20話 こう、なんとなく怖い
水曜日の放課後、HRが終わると、声をかける必要もなく、佐伯さんは紺野さんをお供に連れてこちらにやってきた。
「確認だけど、3人分でいいんだよね?」
その様子から察するに、くじ引きの手配はしてもらえたらしい。
「はい。それで、余ることはあっても、足りないことはありえません」
「余るのも困るんだけど……。じゃあ、ご飯食べ終わったらすぐに行くから」
佐伯さんと紺野さんは、近くの空いている席に腰をかけると弁当箱を取り出した。僕もパンを取り出す。
紺野さんが一緒にいる説明は何もされず、当の紺野さんは無言小さく会釈するだけだった。こちらもなんとなく同じように返した。
なんか、他に誰かいる時の紺野さんとの挨拶って、いつもこんな感じな気がする。
「あの、なぜ紺野さんも一緒に?」
無言で食事をするのもなんか変な気がしたので、そんなことを訊いてみた。
紺野さんは曖昧に首を傾げながら「えっとー」と口ごもったが、佐伯さんの方はすぐに言葉を返してきた。
「だって、文芸部に1人で乗り込むとか、怖いし」
文芸部、怖いのか。とって食うわけでもないし、突然逆ギレするとかもないのだけど……。
「怖くはないですよ。ちょっと変わってるだけで、危険性はありません」
ちょっと、いや、佐伯さんから見ればだいぶ変わってるかもしれない。
「危険とか安全とか、そういう問題じゃなくて、こう、なんとなく怖いでしょ?」
でしょ?と言われても……。やはり、先輩に怒られたのが尾を引いているのだろうか。
「僕の主観からすれば何も怖くないですけど」
「そういう、なんか小難しい言葉で話してくるところとか、ちょっと怖い。意識高い系に押し潰されそう」
文芸部の意識って、勉学以外に関してはすこぶる低いと思うのだが……。
「小難しいことなんて言ってますか?」
「そういう、自分たちが普通って思ってるところが、私たち側からすると話しづらくなる理由の1つだよ」
佐伯さんは手に持った箸をこちらに向けて言った。たぶん、ものすごく失礼だ。僕たちを怖いとか言う前に、まず自分を正すべきだと思う。
「まぁ、普通の基準は自分ですから」
「蒼井くん、絶対普通じゃないからね。変人寄りだからね」
「失礼ですね。まぁ、否定はしませんけど。自分が平均から見て変人と自覚した上で、僕にとっての普通の基準は自分ということで」
「もう、蒼井くんが何を言いたいのか、私にはさっぱり。由那にはわかる?」
肩をすくめてアメリカ人みたいなリアクションをし、佐伯さんは紺野さんに話を振った。
「自分が普通と違う自覚はあるけれど、蒼井くんは一般的な普通よりも自分に思考の基準点を置くってこと、ですか? すみません」
紺野さんの声はだんだんか細く自信なさげになり、最後にはなぜか謝った。
「まぁ、そんな感じかもしれません」
「由那にはわかるんだ。なら、来年蒼井くんが生徒会に入っても、由那を通訳にして私とも会話ができるから安心だね!」
僕とは通訳がいないと会話にならないと? ……いや、佐伯さんとは実際そうかもしれない。
まぁ、それ以前に。
「まず、生徒会に入る気はないですから。あの会長は引退して、先輩も卒業するんですし、僕にこだわる理由なんてないじゃないですか」
「だって、蒼井くん、なんだかんだ言ってスペック高いから。文章も書けて、パソコンもまあまあ使えるよね? それに、意外に人前で話せるのも勉強会の時にわかったし」
生徒会役員に必要なスペックを持っているから欲しいか、まぁ、言わんとすることは合理的だ。
「でも、僕にはやる気という1番必要であろうものがありません」
「会長見てると、やる気がありすぎても大変かもって感じなんだよね……」
佐伯さんは視線を斜め上の方に向け、少し顔を引きつらせた。
そりゃ、やる気に満ち満ちているのにも問題はあるかもしれないが、やる気が全くない方がダメなのはわかりきっている。
「蒼井くんの生徒会勧誘はあと1年弱かけてじっくりやるから、今日はとりあえずアンケートね」
喋りつつも少し急いで食べていたのか、佐伯さん弁当を食べ終わったらしく、それをしまい始めた。
僕はパン1個ととても軽い昼食なので既に食べ終わっている。しかし、口数を少なく様子をうかがっていた紺野さんはまだ食べているようだった。
紺野さんは佐伯さんが弁当をしまい始めたのを見て、まだ中身が残っている弁当箱を閉じた。
「じゃ、行く?」
佐伯さんは弁当箱をバックに入れると、僕に対してそう問いかけた。
友人が食べ終わってるかくらい気にしてもいいのに。
