4話 僕の主観としては面白くなかった
「江ノ島ってどっちー?」
「こっちです」
モノレールの湘南江ノ島駅を出た僕たちは、紅林さんの案内で江ノ島へと向かう。
「LEGOの専門店だってー」
例によって、道中部長はウロウロとするが、なんとか目的地まで向かわせる。昨日の二の舞を演じないように。着いたら疲れてるは、もう笑えない。
真っ直ぐ歩いていくと、一度地下のような場所に降りることになった。ここから、江ノ島へと渡る橋に向かうらしい。
「えーっと、水族館は江ノ島の中にあるんだっけ?」
当初の予定では水族館に行くことになっている。そのおかげで予算的にかつかつなのだ。
「いえ、新江ノ島水族館は江ノ島の手前、あっちですね」
「うーん。でも先にご飯にしよう!」
予定では午前中に水族館を見て、午後から島の中へという感じだったはずだが、部長がご飯をご所望なのだからそれでいいだろう。
「なっましらすー、なっましらすー」
生しらすの歌を自作した部長を先頭に、僕たちは江ノ島へと向かった。ただ橋を渡るのだから、いくら部長でも迷いようがない。また、人混みの中へと身を投ずる。
「この後どうしましょうか? 島の中を観光するか、それとも戻って水族館を見るか」
紅林さんは後のことが気になるようだ。さて、どうしたものか。
「えっと、水族館は17時には閉館です。江ノ島タワーのライトアップが、いえ、でも夕飯の時間が19時で」
「落ち着いてください。食べながら4人で考えましょう。……場合によっては部長の鶴の一声ですから」
ここで話し合っても、部長がそれ嫌だと言えばそれまでである。
「そうですね。すみません」
「いえ、僕はこの旅行、本当に楽しんでますよ。ありがとうございます」
「おい、部長から目を離すと見失うぞ」
大白先輩の言葉に部長を見ると、橋を渡るという一本道にもかかわらず、突然の加速や減速を繰り返す意味不明の動きをしていた。周りの人たちから迷惑そうな目で見られている。これだと、人混みに見失いそうだ。
「あの人、なんであんな動きを……」
「なんか楽しくなって走るけど、すぐに疲れてやめる、それを繰り返してるんだろ」
「……小学生」
「それ、部長には言うなよ」
前を行く140cmほどの少女は、どう見ても高校3年生ではなかった。
僕と大白先輩はそんな部長を呆れるように、紅林さんは何を思っているのかよくわからない目で、ただ見ていた。
*
「うまぁ」
部長は生しらす丼を口いっぱいに頬張り、そう言った。とても無邪気に美味しそうに食べる。
食事処はかなり混んでいて、それなりに待った。しかし、その待ち時間に見合うだけの品は出されていると感じる。美味しい。
「美味しいですね」
「蒼くんが食べてるの釜揚げじゃん」
生魚は苦手なのだ。
「この後はどうしましょうか?」
「水族館? クラゲ、イルカ、ペンギーンっ!」
部長がそう言うならそれでいいだろう。
「大白先輩と蒼井くんが他に特に行きたいところがないなら、そうしようと思います。どうですか?」
「水族館、いいんじゃないですか?」
「俺も水族館いいと思うぞ」
「では、そうしましょう」
午後の予定は、結局部長の一言で決まった。
「おぉ、ネコいるかな? キャットっ!」
「ネコなんているわけないじゃないっすか」
「キャットフィッシュならいるかもですね」
