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6話 道徳教育を専門に


「お祭りの方も、結構賑わってるもんなんだねー」


 4人揃って買ったチヂミを食べながら、僕たちはベンチに座ってお祭りの様子を離れた場所で見ていた。


「それでもやっぱり内輪受けって感じではありますけどね」


 客の大半は同じ大学生。ノリも接客という感じではない。もはや押し売りだ。


「書き入れ時はもう終わってるからね、強引に売ってるなー。大くん、一浜の文化祭でもお昼時過ぎるとこんな感じだったの?」


「いや、文化祭の時は、少なくともうちのクラスは赤字にはならないように仕入れを控えめにしたっすから、すぐ売り切れた印象っす」


「ふーん」


 そんな感じの雑談をしながらボーッと喧騒を眺めていると、1人の大学生らしき男がこちらに近づいてきた。チェックシャツに黒メガネ。これはこれで、とても大学生らしい感じがする。


「ねぇ、君たち高校生?」


 なんだ? キャッチセールス?


「はい! 高校生!」


 即座に先輩が返答した。小学生呼ばわりされたくないのだろう。


「えっと、僕、教育学専攻でさ、ちょっとアンケートに協力してくれないかな? 簡単なアンケート、すぐに終わるからさ」


 時計を確認すると、次の講義まで15分を切っている。もうすぐ移動を開始した方がいい。


「すみません。研究室紹介の講義に行く予定で、そろそろ移動しないと……」


「15時から? 小川研究室かな?」


 確かに、僕たちが受講予定なのは小川研究室の研究室紹介だ。


「ええ、まぁ」


「なら案内するよ。僕、卒研は小川研だったんだ。アンケートは、講義が終わった後に気が向いたらってことで」


 別に断る理由もなく、流れのままにこの人に案内をしてもらうことになった。


「一応自己紹介しておくね。僕は相原 閃。教育学専攻の修士1年。特に道徳教育を専門に研究、いや、まだ研究っていうより勉強かな、道徳教育を専門に勉強してる」


「真白 菜子です。来年、この大学の生命科学科に入学する予定です」


 先輩はぺこりと頭を下げた。案外礼儀正しい。


「俺、大白 空也っす。まだ高2っす」


「蒼井 陸斗です。高1です」


「紅林 葵です。同じく高1です」


 僕たちも先輩に習って頭を下げた。


「4人は部活が一緒とか?」


「はい、文芸部です」


 雑談をしつつ歩く。向かう先は6号館だったか8号館だったか、偶数だった気がする。


「文芸部か、いいね。僕の高校にもそれがあったら入りたかったなぁ。学年を超えて部のメンバーで学祭に来るって、仲良いんだね」


「アットホームで和気藹々としたブラックな部活です」


 先輩は元気よく答えた。その言い回し、本当に気に入っているんだな……。


「ブラック? 休日に学祭に行くのが強制されたりかな?」


 相原さんは苦笑気味に言ったのだが、


「はい、強制しました」


 先輩は笑顔でそう返した。


「マジか。実は他の3人はうちの大学に興味なかったり?」


「俺は受けようとは思ってるっす」


「僕はまだ志望校とか全然決まってなくて、今日はそれを決める参考にしようかなと。別に嫌々来たわけではありませんよ」


「私もそんな感じです」


「そっか。元治大はいい大学だと、学生である僕は思うよ。まっ、それに関しては僕なんかがプレゼンするより、講義を直に聴いた方がよっぽどいいよね。さて、8号の3階であってたよね?」