「急ぐんですか? 紺野さん、まだ食べてるようでしたけど」
「えっ、あっ、まだ食べてた?」
「ううん。私は大丈夫だから」
紺野さんはそう返しつつ、手早く弁当をしまった。この人が苦労性なのがひしひしと伝わってくる……。
結局、僕たちはそのまま立ち上がりパソコン室へと向かった。
その道中、佐伯さんはいかに会長を説得したかなんて武勇伝を誇らしげに語ったが、聞き流した。興味ないし。
「どうも」
パソコン室のドアを開き、曖昧な挨拶をしつつ中に入る。2人は無言で僕に続いた。
「蒼くん、おはよ、と、えっと、書記の人と、誰?」
文芸部LINEで今日 書記の人に来てもらう旨は伝えてあるが、僕自身来ると知らなかった紺野さんのことは話してない。
「おつかれ。佐伯と紺野も、なんか変な仕事頼んですまん」
パソコン室にいたのは先輩と大白先輩の2人。紅林さんはまだのようだ。
最近 生徒会にちょくちょく顔を出すらしい大白先輩は、やはり2人とは顔見知りらしい。
「お疲れ様です。えっと、生徒会書記の佐伯です」
「私は生徒会役員ではないんですが、大白先輩と同じく手伝ってます、紺野です」
「あんまりかしこまんなくていいぞ。この人、礼儀とかそういうのはあんまり頓着しないから。そうっすよね、菜子先輩」
大白先輩は怖い顔で人の良さそうな笑みを2人に投げかけると、先輩の方に確認するような視線を向けた。
「今回はこっちがお願いする側だからね。アレの話をしないことと、わたしのことをちっちゃいとか子どもっぽいとか言わなければ、それ以外は気にしないよ。うん」
そう言いつつ、先輩の態度はなんか偉そうだった。まぁ、でも、先輩にしては大人な対応だろう。たぶん。
「アレ、ですか?」
「生徒会長のことです。嫌いなので」
疑問符を浮かべた佐伯さんに注釈する。佐伯さんはちょっと呆れるような顔をして「なるほど」と頷いた。
「だと、アンケートの中に一部それの話も入ってるんですけど、それはいいですよね。嫌いならはっきりそう回答してください。
じゃあ、さっさと済ませちゃいましょう。もう1人の人も待ってれば来ますよね? もうアンケート渡しちゃっていいですか?」
「うん。いいよ。紅ちゃんもすぐに来ると思う」
先輩が右手を差し出し、佐伯さんはアンケートを渡す。……紺野さんのいる意味が全くない。
「じゃ、蒼井くんも」
「はいはい」
僕もそれを受け取って目を通す。
今の生徒会を支持するかとか、1〜5の数字で回答する質問と、生徒会に対して不満や要望はあるかのような、具体的に記述する質問がそれぞれ5題ほど。記名する欄はない。
数字の方はそれなりに真面目に答え、記述の方は「特になし」ばかりになった。実際、生徒会の活動について思うことなんてない。
僕と先輩がアンケートを書き終わったタイミングで、パソコン室のドアが開かれた。
「こんに、ちは?」
紅林さんは登場すぐに見知らぬ2人に首を傾げた。
「こんにちは。生徒会の人です」
「あっ、はい。くじ引きの」
紅林さんはそれでだいたい状況を察したようで、「アンケートは私も答えるんでしたよね」と言って筆記用具をバックから取り出した。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
佐伯さんが頭を下げるのに追従して、紺野さんも頭を下げた。紅林さんも会釈程度に頭を下げ、アンケート用紙を受け取る。
アンケートの記入はやはり時間を取るものではなく、紅林さんもすぐに書き終わった。
「ありがとうございます。で、くじの方はこっちで勝手に引いて来ちゃったので、蒼井くん72番、真白さん73番、紅林さん74番です」
佐伯さんはアンケートを回収するのと同時に数字の書かれた小さな紙を渡した。ラミネート処理なんてされておらず、すぐに失くしそうだ。
「景品交換の時はこの紙を持っていけばいいんですか?」
「ううん。それはなくても大丈夫。こっちで名前と数字を管理してるから。でも、数字は覚えててくれると助かるかな」
数字さえ覚えていれば、紙自体は失くしてもいいのか。
「では、私たちはこれで。25日はここまで届けることはできないので、嫌でも生徒会室まで来てくださいね。アンケートへのご協力、ありがとうございました」
佐伯さんはそう残して、紺野さんを連れて去っていった。紺野さんが来た意味、本当になかった気がする。
「生徒会室、行くの……?」
それから、どうにかして生徒会室に行かずにすまないかと、先輩は頭をひねり始めた。