5話 やればできるくせに
体育祭予行日は授業は行われない。午前中に予行を行い、午後は練習にあてられる。
予行といっても競技自体は行われない。行うのは入退場や整列。本番でぐちゃぐちゃすることを懸念してのことなのだろうが、生徒全員がしおりをしっかりと読んでいれば必要のないものだ。
ただ並ぶだけの練習に半日を使うなんてなんと無駄なことか。
しかし、ただ並ぶだけのことができないという信じられない高校生が意外に多い。
2種目前には入場門になんていう簡単なことが全然守られない。
何組が揃ってないという放送が飛び交う中、ただ待ち時間が続く。
実際、入退場だけならスムーズに進めば半日もかからない。
本当に、なんて無駄なことか。
まぁ、こうなることはなんとなく予測できてたので、暇つぶし用に本を持ってきている。
炎天下っていうのが辛いところだが、まぁ、それは仕方ないと諦めよう。
携帯用の扇風機で、大して涼しくもないくせに涼しいとか言っている女生徒を横目に、僕は文庫本を開いた。
*
「暇そうだねー」
本を読んでいると後ろから声をかけられた。振り返らなくても誰だかすぐにわかる。僕は振り返ることはなく、それでも本は閉じて返事をした。
「部長は暇すぎてこんなところまで?」
生徒の待機場所はその色によって決まってる。一高の体育祭は黒、青、赤、白の4色に分かれて行われる。
僕の色は白で部長の色は黒。待機場所は1番遠い。
「せいかーい。いやー、ほんと、毎年なんだけど体育祭って暇なんだよねぇ」
そう言いながら、部長はこちらに歩いてきた。目立つのでやめていただきたい。
「毎年のことなんでしたら本とか持ってないんですか?」
「去年それやって通り雨にやられたからねー、怖くてできなかった」
天気予報によれば、今日も明日も雲ひとつない晴天だ。実際に今空を見ても雲は見当たらない。さすがに雨は降るまい。
「蒼くん、だから話し相手になってよー」
「僕は本持っているので。紅林さんか大白先輩のところに行ってはどうですか?」
クラスメイトの目がこちらを向いているのがわかる。部長の容姿は目立つ。早くいなくなっていただきたい。
「大くんはなんか体育祭エンジョイしてるみたいだしー、紅ちゃんは来てないのっ。蒼くんしか選択肢はないんだよ。一択なんだよ!」
部長は人差し指を立ててそう言った。この人は本当に目立つ。本当、やめてください、お願いします。
「クラスメイトとか、部員以外に仲良い人いないんですか?」
「蒼くん!! それはダメだよ!! 蒼くんは言ってはいけないことを言った!! じゃあ訊くけど、蒼くんはクラスに仲良い人なんているの!?」
「それはクラスメイトが周りにいる状況でする質問ではありませんよ」
部長が叫んだせいでほぼ全てのクラスメイトがこちらを見ている。コソコソとこちらを見て話されているのは当然に気分が悪い。
「はぁ。蒼井、うるさい」
退場門側から戻って来たらしい実行委員からそう言われた。
「だれ? この人?」
部長は小声で尋ねてきた。
「実行委員です。注意されましたし、自分の席に戻ってください」
「注意なんていいよっ。空気を読まないのがわたしクオリティだからね!」
部長はその言葉通り空気を読まないで、サムズアップをしてみせる。なんなんだろう、この人。
「うるさいって言ってるの。あなたが誰か知らないけど」
「なんで偉そうなの? 蒼くん、わたしこの子嫌い」
部長が怒った。口調、表情、それらがいつもの無邪気さとは乖離して怒りを表現している。しかし、その表現の仕方が、なんだか嘘っぽい。
「この人、先輩ですよ。うちの部の部長です」
実行委員が失礼な態度を取らないように牽制をしておく。部長の見た目では先輩には見えない。そのせいで尊大な態度を取ったのだと思いたい。
「えっ? ……そう。でも、実際うるさかったです。予行とはいえ、体育祭の練習中に関係ない話を大声でされるのは迷惑です」
「体育祭かぁ。本格的に嫌いなタイプだなぁ」
部長は周りに聞こえる普通の声量で、実行委員のことを嫌いだと宣言した。
「私もあなたのことが嫌いですよ」
売り言葉に買い言葉という表現がしっくりくるように、口喧嘩が始まりかけていた。部長を相手に口喧嘩をするなんてバカバカしいことこの上ないのに。部長相手に、議論なら成立しても喧嘩は成立しない。
「部長、実行委員の言い分は客観的に正しいですよ。部長は実際騒がしかったんですから。だから、戻ってください」
ここで口喧嘩をされるのはものすごく迷惑なので、なんとか部長に退散してもらおうとする。
「うーん。そだね。確かにそうかもしれない」
部長は案外、素直に頷いた。
「わたしのわがままで、蒼くんの迷惑になるのはよくない。うん。よくない」
