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13話 今のままで後悔するのは美月自身だから


「美月に一浜高校を受けさせるのは失敗だったかもしれないわね」


 母親はそんなことを言い始めた。


「陸斗は受ける高校が安全圏でもちゃんと努力を続けられたけど、美月はそれで安心しちゃうタイプみたい」


 僕は別に努力をしていたわけじゃない。僕だって、安全圏を受けるからと気は抜けていた。受験勉強なんてそこそこに、自分が面白いと思う問題を娯楽として解いていただけ。母親が勝手にそれを努力と勘違いしただけ。


「再三言うけど、美月は相当頑張ってる」


「陸斗はあの子の模試の結果を見たことがある?」


 模試の結果。客観的数値。それを持ち出されると弱い。


「いや、ないけど」


「あの子、去年の陸斗よりも偏差値が5くらいは低いのよ」


 中3のときの僕の偏差値は平均的には68くらい。母親の言う通りなら、妹の偏差値は63くらいなのだろう。

 一浜は偏差60にギリギリ乗らないくらいのレベルだから、63あれば安全圏。


 しかし、母親はその数字には満足できないのだろう。


 別に63が低いとは思わない。僕のこの前の模試の偏差値は56だ。

 それにそもそも、満足するか否かを決めるのは母親ではなく妹であるべきだ。


「それでも一浜高校には余裕があるから危機感がなくて。このままだと大学受験が心配なの。陸斗でさえ、この前の模試の成績はあれだったんだから」


「まぁ、でも、プレッシャーかけ過ぎるのもさ。さっきみたいに爆発しちゃうし」


「妹が可愛いからってあんまり甘やかさないで。今は頑張ることがあの子のためなんだから」


 母親は少し睨むような視線をこちらに向けた。


 今を頑張るのが妹のため。本当にそうか。それは甚だ疑問だった。


 そもそも、今とはいつだ? 高校受験までの2ヶ月か? 大学受験までの3年? それとも、社会に出るまでの7年?


 それほどの時間をかけての努力。それが、得られる未来の対価として相応なのか。いや、妹が相応だと思うのか。


 努力したから素晴らしい未来が手に入るという保証もない。極端な話、明日トラックに轢かれて死なないとも限らない。不確定な未来に、今を犠牲にするだけの価値があるのか。


 妹にとって母親に従うことがつらいなら、そのつらさを被ってまで得る価値が、その未来にはあるのか。


 それはやはり甚だ疑問だ。


「美月は美月で、色々な苦労とか抱えてるんだと思うからさ。やっぱり、過度に頑張れって言うのは、ちょっとね」


 その苦労の主要因は目の前にいるこの人だろうと思うけど。


「若い頃の苦労は買ってでもしろって言うでしょう? まぁ、陸斗もまだ高校生だからわからないかもしれないけど、大人になるとあの頃もっと頑張っていればって絶対思うのよ」


 後悔をするのは簡単だ。だから、あの頃ああしていればと人はすぐに思う。そんなのは大人も子どもも変わらない。ただ、大人は悔やむことのできる過去が多いだけ。


 若い頃にもっと頑張っていればなんて、今の不満を全て過去のせいにする現実逃避でしかない。あの時 仮想通貨を買っていればとか、その手の後悔と何も変わらない。不満をたらればで解消しているだけ。


 そんな後悔を若い頃に頑張ればしなくなるかといえば、たぶんそんなことはないと思う。結局、あの頃もっとと思うことはきっとある。


 だから、過度な苦労を買ってまでしろというのは間違っている。少なくとも、僕はそう思う。


「後悔は何をしたってすると思うけど」


 色々考えたところで、僕が口にしたのはたったそれだけだった。


「もっとできたはずって? そう思わないように、今できる最大の努力をしなさい。できる限りのことをやり続ければ、そこに後悔は生まれないわ」


 いやいや、それで身体でも壊したら絶対後悔するだろ。適度に手を抜く必要はある。常に全力で生きられるわけがない。


「あぁ、もちろん休むことも大切よ。できる最大の努力っていうのは、できる最も効率のいい努力であって、不眠不休で勉強しなさいと言っているわけじゃないわ。美月にも言ったけど、メリハリが大事なの」


 僕の懐疑的な視線を察したのか、母親はそう付け加えた。


「その点、陸斗はよくやっているとは思うわ。その調子でもっと頑張りなさい。美月のお手本になるように」


「僕を美月の手本に使うのはやめた方がいいと思う。さっきみたいに怒るって」


 それが先程の爆発のきっかけであったと、この人はもう失念したのだろうか。


「うーん。難しいものね。美月の気持ちは尊重してあげたいけど、今のままの学習態度で後悔するのは美月自身だから」


 あくまでも、子を想うからこそ厳しくするのだと言いたいらしい。言いたいというか、本気でそう思っているのだろう。母親の態度が妹のためになっているとは、僕は思えないけれど。


「繰り返しになるけど、美月は十分やってる。プレッシャーで押しつぶすとダメになるタイプだから、あんまり口を出さない方がいいと思う。勉強しろとか、頑張れとか、繰り返し言われると逆にやる気失せるから」


「妹のこと、よく理解しているようなことを言うのね。兄妹仲が良くて、その点は安心だわ」


 そりゃ、あなたよりは理解していると思う。立場だって近いし、共通の苦手な相手がいると仲は深まるものだ。


「でも、本当に美月を甘やかしすぎるのはやめて。陸斗が今のままでいいって言ったら、あの子は私よりも陸斗の言葉を信じるんだから」


「過度に甘やかしたりしないよ」


「……本当にそうなら、いいんだけどね」


 まるで諦めるように吐き捨てた呟き。


「まぁ、美月の学習態度の注意を陸斗にしても仕方がないわよね。できれば陸斗からも、もっとちゃんとするように言ってほしいんだけど。まぁ、今はいいわ。

 この問題集とかノートとか、美月の部屋に持って行ってくれる? 私が今 行ってもまた怒っちゃうかもしれないから」


 この場から退散する理由をもらえるならそれはありがたい。置いたままにしておけば、じきに本人が取りに来るとは思うけど、それは言わない。


「わかった」


 あとをなんとかしたと言えるのかはわからないが、僕は母親との会話を打ち切った。


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