17話 過保護じゃないですか?
「高校受験って大変だった?」
「私は、正直あんまり」
「やっぱり、だよね」
パソコン室に入ると、先輩と紅林さんが2人で雑談をしている最中のようだった。大白先輩はいない。いて欲しいかった……。
「こんにちは」
とりあえず挨拶。
「蒼くん、おっはよー。遅かったね」
「こんにちは」
先輩は不自然なほど元気に、紅林さんはいつもと同じように返してきた。
何も考えず、普通に話すのが吉だろう。
「おはよう、遅かったねって、その時点で矛盾してますね」
「はやくないねー」
大して面白くもないのに、2人して軽く笑う。なんだ、これ。
「ちょっとお昼食べつつ読み物を読んでたら遅くなりました」
「ご飯を食べながら読書は、だんだん食べる方が疎かになって、いつまでたっても食べ終わんないんだよね。うんうん」
「まぁ、そんな感じです」
僕は基本的に食事をしながら読書はしないけど、先輩はわかるーみたいな感じで頷いたので同調しておく。
「わたしもね、結構ご飯食べながら本とか読んじゃうんだよね。それで、本の方に集中しちゃうと、本にご飯をこぼして汚しちゃったりするの。そういうことあると、もうこんなことしないって思うのに、1週間経つと同じことしてるっていう」
「わからなくはないです。あるきっかけでやめようって思っても、習慣って簡単には変えられないんですよね」
「蒼くんもそういう習慣ある?」
「そうですね、えっと……」
考えてみる。布団に入ると無駄に頭が冴えて、色々考えているうちに深夜3時ぐらいになっているとか、やめたいけど治らなくて困ってるな。
そんなどうでもいい答えを言おうとしたが、
「あの、それよりも蒼井くんに訊きたいことがあるんですけど」
紅林さんによって、それは遮られた。
「なんですか?」
「妹さんは何に悩んでるんですか?」
その質問は、思っていたものとは少し違うものだった。
僕は返答に窮し、数秒黙る。
「……まぁ、親子関係と友達関係、総称して人間関係でしょうか」
世の中の悩み事の半分以上は人間関係の悩みだろうとは思うけど。
「それは、蒼井くんの手助けでどうこうなるものなんですか?」
「なりませんよ。僕にできるのは、妹のストレスのはけ口。まぁ、サンドバッグの代用品くらいのものでしょうか」
愚痴をぶつける相手程度にしかなれはしない。特に言葉選びを考えず、そんな意味合いで言ったつもりだった。
「……妹さん、蒼井くんを殴るんですか?」
結果、紅林さんからは多大なる勘違いを受けることになった。
紅林さんの目がちょっと本気っぽい。うちの妹、兄を殴るようなやつだと思われてるのか? 一応、面識はあるはずだけど。
「あっ、いえ。完全に言葉選びを間違えました」
そう言っても、紅林さんの僕を心配するような眼差しは消えない。
「僕にできることなんて、愚痴を聞くとか、チョコレートを献上するとか、そんなものって感じです。
大した役になんて立てないんですけど、でも、まぁ、そんなのでもいるのといないのとでは違う……と妹が思っているかは、僕にはわかりようもないですけどね」
「私には兄弟も姉妹もいないので、どういう関係性なのかよくわかりません」
妹のDV説は一応晴れただろうか。心配げだった眼差しは、疑問を呈するそれに変わっていた。
言葉で妹との関係性を説明しろとか、それは無理だというものだ。
「単純に想像するなら、紅林さんにとっての先輩くらいに思ってください」
やっつけな言い方だけど、紅林さん、前に先輩のことを妹に例えたことがあったし。
紅林さんはそれで少しは理解したのか、考える仕草を見せて口を閉じた。
「わたしも一人っ子だから、実際あんまりわかんないんだよねー。妹ってかわいいの?」
対して、今度は先輩が尋ねてきた。答えづらい質問……。
「かわいいかと言われると答えに困りますけど……」
