15話 期待を裏切るのは、怖い
試験前日。そして火曜日。
僕としては、試験勉強は十分にした。どの科目も、満点を取れるだけの勉強をしたと思っている。その心の余裕を保つ意味も込めて、僕は件の勉強会へと参加していた。
参加者はこの前のメンバーに百瀬くんを加えた5人。男女5人でマックで勉強会というのも、リア充みたいで僕には似合わないな。
「試験前日ですよ?」
勉強会の中、僕はそう言っていた。
「私だって、ここまでは完璧に覚えてきたんだから。頑張ったんだよ」
佐伯さんは世界史の教科書を開いてこちらに示す。そこにはマーカーが引かれ、勉強したんだということを証明しているようだった。だが。
「それ、試験範囲のうちの半分なんですけど。残りは……?」
「一応読んだ!」
ダメだな、これ。そう思った。後1日で試験範囲の半分を暗記する? 無理だ、そんなの。いや、それが問題なくできる人はいるとは思う。でも、佐伯さんはそのタイプではない。
この勉強会、僕は2回しか出てないのでわからないが、意味はあったのだろうか。佐伯さんの現状を見るに、甚だ疑問なのだが。結構な頻度で勉強会に出ていたらしい百瀬くんに目線を向けると、彼は苦笑いをした。
「いつもは理系科目の勉強をしてたんだ。世界史は暗記だから、1人でも大丈夫な科目だと思ったんだが……」
百瀬くんはそう言った。現状を見る限り、大丈夫ではない。
「私はあかりんよりはマシだからね!」
御堂さんはそう宣言する。よりはマシ、か。
「響子は世界史得意じゃん。私は世界史苦手なの」
「あかりんの得意科目って何?」
「うーん、えっと、道徳?」
「私だって、点数で言うなら道徳が1番だよ」
「それもそっか」
そして、2人であははと笑い合う佐伯さんと御堂さん。何が面白いというのだろう。さっぱりわからない。
「道徳が1番厄介だと思いますけどね」
そう一言言うと、
「それ、蒼井くんっぽい」
「蒼井くんって道徳苦手そうだよね。勉強でどうこうなる科目じゃないから」
などと言われた。苦手ではあるが、あなたたちよりいい点を取っていると思った。言わないけど。
それと、道徳だって、勉強でどうこうなる科目だ。
「それが、道徳も勉強でどうにかなる、らしいよ」
紺野さんがそう発言していた。
僕は勉強会にはあまり参加していなかったが、一応この1週間、質問をされれば答えてはいた。佐伯さんや御堂さんは質問にはほとんど来なかったが、代わりと言ってはあれだが、紺野さんには色々訊かれた。道徳の勉強法も話した気がする。
「そうなの?」
そして、視線は僕に集中する。
「望まれている解答の傾向がわかれば、それに即した答案が作れるのは当然ですよ」
そう返すとすぐさま、
「また、頭良さげな言い方で誤魔化すー」
と言われた。別に誤魔化しているつもりはない。
「学習指導要領を読めば、こういう風に考えさせたいんだなってわかりますから、それに合わせて答えを作ればいいんですよ。結構面倒な対策が必要で、そこまでして対策しても80点が95点になるくらいですけど」
実際、80点でも成績では5がつくのだ。必死に勉強する必要は全くない。消しゴムを集めるだとか、平均点で勝負するとか、そんなことをしていなければ。なので、
「テストガチ勢怖いねー」
「ねー」
と怖がれてしまったことにも異論はない。意見をするのであれば、ほとんどのことに関して、ガチ勢ってのは怖い。
「ちょっと、質問してもいいですか?」
紺野さんはそう言ってこちらを見た。紺野さんのこの言葉は、この1週間で聞き慣れた。紺野さんは質問をする時、大抵この文言で許可を求める。
「はい。何ですか?」
「蒼井くんって、何を思って勉強してますか?」
なんとも返答しづらい質問が来た。
「何を思ってというのは、モチベーションということですか?」
「えっと、はい、そうです」
「それ、私も興味あるかも。なんでそんなに勉強する気になれるの?」
また視線が僕に集まる。大層な理由なんてないのに、そんな興味を持たれても困る。
「考えることや、知識を得ることが好きというのはあると思います。でも、試験のための勉強というのは、やりたいことばかりでもないので、楽しいから勉強しているとは言えません。まぁ、単に怖いんですよ。試験で悪い点を取るのが」
「怖いって、親に怒られる的な?」
佐伯さんの言うことは、的外れではないにしろ、正しくはない。
「怒られはしないと思いますよ。ただ、僕を見る目は変わるでしょう。なんといっても、勉強は僕の片翼ですから。それが認められなくなるということは、僕は半身を失うということで、それはとても怖いですよ」
