3話 道徳は考える余地のない、完全な暗記科目
カッコの前のスペースをなくしました。
調べてみると、道徳の採点基準はあっけなくわかった。
学習指導要領で学ぶべしと書かれていることに準拠して書くと高得点になる。それがわかってしまえば対策はそこまで難しくない。
まず、使っている教科書を出している出版社のサイトで、授業で扱った各資料のテーマを調べる。出版社のサイトには年間指導計画などが貼ってあり、どの資料で何を学ぶことになっているかは書かれている。
次に、そのテーマについて学習指導要領でどのように書かれているかを調べる。学習指導要領は文科省のサイトからPDFをダウンロードできる。
後は、指導要領に書かれた要点を押さえて文章を組み立てれば終了だ。その際、足りないと感じる部分は国や県の出している教育ビジョンなんかに目を通しておけば完璧。
この発見を文芸部の面々に教えるために、LINEを開いた。
『蒼井:道徳の試験は、学習指導要領の記述に従って書くと高得点になるようです』
その返信はすぐにきた。
『真っ白最高:なるほどー。なんか、単純だねー』
確かに単純だが、国が教えろと言っていることを体現した答案となれば、高得点にせざるを得ないというのは自然なのだろう。
『紅林:ありがとうございます。参考にさせていただきます』
現在ついている既読は2。大白先輩は見ていないのだろう。
『真っ白最高:それってもう、道徳の授業受ける意味あるのかな。指導要領読めばそれでいいんでしょ?』
部長の指摘は辛辣だが、的を得ている。試験で高得点を取るだけなら、授業なんておそらく必要ない。指導要領を読めば十分だ。と言うより、授業を受けたからといって、得点が上がるとは思えない。
ならば、試験ではなく、授業毎に配られるワークシートに意味があるのか。しかし、あれは授業中の担任の発言のトレースに過ぎない。それで道徳観が養われるのだろうか。
まぁ、この思考自体に特に意味はない。
『蒼井:道徳という科目の存在意義を考えるのは、僕たち高校生ではないでしょう』
そういうことを考えるべきは、主に文科省の役人だ。現場の声なんて必要なかろう。仮に必要だとしても、その声を発するのは生徒ではなく教師だろう。
『真っ白最高:だからわたしたちは国の決めたことに従ってればいいって、蒼くんは真面目だね』
それは真面目ではなく、従順とか単純とか、きっとそんな言葉が正しい。
数学や国語でも、こんなことを勉強して将来なんの役に立つなんて言われることはざらだ。なら、道徳なんてそう思われるのは当然だろう。
それでも勉強することになっているから、文句を言いつつ勉強する。大抵はそうだろう。
『真っ白最高:まっ、そんなことはさておき、道徳の試験対策ができたのは大きいね。蒼くん、ありがとう!』
『紅林:ありがとうございます』
LINEにおいて、ありがとうに対してどう返答するのが良いのかよくわからない僕は、とりあえず猫のスタンプを送ってLINEを閉じた。
*
中間試験、6月4日 月曜日から6月6日 水曜日までの3日間。
この日程には実はかなり無理がある。6月9日 土曜日、体育祭。中間試験が終わって3日後に体育祭があるのだ。
中間試験、中間試験、中間試験、授業日、体育祭予行、体育祭。これが1週間のスケジュール。
このスケジュールは生徒にある選択を強いるのだ。試験と祭り、どちらが大切なのか、と。
僕の通う一浜高校はこの地域でそこそこの偏差値を誇る。自称進学校とかなんちゃって進学校といった呼び名がしっくりくる高校だ。
その自称進学校の生徒は試験と祭りを天秤にかけると、往々にして次ような結論を出すらしい。
試験とか成績が大事なのはわかるけど、高校1年生の体育祭は一度しかないし、まだ1年生の始めなんだし、今年は体育祭の方に全力を出したいな、と。
1年次にこう考える者は、2年次3年次にも体育祭を優先するのだろう。青春の思い出だのなんだのと宣って。
一方、そもそも僕は体育祭という行事が好きではない。いや、体育祭に限らず、集団で競い合うというのが好きではない。自分のミスで他人が被害を受ける、他人のミスで自分の足を引っ張られる。そういうことが嫌なのだ。
故に、僕は体育祭よりも試験を優先する。クラスみんなで一丸となって練習とか、僕には合っていない。
そんなことを思いつつ、部活みんなで一丸となって勉強しているあたり、矛盾している。