「はい、833教室らしいです」


 相原さんの質問に、先輩はノータイムで返答した。たぶん、案内なんていなくても、地図すら見ずにたどり着けたのだろう。


「じゃ、ここの3階だね。……833ってゼミ室じゃん。かなり狭いよ。20人は入れない、15人いたらもう狭いんじゃないかな」


 これまでに受けた2つの講義はそれなりに大きい教室だった。小川研究室、冷遇されているのだろうか……。


「まっ、例年あんまり人が来ないからね。と言っても、15人くらいは来そうだけど。今年は何やるの? 去年は論理学だったけど」


 僕たちは8号館へと入り、エレベーターを待つ。


「『論理について』って題名です」


「今年も一緒か。まずタイトルの付け方が下手っていうか、工夫がないよね。もう少し高校生が興味を持つような感じに、ね」


 エレベーターが開き、僕たち5人はそれに乗り込む。僕たち以外の利用者はいない。


「単純明快な感じ、わたしは好きですよ」


 先輩は、名前で優先されるべきはわかりやすさだと言っていた覚えがある。


「なるほど。さて、ここが833教室。じゃ、終わって、アンケートに答えてくれる気が少しでもあれば、さっきのベンチのあたりに来て。僕はあの辺にいるからさ」


 僕たちはありがとうございましたと一礼して教室へと入る。今更だが、雑談していた時間でアンケートくらいできたのではないだろうか。



 今度は簡単過ぎる……。


「では、これを使う例として、空集合が任意の集合の部分集合であることを証明してみましょう」


 やっていることが当たり前過ぎる。ノートを取る手は最初から止まったままだ。


「ここで、部分集合であることの定義を論理記号を使って書くと——」


 数学か。厳密性は他の学問とは比べ物にならない。そういう面では、僕にあっているかもしれない。この講義が面白くないのは、全部知っている話だからだし。


 だが、仮に大学で数学を学ぶなら、その後に何を目指すのかが皆目見当がつかない。数学科って卒業した後は何になるんだ? 今から就職なんて考えるのも嫌になるが、大学を選ぶなら、その先の就職を考えないわけにはいくまい。


「——今日の講義は、大学数学で最初に学習する基礎の基礎です。数学はまずは道具を揃えて、それから面白いところに斬り込んでいく学問ですから、道具を揃える段階は結構つまらないです。なので、今日の講義がつまらなかった人も数学に向いてないわけではありませんよ」


 そんな締めの言葉で講義は終わった。なら、面白い部分の話をしてほしかった。今の講義、例えるなら、RPGのPVでレベリングの様子ばかり紹介されたって感じか。それで面白そうに見えるわけがない。


 主に3つの講義を受けたわけだが、どれもピンと来なかった。まぁ、2番目は最悪で、文学系に進むのはやめようと思えたけれど。これでも文芸部なんだけど。


「この後どうする? アンケート行く?」


 別に、他にやりたいことがあるわけでもない。


「親切にしてもらいましたし、アンケートに答えるくらいいいんじゃないですか?」


「大くんと紅ちゃんは?」


「俺もいいっすよ」


「私も、無記名なら大丈夫です」


 ということで、僕たちは昼食を食べたベンチへと戻ることにした。もう16時を過ぎるが、学祭はまだ終わる様子を見せていない。何時までなんだ? 高校の文化祭よりはだいぶ長いようだ。


 ベンチまで着くと、そこに座って団子を食べている人がいた。相原さんだ。


「ん、んー」


 相原さんはこちらに気づくと、口をモグモグとさせながら、手を振ってきた。僕は会釈でそれに返す。先輩は手を振り返し、紅林さんは僕と同様、大白先輩は手を挙げるにとどめた。


「どうだった、小川研」


 どうだったかと訊かれて、つまらなかったと返すのは些か気がひける。でも、そんなことは気にしない人がこの中にはいる。


「なんか、知っている話がほとんどで、物足りなかったです」


 先輩にしては穏やかな言い方だった。『つまんなかった!』と斬って捨てるように言うかと思った。


「あー、それはあるかもだね。去年と同じことやったなら、あれは本当に基礎の基礎で知らないとどうにもならないことだけど、高校生でも知っている人は結構多いからね」


「相原さんは元々は数学を専門に?」


 先輩の質問、相原さんはうーんと唸る。


「数学っていうよりは、数学教育だね。学部時代は数学科の理数教育コースだった。でも、道徳教育の授業を受けて、そっちにどっぷり浸かっちゃってね。で、今の専門は道徳教育ってわけ」


 道徳教育。僕は、それに対してこの半年間、噛みつき続けてきたように思う。道徳観は試験で測れるようなものではない。そう言い続けてきた。この人はその道徳教育を専門に研究している。一体、何を、どのように。


「さて、来てくれたってことは、アンケートに答えてくれるってことでいいかな?」


「そのアンケートって無記名ですか?」


 紅林さんが気にしていたことを、代わりに先輩が尋ねた。


「もちろん。あっ、回答用紙を僕に渡したんじゃ無記名の意味がないよね。書き終わったら、この束の中にテキトーに混ぜてくれればいいよ。これで匿名性は大丈夫かな?」


 相原さんは回答用紙の束をこちらに見せて言った。その条件でも、やろうと思えば回答者の特定はできる気はするが、そんなことをする理由もないだろう。


「わたしはそれでいいけど、紅ちゃん、どうかな?」


「はい。大丈夫です」


 そして僕たちは、アンケート用紙を受け取った。


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