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8話 アンチ道徳教育


 3号館の7階。そこにある教室には、ポスターがびっしりと貼られ、そのポスターの前にはスタッフの腕章をした人が立っている。


「個々で気になるのを見るってことでいいっすか?」


「うん、それでいいんじゃないかな」


 という運びで、僕たちは別れることになった。教室の前には、その教室で紹介されている研究室の大まかな分野説明が貼ってある。僕は特別見たい分野があるわけでもないので、端から目を通して行くことにした。初めの教室は地球科学系の研究室のようだ。


 ポスターを見つつ、時々大学生からの説明を受ける。だが、どの分野に対しても、特別な興味が湧かない。


 どれもそれなりには面白く感じる。知らない知識が得られると、『へぇ』と感心する。だが、それだけ。自分でそれを勉強したいとは思えない。


 僕にはやりたいことがない。


 大学を選ぶにあたって、これは致命的だ。


 やりたくないことを4年間勉強するのは苦痛だろう。


 そんなことを考えつつ、ポスターを眺める。次の教室は理学教育系。相原さんの道徳教育もここに入るのだろうか……?


 『理科の授業における実験に関する研究』、『幾何分野の授業で利用するICTの開発』そんなポスターに並んで、それはあった。


 『道徳教育とは何か』


 そのポスターに、僕は目を通す。


 そこには、できるだけ理路整然と『道徳教育』というものを捉えようとした文章があった。『道徳』ではなく、『道徳教育』を。


「興味ありますか?」


 ポスターの文章に目を走らせていると、その前に立っていたスタッフに声をかけられた。髪の長い女性だ。赤いフレームの眼鏡をかけている。


「あっ、はい。自分は道徳なんて授業はいらないと思っているタイプの人間で、だからこそ、それの研究っていうのがどういうものなのかは若干の興味があります」


「おっ、高校生かな。学校の道徳の授業に思うところがあるんだ。よかったら、アンケートに協力してくれないかな?」


「えっと、それ、たぶん回答済みです。相原さんってこの研究室の人ですよね?」


 そう言うと、アンケート用紙を出そうとしたこの人の手は止まった。


「相原くんの知り合い?」


「いえ、知り合いというわけでは。今日初めて会って、少しお話をして、アンケートに答えただけです」


「……相原くん、ちゃんと仕事してたんだ。サボってるだけかと思った」


 そう呟くのが聞こえた。相原さん、あまり真面目な人ではないようだ。


「君、何年生? うち受けるの?」


「まだ高1で、志望校はまだ」


 まぁ、ここ受けることはないのだろうけれど。


「そっか。教育に興味あるの?」


「いえ、全然」


 その言葉が口をついて出ていた。


「あっ、そうなんだ。うちのポスターを熱心に読んでたから、教職志望なのかなぁって」


「教員になりたいとは思いませんが、教育、特に道徳教育がどのように捉えられるかには興味があります」


 女性は「あぁ」と得心したような顔をする。


「君、アンチ道徳教育なんだ」


 アンチ道徳教育……? 確かに、道徳教育のアンチだと言われれば、そうか。そうだな、確かに。


「まぁ、確かにそんな感じの考え方かもしれません」


「そうはっきり言えるの、いいね。実は、あたしもアンチなんだよね、道徳教育の」


「……いや、あなたってこの研究室の人なんですよね?」


「うん、そうだよ。道徳教育について研究してる三船研のM1。加えて、道徳教育の、ううん、現行の道徳教育の超アンチ」


 現行の道徳教育のアンチ。それはつまり、より良い道徳教育があるはずだと確信しているということだろう。ならば納得ができる。


「高校の時は、なんだこの無駄な授業って思ってたんだよね、君もそうじゃない?」


「似たようなものではありますね」


「だよねー。それで、これはあたしが変えてやらねばーって教育系に進んだの」


 それは理解しがたい。嫌いなものに自ら突っ込んでいこうという心持ちが理解できない。


「ねぇ、現役の高校生の生の声を聞かせてよ。今の道徳教育のどこが具体的にダメだと思う?」


 そう言われると、どう答えればいいのだろう。まず間違いなく、試験で成績評価をする点はおかしいと思っている。だが、それ以前に。


「学校で道徳を教えてやろうっていうこと自体がおかしいと思っています、僕は」


 そう。道徳教育というものの存在自体を、僕はきっと認めていない。道徳を、教科書を読み、教師の説明を聞いて理解するものだとは思っていない。


「おっ、完全否定か、ますますいいね。別に、道徳の成績が悪くてやっかんでいるわけじゃないでしょ?」


