39話 someone special
その目が僕を見ている。返事を待っている。
「あ、えっと」
先輩はこちらを見つめ、拳1つ分距離を詰めた。
「なんというか、1番気楽に話せる相手、でしたね。こういう感じでごちゃごちゃならなければ」
「ん?」
もっと詳しくと、首を傾げるだけで要求する先輩。
「一緒にいるのが楽というか……いえ、普通に考えて先輩と一緒にいるのが楽なわけないですよね。あれ? えっと、でも、やっぱり楽ってのがしっくりくるんですよね。疲れるのに」
何を言っているのか、自分で意味がわからない。先輩と一緒にいるのは、例えば、紅林さんとか、佐伯さんとか、紺野さんとかと比べると楽な気がする。実際のところはたぶん1番疲れる相手なのに、誰といるのが楽かと訊かれれば、なぜか先輩と答えそうな気になる。
なんとなくだが、そういうところは妹と近いかも。あいつも一緒いるとなんだかんだ色々疲れるが、でも、楽だ。
「今 思い至りました。妹と結構似た感覚かもしれません」
「答え、妹みたいってこと?」
先輩、なんかちょっと不満げ。
「……たぶん?」
例えば、今このタイミングで先輩に「あなたが好きです」と言っても、それはそれでいいのかもしれない。たぶん、こんな雰囲気を作っておいて先輩も断らないだろう。
でも、なんというかそういう気にはならない。
先輩のことは当然嫌いではない。その面倒くさい人間性を僕は好ましく思ってる。好きだと言って差し支えないだろう。
だが、それが恋愛感情かと言われれば、はたと首を傾げたくなる。
例えば、先輩とキスをしたいだろうか。NOだ。
先輩とハグをしたいだろうか。NOだ。
先輩と手を繋ぎたいだろうか。NOだ。
先輩に対してそういう欲求はない。
では、先輩と無駄話をしたいだろうか。YESだ。
先輩とトランプとか軽いゲームでもして遊びたいだろうか。YESだ。
先輩となんとなくぼーっとしていたいだろうか。YESだ。
これは恋愛感情か?
たぶん、NOなんじゃないか?
でも、これが、先輩とキスをすることが嫌かと言われたら、それはそれでNOかもしれない。
ハグに嫌悪感を抱くわけでもないし、手を触られるのが嫌なんてこともない。
僕は今の先輩との距離感が気に入っている。だから、それを壊しかねないことに積極的にはなれない。
だが、仮に先輩の方から告白でもされたのなら、きっと無意味でどうでもいい自問自答の末にOKをするのではないだろうか。
そこに大きな抵抗はないのかもしれない。ただ、抵抗がなかったとして、自分からそうなりたいという意思もやはりない、のだと思う。たぶん。
「蒼くん、まず一言」
「はい、えっと」
「I'm older than you !!」
まぁ、そこをツッコまなければ先輩じゃない。今の話の流れ的にどうでもいいことだけど。
「I know. あくまでイメージの話ですから。僕には姉がいませんし」
「ふぅん。ま、いいや。蒼くん的には、私は妹ちゃんに近いわけだ」
「まぁ、なんとくなく。気心知れてるって感じでしょうか」
妹よりはだいぶ付き合いが浅いし、知らないことも多いのに、でも、なんか、相手をするのに不安を感じない。
いや、行動が突飛で不安は感じてるはず。先輩に対して安心感を抱くなんて絶対におかしい。
よくわからなくなってきた。
なんでこんな不安の塊みたいな人の横にいて安心できる?
「わたしといるのが楽なんて、蒼くん変だよ」
「変ですよね。自分でも今、意味がわからなくなってます」
「それが恋ですよって紅ちゃんが言ってた」
「え、あ、はい?」
えっと? 変と恋の漢字が似てるとかそういうネタ? にしても、いきなり恋だとか言わないでほしい。
だって、ここでそういうこと言い出すのはおかしいだろ。
僕は今、妹と並列して話したんだし。なら、僕は同様に妹にも恋してるって? ありえない。破綻だ。その理屈はおかしい。
「この前さ、わたしは蒼くんのこと好きじゃないってことにしたよね?」
返す言葉が見つからない僕を置いて、先輩はいつも通りのあどけない顔で話を続ける。何気ない雑談をする時と変わらない、いつも通りの表情で。
「だから、わたしは蒼くんと付き合いたいとか言わないし、告白なんて当然しないの」
そう。そうやって、僕たちは現状維持を望んだはずだった。なのに、なんだ今の状況は。その話をしてから2週間も経ってないのに。
「でも、代わりにさ」
先輩はニコッとわざとらしく笑った。
「わたしと、特別な友達になってくれないかな」
「……はい?」
間抜けな声が出た。
特別な友達? 告白ではないらしいし、友達という名称を維持して恋人になれということでもないだろう。特別な友達って何?
