4話 この試験で満点を取り得る者は
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そして、その時は訪れた。6月4日、中間試験初日。科目は英語、世界史、数A。苦手科目ではない。問題ない。大丈夫だ。
そして、試験は始まる。
試験に取り組んでいる時の時間の流れは速い。授業時間と同じ50分だとは思えない。解き終わった時には残り時間が15分。解き直しを2回。完璧なはずだ。何も問題はない。
3科目終わって、僕はそのできに満足していた。解けない問題はなかった。見直しの時間も取れた。勉強の成果が遺憾なく発揮できたはずだ。
心に余裕ができると、教室の話し声が耳に入って来た。
「ねぇ、私、全然できなかったー」
「いやー、難しかったもん。しょうがないよ」
「そうそう。平均点も低いよ、絶対」
「赤点って30点以下だよなー。俺、アウトかも」
「アウトってどれが?」
「3つとも。この感じだと他のも全部」
「案外簡単だったね」
「うわー、できるやつは言うことが違げぇ」
「あの試験で7割切ったらマズいって」
「嫌味か、くそっ」
「数Aの最後、答え何?」
「1/3じゃないの?」
「そうだよね!よかったぁ」
ほとんどの人が誰かと話をしていた。だが、僕に話しかけてくる人はいない。僕は荷物をまとめて教室を出た。
「おっ、蒼くんはっけーん!」
教室を出た途端、小学生に見える女生徒が僕のことを指差して来た。そのせいで僕に視線が集まった気がする。僕はため息をついた。
「部長。なんでここにいるんですか?」
僕たち1年生の教室があるのは3階。3年生の教室があるのは1階だ。部長はわざわざ3階まで登って来たことになる。
「紅ちゃんに会いに来たのー。蒼くんは、テストどうだった?わたしは完璧っ!」
部長はキメ顔でそう言った。つまり、僕に用件はないのだろう。ため息が出そうになるのを押さえ込んで、言葉を返す。
「まぁ、結構できてるとは思います。では、僕はこれで」
「あー、蒼くんも一緒にお昼食べに行く?」
今は12時過ぎ。昼ごはんを食べに行くにはいい時間か。しかし。
「部長と紅林さんと、3人でですか?」
「うん。紅ちゃんと2人がよかった?それとも、わたしと2人?」
絵面を想像すると、どのパターンでも居心地が悪い。まぁ、断ればいい。
「家族に家で食べると言ってあるので」
嘘である。こんな時間に家族は家にいない。
「えぇー、そうなの?」
「ええ、まぁ」
「ふーん。蒼くんって何人家族?」
あまり興味もなさげに部長はそう聞いてきた。家族構成、隠すようなことでもあるまい。ただ、早くこの話を終わらせたい。
「4人です。両親に妹」
「へぇー。じゃあ、蒼くんは、わたしや紅ちゃんよりも、妹ちゃんと食事がしたいから帰るのかー」
嫌味ったらしくそう言う部長。帰ったら1人で食事をすることは間違いないのだが、少し想像をしてみる。部長との食事。紅林さんとの食事。妹との食事。考えるまでもなく妹が1番気が楽だ。
そんな思考を巡らせていたら、部長が怪訝そうに言った。
「シスコン?」
どうでもいい嘘をついたせいでシスコンのレッテルを貼られた。どうしてこうなった?