「ネコザメならいると思います」
部長がなぜネコを期待するのかは知らないが、僕たちはいそうなネコを挙げるのだった。
「ネコザメかぁ。なんであれがネコなのかなぁ」
部長はなぜかネコに関して思案を始めたため、僕たちは穏やかに食事をすることができた。
*
新江ノ島水族館。あまりよくは知らないけど、クラゲで有名らしい。入って最初の階段に、クラゲの写真がバンと貼ってあった。
「ショーの時間案内がありますね。どう回りましょうか?」
「イルカショーは観たい! あとはいいや」
部長がそう言うなら、僕たちはそれに従う。別に、特別観たい何かもない。
「では、15時30分にイルカショーが始まるということは念頭においておきます」
そう紅林さんは言った。それは、紅林さんだけでなく、僕たち全員が念頭においておくべきことだ。
「よっしゃ、行こー」
部長は走り出さないまでも、スタスタと歩いて行く。江ノ島本島よりも人は少なく感じるが、それでも人はいる。その隙間を縫うように部長は進んで行く。見失うので、本当にやめてほしい。
「あいさつだって」
そして、誰も足を止めていないところで足を止める部長。
「これって、つまりはここはいいところだぞーって自慢だよね」
「ここはって言うより、相模湾はですね。地元愛では?」
水族館に来て、そんな魚には関係のない話をするのだった。
「相模湾の歴史だって。1216年の次が1877年。飛んだなー」
「どうでもいいでしょう。そんなことは」
今から、ひたすら部長につっこみを入れながら水族館を回るのだろうか。それは嫌だな。
「1877年といえば」
「西南戦争ですね。先に進みましょう」
「蒼くんが冷たい……」
部長に合わせていたら、昨日みたく途中で疲れ果てるのは目に見えている。それに、水族館で日本史の話というのも合わない。
「おぉ、綺麗ー」
ただの廊下なのに、窓から水平線が一望できる。昨日の夕焼けのインパクトが強くてあれだが、この景色だって、十二分に美しい。最初のあいさつでロケーションの自慢があるのも頷ける。
「相模湾ゾーンだって」
そこからは魚の展示が始まり、周りは薄暗くなった。とりあえず、最初に目の前に現れた水槽を眺める。
「魚だね。ウツボしか名前わかんないけど」
僕も魚に詳しくもないので、見ても種類などわからない。横にある案内板を確認する。写真と名前があり、どの魚がどんな名前だかわかる。まぁ、名前がわかったからといってどうなのだといえば、どうということもないけれど。
「クロホシマンジュウダイだって。美味しそうな名前。甘いのかな?」
「味でつけた名前ではないと思いますよ」
部長がはしゃぎ、僕がそれにつっこみ、紅林さんと大白先輩は無言で楽しむ。なんか、僕だけ損な役回りをしている気がするだが。
ひたすらクロホシマンジュウダイを眺めていても仕方ないので、次の水槽へと進む。水族館で、1つの水槽の前にいるべき適正時間というものがわからない。満足したら次の水槽に行けばいいのだろうが、魚を見て、何に満足するのだろう。僕は別に、魚を見ていても特に楽しいことはなかった。
「ネコザメー、どこー」
次の水槽の案内にはネコザメの名前があったようで、部長が水槽とにらめっこを始めた。ネコザメの何に魅力を感じているのだろうか。名前じゃないよな?
