前編
――――コポコポコポォォォ。
円柱状の巨大な水槽の中に身体中をコードで繋がれた少女が揺蕩っていた。
シミ一つない新雪のような裸体を晒し、少女は口から時折泡を吐き出す。
貝殻のように可愛らしい爪を乗せた小ぶりな足に、ほどよい肉付きの太もも、コーラルピンクの控えめな茂みが秘所を覆い、ぷりっとしたお尻に、きゅっと引き締まった腰、ふんわりとした胸にはザクロのように熟れた赤い頂。
コーラルピンクの少し癖のある髪は肩甲骨までの長さがあり、毛先が水中で遊んでいる。
ぼんやりと虚ろに見開かれながらも、花緑青色の瞳は目を逸らせないほどの眼力を秘めていた。
手の平に収まりそうなほど白く小さな丸い顔に、美しい瞳とすっと通った鼻、ぽってりとした赤い唇がバランスよく整えられており、愛くるしくも美しい少女だった。
「ふは…ふはははは!天才だ!やはり、私は天才だった…!」
薄暗い研究室の中で淡いグリーンの蛍光を放つ巨大水槽の前で、派手な仮面で素顔を覆い奇妙な格好をした男が高笑いする。
狂ったように腹を抱えて笑い、水槽の中の少女に寄り添うように体を預け、何度も何度も自分を絶賛する。
「聞こえているか?私のホムンクルス!私がお前の創造主だ!お前の全ては私のものであり、知らないことは何もない!さあ、命令だ――――ある男の息の根を止めろ!それが私の唯一の願いであり、悲願であり、一生をかけた人生そのものだ!ふははははは!」
髪の一本さえもフルフェイスの仮面の中に隠され、黒いマントに黒いシャツ、黒いズボン、じゃらじゃらとつけられたアクセサリー。質の良い漆黒の手袋に指に嵌められたシンプルな銀の指輪。
細長い指先で愛撫するかのように水槽を撫で回しながら、男はホムンクルスの少女に狂ったように命令した。
コポァ――…カポォッ…。
造られたばかりの無垢な少女は、茫洋とした瞳で創造主である男を見つめながら、音に反射的に反応するかのように肯定の形に唇を動かした。
****
ワタシはホムンクルス。ノーネームである。
培養液から外に出るとパパが丁寧に体を拭いてくれて、肌触りのよいシンプルなワンピースを着せてくれた。
それから水の中で少し絡まっていた髪をブラシで整えてくれて、強い魔力の気配がする花の髪飾りを挿してくれた。
パパはワタシの体の調子を確認するように手袋越しに無遠慮に触るものだから、空気にはじめて触れて過敏になったワタシはいちいち反応し、鼻にかかった変なような声を出してしまう。
「パパ、パパ。なんだかヘン。でも気持ちいい。もっと触って」
言語とパパに従う知識は最初から備えられている。
もっともっとと強請れば、仮面で表情は分からないがパパは呆れたような気配を出し、大袈裟にため息を吐かれた。
「パパではない!私はお前の創造主だぞ!なんでそうなった!クソ!」
髪の水気を取るために使っていたフェイスタオルを汚い床にたたきつける。
清潔でなくなった。もうあのタオルはワタシに使って欲しくないな。
そう思いながらパパではなくタオルを凝視していたら、パパがワタシの手を引いて薄暗い研究室から外に連れ出してくれたので安心した。
いくつかの電子扉を通り抜け、パパはそのたびにタッチパネルを操作し、何事かを呟く。
連れてこられたのはさっきと似たような研究室で、さっきと違うのはワタシがいた水槽のような大きなものはなく、ホルマリン漬けされた肉片がいくつも浮いた小さな水槽が置かれていることだった。
診察台のような椅子に寝かされ、頭に重たい機械のヘルメットを被される。
無言で淡々と処理していくパパに、不安になって見上げれば、目の部分に埋め込まれた角度によって色の変わるガラス玉が青くなっていた。
「…お前に必要な知識を移植する。それから簡単に武術と魔法を習得してもらってターゲットのところに送り込む」
1週間くらいで調整は終わるだろうと言いながら、パパはワタシを無視して話を進めていく。
小さな水槽の一つを手に取り、診察台のそばに置かれた四角い機械にセットする。
四角い機械から伸びた2本のコードがワタシのヘルメットに繋がっている。
滑らかな操作でキーを操作すれば、機械が光り始め、液体の中に漂う肉片に文字が走り光り始める。
「ううぅぅぅ」
頭の中がそわぞわする。
直接触られて、こねくりまわされているような違和感。
反射的に体が飛びはね、のたうち回りたくなるが、診療台に寝かされ、四肢をテープと革で固定されているのでうめき声を上げることしか出来ない。
「幾つかの分野で著名な人物の脳を拝借した。つらいだろうが我慢しろ。
お前は私の造った完璧なホムンクルスでなければならない。これくらい習得できて当然だ」
パパは無情にもそう言って、ワタシを残して部屋から出て行った。
それから2日間、ワタシは肉片と脳を繋がれ、ありとあらゆる知識を無理矢理詰め込まれた。
定期的に肉片の入れ替えのために訪れるパパの名前を呼び、だらしなく口の端から涎と涙、鼻水と穴という穴から液体を流しながら、見つめることしかできなかった。
