100話 これはお仕事ですから
イーラが薄らと目を覚ますと、体を赤子のように抱かれていることに気がついた。きっとスイレンかエミリアだろうと思っていたが、細くも筋肉質な腕に、仲間とは違う力加減の腕に、違和感を抱く。
まだぼやける目を上に向けると、空を見上げ、怒り心頭のタタラの姿があった。
「······タタラ、さん?」
タタラはイーラが目を覚ましたことに気がついていない。もう片方の手には、厳かな装飾の、手帳サイズにして辞書よりも分厚い本が、ミシッ、ミシッ! と音を立てて握られていた。それが七宝だと気がつくのに、時間はかからなかった。
タタラは七宝を手前に投げ出した。
投げ出された本はひとりでにページ捲り、ある項目を開いた。
「『議会遵守規律第二部《議席所持者による戦闘行為について》
『第十二条其の一 聖堂はこの世の法にして権限である為、些細であれど、傷を一切つけてはならない』、『其の二 魔導師の減少・周辺地域への被害防止の為、聖堂内における全ての私闘を禁ずるものとする』。
議会遵守規律第三部《死霊魔術師全般について》
『第一条 聖堂はその名の通り聖なる場所にして、世界の中心に立つ由緒正しきもの。故に死霊魔術師の立ち入りを禁ずる』
『第五条 死霊魔術師が何らかの禁忌魔術を行うことを固く禁ずる』」
長い規律を、タタラは一字一句間違えることなく読んでみせた。そしてタタラはそのページを強く叩くと、アルバートに強く怒鳴った。
「ひとつとて重大な規約違反だと言うのに、数多の規約違反をする貴様にはほとほと愛想が尽きた! あといくつ犯せば気が済むのか!」
「アルバート・ミロトハ!!」
(────え?)
イーラは驚きすぎて声が出なかった。
地上では、エミリアとジャック以外が、驚いている。
「フィニ、知ってたか?」
「いいえ。一回も聞いてない······」
ギルベルトは驚きすぎて、敵になったフィニに話しかける。フィニも疑問に思うことなく答えてしまった。
スイレンは頭を抱えてよろよろと後ずさる。
タタラは何も気にせず話を進めていった。
「今までだって見逃してきたが、もう目をつぶってはいられん! 聞け! 鴉の羽音を! 恐れよ! 天狗の猛攻を!
我が名はタタラ! 『修練』の鴉天狗にして『司法神の聖典』に選ばれし者! 我が七宝の名の下に、アルバート・ミロトハを断罪する!」
タタラは開かれた本を叩き、そのページをアルバートに向ける。
本からは文字が浮き出て鎖を作り、アルバートへと伸びていく。
アルバートは水の膜で身を守るが、その膜ごと鎖は彼を包み込んだ。
「正義を掲げし司法神よ 我が怒りを聞き届け給え
罪を犯す者に制裁を 正しき者に神の導を!」
本の七宝はタタラの言葉に反応して光り出す。その光は剣の形に変わっていった。
タタラは怒りと喜びが入り交じったような表情で、アルバートを見据えた。
「贖え! 『裁きは下された』!」
光の剣はアルバートに狙いを定めて放たれた。
流星のように尾を引く剣は、アルバートの水の膜を突き破る。だが、アルバートは光の剣を手のひらで受け止め、砂のように消し去ってしまった。
「タタラ、君は頭の悪い子じゃなかったろう。何度も言うが、私に七宝は使えない」
アルバートは呆れたため息をつく。
タタラは「忌々しい!」と腹を立てた。その直後、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。
「でも、結果上々! なんだよねぇ」
タタラは大きく広げた羽を畳むとクルクルと回転しながら急降下する。
イーラはタタラにしがみついて悲鳴を上げた。
「うるさいなぁ。これだから人間の子供は嫌いなのに。特に女の子ね!」
タタラはそう言いながら、イーラの頭を腕で守り、体を強く抱きしめて落ちないようにしてくれる。
イーラの視界の端で、黄金の髪が風に揺れた。
「早くしてよね! アリア!」
「予定が早まっているのは貴方のお陰ですよ」
アリアは龍が巻きついた十字架を高く掲げた。
穏やかな顔からは信じられないほど、深海の闇より冷たい目でアルバートを睨む。
「海に身を捧げし龍神よ 我が祈りに力を与え給え
全てを無に帰す怒りの叫び! この世に大いなる激流を!」
アリアは呪文を唱える。
アルバートはすぐに防御の体勢に入った。それを見たカナが、風に乗ってふわりと身を浮かす。
エミリアは杖を突き立て、祈りを捧げた。
「土よ 刹那のときを惑わす歌を!」
空に飛んでいく砂埃は、カナの周りで踊る。カナはその砂埃をひと握り手にすると、アルバートに吹きかけた。
「砂漠の風は道知らず」
アルバートの視界を覆う砂埃は、彼が風魔法で払おうとしても邪魔をしてくる。アルバートが諦めて高度を下げた、その瞬間だった。
「唸れ!『龍神の咆哮』!!」
アリアが放った七宝の力。
海そのものと言っても過言ではない水が溢れ、いくつもの渦を作ってアルバートを穿つ。
いつかスイレンがクラーケン退治に使った魔法に似ていた。しかし、スイレンの魔法なんて比ではない強烈な威力に、アルバートは身を守りきれずに地面に叩き落とされる。