結局、運動よりも勉強の方が好きだというだけのことなのかもしれない。別に運動も嫌いではないが、勉強の方が好きではある。運動は誰かと一緒にすることが前提になっているものが多いから、僕が授業以外でやることなどほぼなかったのだ。
今日は6月1日。試験までの日はほとんどない。試験前とあって、部活動も例外を除いて中止になっている。文芸部は例外だ。例外でない方が少ないとも聞くが。
体育祭の練習についても同じようなことになっている。学校側は、一応試験週間には練習を禁止としているが、練習をしている生徒を注意することはしない。公的には禁止としているくせに、練習を推進するような教師すらいる。
もちろん、本来は禁止されているものであるし、そもそも体育祭の練習は自由参加、それに参加しないことには何も問題はない。
結果、僕は体育祭の練習になど全く参加していない。
放課後。クラスの面々が練習のためにグラウンドに向かうのを横目に、僕はいつものようにバッグを背負いパソコン室へと向かおうとした。
「ねぇ、蒼井」
声をかけてきたのは体育祭実行委員だ。どこかの運動部に所属している、いかにも活発な女子。名前は黒崎さんだったか。はっきり言って、あまり得意なタイプではない。
「なんですか?」
「今から体育祭の練習するんだけど」
それは当然に、練習に参加しろという意味だ。だが、僕には正当な逃げ口上がある。
「すみません。部活があるので出られません」
先程他のクラスメイトが「部活があるからごめんね」と言っていたのを、僕は目撃している。
実行委員はそれに対して、「うん、部活頑張ってね」と笑顔で答えていた。
「蒼井って何部だっけ?」
「文芸部です」
「文芸部って何してるの?」
実行委員の顔は笑顔ではない。
中間試験の勉強と答えるのは、部活としてどうなんだとも思えるので、本来の活動の方を答える。
「基本的に読書ですね」
「それって、体育祭の練習より大事なの?」
その答えはYESだ。と言うより、体育祭の練習の優先度が低い。本来は禁止されているのだし、自由参加だし、やる気もないし。
「はい。大事です」
「どうして?」
実行委員の目つきは鋭いが、目つきが悪いのは大白先輩で慣れた。実行委員など迫力に欠ける。
なぜかと訊かれれば、それは当然、体育祭の練習は義務ではなく、僕には意思がないからだ。義務ではないものを、暗に強制される筋合いはない。
「部活を優先するという人も結構いると思いますが」
当たり障りのない答えだ。部活が大事という者はきっといる。
「でも、文芸部だよね?」
文芸部だからなんだと言うのだ。文芸部の活動は他の部のそれに比べて優先度が低いとでも言うのだろうか。
実行委員は文芸部の何を知っていて、何を根拠にその評価を下しているのだろうか。少しばかり、その言い方に僕は怒りを覚えたらしい。
「だから、なんですか?」
「はぁ……わかった。部活があるなら仕方ないね。じゃあ」
露骨にため息をついた後、実行委員は下駄箱へと走っていった。廊下は走ってはいけない。少し時間を取られたが、僕は歩いてパソコン室へと向かった。
*
文芸部が例外的に活動できる理由は、ただ単に顧問が甘いからだ。普通、試験週間には顧問が鍵を貸してくれないために部活ができなくなる。しかし、文芸部の顧問は普通に貸してくれる。まぁ、顧問が勉強のために部屋を使っていることを把握しているからだろうけど。
そんなわけで、試験週間であっても僕たちはパソコン室に集っていた。というわけでもなく、大白先輩は来ていなかった。
「大白先輩はいないんですね?」
一応尋ねてみた。
「体育祭の練習だって。出ないのは風当たり強いからって言ってた。わたし、全く出てないけどなー」
部長は大白先輩がいないことに不満な様子だ。しかし、試験と祭りのどちらが大切かの選択は各個人の自由だ。僕個人の感覚では試験を優先するが、他者の選択をどうこう言うのは間違っているだろう。
「僕も全く出てません。日程が日程ですから、仕方ないとは思います」
日程が悪い。それは間違いないだろう。こんな日程でなかったら、形だけなら練習にも参加した、と思う。いや、しなかったかもしれない。
「私もです。やっぱり、成績という形で今後に影響するという点で、体育祭より中間試験の方が大事ですし」
紅林さんはそう言った。確かに、体育祭よりも中間試験の方が大事だと僕も思う。試験の結果は成績という形で残り、進学に影響する。それを考えれば、体育祭よりも優先してしかるべきだ。
