35話 クリスマスだし
「先輩、それで課金額合計3000円になりますけど……」
この人は金遣いが荒いのだと理解した。
クレーンゲームを前にもう何分過ごしただろう。紅林さんと大白先輩は近くで別のゲームに興じているが、僕はなにぶん金を使いたくないので、先輩を見ていることを口実に自分では何もしていない。
初めは大量虐殺だとか物騒なことを言っていたくせに、店内に入り、クレーンゲームの中の抱える大きさのぬいぐるみを見るや、「あれ、ほしい!」という切り替えを先輩は見せた。
何かのキャラクターらしき、羽が生えてデフォルメされた馬のぬいぐるみ。ペガサスなのか、あれは? なんだろう、ファンシーって形容するのが正しいのか?
たぶん、重さ的に技術のない素人には取れないと思う。でも、とりあえずやりたいことをやらせればいいと、3人とも先輩を止めなかった。
結果、先輩はすぐに500円を溶かした。
それで諦めるだろうと思ったのは、僕の考えが甘かったのだろう。
先輩は500円を投じ続けた。もう、ぬいぐるみはどうでもよく、ただ意地になってるだけな気もする。
「こういう時は蒼くんが『ちょっと貸してみ』とか言って取ってくれるものじゃないの!」
500玉を投入口に入れるのをすんでのところでやめ、先輩は僕の方を見て不満げに言った。
2500円分失敗してるせいか半ギレだ。
「僕にそんな技術ないですから。クレーンゲームとかやったことありませんし」
というより、ゲームセンターに来ること自体 初めてだ。この騒々しさは少し堪える。客が他にあまりいないのが救い。
「蒼くん、わたしはこれを取らないと、2500円をドブに捨てたことになるんだよ」
その、これだけ犠牲を出したんだから成果を得なくてはならないという考え方は泥沼を生む。そう思う人間はギャンブル性のあることをしない方がいい。
「現にドブに捨てたんだと僕は思いますよ。先輩、カジノとかに行ったら破産するタイプです」
「ひどっ!! わ、わたしだって歯止めくらい効くもん!」
そう言いつつ、視線が件のぬいぐるみに向いているんだが……。
「30回やってダメだったんだから、未練がましい視線を送らないで諦めませんか?」
このクレーンゲームは500円で6回プレイ。先輩は2500円をつぎ込んで30回プレイしたわけだが、惜しいと思う瞬間は1回もなかった。
「うぅ……。蒼くん、1回やってみない?」
そりゃ、ここでやって、ぬいぐるみを取って先輩にプレゼントでもできれば、ちょっとは格好いいのかもしれない。でも、現実は金を無駄にするだけだろう。
助けを求めるように視線を大白先輩と紅林さんの方に向けると、ちょうど大白先輩が別のクレーンゲームをして「あー、ダメか」と言っていた。
「僕より大白先輩に頼んだ方が可能性あると思いますよ」
大白先輩たちもこちらの視線に気づいて、近づいてきた。
「俺もこういうの得意じゃないんで。たった今 500円溶かしましたし」
すると先輩は期待の視線を紅林さんの方へ向けた。すぐさま、「私も無理です。すみません」と紅林さんは頭を下げた。
「もう帰るっ!」
あーあ、拗ねちゃった。先輩は「ふんっ」とぬいぐるみに背を向けると出入り口まで走り出した。
「より空気悪くなってないか?」
クリスマスの思い出、つまらないイベントに行って、そこで知り合いと軽い口論をして、そのあと2500円をただ失った。最悪すぎる。
僕たちはとぼとぼ歩いて先輩を追う。
「後味が悪い感じになりましたね……」
「すみません」
「紅林さんが謝るのは謎ですよ」
「ああ。菜子先輩が帰るって言ってるし、解散だな」
「次会うのは冬休み明けですかね」
「わからん。菜子先輩が何も言わなきゃそうなるだろうな」
店を出ると、先輩がこっちを睨んでいた。とりあえず、連れ立って駅まで歩く。
さて、3人は同じ電車だが、僕だけは逆方向。駅で別れることになる。
改札を通り、階段の前で3人がこちらを向いた。
「色々あったけど、楽しいクリスマスだったよ、たぶん!」
本当に楽しかったかは怪しいが、先輩の言っていた1人でパズルを解くクリスマスに比べれば、まぁマシかもしれない。
「さよなら」
「じゃ、また今度な」
「では、また」
それぞれ挨拶をして、3人は階段を下ってホームへと去った。僕も帰るならその向かいのホームに行けばいいわけだが、さて。
『蒼井 陸斗: クレーンゲームとか、結構 得意だよな?』
ありがたいことに、既読はすぐについてくれた。
『蒼井 美月: なにいきなり? 得意ってほどじゃ、普通だよ』
妹は時々、ぬいぐるみとかクッションとかを持って帰ってくることがあった。本人に「なにそれ?」と訊くと、「友達とゲームセンター行って、取ってきた」と答えてきたことを覚えてる。
『蒼井 陸斗: 今、時間作れたりしないか?』
時間はまだ19時になってない。僅かに望みはある気がした。
『蒼井 美月: LINEするくらいならいいけど、外に行くのは無理。家にお母さんいるし』
今日はいるんだったか。なら、仕方ない。
『蒼井 陸斗: クレーンゲームのコツとかないか?』
『蒼井 美月: なに? 彼女にねだられでもしたの?』
『蒼井 陸斗: 違う。ただ、小学生くらいの子が、どうしてもほしいって言ってるから取ってあげたいだけ。クリスマスだし』
打った文面を見て思う。僕に似合わないことこの上ないセリフだ。
『蒼井 美月: その台の写真送って』
僕は駅を出た。