14話 甘いものお腹いっぱい食べたい!
「置きっ放しになってたノートと問題集、持ってきたけど」
妹の部屋の前で声をかける。うちの各部屋に鍵は付いていないが、無言で入るわけにもいくまい。
「あー、ごめん。ありがと。開いてるから、入って机の上置いといて」
部屋の中からそう返事が返ってきた。いや、出てきて受け取ってくれればそれでいいのだが……。
まぁ、入れと言われたのでドアを開ける。妹がリビングではなく部屋で勉強していたころはたびたび教えに入っていたので、特にためらうこともない。
部屋に踏み入ると、妹はベッドの上にうつ伏せになり、枕に顔をうずめていた。見ようによっては泣いているようにも見えるが、声は普通だったし、そういう感じはしない。
「置いておけばいいのな」
勉強机の上にものを置き、僕はさっさと退散しようと踵を返した。
「やらかしたよね、あれ」
声につられてベッドの方を見ると、妹は枕から顔を少し上げてこちらを見ていた。
「いや、別に。勉強しろって言われて子どもが反発するなんて、極々普通のことだから」
ただ、うちではそういうことが今までほとんどなかったというだけ。
「ちなみに、お母さんはどんな感じ?」
「あんまり怒ってる感じでもないかな。反抗期かしらって、まぁ、そんな感じ? 自分の考えを曲げる気はなさそうだった。たぶん、良くも悪くも何も変わらない」
あの人は自分の正しさを疑わない。そういう部分は、僕や先輩に通ずる部分もあるかもしれないが、なんというか、僕はあの人の在り方は嫌いだ。
「バカなことしてごめん。うちの中の雰囲気悪くなるよね……。あんなこと言ったところでどうしようもないのに」
「いや、僕は別にいいから謝ることはないって。なんというか、母さんの言う『もっと頑張りなさい』がカンに障るのは僕も一緒だし、少しは溜飲が下がったからさ」
「そんなこと言うくせに、兄さんはいつもお母さんの期待に応えてる……」
妹は体を起こし、顔の半分を枕で隠して、目だけはこちらに向ける。狙ったような仕草だ。普段 先輩を見ているせいか、雰囲気を演出しているだけなのではと感じてしまう。
「勉強についてなら、僕のこの前の模試の偏差値は56。全然期待に応えてなんてないよ」
56は客観的に与えられた数字だ。否定のしようがない。こういう、どちらかといえば感情論的な話をしている時にデータを持ち出すのは、どこか卑怯な気もするけれど。
「でも、お母さんは私に兄さんみたいになってほしいんだよ。学校での人間関係とか、そういうのをかなぐり捨てて、勉強に邁進する人にさ」
「あの人は色々思い込みが激しいんだ。気にしなくていいよ。あの人は、日常を犠牲にして勉強することを偉いと勘違いしてるんだ。でも、実際はそんなの全然偉くない」
僕は人間関係が乏しいから、日常を犠牲に勉強しているように母親の目には映るのだろう。
例えば、友人との談笑のネタのために動画を見るとか、ファッションを気にして雑誌を読むとか、そんなことは一切していない。SNSだって、TwitterもFacebookもやってない。
でも、それってただ友達がいない残念なやつってだけで、何も偉くなんてない。
「学校ではちょっと必死に勉強しすぎなんじゃないのって揶揄われて、家ではもっと勉強しなさいって怒られて、なんか、もうやだ」
もう一度ベッドにうつ伏せになって「うー」と唸る妹。かなりストレス溜まってるな、これ。
しかし、なんと言えば妹の気を楽にできるのか。そんな言葉は見つからない。
「なんか、まぁ、えっと」
「兄さんが気の利いたこと言えるなんて思ってないから、無理しなくていいよー」
「あぁ、うん」
「ねぇ!」
妹はまた起き上がると、雰囲気を変えるように殊更明るく声を発した。