僕は別に暗い口調で言ったわけでも、ことさら明るく言ったわけでもなく、普通に、今日はいい天気だねとでもいうくらいのつもりでそんな話をした。
自分が打ち込んだことへの否定。それを恐れるのは普通だろう。否定されるのが怖いから、さらに打ち込むしか道がなくなる。気づけば、それをしないことが恐ろしくなっている。それは極々普通のことだと思う。
そんな極々普通のことを言っただけなのだが、周りの空気がなんとも言えないものになった。
「確かに、俺も、サッカーが下手になった自分を想像すると怖いから、サッカーを練習するってところはあるかもしれない」
空気が固まった時になんとかするのは百瀬くんだ。彼のことを、僕はただすごいなと思う。沈黙が訪れた時に、僕は自分からそれを破ろうとは思えない。
「そっか。私も、文化祭でみんなが楽しめないのが怖いって思えてれば、もっと頑張れたのかな」
なんで、そんな話題になる? 場の空気が重くなっていく。別に、さっきの話に場の空気を重くしてやろうなんて意図は全くなかったのだが。
「文化祭のことを振り返るより、明日の試験のことを考えた方がいいと思いますよ。佐伯さん、世界史赤点ありえますよ」
とりあえず話を変えよう。ため息をつくように言った。まるで語尾に、僕には関係ないけど、とつけるように言った。
「世界史って何日目?」
「明日です」
「うわぁあ、なんとかしてよー。助けてよー」
佐伯さんは露骨に取り乱して見せた。こういうところが、なんとなく先輩に似ているんだよな、この人。
「世界史は暗記科目ですが、歴史というのは、大抵は必然性から成ります。なぜそれが起こったかを考えると、暗記しやすくなると思いますよ」
「頭いい人の覚え方より、1日でなんとかなる語呂合わせ的なのを教えてよ」
効率のいい暗記法を教えようというつもりだったのだが、すぐに否定されてしまった。別に落ち込むことはない。そして、僕は語呂合わせというやつを使わないので、要望には答えられない。
「地道に暗記だな。俺の作ったノートと単語カード、使う?」
「百瀬さまー」
佐伯さんが雑談をやめて勉強に移ったことで、僕たちも勉強を始める。百瀬くんが佐伯さんと御堂さんの相手をしてくれたので、僕は紺野さんの質問に答える形で復習をすることができた。紺野さんのしてきた質問はいいところをついていて、復習にもってこいだった。こういう言い方をするのは悪いが、佐伯さんや御堂さんではこうはいかないだろう。
解散する頃には、2人と3人に完全に分かれていた。
「期待を裏切るのは、怖い、ですよね」
それは紺野さんとの雑談だった。
「そうですね。特に、自分が自分自身にしている期待を裏切るのは」
「私は、他人がしてくる期待を裏切る方が、怖い、です」
「なるほど」
僕としては紺野さんの言うことには納得しづらいが、それが紺野さんの価値観なのだろうと納得して頷く。
「私は、蒼井くんにそういう感覚はないと、前は思ってました。蒼井くんは、周りの目なんて気にしない人だと、勝手に思ってました」
他人への興味が薄いという点において、それを否定するつもりはない。
「好き勝手やっている方ですから、そう見えるでしょうね。まぁ、他人からどう思われようが、気にしなくてもいいとは思いますよ」
自分自身、本当にそう思えているのか、それには少し自信がなかった。僕は先輩ほど超然とした態度は取れない。
「前は、蒼井くんのことを身勝手な人だと思ってました。すみません。でも、今は、期待に敏感な人なのかなって思います」
「えっと?」
意味がわかりかねた。
「体育祭とか、文化祭とか、蒼井くんは、黒崎さんたちからの、来ないでって期待を感じてたのかなって。勝手なこと言ってるかもしれません。すみません」
目の前の、真面目と言って差し支えのない人を否定するのは気がひけるが、そうではないだろう。
「僕が身勝手なだけですよ」
僕のしてきた選択の理由が、他人からの期待に応えるためなんて、納得できるわけがない。僕は、僕の意思で行動してきた。そのはずだ。
「私の中では、この1週間で蒼井くんのイメージはいい方に変わりました。上から目線な言い方ですみません」
僕がこの1週間、何をしたというのだろう。ひたすら勉強していただけだと思う。そりゃ、質問には答えたけど、それだけだ。
「ちょっと勉強を教わったくらいでイメージをよくしてたら、そのうち詐欺にあいますよ」
その言葉に、紺野さんは笑みを返すだけの返答をした。この雑談はそれで終わった。