部長はうんうんと何度も首を上下させた。その姿は、姿だけを見るならば、微笑ましいと言えるものだった。
「わかった。戻る。蒼くん、本貸して」
ここに来た本来の要件はそれだったのだろう。僕は普段から本は3冊持ち歩いてる。それは今だって例外ではない。
「どうぞ」
「ありがとー。じゃ、部活の時に返すねー」
部長は手を振って去っていった。
「蒼井、あの人、何?」
実行委員の疑問は至極順当。だが、僕は部長を正確に形容する言葉なんて持っていない。
僕はおそらく顔を引きつらせながら、体育祭のしおりを開いた。
「……すみません、入場門行かないとなんで」
気づけば僕も、ただ並ぶだけのことができないという信じられない高校生になっていた。
*
午後の競技練習。大縄跳びはそれは酷いものだった。
1年2組の続いた最高回数は9回。おそらく、全クラスでも最低レベルなのではないだろうか。同じ色の3年生のクラスは70回以上跳んでいた。
それでも、僕は一度も引っかかることはなかった。とりあえず安心だ。
僕は運動は得意ではない。だがまぁ、苦手でもない。9回くらいなら、問題なく跳べる。正直、うちのクラスのレベルが低くてよかった。
これなら、僕のせいで負けるということはなさそうだ。
今日の練習は14時半までは強制参加。一応授業時間ということになっている。それを過ぎた後は自由参加だ。
強制参加であるので、僕は仕方なく練習に参加していた。
縄が回る。跳ぶ。縄が回る。跳ぶ。縄が回る。跳ぶ。誰かが引っかかる。雰囲気が悪くなる。
こんなことの繰り返し。
「ちっ、また。おい、引っかかったの誰だよ!!」
「やめろよ。そんなこと言ったって雰囲気悪くなるだけだろ」
「くそっ、何でこんな簡単なことができねーんだよ!」
いるのだ。イライラを抑えられなくなって雰囲気を悪くする者が。
何でこんな簡単なことが、その気持ちはわかる。得てして、できる者はできない者がなぜできないのか理解できない。
今だってクラス全体が思っていることだろう。何でこの程度のイライラを我慢することすらできないのかと。
練習すればするだけ雰囲気は悪化していき、記録も悪くなる。
「おい、これじゃ練習してる意味ねーだろ。さっきまでに引っかかったやつらでまず練習しろよ。そいつらがまともに跳べるようになったら俺たちも参加すりゃあいいだろ」
「いや、でも」
「こんなことしてるより、リレーとかタイフーンの練習した方がいいだろうが」
1回 2回 0回 1回 0回 こんな風に続けば嫌気がさす。意味がないという意見にも同意する。
彼の意見の問題点は、引っかかった者が晒し者のようになってしまうという点くらいだ。
「確かに。それでいいんじゃない? これ続けても時間の無駄感あるし」
「そうかもね。運動音痴にウチらが付き合う必要ないよね」
「ウチら全然引っかかってないもんねー」
発言力を持つのは彼の賛同者。反対派には発言力がない。反対派はただ黙っているだけ。結論は出た。
「わかった。じゃあ、大縄跳びに不安がある人だけ残って、残りの人は各競技練にしよ」
実行委員が仕切り、その結論を言う。『引っかかった人』ではなく、『不安がある人』という言い方にしたのは少しポイント高いかもしれない。
さて、僕は引っかかってないし、またムカデの一員としてただ立ちながら14時半を待つか。時計を確認すると14時16分。あと少しだ。
「蒼井は残った方がいいんじゃない?」
グラウンドの隅へと向かおうとしたところ、実行委員に止められた。
「一応、引っかかってはいないのですが」
「そうなの? でも、こっちにもある程度は人数いて欲しいから」
残っている人数は10人に満たない。
「どっちにしろ、半になったら僕は部活行きますよ」
「は? 今日も部活あるわけ?」
実際、今日あるかどうかはわからない。だが、ないとは聞いてないし、部長なら体育祭練習なんて切り上げて部活をするだろう。それに、なかったとしても練習は切り上げて僕は帰る。
「たぶん」
「明日が体育祭だって知ってる?」
「さすがに知ってはいますよ」
「なら、今日くらいは練習しないとなって思わないわけ?」
実行委員は信じられないという目でこちらを見ているが、そんなに信じられないことだろうか? 僕は、義務として課せられた練習はこなしている。
「まぁ、はぁ」
「あー、もうわかった。そんなにやる気ないんだったら、明日は来なければいいんじゃないかな」
実際、行くの面倒くさい。体育祭とかサボりたい学校行事筆頭だ。だが、まぁ、行くことは行くのだろう。無駄に欠席日数を増やすこともない。
「蒼井みたいに、やればできるくせにやらないやつ、嫌い」
やればできる、何が? 縄跳び?
僕は何と返せばいいのかわからず、無言のまま、一応大縄跳びのグループの方へ向かった。
今は14時19分だ。