「そういうことを、本気のトーンで言うのはやめてもらえませんか?」
ここは1年生の教室が並ぶ廊下だ。耳目がある。
「蒼くんの妹。気になるなぁ。今度会いたい」
「ダメです」
「即答!?」
部長と妹を引き合わせたくはない。その後の対応がどちらに対しても面倒になるのがわかりきっている。
「はぁ。紅林さんに会いに来たんでしょう。僕と喋ってていいんですか?」
「紅ちゃんなら許してくれるよ。大丈夫だよ」
いや、紅林さんが怒るということはないのかもしれないけれど、そういう問題じゃない。許してくれるから大丈夫という言い分は、なかなか部長らしいとは感じるけど。
「まぁ、とにかく僕は帰りますから」
「うん。バイバーイ」
手を振るのは目立つのでやめていただきたい。
*
中間試験最後の科目が道徳だ。最も厄介な科目。
試験が始まり、選択問題をどんどんと終わらせていく。選択問題はただの腕の運動、眼の検査だ。問題はその後。記述問題。
『約束を守ることはなぜ大切なのか。あなたの考えを述べなさい』
その問題を見て、僕は安堵した。この内容なら、指導要領にどう書かれていたか、完全に覚えている。記述問題がただの暗記問題と化した瞬間だった。
僕はただ、何も考えずに、覚えていることを書き連ねた。
書き終わった後の見直しで、その文章を読んで思った。いったい何を書いているのだろう。これは僕の考えではない。あなたの考えを述べよ、という題意に違反している。読んでいて気持ちが悪い。でも、これでいい。
道徳の試験で点を取るためには、自分の考えなんて邪魔なだけだ。
この文章が採点され数値となり、僕の道徳観を評価する値になる。そんな風に考えると、本当に気持ちが悪い。
この答案が仮に100点という数値を与えられるにたる代物だったとして、それが僕という人間の道徳観に100点という価値を与える根拠になるだろうか。
こんな上っ面の文章1つで何がわかる。
こんなもので、人格だの心情だの、わかるわけがない。その人間性を評価するに足るわけがない。
自分の答案に嫌悪感を覚えるが、これで高得点が取れることを、僕は確信している。
この文章はただの創作だ。現実性なんて一切ない。こんなことを素で書くやつもたぶんいない。
この試験で満点を取り得る者は、道徳なんて概念は意識の外に追いやって、試験で点を取るために文章を組み上げる、ただのズル賢い優等生なのだろう。
気持ち悪い。
そう思った対象が、この文章なのか、それともこれを書いた自分なのかは、わからなかった。
*
道徳をもって、試験は全科目終わった。
結果が返ってくるのは体育祭が終わった後の月曜日。この一浜高校では全科目の結果がLHRの時間にまとめて返されるらしい。採点ミス等はその日のうちに各教科担任に申告することになっているそうだ。
1年生は試験科目が少ないので、2,3年生よりも試験が早く終わる。試験から解放されて今にも騒ぎ出さんとする1年生を試験中の生徒のいる学校にいさせるわけもなく、僕たちはすぐに学校から追い出された。
「14時からグラウンドで練習だからね!」
追い出される際、実行委員がそう言っていた。明々後日には体育祭。試験も終わったのだし、全力で練習せよとのことだろう。一度帰ってから学校に戻るとか、面倒だ。
体育祭か。どうにもやる気が起きない。練習は自由参加のはずだし、行かなくていいか。義務ではないのだ。
今まで練習に一切参加していない僕が、たったの3日間だけ参加することに意味があるようにも思えない。
なんか、練習に参加しないと先輩方にシメられるとか物騒な噂がまことしやかに飛び交っているが、そんなことは実際には起こるまい。
体育祭の練習は前日の予行を除いて自由参加だ。参加しないことを非難されるいわれもない。
と、頭の中で理屈をこねくり回してサボタージュする正当性をこじつけたわけだが、結局、正直なところ、
試験終了直後くらい家でのんびりとしていたい。
*
「昨日、何のことわりもなく練習サボったよね」
なんか、登校早々実行委員に絡まれた。
「えっと、自由参加なんで欠席連絡とかいらないかなと思いまして」
その返答に、実行委員はわかりやすく顔をしかめる。
「いや、いるでしょ普通。何の連絡もなく来なかったの蒼井だけだから。クラスLINEでも連絡したし」
クラスLINEには一応僕も入ってはいるはずだが、ああ、そうか。
「すみません。通知切ってて気づきませんでした」
「はぁ。なんで? 通知切ってるってどういうこと?」
これ見よがしなため息をつかれてしまった。
なぜと問われれば、試験前の深夜に『〜がわからない』というのがうるさくてしかたなかったからだ。それも教科書読めよという内容ばかりだったし、通知を切るのは当然だ。少なくとも、僕にとっては当然だった。
「以後、気をつけます」
とりあえず頭を下げておく。謝っておくのが定石だろう。とりあえず謝っておけば丸く収まる。そういう日本人的な考え方は、僕にも備わっている。
「蒼井ってさ、2組の一員だって自覚ある?」
ない。集団の一員なのだからその責任を果たせとか、そういうのは嫌いだ。僕は2組に所属したくてしているわけではないし。クラス単位で動く学校行事は、そういうことを言われるから嫌いだ。
「すみません」
ないと断言するわけにもいかないし、とりあえず謝る。
