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38話 フィガロの結婚


 紅林さんが僕と先輩にどうなってほしいのかは、まぁ、さすがになんとなくわかる。


 しかし、そういうのについては、なんというか、前に現状維持ってことになったはずではなかっただろうか。


「先輩はなぜ紅林さんの操り人形に?」


「期末試験で負けたから」


 ……ここで、それか。


「あの、先輩も紅林さんがどういう展開を期待してるかとか、察してますよね?」


「まー、そりゃー」


 煮え切らない返答。こちらを見ずに電子目次本を操作しながらの生返事。


「で、その紅林さんの言う通りにして、先輩はどうしたいんですか?」


「いやさ、うーん、そういう話をすると、なんか今日がそういう感じになっちゃうから、とりあえず忘れて歌わない?」


 はっきりさせるつもりはないらしい。

 試験で負けたから罰ゲーム的なノリで言うことをきいている。というだけのことにしろと。


 なんか、もうはっきり言って今日のこれってデートなわけだし、先輩との距離感がわからなくなっている。


 ついこの間 現状維持を選択したばかりのはずなのに、結局、フラフラしてしまっている。


 グルグルとそんなことを考えて泥沼の思考に陥りかけた時、部屋の中に軽快な音楽が鳴り響いて思考が(ほど)けた。


 なんとなく聞いたことのある流行りの曲。


 カラオケとか、実は来るの初めてなのだが、手拍子とかした方がいいのだろうか?


 僕はとりあえず全部棚上げして、先輩の歌を聴くことにした。



 予想してなかったのだが、先輩、歌がかなり上手い。本当に上手い。


 運動音痴だしリズム感もないと勝手に思っていたのが、そんなことはなく、何より高音がすごく綺麗に出る。手拍子なんて明らかに不要だった。


 採点機能はついていないが、僕が評価していいのなら9割5分は迷いなくつけるであろう歌声。


「蒼くんも歌おう!」


 3曲連続で歌った先輩は「ふぅ」と息をついて、こちらにマイクを渡してきた。


「あの、ハードル高いんですけど……」


 僕だって下手ではないと思う。まあまあだろうという自信はある。でも、下手ではないというか、良くて普通よりちょっと上手いくらいであって、今の先輩と張り合えるわけがない。


「それはわたしの歌が良かったって意味? わたしの歌声に惚れ惚れ?」


「いや、普通に上手いですし、上手いって自覚があってカラオケ誘いましたよね、たぶん」


 これだけ上手ければ自覚があって然るべきだ。文芸部なんかにいないで軽音か合唱部に入った方がいいと思うレベル。


「えへへ。実はちょっと自慢したかったかも。ドヤぁ」


 カラオケという選択は紅林さんの差し金のせいだけなわけでもないらしい。まぁ、これだけ上手ければ披露したくもなるだろう。


「あの、僕は別に上手くはないので、今日は先輩のオンステージってことでいいですよ」


「2時間取ってるんだよ! わたしの喉を潰す気か!

 というより、わたし、蒼くんの歌 普通に聴きたい。上手いとか下手とかじゃなくて」


 これはもったいぶるとよりハードルが上がるやつか。さすがに2人でカラオケに来てて1曲も歌わないわけにはいかないだろうし。


「まず、蒼くんってどういう曲聴くの?」


 正直に答えるなら、死にたいとか歌い上げる鬱曲をよく聴く。しかし、なんか、そう答える雰囲気でもない。先輩、無難なヒットソング歌ってたし。ここでそう答えるのは、たぶん気色悪い気がする。

 かといって、ラブソングとか答えてもそれはそれで気色悪いだろう。僕のキャラじゃないし。そんな嘘をつく必要は絶対ない。


「有名どころをって感じでしょうか。妹の影響が強いです。あいつ、家にいるときはイアホンしないんで」


 実際のところ、妹の影響ってのも嘘ではない。イアホンに関してはしてたりしてなかったりと、いつもしてないってことはないけど。

 まぁ、ただ、妹が好きなのも鬱曲なのだが。


「やっぱりシスコン?」


「あー、はいはい。まぁ、じゃあ、とりあえずこれで」


 そう言って、今期のドラマ主題歌になっていてCMで流れまくっている曲を入れた。フルで聴いたこともあるし、たぶん歌えるだろう。


 前奏が流れる。先輩はちょっと期待したような眼差しでこちらを見てる。もうすぐ歌い出し。やばい。これ、僕、今 緊張してる。


 歌い出しで盛大に音を外す、なんて失態はせずに済んだが、歌い始めても緊張が消えない。僕は先輩の視線から逃げるようにモニターの歌詞を凝視して、なんとなく落ち着かないままに歌った。


