1話 勉強会
第2章開始です。
中間試験に関する諸々が終わってから1週間が経った。
この1週間の学校生活は、それはもう、この上のないほどに平凡な1週間だった。
「もうすぐ期末試験だねっ」
部活中、部長がそう言い出した。実際、2週後には期末試験らしい。
「去年も思ったっすけど、1学期って中間と期末が近すぎっすよ」
大白先輩がため息混じりに言った。その意見に心から賛同する。まだ、中間試験が終わってから授業はほとんど進んでいない。
「蒼くんと紅ちゃんは気をつけてね。今週1週間で、怒涛のように授業進むから。1年で、この1週間が1番授業進度がはやーい。もう、びゅわぁあって感じだよ」
そんな無理をするなら、体育祭なんてやらなければいいのに。
「蒼井と紅林なら大丈夫だと思うっすけど」
「そだねー、2人は優秀だからねー」
「そんなことないです」
優秀と言われて、紅林さんは即座に否定した。謙虚は日本人的な美徳だか。
「5科目で学年トップ取ってる紅ちゃんがそう言ってもなー。それだと、1年生に優秀な人なんていないことになるよ」
試験で点数を取れるという点で見れば、紅林さんは間違いなく優秀で、それは客観的に示されている。それを否定することは、一部からは嫌味だと言われるだろう。僕は言わないけれど。
「合計点は蒼井くんの方が上です」
合計点を比べたところ、確かに僕の方が上ではあったが、たった3点差だ。ここで僕を引き合いに出さないでほしい。
「試験で点を取るという面で言えば、部長が1番優秀でしょう」
「もちろん。わたしは優秀さっ!」
ドヤ顔である。部長に日本人的な美徳を求めても仕方がない。
「2人はそんな優秀なこのわたしの自慢の後輩なんだから、優秀なのさっ!そうじゃないと困る」
何に困るというのだろう。意味がわからない。
「人として優秀かはともかくとして、試験で点を取る能力に秀でることは先の試験で示されましたね」
「蒼くん、言い方が回りくどい。蒼くんって、優秀の定義がなされてないとか真面目に言っちゃう人かぁ」
実際にそういう人なので、ここで否定はしない。部長から呆れられた顔をされるのは少し気に入らないが、仕方ない。
「それよりさ、期末テストでもなんかやろー」
「もう、ジュースは奢らないっすよ」
部長が言うなり、大白先輩がすぐに否定した。結局、大白先輩は僕たちにジュースを奢る羽目になったのだ。主に部長のせいで。
「えぇー。今度は大くんが勝つかもしれないよー?」
「この4人で勝てるわけないっす。俺、日本史とか古典とかで1位取るのなんて絶対無理なんで」
「ふっ、文系弱者め」
部長は吐き捨てるようにそう言った。何かのネタなんだろうが、出典がわからない。
「俺は私立理系志望なんでいいんす。部長みたいに国立行く気はないんで」
「えっ、わたしも私立だよ?と言うか、指定校だよ」
部長はさも当然のように言った。部長の学力ならレベルの高い国立でも狙えそうなものだが。まぁ、指定校ならおそらく確実に取れるのだろうけれど。
「部長なら国立だって狙えるっすよね?」
「大学の選び方なんて人それぞれでしょっ」
「まぁ、そりゃそうっすね」
この部長がどういう基準をもって大学を選ぶのかは、少し気になる。
「そんなことより期末テストだよ。期末テスト。なんかないとつまんなくて勉強やる気出ないじゃん。それで成績が落ちて指定校取れなかったら大くんのせいだよっ!」
「それ、八つ当たりじゃないっすか……」
すると、部長が「あっ」と言って手を打った。あからさまに、何か思いつきましたよという態度だ。
「じゃあ!期末テストで取れた消しゴムが1番少なかった人が、夏季合宿の計画を立てるってことで」
部長は、どうだ名案だろうという顔をしているのだが、夏季合宿って何だ。その計画を立てるのはおそらく顧問の仕事だろう。
「合宿って部活としてですか?学校を通して、正式にということでしょうか?」
紅林さんがそう尋ねた。部長はすぐにオーバーに首を横にブンブンと振る。
「ううん。先生が来るのは嫌だし、単に4人でどっか遊びに行こーって話。形式上の合宿。その企画を、負けた人が立てる」
「夏期休暇中に遊びに行こうって、受験生の発想ではないですね」
ふと、そんな嫌味を言ってしまった。
「なんたって、わたしは優秀だからねっ!受験勉強の心配なんて不要なのだよ」
部長は指定校推薦を取れるだけの成績を取れているので、受験勉強の心配なんて不要なのだろう。
「夏休み、みんなでどこか行きたいじゃん。でも、計画立てるのはめんどくさいじゃん。誰も計画立てないじゃん。流れるじゃん。ダメじゃん! だから、計画立てるのを罰ゲームとして義務化しますっ!!」
そんなわけで期末試験も、中間試験ほどではないにしても、力を入れて勉強することとなった。こんな提案が棄却されなかったあたり、この4人は勉強に忌避感を持っていないことと、夏期休暇中に遊びに行くのは楽しそうと思っていることがうかがえる。
*
「期末テストに向けて、放課後にクラス単位で勉強会を実施します。2組は、中間テストの出来も悪かったらしいので、ぜひ参加してください」
帰りのHR時、学級委員がそんなことを言った。まさか学級委員の発案でもあるまいし、担任が糸を引いているのだろう。案の定、その発言の後を、担任が引き継いだ。