「道徳の成績は誰でも5だと思いますよ。そういう試験ですから」


「確かに、道徳が内申に響くことに、今の教育現場は及び腰だからね。試験はどうでもいい丸ばつ?」


「80点分はそうです。で、80点取れば5が返ってくるらしいです」


「ふーん。じゃあ、残りの20点は?」


「記述ですね。学習指導要領を暗記しているかを試すような問題ですよ」


 その答えに、この人は「うわぁ」とでも言うような顔になった。


「その記述問題って、採点基準みたいなものがあって、これが書けているから加点、これがないから減点みたいな? そりゃないよ。君もアンチになるわけだ」


「採点方法が公開されているわけではないですから断言はできませんけど、そんな感じだと思います」


「現場がそうなっちゃうのはわからないでもないんだけど、生徒がそれを悟ってる時点でちょっとなぁ。そうなると、道徳の試験対策とか言って、指導要領暗記する人が出てきかねないじゃん。もうそれ、全くもって道徳じゃないっていうね」


「まぁ、僕がその試験対策のために指導要領暗記している生徒なわけなんですけど」


「あはは」と笑みを浮かべられた。


「君は筋金入りのアンチ道徳教育な訳だ。ねぇ、君の学校とか、試験対策とかの話、もっと聞きたいな。LINE交換してよ」


「はい? LINEですか?」


 知り合ったばかりの大学院生にLINE交換を迫られるって、何で?


「うん。君は、あたしの研究にとって役に立つ人材だよ。その道徳教育に対する冷めた視線、いいよ。ねっ」


 彼女はスマホを取り出して、こちらにも出すように促す。僕、この人の名前も知らないんだけど。


「えっと……」


「いいじゃんLINEくらい」


「む? 蒼くんがナンパされてる?」


 タイミングよくというか悪くというか、先輩が入室してきた。


「誰? 妹?」


「妹じゃない!」


「高校の先輩です」


 割とよくあるやり取りをしてから、先輩を簡単に紹介した。


「ふーん。じゃあ、君もアンチ道徳教育?」


「とういうより、アンチ学校教育!」


 先輩はこの人に敬語を使う気はないようで、タメ口で話し出した。


「おぉ! それもいいね。君もいいよ。気に入った。2人ともあたしと友達になって色々教えてよ。ほら」


 スマホにQRコードを表示させてこちらに向けてくる。さて、先輩はどうするのだろう。僕は判断を先輩に丸投げすることにした。


「別にいいよー」


 先輩、当たり前のように受け取って、当たり前のように友達登録を済ませた。そっか。そうなんだ。


「蒼くんも紹介しとくね」


 そして当たり前のように僕を紹介し、結果僕のLINEも相手方に伝わることになった。


「ありがと。えっと、蒼井と真っ白ね」


 LINEの友達かもの欄には新たに"サラ"という人物が追加された。


「サラさんですか?」


「うん。サラって呼んでくれればいいよ」


「えっと、苗字は?」


「そんなのなんでもいいじゃん。苗字はサラで、名前もサラ。サラサラですってことで」


 あー、この人も結構な変人っぽい。


「サラサラ。じゃあ、わたしも真っ白で!」


 先輩のLINE名は"真っ白最高"。本名を知っていれば納得なのだが、初見では意味不明だろうに。


「サラさんですね。本名言いたくないなら、別にいいですよ。はい」


 それから僕たちはサラさんと少し雑談をしてから、紅林さんと大白先輩と合流して、3号館を後にした。


 先輩はサラさんのことをいたく気に入ったようで、大学での友達1号を手に入れたと上機嫌だった。



 花火が上がるからという理由で19時まで残るほど、僕たちは花火というものに情緒を感じるタイプではなかった。


 18時前には解散し、僕たちは帰路へとついた。……はずだった。


『真っ白最高: 蒼くん、2人でもうちょっと回らない?』


 駅で散会した直後、そんなLINEが先輩から送られてきた。個人LINEでだ。なぜ?


『蒼井: なぜ2人で?』


『真っ白最高: ちょっとね』


 なんだ、ちょっとって? これが僕と先輩という組み合わせでなければ、恋愛小説のような展開の可能性も考えた。しかし、僕と先輩の組み合わせとなると、そんな展開よりも突如エイリアンが襲撃してくる方がまだあり得そうだ。


『蒼井: 別にいいですけど、改札まで戻ればいいですか?』


『真っ白最高: うん!』


 さて、一度通った改札を、同じ駅で出ようとするとどうなるんだったか。エラー音、鳴ってしまうんだったかな。そんなことを気にしつつ、僕は改札へと戻った。


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