12話 天才
天才ではない、か。
眠れない夜。僕は滔々と先輩のそのセリフについて考えていた。
例えば、僕は天才ではない。それなりに頭のいい方ではあるのだろうとは思う。勉強に関して言うなら、教科書に書いてあることは、それを読めば、懇切丁寧な授業なんてなくても理解できることがほとんどだ。でも、それをもって僕を天才と形容するのは明らかに間違っている。
なら、同様に、先輩が勉強をできるという理由をもって天才と形容するのは間違いなのだろう。
先輩には、創造性も柔軟性も積極性も満ち足りているように、僕は感じる。でも、それだって才能の証明には足り得ないのだろう。
ならば、天才たる十分条件とは何か。何をもってすれば、天才であると確約できる?
先輩の思う天才とはどういう存在なのだろうか。例えば、わたしなんてガロアと比べれば全然、とか思っているなら、そうですねと言うしかない。
世界には歴史に名を残すような天才がいるわけで、それと比べてしまえば、普通に公立高校に通う先輩が天才ということもあるまい。
天才について考察する必要はないか。ガロアだのアーベルだのについて考えても仕方がない。
先輩は、自分を天才と思っていない。
それがこの意味もない思考のテーマだろう。先輩と天才という言葉。
先輩は天才だと言われることがあると思う。僕だって、あの人を天才と形容してしまいたい。単に勉強ができるから、単に行動力があるから、単に発想が柔軟だから。
先輩はそれに憤っているのだろうか?
自分という存在が、天才などという大層大振りな言葉で形容されることが、許せないのだろうか。
例えば、僕が誰かから、君は天才だと言われたらどうか。たぶん、不快ではあると思う。
君には才能があるから、君は特別だから。その意味は、だから、君と同じことが私にできなくても仕方ないよね、だ。
蒼井くんは頭がいい。その言葉を思い出した。自分は頭が悪い、僕がなんとなく卑屈だと感じる、その言葉を思い出した。
得てして、できる人間にはできない人間の気持ちがわからない。たぶん、逆もそうなのだろう。できない人間にはできる人間の気持ちがわからない。
なら、できるできないの差は何か。
それが例えば、舌をWの形にできるかとか、遺伝的に決まるものならわかりやすいが、大抵のことはそうじゃない。
例を考えるなら、やはり勉強。
僕は勉強ができる。そう言って差し支えない成績を取っている。それは才能によるものであるかと考えるなら、僕は否だと答えたい。
勉強は僕を構成する片翼だ。それに僕は多くの時間と労力を割いている。それを才能という言葉で、そのよくわからない一言で、まるで僕はそうするのが当たり前だとでもいう言葉で、そう形容されたくはない。
それは、例えば、僕のした努力なんかを全否定する言葉ではないだろうか。
先輩が天才ではないのなら、先輩だって努力をしているはずだ。知っている。あの人は勉強熱心だ。その思考だって、それまでに得た知識に裏打ちされるもののはずだ。
ならば、それを才能なんて言葉で表すのは、間違いなのだろう。
この思考に至った以上、僕は先輩のことを天才と思ってはならないだろう。先輩だって、ガロアやアーベルにはおよそ届かない凡人だ。別格の何かではない。
僕はここに至ってやっと、先輩にはきっと勝てないという意識を捨てられたように思う。
天才の例示がガロアとアーベルなのは、自分の知っている短命な天才を挙げた結果です。ガロアやアーベルは努力していないという意味で挙げたものではありません。しかし、このレベルになると才能という言葉を使ってもいいのではないかと思うので。




