2話 道徳教育は
パソコン室は、とても賑やかだった。
「ぜーったいに蒼くんを最下位にするよっ!! わたしが全力で2人をサポートするからねっ!!」
パソコン室に着いた時、ドアを開くと、その高らかな宣言が聞こえて来たのだ。
「あっ、蒼くん! どーも」
「こんにちは」
「おう」
部長は満面の笑みでNHKのマスコットみたいな挨拶をしてきたが、紅林さんと大白先輩は苦笑いを浮かべていた。
つまり、いつも通りだ。
「こんにちは。部長は僕を最下位にしたいんですか?」
「うんっ!!」
またしても満面の笑み。壊したい、この笑顔。なんとしても最下位にはなるまい。
「嫌われているみたいですね」
そう口にすると、部長はいやいやと大げさに首を振る。
「蒼くんが一番敵キャラっぽいから。わたしがこの期末試験をモデルにノベルゲーム作るなら、間違いなく蒼くんがラスボスだよ」
「ノベルゲームにラスボスって、RPGの間違いじゃないですか? あと、一番ラスボスに向いてるのは部長だと思いますよ」
「わたしは主人公だよっ」
そりゃ、部長視点なら部長が主人公だろう。同様に僕の視点では僕が主人公な訳だが。
「主人公が仲間2人と寄ってたかって敵キャラ1人を倒そうとする、まさにRPGですね」
「RPGのパーティは4人が基本だと思うなぁ。だから、蒼くんはやられたあと、仲間になりたそうな顔でこっちを見つめてね」
「僕が勝って3人闇堕ちで」
僕視点では僕は悪役ではないけれど。
「ぬぅ」
そんな軽口を叩きながら勉強をする。ここは居心地がいい。部長は宣言通りに僕以外の2人を全力でサポートしていて、なんか除け者にされてる感もなくはなかったが、それでもクラスよりはずっといい。
そして何より、絶対に最下位になるものかというやる気が湧いてくる。部長はそこまで見越して僕を敵キャラポジションにした……わけではないだろうが、そんはずないとわかりきってはいるが、それでも、部長には感謝しよう。感謝の気持ちを込めて、最下位は絶対に回避だ。
そんな風に気合を入れて勉強をしている時、不意にパソコン室のドアが開け放たれた。
そこにいたのは、おそらく教師4人。顧問と1年2組の担任、あとの2人は記憶にない。いや、1人は1年1組の担任だった気もする。残りの頭の薄い年配男性は誰だったか。見たことある気はするのだが。
「本当に部活中に勉強しているんですね」
1年2組の担任がそう言うと、顧問は
「うちの部は基本的に活動内容を生徒に一任してますから」
と答えた。
何しに来たんだ、この人たち。
「勉強中すまないね。君たちに少し話があるんだ」
年配男性が話を切り出して来た。年齢的に見ても、この人が最も立場が上なのだろう。
「副校長先生がわざわざ文芸部にどのような御用ですか?」
教頭か副校長か、たぶん管理職なんじゃないだろうかなどと記憶を探っていると、その答えは部長の口からあっさりと発せられた。……部長って敬語使えたのか。いや、国語の成績もいいのだから、敬語というものを知っていることは知っていたが、使えたんだな。
「今、少し時間いいかな」
時間いいかなも何も断れる状況にはない。僕たち4人はおずおずと「はい」だの「大丈夫です」だのと返答した。
「試験の話なんだけどね。君たち、中間試験の道徳で、すごくいい点取ったでしょ?」
答えづらい質問だ。すごくいい点取ったでしょ、なんて質問に堂々とYESと答えるような人間では、少なくとも僕はない。
紅林さんも僕と同類だったようでなんとなく口ごもっていたが、先輩2人はそんなことはなかった。
「はい。とてつもなく勉強しましたから!」
「いや、俺、別にいい点じゃなかったっすけど。この3人と一緒に括られるとちょっと……」
部長は、まぁそれが部長らしいが、はっきりとYESと返答した。逆に大白先輩ははっきりとNOと答えた。大白先輩の道徳の点を僕は知らないので、それが謙遜か否かはわからない。
「謙遜することはないよ。君たちはいい点を取った。真白さんの言うようにすごく勉強したんだろうね。それはとても素晴らしいことだと思うんだ。でもね、道徳って教科の上ではどうかなってことなんだよね」
79点で平均点より低かったんっすけど、とかいう呟きが聞こえた気がしたが、今はそれはどうでもいい。
副校長の言いたいことは、恐らくはいつかの担任と同じだ。道徳は試験のために勉強するものではないと。しかし、なら、試験を実施すること自体がおかしい。そう言いたい。試験で成績がつくのだから、試験のために勉強をするのは当然だ。
「生徒が教師の求める道徳観をただ演じるようになってしまえば、道徳教育はお終いだ。道徳教育は嘘や仮初めを教えることじゃない」
副校長は語る。騙る。
