5話 対して僕は、真っ直ぐ帰路についた
木曜日、クラスメイトは誰一人欠けることなく登校した。帰りのHR時、担任は立腹していた。
「月曜日、皆さんはなぜ片付けに来なかったのでしょうか」
僕は皆さんという括りに含まれないことは割と多い。今回もこの皆さんに僕は含まれない。だから、僕は担任の話の内容にはさほど注意を払わなかった。ただ、担任の表情を観察していた。激昂しているはずなのに、いつも通りに無表情なその顔を。
「えっと、つい」
なんとなく代表のような形で黒崎さんは苦笑しながら答えた。
担任の表情には変化がないように見える。この人はポーカーが強いのだろう。だが、観察していると違和感がある。おそらくは無理矢理に無表情を作っているのだから、違和感があるのは当然か。
「皆さんは文化祭を中途半端に放り出したんですよ。この中のたった7人を除いて、皆さんは文化祭を途中で投げ出したんです」
担任は淡々とそう告げる。まるで判決文を読む裁判官のごとく。いや、裁判官が判決文を読むところなんて聞いたことはないけれど。ただ、反論は受け付けないという意思を感じた。
「ごめんなさい」
黒崎さんは頭を下げた。続いて、ほとんどのクラスメイトが「すみません」だの「ごめんなさい」だのと言って頭を下げた。これで幕引き。文化祭がやっと終わるのか。
「謝れば、頭を下げれば、それでお終いだと思っていますか? 私は怒っています。いえ、私は失望しています。本当に、残念です。皆さんにとって、文化祭やクラスというものがその程度のものだったのだと思い知らされて、本当に残念に思っています。HRはこれで終わります」
ならばそういう表情を見せてくれと、そうクラスメイトは思っているのではないだろうか。担任はただ無表情で、しかし、怒り、失望したのだと告げる。その怒りの深さが、失望の大きさが、表情が無いので測ることができない。
「私たちは深く考えて休んだわけじゃないんです、ただ、つい」
担任のその失望を理解してなのか、黒崎さんはすぐに撤回の言葉を口にした。しかし、担任はただ。
「深く考える必要すら、感じなかったのでしょう。挨拶を」
そう促され、日直が号令をかける。挨拶は全くもって覇気のない、生気のない、そんな声だった。
担任が退室し、それで放課のはずだったのだが、佐伯さんが教卓に立ったことで帰宅できる雰囲気ではなくなった。
それを気にせずに帰るのが僕なのだが。僕は荷物を持って、当然のようにドアへと向かう。
「蒼井くん、ごめん、できれば待ってほしい。私は、実行委員としてちゃんと文化祭を終わらせたい」
そこに僕は必要だろうか。必要ないのではないか。そう思った。でも、できれば待ってほしいという懇願を無視する理由はないとも感じた。僕は席に戻り、今度は佐伯さんを観察することにした。
「私たちの文化祭は、大成功とは言えなかったよね。お客さんも途切れ途切れだったし、盛況じゃなかった。ギリギリ黒字だったから失敗ではなかったけど、食販としては失敗に近かったかもしれない。それは、実行委員としてうまくやれなかった私のせい。だから、ごめん」
佐伯さんはクラスメイト全員の前で頭を下げた。違う、そうじゃない、そんな言葉が聞こえた。だが、僕にはよくわからない話だ。
僕は、クラスの出し物には一切関わっていない。文化祭当日のクラスの様子を全く知らない。やはり、僕はここにいる必要のない人間だ。
「1番の失敗は、片付けにも行こうってみんなに思わせられなかったこと。文化祭で満足できなかったから、旅行とかで燃え尽きなかったエネルギーを消費したかったんだと思う。みんなを燃え尽きさせられなかった。それが私の1番の失敗」
卑屈だ。そう感じた。そんなことを言われて、そうだと言える人がいるわけがない。そんなの佐伯さんだってわかっているだろう。無茶な理屈で責任を背負い込もうとする姿勢には、正直怒りすら覚えた。この方法は、僕好みじゃない。
「月曜日、7人しかいなかったんだ。そんな気はしてたよ。茉莉たちが旅行に行こうって話してるのは知ってたし、それに乗じて遊びに行こうって言ってる人がいるのも知ってた。でも、内心それでも来てくれるんじゃないかって思ってたんだと思う。だから、月曜日は悲しかったし、悔しかった。正直に言うとね、月曜日、私はみんなのことが、大嫌いになった。本気で全部私が悪いなんて思ってない。みんなが悪い。私はみんなが大嫌いだ!」
一転、清々しい。ストレートに怒りをぶつける。それが当たり前に正しいと思う。怒るべき時に怒ればいいのだ。それは僕好みの姿だ。教壇で憤る佐伯さんの怒りの表情に、それが正しいのだと、そう思っている自分がいた。それをメタ的に捉えて、何様だよと思う自分もいた。