この水槽、下に大きく広がっていて、大水槽と繋がっているらしい。部長がいくら睨みつけても、ネコザメは見つからない。
「むぅ、いない」
「下じゃないでしょうか?」
紅林さんがそう言うと、「よし、次行こう」と部長はこの水槽を後にするのだった。
僕たちは部長を追う形で先へと進む。途中、壁に『相模の海を知ることは世界の海を知ること』なんて、大きく出たなとしか言いようのない文言が書いてあった。地元愛が本当に深い。
「トノサマダイだって、偉そうだなぁ」
「別に、自分でそう名乗ったわけではありませんから」
「なんかさ、こうて何匹もの魚と目が合うと、怖いよね」
「向こうにこちらを見ているという意識があるかはわかりませんけどね」
そんなどうでもいいやり取りを経て、僕たちは大水槽の前にたどり着いた。
「よし、ネコザメどこ?」
そう言うと思った。見つからないと、部長はここを動かない恐れがあるので、僕も探す。が、ウツボや群れで泳ぐ魚が目立つばかりで、ネコザメが見つからない。
「上にいます」
紅林さんがそう言った。瞬間、下を向いていた僕と部長の視線が上を向く。そこには、僕の感性では何がネコなのか全くわからない、サメにしては小さな魚が泳いでいた。
「で、これのどこがネコ?」
「さぁ?」
「タッチプールで、たぶんネコザメには触れると思います。触れば、何かわかるかもしれません」
紅林さんはそう答えた。タッチプールにいるんだったら、わざわざ大水槽で探さなくてもよかったのではと思わずにはいられなかった。
部長は水槽で見るネコザメには満足したのか、大水槽を後にする。僕たちはそれを追う。次の展示は、シラスがテーマだった。
「これ、さっき食べてきたんだよね?」
水槽にはシラスはカタクチイワシの仔魚だという解説が添えられ、中ではそのカタクチイワシが活き活きと泳いでいる。
「そう言われると、ちょっと嫌な気分になりますね」
魚を食べて、その直後に水族館に来ているのだ、そりゃあ、こういうこともあるだろう。シラスというのは、狙っているとしか思えないけど。
「そう? 別にわたしはならないなぁ」
部長には同意してもらえなかった。
「私も、嫌な気分にということはありません」
「俺は、蒼井の言うこともわからなくはない」
そんなコメントをもらって、僕は「そうですか」と返した。あなたが食べたものがこちらになりますというのは、僕的には嫌だったのが、他の人的にはそうでもないらしい。
「孵化後約15日の、ちっこーい。食べごたえなさそー」
部長の目には、この水槽の中で泳ぐ魚は食料に写っているらしい。
「孵化後75日以上の方は大きすぎだよ。これは、ご飯にかけて食べられないね」
その話に僕は返答しないでいると、紅林さんが「確かに、そう食べるには大きいですね」と返した。
雑談、というよりは部長へのつっこみを続けながら、僕は水槽を眺めていった。率直に言ってしまうなら、別に面白くもない。魚を見てワクワクできる感性は、僕にはないらしい。
「ここから、クラゲゾーンだよ」
部長はそう言う。クラゲか。カツオノエボシとか、毒のイメージが強い。
クラゲファンタジーホールなる所は、ちょうどショーをやっている最中なようで、入ることはできなかった。
なので、周りの水槽を眺める。クラゲの入ているのは円柱形の水槽。クラゲがどうのという前に、屈折の大きさが気になる。中は大きく歪んで見えて、視界に入っているクラゲのサイズすら正確にわからない。
これはこれで、幻想的とか、そういうのを演出しているのだろうか。僕としては、見づらいという感想をもった。
そこから少し先に進めば、別のクラゲの展示。
シンカイウリクラゲ。僕の思うクラゲの形ではなく、名前にあるように瓜の形。そして、光る。これは発光ではなく反射だろうか。わからない。
魚の展示とは違って、なんとなくボーっと眺めていられる。人が多いので、ずっと眺めているわけにはいかないのだが、人が少なければもっと眺めていただろうと思う。
ふむ。このクラゲの展示のテーマは癒しらしい。ボーっと眺めていられるというのは、癒されているのだろうか。魚よりもクラゲの方が、ずっと僕好みだった。
「うーん、よくわかんない」
僕好みではあったのだが、部長のお気には召さなかったようで、部長はクラゲの水槽から離れていく。僕はそれに追従する。別に、水族館を楽しむのなら、1人で来ればいいのだ。今は、部長を追う方が優先順位が高い。