「気の利いた言葉なんていらないから、ストレス発散に付き合って! 甘いものお腹いっぱい食べたい!」
「えっと?」
「近くの、30分くらい歩くからそんなに近くもないけど、パティスリーでイブにカップル限定のケーキバイキングがあるの! 安いの! カレシ役やって」
イブにケーキ。なんか、どこかで聞いたような話だなぁ、なんて、現実逃避気味に考えても仕方がない。
「イブにカップル限定とか、ろくな店じゃないな」
「何、拗らせた非リア充みたいなこと言ってるの……」
妹は若干引いていた。
「それはイブじゃないとダメなの?」
「兄さんイブに予定あるの!? いつの間にリア充に!?」
「いやいやいや、文芸部でさ。集まってワイワイしようみたいな、そんな感じの」
嘘ではない。ただ、参加者が2人なだけ。
「兄さん、実は全然 人間関係捨ててないじゃん」
「いや、まぁ、文芸部の場合、話題作りのためにすることが勉強だし」
「ふーん。じゃあ、兄さんは可愛い妹より部活を優先するんだ。毎日毎日、学校でも家でも大変な思いをしてる妹よりも、部活をねぇ。カノジョならまだしも、部活かぁ」
こいつ、なんか面倒くさいな……。母親との口論のせいで調子が違うのか、なんかちょっといつもよりウザい……。
先輩の方もやっぱり無理だとか言ったら面倒くさいことになるよな。
はぁ。本当に、まったく。
「わかった。部活のメンバーに日付変えられないか訊いてみる」
「訊いたけどダメだったとか言わない?」
「まぁ、なんとかする」
「兄さんって結構重度のシスコンだよね」
「……お前がそれ言う?」
これから先輩に絶対言われるであろうそのセリフを、なぜ妹本人から言われなくてはならない。
「兄にカレシ役頼むとか、私も大概ブラコン。別に兄さんのこと好きじゃないけど。まぁ、嫌いでもないけど」
まぁ、便利な人程度に思われているのだろう。別にいい。
「あっそう」
「当日、知り合いに会わないといいね。特に文芸部の人に」
「フラグを立てるな」
なんか、本当に会いそうな気がしてくるし、やめてほしい。
「……ごめんね、わがまま言って。でも、なんか、思いっきりストレス発散したい。付き合わせられるの兄さんだけだから」
急にシュンとされると対応に困るのでやめてほしい。わがまま言ってくれる方がマシだ。
……これ、冷静に考えると、確かに僕は妹を甘やかしている節があるのかもしれない。
いや、ちょっと食事に付き合うくらいで甘やかしているなんてことないか。別に奢るわけでもないし。
「いいって。安くケーキ食べられるんだろ? ……ケーキバイキングって何個食べたら元取れる? 生クリーム、あんまり好きじゃないんだけど」
実は全然安く食べられないのでは?
「1人1080円っていう破格だから、1個300円として、4個食べれば元取れるよ」
ケーキバイキングの相場なんて知らないので1080円が破格なのかわからないけど、昼食代が1080円だと思うとものすごく高い。
「僕の方は普通に頼むのでもいい?」
ケーキとか、1個か2個で十分だろう。
「ダメ。カップル限定で、2人ともバイキング頼む必要あり」
安くする代わりにあまり食べられない人にもバイキングを強制することで不利益を出さないってことか。店がカップル限定なんてふざけた条件を設けている理由が少しわかった。
「やっぱり、ろくな店じゃないな」
「でも、ケーキ美味しいから、きっと4個くらいペロッと食べられるよ」
「だといいんだけど。まぁ、じゃあ、文芸部に連絡入れてくる」
「うん。なんか、ごめんね」
「いや、いいって」
「やっぱりシスコン」
「それを言うのはよくない」
僕は妹の部屋から出た。まぁ、妹が母親との口論をなんとなく忘れた気になれるなら、先輩から小言を言われるくらい我慢しよう。