心から道徳的な人間などどれだけいるというのだ。嘘や仮初め、いわゆる偽善こそが、道徳そのものではないのか。そんな反論が頭に浮かぶ。しかし、ここで反論しても仕方ない。きっと副校長の中での話の結論はもう決まっている。
副校長は僕の思考なんて当然察することはなく、持論の展開を続けた。
「本来の道徳教育を行うには、今の試験の仕方では問題があることを、君たちは気づかせてくれた。だから、道徳の試験の形式を大きく変えようと思うんだ」
試験の形式変更。妥当な判断だと思う一方、ただの都立高校が独自に試験の形式を変える、ひいては成績のつけ方を変えるなんてことをしていいのかと疑問に思う。教育において、現場の裁量がどこまで許されるのかを、僕は知らない。
「そこで、前回までの試験対策を君たちがどういう風に行ったのか、具体的に教えてほしい」
副校長がそう言うと、文芸部の面々は、お前が答えろ言わんばかりに僕の方に目を向けてきた。それが文芸部の(僕以外の)総意らしいので、僕は渋々とそれに従った。
「簡単に言えば学習指導要領の暗記です。それで足りない部分は、国とか地方自治体が出している教育ビジョン等で補います。あとはそれを踏まえて文章を組み立てる練習をしました」
「……教採対策をする大学生みたいだね。君は教師になりたいのかな?」
副校長は真面目そうな顔でそう訊いてきた。冗談じゃない。教師にだけはなりたくないとさえ思っている。まぁ、教師に向かってそう口にするのは憚れるけれど。
「いえ、将来のことは、まだ」
「君は、どうすれば本来の道徳教育を行えると思う?」
なぜそれを僕に訊くんだ。そんなこと知るわけがないし、興味もない。
「どうやったって無理だと思います。そもそも、本来の道徳教育というものが一体なんなのかってところから曖昧で掴み所がないですし」
「そう。そうかもしれない。でも、教師はそうやって諦めちゃいけないんだ。曖昧でも、明確じゃなくても、教えないといけない」
諦めなければいいというものでもないだろう。諦めなくても無理なものは無理だ。時には諦めも重要。
いや、そもそも、教師がどうこうとか、道徳教育がどうこうなんて話は僕には関係ないし。僕にとって問題なのは、試験がどう変わるのかだ。
「試験はどのように変わるのでしょうか?」
「それを君たちだけに教えるのはフェアじゃないだろう。秘密だよ。それに、君たちは教えたらまた対策をするだろう。それはダメだ」
試験を変えると教えるだけでフェアではないと思う。口にはしないけど。
「まぁ、そうですね」
「僕たちもね、どんな試験にすれば君たちの道徳感を正しく測ることができるか、考えるよ。難しいテーマだけどね。君たちは今のままじゃダメだと教えてくれたんだ。そのことについてお礼を言いたい。ありがとう」
何をしに来たんだ、この副校長。
「では、勉強頑張ってね」
副校長はそう告げると去っていった。
「蒼井くん、できればクラスの勉強会にも顔を出してくださいね」
そう言って1年2組の担任は去り、
「紅林、勉強も大切だが、他のことにも少しは目を向けろよ」
1年1組の担任もそう言って去った。
残ったのは顧問たる田中先生だった。
「なんかすまんな。いきなり副校長なんて大物が来て、正直戸惑っただろ」
田中先生。国語科の教師のはずなのになぜかいつも白衣を着ている20代後半の女性教諭。
「びっくりしたよー、ほんと」
顧問に対しては部長は敬語を使わない。部長は顧問のことを友達だと思っている節がある。
「いやな、お前たちの勉強法、結構職員室で問題になって、道徳はこうじゃダメだって、最終的には副校長の鶴の一声だった。私はお前たちのやり方も1つの解答だと思うがな」
「別に形式が変更になることに異論はないっすよ。それがある意味で正しいとも思いますし」
大白先輩の言葉に、顧問は頷く。
「そうか。蒼井の言う通り、どうやっても無理かもしれないがな、試験で道徳感を測るなんて。私は教師だから、諦めるわけにはいかないが」
「先生も大変ですね」
紅林さんはそう言った。僕もそう思う。諦めるなよって言われても、ならどうしろって言うんだという感じだと思う。
「そうだぞ紅林。教師ってのは大変なんだ。激務なんだ。だからな、少しは今村先生の言うことも聞いてやってくれ。蒼井もだ。クラスの勉強会、出てやれ、優等生。では、私も激務に戻る。じゃあな」
顧問も去り、パソコン室は元どおりの4人になった。
「勉強、再開しますか」
紅林さんの一言で、僕たちは元の状態へと戻り出す。
「そうだね、蒼くんをぶっ倒さないといけないからねっ」
「負けませんよ。いや、部長には負ける気もしますが」
「それは、俺には勝てるって意味か?」
「同学年の紅林さんに勝たないと、他で勝つのは難しそうではありますね」
「私、今度は負けませんから」
「紅ちゃんはわたしが勝たせる!」
こんな具合に、副校長その他の話は聞き流すのだった。