太平洋コーナーを眺める部長は、魚自体というより、その名前に興味津々だった。メガネモチノウオとか、魚の名前はかなり安直で、見た目通りだったりする。部長曰く「カッコつける気が全くないところがいい」らしい。
太平洋コーナーを見終わったあたりで、僕は疲れてきた。パンフレットによると、展示はこれで大体終わりのはずだ。あとは、ペンギンとか亀とか。なんか、心境の上で、見ることがノルマみたいになっている。別に、疲れたなら1人で休んでいてもいい。ペンギンや亀を眺めても、僕は大して楽しくないのだから。
太平洋コーナーからエスカレーターで上がると、休憩所のようなスペースがあった。軽食なんかを売っていて、カプセルトイなんかも置いてある。
つまり、ここまで来る頃には疲れるだろうということだろう。僕に体力がないということはないらしい。
「ガチャやるー? 水族館限定なのかな、クラゲとかペンギンとかあるよ」
カプセルトイの方に駆けて行った部長から、そう訊かれた。僕はすぐに、「僕はいいです」と答えていた。
紅林さんと大白先輩は部長の方に歩いていた。内容も見ずにいいですはなかったか。でも、内容を見たところでカプセルトイをやる気が起きるとは思えないけど。まぁ、とりあえず、部長の方に歩いてはいく。
確かに水族館らしいライナップだ。サメ、ペンギン、アザラシ、クラゲ、それを模した玩具が並んでいる。いや、たい焼きとか海鮮丼とか、中には水族館と関係があるようで全然ないものあったけど。
これは限定物ではないだろうな。一般にあるもので、それっぽいものを集めたという感じだ。
「ペンギン、かわいいですね」
「でしょ! やろやろ」
そう言ってカプセルトイに100円玉を投入していく部長と紅林さんを、僕はただ近くで見ていた。
「大白先輩はやらないんですか?」
なんとなくそう訊くと、
「俺にこれは絶対似合わねーだろ」
と苦笑いで答えられた。そうかもしれないと思う一方、それはそれでいいのではないかとも思った。
手に持ったペンギンのストラップを見てニタニタと笑う部長と、すぐにバックの中にしまう紅林さんを横目に、僕はその辺にあった椅子に座った。結構疲れたな。
「ちょっと休んで、それからイルカショーに行きましょうか」
時計を確認すると15時を過ぎていた。
「なんか食べる?」
今度は即座にいいですとは言わずに、何を売っているのかを確認する。確認したところで買わないのだが。
「僕はいいです」
「私も食べ物はいいです」
「さっき食ったばっかりっすから」
「そだねー」
それから少しの休憩時間中、僕たちは無言だった。たぶん、全員疲れていたんだろう。歩きっぱなしだったんだから、そりゃあ疲れる。
「では、イルカショーに行きましょうか」
休憩時間は5分程度だったと思う。まぁ、ショーが始まる15分前。席を取ることを考えても、これくらいの時間につけばちょうどいいだろう。
というわけで僕たちはショーの会場に向かったのだが、そこはすでに人で溢れていた。
「遅かったかな?」
「すみません。もう少し早く動くべきでした」
紅林さんは頭を下げる。別に紅林さんを責めるつもりなんてない。というか、責める理由も資格もない。
「立ち見でいいんじゃないですか?」
立ち見までいっぱいということはなく、立つことを許容すれば、見やすい位置に陣取れるだろう。
イルカショーは問題なく見ることができた。なんというか、僕の主観としては面白くなかった。
盛り上がるように組まれているはわかる。実際、観客は大いに盛り上がっていたし、文芸部の面々も満足そうだった。
だが、つまりはイルカを調教して思うように操っているわけで、ショーの中でイルカとの友情がどうのなどと言われると、白々しく思えてしまう。
なんとなく、イルカが可哀想に思えてしまう。
いや、イルカは食事を得るために行動しているのであって、それは仕事をして給与を得る人間と変わらない。イルカに対して変に同情するのは間違ってる。だが、そう思ってしまった以上、楽しめないのは仕方ないのだ。
「ふー。よし、ペンギン見に行こう」
部長の言葉に従って、僕たちはショーの会場を出た。
水族館の在りようを批判する意図は全くありません。本文章は、蒼井くんはこう思ったというものです。