21話 最悪、コインでも投げればいい
長いです。
「1年2組でーす。ポップコーン売ってまーす。生徒棟の3階でーす」
松田先生を探して彷徨っていると、うちのクラスの宣伝隊と遭遇した。あれが僕のするはずだった仕事だとするなら、外されてよかった。僕だったらただ首から看板を掲げているだけで、呼びかけなんてしない。
その宣伝隊と廊下ですれ違う。僕も、彼らも、会釈すらしない。全く関係ない相手と同じように、ただすれ違う。
「そういえば、蒼くんのクラス行ってないね」
すれ違ったところで、部長はそんなことを言い出した。だが、昼食が紙コップ1杯分のポップコーンというのはいくらなんでも佗しすぎる。
「行かなくてもいいんじゃないですか。ただのポップコーンですし、コンビニに買った方がいいかと思います」
僕はただ、正直に思ったことを、ごく普通の会話として、そう部長に言っただけだった。
「おい、蒼井、そりゃねーだろ!」
気づけば激昂したクラスメイトが僕の肩を掴んでいた。
別に僕は、声高にうちのクラスのポップコーンを非難したわけじゃない。声量も普通だったはずだし、ただ僕は部長にそう告げただけだったはずだ。しかし、僕はクラスメイトの不興を買っていた。
「お前さぁ、一応うちのクラスの一員だろ? なんでそういうこと言うわけ? なんなの? そのなんか斜に構えた感じ? カッコいいって思ってんの?」
面倒くさい。何に怒っているのかをもっと明確にしてほしい。これではただのヒステリーだ。
「なにー、その俺はクラスのことを思っているんだ感? カッコいいって思ってんのぉ?」
なんて返そうかと思考している間に、部長が煽り始めた。これはダメだ。こうなった部長を止める術を僕は持っていない。部長、僕のために怒ってくれているのなら可愛げもあるのだが、これ、自分が楽しんでるだけなんだよなぁ。
「なんだよ、このガキ」
その手は僕の肩から離れて、クラスメイトは部長の方へ向き直る。解放されたし、この場から去りたいのだが。
「君はさ、何に怒っているの?」
「てめぇさっき思いっきりバカにしたこと言っただろうが!」
「なるほど。君はその件で怒っているんだね。なら、さっきはごめんなさい。まさか、気に障るなんて思わなかったから」
さて、喧嘩は部長に任せて、僕は退散しよう。そう歩き出そうとしたのだが、紅林さんに止められた。ダメか。まぁ、ダメだよな。
「てめぇ、喧嘩売ってんだよな?」
「圭人、落ち着け。ここで喧嘩なんかすんなよ」
宣伝隊のメンバーは4人。うち激昂しているのは1人。他の3人は呆れたような、関わりたくなさそうな感じだ。しかしそれでも1人がやっと仲裁に入って、丸く収めようとする。部長もこの辺りで退いてくれるといいのだが。
「わたし、君とおんなじようなことを言っただけのつもりだったんだよ。だから、怒るなんて思わなかったの。君の中では、あれが日常会話なんだって思ったから」
部長は無垢な子供のような表情と声色を作り出してそう言うのだった。よく言うよ、まったく。
「何? 俺が悪いって言いたいの? 悪いのは蒼井だろ! クラスに協力しないどころか、俺たちのことをバカにしてただろ!」
「バカにしてたかなぁ? 1つ50円はちょっと高いよね、文化祭価格だよねって言っただけじゃない? ねぇ、蒼くん?」
話が返ってきた。できれば、返ってきてほしくなかった。
「僕の発言は、コンビニで買った方がコストパフォーマンスがいいだったかと。それは事実だとは思いますが、TPOをわきまえない発言だったかもしれません。文化祭中に言うべきではありませんでしたね。申し訳ないです」
とりあえず謝った僕に部長は不満顔だ。部長がこの手の輩を言葉でバカにするのを結構好いていることは知っている。しかし、僕にその手の趣味はない。だから、場を収めようと謝ったのだが、部長以上にクラスメイトの方が不満げな顔をした。
「本当に他人事だよな。自分には関係ないってか?」
あー、面倒だな、こいつ。いない方がいいと突き放してくれる黒崎さんの方がずっといい。
「もっかい聞くけどさ、君は何に怒っているの?」
部長はことの処理を僕に任せてはくれないようで、話に介入してくる。
「あんたには関係ねーだろ!」
「あーもう、だから、何に怒っていて、蒼くんにどうして欲しいの?」
「だからあんたには関係ねーって言ってんだろ!」