ギルベルトが「っしゃおらぁ!」とガッツポーズをとった。
タタラは地面にストン、と降りるとアリアに嫌味を言う。
「やっぱ人魚っておっかな〜い! 大人しくて優しいなんて詐欺もいいとこじゃん」
「二面性のある烏天狗なりの褒め言葉でしょうか」
アリアはイーラの乱れた髪を整えると、おでこにそっとキスをする。
「また、お会いしましたね。先日はリノアが世話になりました」
「あ、いや。気にしないで。勝手にしたことだから」
短い会話を済ませると、タタラはつまらなさそうに「さぁてさてさて」と独り言を言った。
タタラは本を開くとあるページを出して、手を乗せる。すると、本から光の鎖が蛇のように伸びて、イーラやエミリア、スイレン···と皆の手を拘束する。
「おいおい、タタラ! 何すんだよ!」
「『世界樹の掟第四条 いかなる理由においても、世界樹の地で争うことは禁ずる』に反してる。あのさぁ、君たちにとっちゃボクは危機に駆けつけてくれた味方に見えたかもしんないけどぉ。ボクは単に仕事しに来ただけだからね? 議会のルールと世界樹の掟が同時に破られたんだよ?」
イーラは手首に巻かれた鎖を見つめて「ああ、そっか」と納得した。
彼女が自分の意思で助けるなんて真似はしない。会った時から仕事に関する事しかしなかった。
フィニも例外なく拘束され、不満げな表情をしていた。
アリアは少し悲しげに、イーラの頬を撫でる。
「彼女は敵にも味方にも容赦しません。私は、彼女の仕事の手伝いをしに来ただけですから」
「まぁたそうやって、自分の評価守るんだ。やっぱ人魚って底意地悪いよねえ! ど〜〜〜だっていいけどっ!」
タタラは掴んでエミリア達を引っ張る。
イーラはタタラに下ろしてもらおうとしたが、タタラはイーラを手放さなかった。
「えっ」
イーラの体ががくんと揺れた。
拘束されているはずのフィニが、両手を広げてイーラを奪い取る。
タタラは歯を剥き出しにして「クソガキ!」と叫んだ。
タタラが手を伸ばすと、土の槍がタタラの腕を貫く。
誰かが反応する前に地面から茨が生えて、イーラと仲間の間に壁が出来上がった。
「どうしようイーラ! 皆と離れちゃった!」
フィニは今にも泣きそうな表情でイーラに訴える。
イーラはフィニを落ち着かせようと、優しい言葉をかけた。
「大丈夫よ。きっと方法があるわ」
「イルヴァーナ・ミロトハ! そいつを信用するな!」
茨越しにジャックの声が聞こえた。
「ジャック?」
「そいつは第一席と手を組んで、お前を殺すつもりだ! 信用するな!」
「フィニにそんなこと、できっこないわよ!」
「うっ!」
フィニはいきなり肩を押さえると、その場に座り込んだ。イーラはフィニの手を避けると、獣に噛まれたような傷を見つける。
「酷い傷だわ! どうしたの!?」
「じ、ジャックさんが、いきなり僕に噛み付いて······。僕、何とか抵抗したんだけど」
「早く手当てしないと! なんで早く言ってくれなかったの!」
「だって、仲間に傷つけられたなんて、裏切り者みたいじゃないか」
フィニのしょぼくれた声に、ジャックが唸り声で威嚇する。
ギルベルトは「フィニは裏切った!」とイーラに忠告する。
イーラはどっちを信じたらいいのか、分からなかった。
フィニはいつもの変わらない。けれど、仲間たちはフィニを裏切り者だと言う。
自分が空で死にかけている間に、一体何があったのだろうか。
イーラが迷っていると、エミリアが茨に手を添えて、イーラを呼んだ。
「イルヴァーナさん。あなたがどちらを信用したとしても、私は何も言いませんわ。ですが、アルバートのことだけは絶対に信用しないでください。貴方がフィニを信じる心は美しく、私も理解出来ますから。けれどあの男、アルバートだけは絶対に信じてはいけません」
エミリアがそう告げると、タタラは「はい行くよ囚人ども〜」と仲間を引っ張っていった。
フィニは茨に寄り添ったが、仲間の名前を呼ばなかった。悔しそうに、苦しそうに噛み締めた口は、何となく笑っているようにも見える。
イーラは違和感を抱きながら、「何とか逃げましょ」とフィニを支えた。
「いいや。逃げられないぞ」
イーラが後ろを向くと、今の今までいなかったはずのアルバートがそこにいた。
「······っ! どうして」
大怪我をしたはずなのに。そう言いかけると、アルバートはイーラの唇に指を当てる。そして、マシェリーのように優しく微笑みかけた。それは母の愛に満ちた微笑とは程遠い、悪意に満ちたものだった。
アルバートは、イーラだけに聞こえるように囁いた。
「私の魔法さ。『予言』よりも価値はないが、私は『自分の傷を他人に押しつける』魔法が使えるんだ」
それは、自分に傷がつけばつくほど、相手にダメージを負わせられる、ある意味強い魔法だ。
けれど、四大魔法が使える万能魔導師には、ほとんど使う場面のない魔法。価値がないと言うのも何となく分かる。
「さぁ、忌まわしき娘。彼女のイルヴァ。最期の時を迎えよう」
アルバートは、イーラの手を取り、聖堂へと入っていった。