「蒼井って体育祭より勉強って感じだったから今まであんまり言ってなかったけど、もうテストも終わったし、今日からはちゃんと練習とか参加して。もう時間ないんだし」
当然のことを言うようにそう宣う実行委員。正直面倒くさい。僕の出場種目って、綱引きとムカデ競争、あとはクラス対抗大縄跳びか。練習しないとマズいことはマズい。だが、やる気が起きない。
「まぁ、はい、わかりました」
とりあえずテキトーに返事をする。ここでやる気が起きないから嫌だと言うわけにもいかない。
「よろしく」
実行委員は要件を終えるとすぐに僕なんかからは視線を外した。
*
今日はただの授業日。だが、体育祭直前とあって、教室の空気はどこか浮き足立っている。授業も試験直後ということもあり、あまり内容のあるものではない。
今日1日がひどく無駄に感じる。無駄な時間が滔々と過ぎていく。
試験が終わって、僕自身活力を失ったように思う。いわゆる燃え尽き症候群か。いや、症候群なんて大仰なものではないか。
ただ、今はとにかくやる気が出ない。
普段なら、とりあえず参加だけはしていたであろう練習に参加することが、ひどく面倒くさい。
体育祭そのものに意味があるように思えないし、その練習も無意味に感じる。なんのためにと考えると、練習に参加することがバカらしく思えてしまう。
要は練習に参加しなくてはと思う理由はただ1つだ。
実行委員や周りに色々言われたくないから。
ただそれだけ。
練習をせずに大縄跳びとかムカデ競争とかは確かに難しいだろう。しかし、練習してそれらをできるようになろうという意欲は湧かない。
結局、体育祭で勝とうが負けようがどうでもいいのだ。
恐るべきは、僕のせいで負けること。いや、僕のせいで負け、そのせいで非難されることだ。
体育祭に意欲的な一部を除いて、大体の者はそういう動機から練習に参加しているのではないだろうか。まぁ、加えて、青春の思い出の1ページにってのもあるかもしれないが。
僕にとっては、たった3日の練習で青春の思い出も何もない。やる気もないのだから、思い出になるわけがない。
しかし、僕のせいで負け、非難されるというリスクを今から回避できるものだろうか?
大縄跳び、あれは嫌いだ。誰かが引っかかるとその犯人探しが始まる。しかし、それで雰囲気が悪くなるとさらに引っかかりが増えることも、皆理解している。
だから作るのだ。本当に引っかかった者など誰でもいい、誰が引っかかってそいつのせいになる、誰もが納得する悪役を。
実行委員曰く、昨日断りもなく練習をサボったのは僕だけだったらしい。そんな僕は悪役にピッタリではないだろうか。
いや、考えすぎだ。被害妄想だ。自意識過剰だ。
別に僕はクラス全体の嫌われ者ってわけじゃない。なんかいつも本読んでる暗いやつ程度にしか思われていないはずだ。
後ろ向きすぎる思考はよくない。そもそも、こんな風に考えを巡らせること自体よくない。
僕が思考している理由は、練習をサボタージュするこじつけを見つけるためだ。
今更練習に参加してもどうせ非難されるのだから、練習になんて参加する必要はない、なんて、そんなこじつけは通らない。それはただの被害妄想なのだから。
言い訳がましくサボるよりも、形だけ練習に参加する方が精神的に健全だろう。
僕は小さくため息をついた。
さっきまでの思考なんて、それこそ無駄で無意味で、僕はやる気が出ないまま、放課後にはグラウンドに向かうのだった。
*
何やってるんだろう、僕は。
いや、何をしているかはわかる。グラウンドの隅でぼーっとしている。
何してるんだよ、本当。
これでも割と重い腰を上げてここに来たというのに。
練習は競技ごとに分かれて行われ、クラス全員が必要となる大縄跳びは後回しになり、僕はムカデ競争のグループへと向かった。
そこで、
「ムカデの足の紐、あれ今ないみたいだから、エアーで練習しといて」
という意味不明な指示を受け、
「いや、エアーでって意味ないでしょ」
という至極もっともな意見で一致し、
結果、グラウンドの隅でただ立っている。周りには数人の同類がいるが、特に会話もない。
なんだこれ? これが暗黙に絶対に来いよと言われていた練習なのか?
リレーとかタイフーンとかはしっかり練習している分、ムカデの何もしていない感がすごい。
ムカデ競争って体育祭やる気ない勢が集まる競技でもあるし、周りもこれでいいって感じのオーラが出ている。
それに、体育祭ガチ勢はムカデグループなど眼中にもないようで、あからさまに何もしていない僕たちは誰かしらから注意をされることもない。
なんのために来たんだよ。
もういいかな。帰っていいかな。ただ炎天下の中で立ってるってのも、なんか地味に辛いし。辛いくせに何の生産性もないし。
さすがにこの状況なら帰っても文句言われないだろう。どう考えても紐がないのが悪い。物理的に練習できないし。
なんかものすごく時間を無駄にしてしまった気がしているが、実際には今退散すれば30分ほどしか経ってない。こういう時はさっさと帰った方が無駄が少ない。
僕はまた、小さくため息をついた。
僕は真面目に練習に勤しむクラスメイトを横目に帰宅の途についた。
来なければよかった。
あっけなく試験が終わりましたが、第1章はまだ続きます。