「本当は自分も仕事なんてせずに気楽に文化祭を回りたい。自分はそれでも我慢して仕事をしているのに、当たり前のように仕事を放棄している蒼井くんが気に入らない。そんな感じでしょうか?」
その声は僕の後ろから上がった。声の主たる紅林さんは「違いますか?」と平然と問うのだった。
なんか、僕自身はただ謝ってうやむやにしたかったのに、その希望とは逆の方向に話が進む。
「別にそういうわけじゃねーけど、でも、おかしいだろ? 俺たちが働いてるのに、こいつは何もしないってのはよ」
「やりたくないなら、やらなきゃいいじゃん」
部長は間髪入れずにそういうのだった。僕たちの感覚では、やりたくないならやらなければいい。そんな嫌々やる文化祭なんて、意味はあるまい。
「あっ、いたいた。探したよ……お取り込み中かな?」
言い争いのせいでできかけていた人混みから現れたのは、僕たちも探していた相手だった。
教師の登場にクラスメイトは怯んだようだったが、この人が現れて部長が反応しないわけもなく、
「まっつー! 探してたんだよ!」
まるでさっきまでのやり取りはなかったかの如く、松田先生に向き直った。
「おお、僕も探してたんだけど、真白、また揉め事? 文化祭の度になんかやってない、お前?」
「いえ、別に揉め事ってほどのことじゃ。では、俺たちはこれで」
現れた教師が相手側と親しいことを察知してか、クラスメイトは退散していった。教師というのは、流石それなりの影響力があるということか。
「いなくなったね。さて、ちょうど3人いるし、特別教室に行こうか」
「探していたというのは、昨日の約束のために?」
歩きつつ、一応確認のためにそう訊いた。これで、ついてみたら仕事を頼まれるとかありえなくもない。
「まっつーは嘘つかないって言ったでしょー」
松田先生が返答する間も与えずに、部長は言う。松田先生のこと、好き過ぎでしょ。
「僕、疑われてたの? ちゃんと約束は守るよ。じゃないと、真白は後でねちっこいからね。他はともかく、化学の時間に揚げ足取りみたいなこと言われるのはね。それも、真っ正面から答えるには厄介なさ。頭がいい分、大変だよ、真白を教えるのは」
口ではそう言いながらも、松田先生は楽しそうに見えた。この人はたぶん、生徒としての真白菜子を気に入っているのだろう。ずば抜けた優等生であり、とてつもない問題児である部長のことを。
「来年にはやっと卒業かと思ったら、評判によると君たちは真白再来なんて言われてるみたいだしね」
「私は真白先輩みたいにすごくないです」
「いやいや、いじめっ子に華麗なカウンターを決めるなんて、真白にも引けを取らないよ。あの一件、立場をわきまえないで言うと、ちょっと面白かった。内緒だよ。まぁ、その天罰として担任やらされてるんだけどねぇ」
「先生、僕たちに対してフランク過ぎませんか? 部長はともかく、僕と紅林さんにまで」
「真白と仲良くできるなら、僕とも仲良くできるでしょ。僕は君たちの同類だよ」
「僕の同類は教師になったりしませんよ」
別にその言葉にはユーモアのかけらもなかったのに、松田先生はさも可笑しそうに大きく笑った。
「はははは、そりゃあ、そうだ。僕も高校生の頃はそう思ってたよ。僕の時代と今じゃ何もかもが違うけどさ。でも、変わらないなぁ。真白も、紅林も、君、蒼井だったよね、君も、一歩間違うと教師になってるかもしれないよ」
「先生は一歩間違えたんですか?」
「僕は単に、奨学金の返済義務がなくなるからって理由だったね。今はその制度もなくなったんだよね。だから、そこは同じとはいかないね」
「そんな理由で教師になって、後悔してないんですか?」
気づいたらそう訊いていた。そんなに踏み込んだ質問をするつもりなんてなかったつもりだったのに、なぜか訊いてしまっていた。
「したよ。学校はブラックだからね。やめようって何度も思ったよ。それに、向いてないしね。それは自分でもわかってるんだ。僕は教師には向いてない」
「そんなことない! まっつーは理想の教師だよ!」
そう言う部長に松田先生は微笑む。
「でも、こういう生徒もいるんだよ。だいたい2,3年に1人くらいさ、僕みたいなダメな教師の方がいいって言う生徒。だから、僕はその1/500のために教師やってる。他の499には悪いことしてるよね、まったく。早く辞めろって思われるかもなぁ」
「先生、ここにはその1/500が3人もいます」
