101話 家族の因縁、仲間の溝
マシェリーの元に生まれ、薬局を営んできた十五年間。たった十五年、されど十五年。生まれから一度も、イーラは父親がいることを知らなかった。
思えば、村の子供たちには必ず父親がいて、母親がいて、両親揃って仲良く暮らしていた。それが当たり前だと思っていたし、子供は父と母、両方が揃ってこそ成される愛の産物だと、そう教わった。
だがイーラには母──マシェリーしかいない。
今まで生きていて、イーラは一度も父親のことを尋ねたことは無い。
マシェリーもまた、イーラに父親のことを教えていなかった。
イーラは自身の父親の存在を、全く知らなかった!!
初めて目にする、『自分の父親』に、イーラはただただ疑問しか浮かばない。
イーラの手を握るアルバートの手は、氷のように冷たい。死んでいるのではと疑うレベルだ。
「······何か、聞きたいことはあるかい?」
アルバートはイーラに視線を落とす。イーラは彼の目を睨みつけ、手を振り払った。
「どうして、私を『終末の万能魔導師』なんて呼ぶの。どうして父親なのに、私を殺そうとするの。どうして私は、魔力を封じられたの」
「おやおや、君は本当に何にも知らないのか。そう言えば、マシェリーは君を『何も教えずに育てる』と言って譲らなかった。本当にそういう育て方をしたのか」
アルバートはふむ、と顎に手を置いて考えると、「あいつの予言だ」と話をした。
「マシェリーには予言の力があった。万能魔導師が持つ固有魔法の中でも最強クラス。戦闘にも生活にも向かないが、最初から未来が分かっていれば、事前に対策して免れることが出来るだろう? 道に転がる石をを排除出来る、便利な力だ」
「それが、何だって言うのよ」
「マシェリーが、君を『終末の万能魔導師』だと予言したんだよ。君が、生まれた、その瞬間に」
アルバートは、マシェリーはその前にも終末を予言していた。その対策をしに行ったものの、何の成果もなく旅を終えた。
だが、イーラが生まれたその瞬間に、イーラが世界に終末をもたらすと、自分の魔法で知ったという。
「私はずぅっと前から議会にいるもんでね。君が生まれたという報告は、一年後にマシェリーから伝えられたよ。そして、君の運命も、ね」
そこで、二人の意見は割れた。
マシェリーは『世界も娘も助ける』と。
アルバートは『娘を切り捨て世界を救う』と。
全てを守るその意志と、小さな犠牲を払って大きな利益を得るその理屈。すれ違う意見が、派手な音を立ててぶつかった。
「······私は、君が成長する前に殺してしまいたかったんだ。そうすれば、マシェリーの心の傷も浅いし、敵が無力なうちに潰せるしな」
「随分と、心の無い理論ね」
「そう聞こえるだろうが、君の命よりも世界が大事だ。なのにマシェリーは、君を私から隠した! この世界、どこにでも私の目は届く! それなのに、マシェリーは君を、私の目の見えない所に隠した!」
アルバートは悔しそうに壁を殴った。
殴られた壁は砕け、亀裂を遠くまで走らせる。
イーラは萎縮した。こんな男に、自分が勝てるわけが無い。フィニを守って逃げるなんて到底無理だと。
「君の連れにスイレンがいたのは驚いた。スイレンが関わっていたのなら、納得はいく。だが哀れな女だ。君は大人になるより早く、この私の元に、自らの意思で来た!」
アルバートはイーラの首を絞めると、今しがた砕いた壁を砂にして、ナイフを作り出す。イーラに狙いを定め、ググッと腕を引いた。
「君は魔力を封印されている! 私に抵抗するだけの筋力も、知力もない! 仲間がいなければ何の役にも立たない小娘だ!」
「うぐっ······」
イーラはアルバートの指を剥がそうと躍起になる。だが、十五の小娘が大の大人、それも自分の父親に勝てるわけが無い。
「マシェリーはお前の魔力を封印すればいいと思ったようだが、それだけで破滅の引き金が止められるわけがない! 終末の万能魔導師はそこにいるだけで危険だ! 私が今、真の意味で世界を救う!」
アルバートの茶髪がオレンジに変わる。
ちょうど、変色してきたイーラの髪と同じくらいの明るさで。
アルバートが睨むと、右目が少し細くなる。
イーラが睨む時と、同じクセがアルバートにあった。
『ああ、ほんとに父親なんだ』と、それだけで実感出来た。
だからこそ、少し気になった。
「ねぇ、母さんのこと、愛してた?」
今は亡き母、愛おしかったマシェリーへの想い。
イーラの中では変わってしまったが、アルバートは一体どうなのだろう。
アルバートは少し悩ましげにすると、後悔するような瞳で薄く笑った。
「──愛していたさ。世界の誰よりも。この世の何よりも」
