった、あの頃のあちしを。

 過去は今を作る地盤であって、未来とはなんの関わりもない。──()は留まることを知らない水だ。もう過去に閉じ込められはしない」



 スイレンの髪束が、七宝に取り込まれた。

 全ての罰金が支払われると、タタラは若干不満そうに牢の鍵を開けた。


「はぁいどーぞっ。君たちは自由の身だよ〜」


 全員が牢から出て、地面に降りると、お互いの過去に労いと励ましの言葉をかける。


「家族は一緒がよかったよね。カナも、ララルマしか家族いなかったから分かるよ」

「ええ。でも今の姿を、両親が見たらなんて言うでしょうか」

「分かんない。死んじゃった人とお話は出来ないから。でもね、カナならね『よくやった!』『自慢の子供だよ!』って言ってあげたいなぁ」

「······ええ」


「おいジジイ。ちょっと座れ」

「なんだい? 説教なら間に合ってるよ」

「髪の毛整えさせろ。みっともねぇ」

「おやおや、お前さんに散髪なんて出来るのかい? ああ、闇市育ちだったねぇ。······あちしのこと、知ってたのかい」

「ああ、そうじゃなきゃ、自分よりちょっと年上の野郎をジジイなんて言わねぇよ」

「そうかい。そうだろうねぇ。幻滅した?」

「いいや。親を殺すのも、自分を殺すのも、そうそう変わんねぇよ。辛さは同じだ。······お互い、苦労したなぁ」

「······おやおや、お前さんに励まされるなんてねぇ。でもまぁ、悪い気はしないもんだ」



「はいはいは〜い。激励中しつれ〜〜〜い。ちょおっと今、そういう雰囲気じゃなくなったっぽいんだよねぇ」



 それぞれが感傷に浸っていると、タタラが空気を破って声を張り上げる。

 彼女が見上げる先を、みんなも一緒に見上げた。

 そこには赤黒い光が柱のように伸び、空を突き破って光っていた。



「早くしないとぉー、終末、始まっちゃうかも?」

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