紅林さんのその言葉に、僕と部長は頷いた。この人は教師に向いていないと僕でも思う。多数派とは相容れないのだとも思う。でも、僕はこの先生のことが嫌いではない。なるほど確かに、いい先生だ。部長の言うことはだいたいいつも正しい。
「嬉しいねぇ、と言いたいところだけど、そういう生徒は2,3年に1人じゃないと、僕も疲れちゃうなぁ。1学年に2人は多いよ。うん」
「来年は2人とも先生のクラスかもしれませんね」
「来年は担任やりたくないよ。それに、僕は担任やるとしても理系クラスだよ。文芸部なら文系に進んだら」
文芸部なら文系と言われても、上級生を見る限り説得力がない。
「僕は理系ですね」
「私は……理系に進んでも、文系の大学も受けられますよね?」
「進路の話は、約束を済ませてからにしようか。で、真白、どの店?」
「蒼くん、まだ今日何も食べてないよね。どれがいい?」
特別教室前につき、話は中断。店選びを任されてしまった。うどん、お好み焼き、たこ焼きの3択。僕としては別にどれでもいいのだが、どれでもいいという答えはよくあるまい。
「僕はうどんがいいですね」
単純に3つの中で1番好きなものを選んだ。
「そっか、なら、蒼くんがうどんで、紅ちゃんはお好み焼きとたこ焼きのどっちがいい?」
部長の頭の中では、3人で別のメニューを食べることが既定事実だったらしい。紅林さんも少し戸惑ったそぶりを見せたが、すぐに平静に戻って「では、お好み焼きを」と言った。
「じゃあ、わたしはたこ焼きだ。まっつー、よろしくねっ」
「それ、僕に3回列に並べって言ってる? 全員同じものじゃダメなの? いや、この際、500円玉を渡すんじゃダメ?」
なるほど、3人別メニューにしたのは、松田先生の手間を増やすため、いや、松田先生を長時間この場にとどまらせるためか。部長、やっぱり松田先生が好き過ぎる。
「ダメだよ。列に並ぶのも文化祭の醍醐味だよ、まっつー」
「おじさんは列に並ぶの嫌いだよ。もうビッグサイトにも行かなくなって久しいよ」
そう言いつつも、松田先生は僕たちと列に並んだ。4人で同じ店の列に。
「話を戻そうか。理系でも文系の大学に行けるかだったよね。文系の大学というより、文系の学部学科にかな。結論から言ってしまえば、行けるよ。それも、文系から理系を受けるよりは簡単に」
「文転は聞くけど、理転ってあんまり聞かないもんねー。なんか、前にタナ先とこの話したよね?」
「しましたね。当の紅林さんがいませんでしたけど」
列に並びつつ、会話は再開する。
「学部学科によっては、文系の学部でも理系の方が有利なことすらある。経済学部とかね。だから、迷ってるならとりあえず理系ってのはありだとは思う。でも」
そこで列が進む。そのせいでなんか松田先生が溜めを作った感じになった。
「でも、文系を受けるって決めてるなら、文系に進んだ方がいいと僕は思うよ。2年ではそこまで変わらないとはいえ、やっぱりカリキュラムに差があるし、特に社会科と現代文がね。国立を受けるなら、文系だと社会が2科目いるし、大学によっては現代社会は使えないから、理系クラスだとそこは辛い。現代文は、単純に理系クラスだと授業が受けられない」
「わたし、模試で間違えて法学部書いたことあるけど、A判定だったし、どうとでもなる気がするなぁ」
部長なら、法学部だろうが医学部だろうが受かりそうな気がする。実際には指定校で早々に決めているわけだが。
「真白くらいの頭があるなら、文理選択なんて気にすることもないね。紅林はさっき真白みたいにはすごくないって言ったけど、そこのメガネをかけた男さえいなければ数学だって1位なんだし、理系でも文系でも大丈夫だろうし、文転も理転だってできるとは思うよ」
メガネをかけた男って、名前覚えてたんだから、名前で言えばいいのに。
「文芸部の周りが理系ばっかりだしね。無責任に僕だったらなんて言ってしまえば、たぶん理系にする。まっ、気楽に考えなよ。他の先生が何と言おうが、高2の文理選択なんて大して重要でもないから。最悪、コインでも投げればいい」
ここでちゃんと考えて後悔のない選択をなどと言わないで、コインでも投げろというのは、確かにかなりの無責任で、教師らしくない。でも、それで紅林さんは納得したようで、「はい」としっかり答えていた。
その後、松田先生はちゃんと3回列に並んで、僕たちに昼食を恵んでくれた。うどんの味はやはり文化祭クオリティで、特別美味しくも不味くもなかった。