「2組には中間テストで赤点を取ってしまった人もたくさんいます。皆さん、わかってますか? 皆さんは今、後がないんですよ。勉強会には、私を含め、各教科の先生も、時間が空いた時に顔を出してくださることになっています。中間、期末と赤点を取れば、夏休みに補習か、最悪の場合は留年ということになりますからね。清水くん、続きを」
「えっと、勉強会は今日からテスト最終日まで、毎日行う予定です。参加できる日だけでいいので、参加してください。あっ、場所はここです。えっと、以上です」
どこか申し訳なさそうに、学級委員は席に座った。
クラス単位で行う勉強会。担任の口ぶりから、常に教師が張り付いているわけでもなさそうだし、おそらく、ワイワイガヤガヤと雑談するだけの時間になってしまうのだろう。参加する必要なんてない。
今日は部活もないので、HRが終わってすぐに帰宅しようと席を立った。すると、担任がこちらを見て手招きをした。さすがに無視をするわけにもいくまい。
「なんですか?」
「蒼井くん、今日は帰ってしまうんですか?」
「ええ、今日は部活はありませんから」
僕はごく自然に答えた。部活がなければ帰る。僕にとってはそれがもう当たり前になっている。
「用があるわけでないなら、勉強会に出てはどうですか?」
担任の言い方は提案をするというよりも、命令をするような印象を受けた。まぁ、命令であっても従う必要はない。
「家で勉強する方が集中できそうなので」
「勉強方法として1番効率の良い方法はなんだか知っていますか? それは、人に教えることです。勉強会で他の人に教えることをすれば、さらに蒼井くんの能力を伸ばすことになると思いますよ」
なんかもっともらしく言っているが、つまりは勉強会で教師役をやれという話だ。もちろん、そんなのはお断りだ。
「大人数で賑やかに勉強というのは、僕には合ってないんですよ」
「蒼井くん、クラスのみんなとは上手くやれていますか?」
唐突だった。唐突だったから言葉に詰まった。だが、上手くやれているかという質問への返答は決まってる。
「はい。クラスメイトとの関係に問題はありません」
トラブルは発生していない。問題はない。
「そうですか。気が変わったら勉強会にも出てみるといいでしょう。きっと、みんなともっと打ち解けますよ」
僕は担任に一礼して帰路についた。
おそらく僕には友人がいないと思われている。実際、友人と言われて躊躇なく名前を挙げられる相手はいない。紅林さんや大白先輩は友人であるのかもしれないが、最初に友人として挙げるのが異性や先輩なのはどうなんだと思う。
つまり、担任は僕の交友関係を心配していて、その心配は概ね正しい。しかし、別に僕自身としては不満も不自由もない。交友関係が狭いことは僕の個性だと担任に認めてもらいたいものだ。個性は尊重すべきだと道徳の授業で言っていただろうに。
*
期末試験の実施日は、7月2日から5日までの4日間。すでに2週間を切ったわけだ。
期末試験は中間試験よりも科目数が多い。芸術科目と体育は筆記試験はないが、他の科目は試験が実施される。具体的には、中間試験の科目に加えて、家庭科、保健、情報。したがって、中間試験以上に勉強が必要になる。
しかし、すでに大抵の科目に関して傾向がわかっているおかげで、中間試験の時よりも楽に勉強ができている。何を対策すればいいかがわかることは大きい。
慢心してはならないが、現時点で中間試験並みの結果を出せる自信が僕にはあった。試験範囲の6割は中間試験と被っているということが大きな理由ではあるが。そもそも日程にかなり無理があるのだ。授業がいつもよりに早く進んでも、限界がある。1ヶ月弱では、2単位ものの授業なんか8回しか授業がないのだから、大して進まないのは仕方がない。
試験で優良な結果を出すことは恐らくできる。問題は学年トップとなれるか否か。つまり、消しゴムを獲得できるか否か。最大のライバルは間違いなく紅林さんだ。部内の勝負、1年生のみが2人いるという時点で不利だ。同率1位でない限り、僕たちは2人で最大11個。どちらか一方は5個以下になる。部内の勝負に負けないためには、紅林さんに負けないことが重要だろう。
そう思うと勉強するモチベーションが湧いてくる。僕はわりかし負けず嫌いのようだ。まぁ、勉強に限るわけだが。
*
「昨日の勉強会の参加者は6名でした。皆さんもそれぞれ予定などあるとは思いますが、もっと多くの人が参加してくれることを期待しています。何せ、期末テストでまた赤点を取れば、夏休みがなくなりますからね」
昨日と同様に、担任は勉強会への参加を訴えた。
昨日の参加者は6人。まだ期末試験まで1週間を切っていないことを考えると、かなり多いのではないだろうか。留年や夏休み返上がかかっている人がどれほどいるのかわからないが、意外とこのクラスは、勉強もやる時はやるらしい。
と、他人事として感心はしたが、参加する気はない。今日は部活がある。内容は同じく勉強会な訳だが。
HRが終わり、荷物を持って席を立つ。すると、担任が話しかけてきた。昨日と全くもって同じように。
「蒼井くん、勉強会への参加は?」
やはり命令のように聞こえる。もちろん参加するよなと言外に言われている気がする。いや、それはきっと僕の考え過ぎだ。
「今日は部活があります」
「……なら、仕方ありませんね」
担任は、いつぞやの黒崎さんとは違ってすぐに引き下がった。ただ、すぐに引き下がったからこそ、このやり取りが今後も試験日まで続きそうな気がしてしまう。
答えが決まっている問答なんて時間の無駄なのに。