「体育祭の話はいいので、勉強しませんか? 真白先輩に伺いたいことがあるんです」
紅林さんの言葉で雑談は終わり、勉強時間となった。
体育祭の話など、僕たちにとってはどうでもいいことだ。
*
英語。単語は完璧に覚えた。教科書の文章も何も見ずに書くことができる。文法も問題ない。初見の長文読解なんかは元から得意。
数学。定義はしっかりと覚えている。扱う定理は全て証明できるし応用もできる。問題演習も十分にこなした。
国語。漢字は覚えた。古語も問題ない。古典文法にも穴はない。古典については些か卑怯だが、現代語訳を覚えた。現代文は授業内容を抑えていればどうにでもなる。
物理。公式は覚えた。使い方も問題ない。理屈は一部解せないが、教科書にも詳しく載っていないし、問題を解くぶんには影響がないから今は無視する。問題演習なら十二分にした。
生物。暗記事項は完璧だ。思考力問題はその場で考えればまず解ける。生物はほぼ暗記だ、問題ない。
世界史。世界史はそれこそ暗記だ。試験範囲の内容ならしっかりと頭に入ってる。記述問題にも対応できてる。漢字ミスで減点なんてヘマもしない。
主要科目は大丈夫だ。だから、気にすべきは残り。
道徳。
学習指導要領は念のために全て読んだ。全て暗記したとは言わないまでも、要点は掴んでいるつもりだ。教育ビジョンにも大方目を通した。
しかし、問題演習に当たる部分が足りていない。
文章を組み立てる、アウトプットの練習が不足している。
自分で問題を出して自分で解く、これを繰り返すか。
*
「じゃあ、次は友情の大切さについてで」
紅林さんのその言葉を合図に、僕と紅林さんは文章を書き始めた。道徳に対して、予想問題を考え、その答案を作るという作業を、紅林さんも巻き込んで繰り返していた。指導要領の内容をしっかりと暗記していれば、文章は自ずと紡がれる。手は止まらない。自分で読んで気持ちの悪い文章がみるみると出来上がっていく。
僕たちがそんな文章を作り出している最中にも、外からは体育祭練習の声が聞こえてきた。その雑音がなんとなく気に障った。
答案が出来上がるまでには30分もかからなかった。それは紅林さんも同じだったようで、僕たちの手が止まったのはほとんど同時だった。
「もう、いいですか?」
「大丈夫です」
そんなやりとりの後に、答案を交換して読む。それから指導要領と照らし合わせながら、改善点を話し合い、僕たちの思う解答を作る。すでに何度か繰り返しているその作業はスムーズに進む。そして、それが終わればまた別の問題を考え、同じことを繰り返す。
目下のところ、道徳は考える余地のない、完全な暗記科目と化していた。
「蒼くんと紅ちゃんの勉強見てると、道徳の教科化は間違いだったんだなぁって感じだねー」
部長がそう口を挟んできた。部長はさっちから、飴をバリバリと噛み砕きながら、数学の問題集を解いている。パソコン室は一応飲食禁止なのだが。
道徳が教科となったのは割と最近で、僕たちの親の世代くらいまでは教科ではなかったらしい。もともと教科でなかったのなら、なぜ教科にしようなどという考えに至ったのか、完全に謎だ。
「何がしたい教科なのか、全くもって謎ですからね」
そう口に出していた。僕のそんなつぶやきに対して、
「何をしたいかということなら、道徳観を養いたいんじゃないでしょうか?」
と紅林さんはシャーペンを回しながら答えた。
「道徳観、養われてますか?」
学習指導要領を暗記している以上、国が求めている道徳観を覚えはしたのだろう。しかし、それを実践しようという意識は全くもってない。つまり、道徳についての知識は得たわけだが、道徳的になったわけではない。
「私たち高校生が、今みたいに道徳について自発的に考えている状況ができているだけでも、御の字なんじゃないでしょうか」
なるほど。高校生に道徳について考えるきっかけを持たせるための教科。
「考えた結果が、こんなの勉強する意味あるー?ってなってるんだから、意味ない感じだけどねー。飴食べる?」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
部長からありがたく飴を受け取り、勉強へと戻る。パソコン室は飲食禁止なので、飴はポケットにしまう。
高校生というものは、なんで勉強しなきゃいけないんだと嘆きながらも勉強をする。そういう生き物だ。