 歌い終わった時、僕はたぶん不安だった。いったい何が不安だったのかはわからない。たかが歌の上手い下手なんてどうでもいいことなのに、なぜか漠然と不安だった。


「普通に上手いじゃん。まー、わたしほどじゃないけどねー」


 その少しふざけ気味のコメントに不安はすぐに消えた。結局それがなんだったのか、よくわからない。


 普通に上手い。普通にってつくあたりが素直なところなんだと思う。


「先輩レベルだったら上手くないなんて謙遜しませんよ」


「蒼くんはあれだね。結構上手いんだけど、音楽の試験とかで歌っても、結構上手いってなるだけで、名前までは覚えられない感じ。

 合唱祭の時に、『あっ、そういえばこいつ結構上手かったな』って思い出されるタイプ」


 なに、そのいやに具体的な例え。

 そりゃ、先輩だったら試験の時点で絶対に名前を覚えられるだろう。その性格さえなければ、軽音とか合唱部からすぐに勧誘が来ると思う。


「先輩は合唱祭の時は大注目ですか」


「ううん。わたし、学校で真面目に歌ったことないし。わたしの歌声を知ってるのは世界で蒼くんと紅ちゃんくらい。

 もぞもぞ歌うのも得意なんだ。やろっか?」


「いや、それはいいです」


 さっきの歌を聴いた後にもぞもぞ歌われてもな。にしても、あれを聴いたことがあるのは先輩自身を除いて世界で2人か。それは光栄だ。


「わたしの歌、もっと聴きたい?」


 鼻高々だな。まぁ、その鼻はへし折れない。

 僕は素直に頷く。


「正直、2時間くらい聴いていられますよ」


「蒼くんが素直! 紅ちゃんの言う通り」


「ここで紅林さんですか」


 もう、なんかどこで登場してきても意外ではないけど。


「前、紅ちゃんと2人でカラオケに来た時、これは蒼くんでも絶対に素直に褒めるって。捻くれ者の蒼くんでも。なにかとケチをつける蒼くんでも」


 なんか、知らないところで女子会みたいなことやってるんだな。先輩後輩でそれだけ仲が良いのは普通にいいことなんだろうけど、僕のことを捻くれ者とかケチをつけるとか、その時 2人でそう言ってたのか?


 紅林さんって、普段のやりとり敬語だし、お互い節度を守って友人をしている感じがあったのだが、裏では案外ボロクソ言われてるのだろうか……。


「僕ってそんなにケチつけてますか? そりゃ論理的なものはあれですけど、こう、感性が関わる部分については案外 素直だと思うんですが」


 歌にしろ、文学にしろ、風景にしろ、良いもの、美しいものを素直に良い、美しいと感じているはずだ。


「蒼くん、綺麗は汚い、汚いは綺麗って思ってる人じゃないの?」


「マクベスの魔女ですか、僕は」


「こういうのが通じるのはやっぱりいいよねー」


 マクベス、読んだことも見たこともないけど。有名なセリフだから知っているだけ。

 先輩は「シシっ」と笑ってるし、本気で言っているわけではなさそうだが、一応 否定はしよう。


「まぁ、そりゃ綺麗とか汚いは主観によるものですけど、僕はそういうものについて著しく世間から外れた感性を持っているとは思いませんよ」


「綺麗なものの代表といえば!」


「えっ、えっと、夕日とか」


 急に問われて焦ったが、一般的な返答だと思う。


「ほらー、そこは普通、オイラーの公式だってー」


 どちらの感性がおかしいかはわかりきっている。いや、まぁ、オイラーの公式はそりゃ美しいだろうけれども。


「なら、僕だってオイラーの公式は美しいと思うので、とりあえず魔女ではないです」


「たしかにー」


 頭のいい風を装った頭の悪い会話だ。内容が空虚にもほどがある。


「さてー、紅ちゃんミッションも1個消化」


「そうなんですか?」


「秘密を1つ明かすだって。秘密、わたしは歌が上手い。超上手い」


「まぁ、はい」


 紅林さんの意図した通りになっているかは別だが、今まで知らなかったし、秘密といえば秘密だったのだろう。


「そのミッション、全部で何個あるんですか?」


「えっと、上から読み上げると」


 読み上げるのか。読み上げていいのか?


「・積極的に接触する

 ・時々、急に子どもっぽく振る舞う

 ・秘密を1つ明かす

 ・2人きりになれる場所に行く

 ・不機嫌そうに妹の話を振る

 ・自分のことをどう思ってるか訊く

 ・意地を張らずに素直になる


 だから、あとは妹ちゃんの話を振って、わたしのことどう思ってるか訊けば完了かな。でも、妹ちゃんプレゼントくれたし、不機嫌そうに話すのって変だよね。

 あと、最後のは知らない。菜子ちゃんはいつでも素直だもん」


 なんか、あからさまといえばあからさま。紅林さんは期末試験の結果を引き合いにしてまでこれをさせたかったと。

 あの人、実はものすごく恋愛脳だろ、もう。


「あの、余計なお世話だって思いません?」


「紅ちゃんはね、いわゆるカプ厨なんだよ、きっと。うーん、大元はちょっとわたしに原因がなくもないし」


 仲良しの後輩になんとも辛辣な……。まぁ、カプ厨という表現でしっくりきてしまう部分が結構ある。

 いやでも、紅林さんが僕と先輩でそういう妄想をしてるって、普通に嫌だな。うん、かなり嫌だ。


「もうさ、紅ちゃんには付き合ったってことにする、とか?」


 ……いや、それは、その、どうなんだ? 僕は答えられずに押し黙る。


「とっさの思いつきだから、ごめんね、今のなし! うん、なし!」


 無言に恐れをなしたのか、先輩すぐに撤回した。撤回されなかったら、僕はどう答えたのだろう。


「……恋とはどんなものかしら」


 電子目次本をいじりながらぼそっと呟いたそれの元ネタを、僕はやはり知っている。


「モーツァルト、フィガロの結婚」


 ただ、内容は貴族を批判する話ってことしか知らない。現状にあっているのかはわからない。


「正解」


 部屋に穏やかな曲が流れ始める。『恋とはどんなものかしら』、カラオケに入ってるか。


「蒼くん歌える?」


「歌えるわけないでしょ」


「わたしも」


 2人とも歌えないまま、ただ穏やかな伴奏だけが流れて、そして終わった。


「蒼くん」


「なんですか?」


「わたしのことどう思ってる?」


 状況はまったく『フィガロの結婚』とは合ってませんが、そこはご容赦ください。完全に『恋とはどんなものかしら』のフレーズだけでいれました。


 余談ですが、デンモクが電子目次本の一般の略称ではなく登録商標だと今話を書くにあたって初めて知りました。

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