パパはその間、一度も私に話しかけてはくれなかった。
ただ、私は完璧だ。天才だ。世界一の賢者なんだ…とブツブツと独りで繰り返すだけだった。
3日目は休息日。
1日中パパのそばで、パパが研究するのを眺めていた。
パパが読んでいる論文の中身も簡単に分かるし、魔法を使おうと呪文を唱えれば次に起きる現象もわかる。
パパの指に嵌められた指輪から、ワタシにママはいるのかと訪ねれば、パパは露骨に不機嫌な空気を纏うのが分かった。
「お前がそれを聞くのか?……私のホムンクルスだぞ」
仮面越しだからくぐもって聞こえるパパの声は、変声期前の少年のようでもあり、青年のようによく通る声でもあり、老人のように少し枯れた渋い声のようにも聞こえる。
共通するのはパパの声を聞くと、ワタシの体の電流が走るような気持ちになることだ。
もっと声が聞きたいあまりに、愚かな質問をしてしまった。
「ごめんなさい」
ワタシは人工的生命体。
得たばかりの知識を確認したかっただけだった。
表情は分からないが、パパは多分怒っている。怒っているなら謝れなければいけない。
ワタシはすぐに謝って、パパのそばから少し離れた床に腰を下ろし、体育座りをした。
反省。反省。パパ、怒らないで。
4日目からは魔法の公使と、パパが作り出したシャドウを使った武術の特訓。
魔法は簡単だった。初歩から上級まで一通り教えられ披露したら、あとは自主学習しろと言われてパパの叡智が詰まった魔法書を渡された。
ワタシが習得すれば魔法書の文字が消え、最終的に真っ白なただの本になるらしい。
武術のほうは少し問題があった。
足を振り上げたり、体を激しく動かすと胸が揺れて痛い。
パパにブラジャーなるものが必要だと訴えれば、「そんなものあるかっ!」と怒鳴られた。
「シャドウ嫌。パパと戦いたい」
「お前は私を殺す気だな!?全盛期ほどの力があるわけないだろ!」
「パパ、歳?」
「賢者だから仕方ないんだっ!」
パパは大体いつも怒っている。
ワタシはパパを怒らせてしまう悪いホムンクルスだ。
パパ、パパ、パパ。
男性にしては少し背の小さなパパの後を、雛のようについて回る。
パパと片時も離れたくなくて、カプセルの中で眠ろうとするパパに先回りして眠っていたらすごく怒られて部屋から追い出された。
パパのお顔が見たくて仮面に手をかければ、ホムンクルスに負けない怪力で、背中から床に放り投げれた。魔法で強化したと息を荒らげながら、パパは次の日ぎこちなく体を動かしていた。
1週間はあっという間だった。
遂に恐れていた日がやってきた。
「準備完了だ。お前にはミッションを遂行してもらう」
「でもパパ、ここには誰もいない。ワタシがいなくなったらパパひとり。それは嫌」
小さな部屋の床いっぱいに複雑な魔方陣、時計、宝石、星の砂、ありとあらゆるものが意味を持って置かれたその中央に、ワタシは拘束されて転がされている。
「当然だ。此処は私の空間魔法で使った亜空間だ。ワタシが許したもの以外何人も存在し得ない。……私はひとりで平気だ。お前がミッションを達成しないほうが困る!」
「わかった。ならミッション終わったらすぐ戻る。パパ呼んで、きちんと」
「ああ、達成できたらな。それより対象の顔はきちんと認識しているな?
これで間違えたら目も当てられないぞ」
パパのガラス玉は赤く、そこにワタシが映り込んでいる。
パパを安心させるように大きく頷き、確認もかねて対象の容姿、そして対象の先に送還された際の状況も口にする。
「――――よし、正解だ。これなら大丈夫だ。…まあ、お前が対象を間違えるとはさすがに思っていないがな」
それでも口うるさく念押ししてくるのは、完璧なパパが造ったワタシは意外とおっちょこちょいだかららしい。
パパの期待に応えられないダメなホムンクルスだと落ち込んでいれば、パパに頭をよしよしされた。
「パパ!」
嬉しくて思わず名前を呼べば、あっさり手が離れた。
手袋越しに伝わる生温かさが失われ、寂しい。
パパは自分が贈った花の髪飾りを見て、次にワタシを見下ろす。
「この髪飾りは身代わりの花。一度だけお前を護ってくれるはずだ。この髪飾りを使うことがないよう気をつけるんだな」
「パパ…」
「ふん。さあ心を決めろ。呪文を唱える。唱え終われば、お前は対象のもとに送られる。
――――必ず息の根を止めろ。あの男は生きていれば、必ず後悔することになるからな」
そう言って、パパは呪文を唱え始めた。
部屋に満ちる濃密な魔力に、パパのマントがめくりあがり、ワタシの髪の毛も浮く。
体をぐるぐるとロープで巻かれて拘束されたワタシの体も浮き上がり、パパを見下ろす形になる。
いますぐ手を伸ばして、パパから離れたくない。その想いを込めて、必死に、一時もその姿を逃すまいと見つめるが、パパはもう一言もワタシに言葉をかけることなく呪文を唱えきってしまった。
光の洪水が魔方陣から溢れ、引き潮のように圧倒的な魔力の奔流がワタシを飲み込み、パパと引き離された。