かわいいと答えればシスコン、かわいくないと答えればツンデレってことにされるのがわかりきっている。どちらの答えも地雷なら、答えないという選択肢しかない。
「妹ちゃんの方は蒼くんをどう思ってるんだろうね。大切なお兄ちゃん?」
「いえ、ある意味では目の上のたんこぶでしょうし、消えてほしいって思ってるかもしれません。わかりませんけど」
妹にとって、僕はあまり愉快な存在ではないだろう。仮にプラスに見られていたとしても、辞書の代わりに使える便利な兄くらいだと思う。
「蒼くんは妹ちゃんのことをすっごく愛してるのに、妹ちゃんは蒼くんのこと死ねって思ってるの? ……なんで?」
先輩は意味がわからないという風にちょこんと首を傾げる。
死ねとは少し違う。最初からいなければよかった、そんな風にはどこかで思われている気がするのだ。
しかし、そこ以上に訂正したいところがある。
「僕にシスコンキャラを押し付けるのやめませんか? すごく愛してるなんてことないです。普通に、元気でいてほしいなぁくらいに思ってるだけですから」
「妹ちゃん、元気ないの?」
「まぁ、今はあまり。色々大変みたいですし」
「高校受験ってそんなに大変? 妹ちゃんって、勉強苦手だったっけ?」
問題が一浜高校に入るということだけだったなら、妹があれほど荒れることもなかっただろう。
「妹が悩んでるのは受験勉強そのものではなく、それに振り回される周りの人間になので」
「周り?」
「よく知りませんけど、妹は頑張って『普通の女子中学生』をやってるみたいなので。家は家で、両親との関係が結構ガタついてますし」
「へぇ。今時の女子中学生は大変なんだねぇ」
先輩だって3年前は女子中学生だったはずなのだが……。
「蒼井くんの妹らしからぬことで悩んでいるんですね」
紅林さんはごく自然にそう呟いたが、ちょっと失礼だ。
「僕の妹だと思って変な偏見持ってませんか? 妹は割と普通ですよ。いや、何が普通かとかよくわかりませんけど、いわゆる普通な感じだと思います。
というより、身近に変なのがいるせいで価値観が安定しなくて悩んでるまであるかもしれません」
「蒼くん、自分で自分のこと変なのって……」
「蒼井くん、妹さんが絡むと自虐に走ることありますよね」
2人は若干引いているようだった。別に自虐しているつもりなんてないのだけれど。
「あの、率直に思ったんですけど、蒼井くん、過保護じゃないですか?」
「ないですよ」
なんかノータイムで返答していた。実際、妹のことを蝶よ花よと扱っているわけじゃないし。たぶん、兄妹なんてこんなもののはずだ。
「そうですか? 普通、妹さんの親子関係はまだしも、友達関係まで心配しますか?」
「心配って、僕は妹の友人関係に干渉するような真似はしてませんから。あくまで、愚痴を聞くくらいなので」
「……妹さんに限らず、蒼井くんって、優先すると決めた人に対しては、軽口を言いつつも甘い人ですもんね」
紅林さんはなんかそんなことを呟くと勝手に納得した。
「蒼くんは敵味方をはっきり区別するというか、味方とどうでもいいをはっきり区別する人だって、大くんが言ってた」
「あの、どんな話の流れで大白先輩が先輩にそれを言ったんですか……?」
なんか、知り合いが自分について語っているというのは、あまり嬉しいものではない。先輩と大白先輩が僕の悪口で盛り上がっていたなんて思わないけど、ちょっと引っかかるというか、モヤモヤする。
「え? わたしが蒼くんってどんな人って訊いたんだよ?」
「なんでそんなこと訊いたんですか?」
「わたし以外に蒼くんがどんな風に接してるのか、ちょっと気になったから」
「そうですか」
まぁ、そういうのわからなくはないけど、気になったからといって、実際に他人に訊くのか。
「あっ、そうだ、大くんといえば、生徒会のクリスマス企画に、大くんの私物が景品で出るらしいよ!」
「「は、はい?」」
厄介な話題はここで終わり、よくわからない話題へと移行していった。