それは、胡散臭い口調でも、嘘くさい感情でもない。純粋で、真っ直ぐで、愛のある返事だった。だが、アルバートの表情は一瞬で変わる。
イーラを見る目つきは宿敵を見るようで、腕に込められた力はこの世の恨みが詰め込まれているようだ。
「だが、お前を愛したことは一度もない!」
イーラはそれを聞くと、袖に隠していた薬瓶を開け、アルバートにかける。
アルバートは咄嗟に土の壁で薬から身を守る。その瞬間、アルバートの腕の力が弱まった。
イーラはアルバートの腕に足を絡め、両手で彼の手首を掴んで首を後ろに引く。指の隙間から引き抜かれた首をそのまま下げて、両手を伸ばして地面を掴む。足を離し、放り投げるように足を振って跳躍すると、アルバートから少し距離を置いて逃れることが出来た。
「やった!」
ギルベルトが人狼の悪ガキに教えていた戦いの術。その一つにこれがあった。自分に出来るなんて思っていなかったが、案外使えるものだ。
アルバートは感心して、イーラに乾いた拍手を送ると、今度は遠隔でイーラの首を絞める。
「離れたところで、私から逃げられるわけがないだろう」
アルバートは嫌味ったらしく笑う。
イーラが苦しむ後ろから、杖が飛んできた。アルバートの腕に当たると、イーラは息ができるようになった。
「イーラ! こっちだ!」
イーラの腕を掴んで、フィニがアルバートの脇を抜ける。
投げた杖を拾って、フィニは奥へ奥へと駆けていった。
「フィニ!」
「ごっ、ごめんね! 遅くなって!」
「そんなことはいいわ! 怪我してるんだから、大人しくしてなさい!」
「でも、でも! イーラがピンチだと思ったら、じっとしてらんないよ!」
フィニはバタバタと奥に進む。
しかし、議会の最奥は、円卓のある会議室だった。
「あ、あれ? 裏口があると、思ったんだ、けど·····」
フィニはさぁっと青ざめる。そしてまた狼狽えた。
「ごっ、ごめぇん! 僕てっきり、出口が他にあると思ってて! これじゃあ、僕達よりピンチ······?」
泣きそうな顔で慌てるフィニを落ち着かせ、イーラは何とか策を練る。
だが、議会の魔導師に、イーラとフィニだけで勝てるだろうか。
「どうやって出ようかしら。壁に穴を? アルバートを眠らせる? でも私の鞄の中にある薬草で何が作れるってのよ」
「もう終わりだよぉ。勝てっこないもんあの人に」
「そんなことないわ! きっと何かあるわよ! 弱点とか、何でも!」
「でも七宝を無効化出来るし、僕の魔術で精霊を呼び出せる場所じゃない!」
「大丈夫だって! 私が諦めるわけないでしょ!」
イーラはフィニに一喝すると、「ん?」と小さく漏らした。
フィニが杖を横に持っている。フィニには、不安になったり怯えたりすると杖を自分に引き寄せる、少女っぽい癖があった。
なのに、その癖が今は出ていない。つまり、本当にオロオロしていないのだ。
でも口では怯えているし、表情もそれっぽい。
イーラは怒った勢いが止まらず、そのまんま聞いてしまった。
「ねぇ、何で嘘つくのよ」
フィニはそう尋ねられると「やだなぁ」と困った素振りを見せる。
「嘘なんかついてないよ。こんな状況でつけると思う? イーラはお父さんに殺されるかもしれないのに」
「何で私『は』? 『私たちは』じゃないの?」
「言葉のあやだよ! それに、ここの構造をよく知ってる。一回来たっきりの僕と違って」
「一回来たっきり? アンタ、ここは死霊魔術師は入れないのはずよね?」
フィニがイーラの薬局を訪ねてきた時、『聖堂は魔導師じゃないと入れない』と言った。もちろん、フィニが誰か他の魔導師を連れて来た可能性もある。だが、魔導師四人揃える必要があるし、死霊魔術師が聖堂に入ったら、きっとタタラが捕まえているはず。
フィニは苦し紛れに「そ、そんなことより!」と言った。
「あいつは『自分のキズを他人に擦り付ける』固有魔法があるんだよ!? 傷とか負わせたら、僕かイーラ、どっちかが怪我をする──」
「ねぇ、それ何で知ってんの?」
アルバートの固有魔法は、イーラにそっと囁かれた。
イーラだけに聞こえるように。
フィニが知っているわけが無いのだ。聞いていないのだから。
とうとう深く墓穴を掘ったフィニは、イーラによって追い詰められる。
フィニは何とか言い訳をひねり出そうとしたが、何にも出てこなかったらしい。深く息を着くと、「これまでかぁ」とヘラリと笑った。
「ごめんねイーラァ。僕は君と同じ側に立ってないんだよね」
そう言うと、「アルバート」と彼を呼ぶ。
会議室の入口には、アルバートが冷たい笑みを浮かべて立っていた。
イーラはこの時初めて、「ああ、一人なんだ」と知った。