僕がクエスチョンを浮かべていると、先輩は早口で腕をバタバタさせて力説し始めた。
「2人でこうやってお出かけとかはしたいなって。わかりやすく言うとさ、デートはしたいの。でもでも、本当はデートじゃないよ。お出かけ。ただのお出かけなの。
2人でよく出かける、友達。そういう友達。
そうやってよく会ってればさ、わたしが卒業しても疎遠にならないでしょ。それなら紅ちゃんも納得するんじゃないかなって。
あ、でも、もし蒼くんが嫌だったら、よく電話する友達とか、最悪LINEでも」
「先輩、いったん深呼吸してもらっていいですか?」
「やだ! わたしがあたふたしてるみたいに言うなー!!」
バタバタとした勢いのままに先輩は僕の方を拳で殴った。割と強めに。ちょっと痛かった。
「うりゃー!」
そのまま手をグルグルさせてポカポカと殴ってくる。なにこれ、理不尽。
「あの、微妙に痛いです」
「手が痛い! 蒼くんのせいだ!」
殴るのをやめたと思ったら今度はそう叫んできた。本当に理不尽。
「先輩、とりあえず落ち着いてください」
「いいから返事! はやく返事!」
「え、はい。出かけるくらい、時間さえ合えば、ぜひ」
なんか、勢いに押された感が否めない。
「じゃあ、電話は? LINEは?」
「断るようなことではないです、はい」
電話はともかく、LINEなんて今でも普通にしてるし。
「じゃあ、家に行くのも?」
「それはダメです」
それは勢いで押し切ろうとするな。
「むぅ。妹ちゃんとの愛の巣だから?」
「ふざけた言い方しないでくれませんか」
「わたしと妹ちゃんと紅ちゃん、だれが1番大事なの!? とか言ってみたり? ……ううん。いいや」
なんだ、その訊いちゃダメなこと訊いちゃったみたいな感じは。別に僕はその質問で答えに窮したりしない。
「まぁ、冷静に妹なんじゃないですか、家族ですし。たぶん、今 死んだら1番 僕への影響が大きいですし」
「この雰囲気で妹ちゃんって答える蒼くんはやっぱりシスコン!」
「いえ、妹との付き合い15年に対して、先輩との付き合いは1年弱ですから。まぁ、そこはさすがに」
紅林さんとどっちがとか訊かれたら、答えづらいというかごにょごにょしたかもしれないが、妹は別枠だし。
「じゃあ、とにかく、なんか色々、あの、その、決まったから、えっと、歌おう!」
色々決まったのか? よりグレーでもやもやした関係になった気がしないでもないのだが。
「Last Christmas, I gave you my heart」
先輩が歌い出したので、うだうだと考えるのはやめてそれを聴くことにした。
「But the very next day you gave it away」
今日は26日。last Christmas はつい昨日のことで、the very next day は今日。
この歌は24日や25日に合うもので、26日に歌うと1年経ったという歌詞に矛盾する。
そもそもが、今の僕たちにはまったく符合しない歌詞だ。
まぁ、いわゆる定番ソング。歌詞の意味なんて考えて歌っているべくもない。
美しい歌声をただ聴けばいい。
今度こそ考えるのはやめて、ただ音を聴く。
「I’ll give it to someone special」
先輩が歌い終わり、僕は軽く拍手をした。先輩は「えへ」と笑う。
「蒼くんが妹ちゃんに贈る歌」
「やめてください」
「ニシシ」
「はぁ」
「じゃ、次は蒼くんが歌って」
「あー、じゃあ、はい」
それからは普通にカラオケを楽しんだ。
結局、面倒な考え事は全部棚に上げた気がしないでもなかった。