「だから、お願いします。私が納得できる理由をください。私がみんなを許すための、理由をください」
佐伯さんは再び頭を下げて、上げない。クラスに沈黙が訪れる。沈黙の中、佐伯さんはただ頭を下げている。誰も掛ける言葉なんて思いつかないのだろう。ただ、遅々と時間が過ぎる。
これをやったのが部長だったら、演出過多だとツッコんで終わりだ。だが、今の役者は佐伯さんだ。僕はこの役者のことを知らな過ぎる。この沈黙を、僕が破ることができるわけがない。
「まず、頭を上げてくれないか?」
発言者は百瀬くんだった。彼なら、きっと正しく話を進められるのだろう。そんな風に、他人事に、僕は考えていた。
佐伯さんは促されて頭を上げる。その表情からは強さを感じる。悲しみに打ちひしがれているそれではない。意思を持った、次を見据えた、強い顔だ。
「俺たちは、どうすればいい?」
百瀬くんはただ一言、そう訊いた。俺たちが誰を指すのか、僕にはわからなかった。
「月曜日に来てくれた6人は、今どうしたらいいかわからないよね。ごめん。6人は大丈夫。もう帰ってくれてもいい。ただ、一言言いたい。6人それぞれのこれまでがどうであれ、月曜日に来てくれただけで、私はあなたたちが大好きだよ」
佐伯さんは、百瀬くんの言う俺たちを、片付けに参加した者と捉えたようだ。
「私も大好きだー!」
そう言って駆け寄る女生徒がいた。佐伯さんの仲良しさんだ。それに促されて、残り2人の仲良しさんも駆け寄った。
先の佐伯さんの言葉は、暗に、もう帰れと言っているのだろうか。まぁ、帰っていいのなら、帰らない理由もない。
それにしても、たった1日学校に来ただけで好かれるのか。それはそれで気味が悪い。この文化祭の後味が早く消えることを祈るばかりだ。
僕は荷物を持って、今度こそ教室を出る。
「また、明日ね」
佐伯さんにそう言われた。僕は会釈をするにとどめた。ちゃんと会釈をしたことに気づいてくれるといいなと、そう思う自分がいた気がした。逆に、気づいていなければいいと思う自分もいた気がした。
僕は昇降口に向かって、ゆっくりと歩く。外は夕暮れになりかけていた。日が短くなって来たな。
「待ってくれ!」
その声は、ここ数日で聞き慣れてきた声。百瀬くんの声だ。
「なんですか?」
無視したりはしない。足を止めて、振り返る。荷物を持った百瀬くんがそこにいた。彼なら教室に残るのではないかと思ったが、そうではなかったようだ。
「うちのクラス、これからどうなると思う?」
その質問に、僕は答えを持ち合わせない。
「わかりませんよ、そんなこと」
「そうだろうな。今日のこと、これはたぶん、クラスの中に対立の構図を作ることになる」
「佐伯さんと、それに反発する誰かのですか?」
「そうだ」
百瀬くんは真剣そうに頷く。だが、それは僕には関係がない。真剣そうな面持ちで僕に話されても、何にもならない。
「そんなに思いつめた顔をしなくても。いいじゃないですか、ちょっとした喧嘩くらいあっても。佐伯さんには怒る理由があったんですから、その方が健全ですよ」
「他人事なのか、蒼井にとっては」
僕は佐伯さんでも、それに反発する誰かでもない。つまり正しく他人であり、他人事なのは正当だ。
「蒼井は自分の正しいと思うように動くんだろ。素直で真面目だから」
「未来のことなんてわかりませんが、概ね、僕は自分の考えを優先したいと思っていますね」
「俺は、今に限って、蒼井が羨ましいよ。さっき、佐伯さんに対立する誰かって言ったけど、誰かじゃない。茉莉だ。茉莉はあの話し方には納得しない。対立する。わかる。俺はどうすればいい? 茉莉とは友達だ。佐伯さんより、ずっと仲がいい。でも、今回は佐伯さんが正しい。俺は、どっちに味方すればいいんだ?」
なんでこの人は勝手にジレンマ型の道徳の授業みたいな状況に陥っているんだ。ジレンマ型の道徳の授業には明らかにおかしな点がある。それは、答えが二者択一に用意されている点だ。
「したいようにすればいいでしょう。選べないならどっちの味方もしなければいいし、対立を防ぐように奔走すればいいのではないですか。少なくとも、こんなところで部外者を気取ってるやつと話しているより、建設的な行動があると思いますよ」
「蒼井、お前って、実はいいやつなのか? 正直、体育祭から印象はよくなかったんだけど」
僕がいいやつかは置いておくとして、印象がよくなかったというのは、正直だな。まぁ、それが正直なところだろう。僕は体育祭をサボっている。片付けをサボって糾弾されているクラスメイトと同類なのだ。佐伯さんから好かれるべき存在ではない。
「いいやつなわけないでしょう。僕は、面倒くさがりの自己中ですよ」
「そうか」
百瀬くんは僕の前から去ると、教室の方に戻っていった。
対して僕は、真っ直ぐ帰路についた。




