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12話 この程度のことがわからない人に勉強しろなんて言われたくない


 勝手に面倒ごとを抱えている気になっていたが、三者面談にしてもクリスマスにしても、実はさほどの面倒ごとではなかったのだろうと思い始めた。


「私だって一生懸命やってる! そんな頑張れ頑張れって言われたって、限度があるのっ!!」


「本当にそう? 私にはどこか気が抜けているように見えたけど」


 今、目の前で起こっているこれに比べれば、大体のことは些事だ。


 週末、日曜日。母親は朝早くに家を出た。いかなる要件での外出だったのかは知らない。

 妹は、昼過ぎに不意に帰宅した母親にダラけているところを見られたようで、こうなったみたいだ。


 僕は部屋で勉強をしていたが、口論の声を聞き、リビングに向かうとこうなっていた。2人とも僕のことは眼中にないようで、そのまま口論を続ける。


 妹と母親はテーブルに向かい合い、僕は廊下に続くドアの前に立ち尽くすという構図になった。テーブルの上には参考書とノートが広げてある。


「合格判定はA判定取ってる! 成績だって主要教科は全部5を取ってる! 私だってちゃんとやってる」


「はぁ」


 妹は理性のタガが外れたようで、心の内をただ吠えていた。それに対して、母親は残念だと言わんばかりにため息をついた。


「A判定って、一浜高校ででしょ。そんなの取れて当たり前だと思わなきゃダメよ。学校の成績だって、5を取るのはそんなに難しいことじゃないんだから、そんなことで満足しないでちょうだい」


「だったら! ……だったら何をすれば満足していいの?」


「美月、あなたの目標は何? 一浜高校に入ること? 中学校でいい成績を取ること? 違うでしょ?

 目指すべきものは、もっとその先。少なくとも大学受験、もしかしたらもっと先の就職や結婚なんかも考えないとダメなの。

 だから、中高生の間、小さな目標を達成して達成感を味わうのはともかく、それに満足して現状維持に走るのはダメ。美月の目指すべきものはもっと先にあるんだから。いい、現状維持では後退するばかりなの」


 またか、ウォルト・ディズニー。僕はもう、心底ディズニーを嫌いになりそうだった。


 妹は母親の言葉に対して下を向く。怒られてシュンとしているのではきっとない。その表情が、僕には不満を溜め込んでいるそれに見えた。


「満足は停滞を生むわ。美月、あなたはまだ停滞していい歳じゃない」


 妹は顔を上げてはっきり口を開く。キレたか、これは。


「だから頑張り続けろって? ずっと頑張れって? あと3年? 7年? そんなの無理に決まってるでしょっ!!」


 あと2ヶ月で高校受験は終わる。妹の中では、それが気を張って頑張ろうと思える期間だったのかもしれない。それを3年とか7年とか言われれば、無理だと返すのは当然だ。


「無理じゃないわ。その間、1日も休んじゃダメとか言っているわけじゃないの。私が言っているのは、その間は目標に向かって進みなさいってこと。

 陸斗なんかいい例でしょ? あの子だって、いつも勉強しているわけじゃないわ。部活もしているみたいだし、たまに友達と遊びに行くなんてこともあるでしょ?

 でも、大学受験を1年生の今からちゃんと意識して、学校の勉強以上のことをコンスタントに続けている。時々部屋を覗くと、自分が決めた時間にはしっかりと勉強しているわ。

 要はメリハリをちゃんと付けなさいってこと。勉強するときはちゃんと全力で。休むときはちゃんと休む。勉強してるのか休んでるのかはっきりしないようなやり方はダメ。まだまだ長い戦いの途中なんだから」


 そう言って、母親はチラとこちらに目を向けた。ここで僕を引き合いに出すのは本当にやめてほしい。

 母親が度々部屋を覗きに来ていることには気づいていた。それに勉強して見せたのも、半分くらいはポーズだ。それを妹を責める材料みたく使われるのは、居た堪れない。


「兄さんと私は違う。何もかも違う。なのに、私に兄さんと同じを求めないでっ!!」


 その叫びは、どこか悲鳴に近く感じた。

 きっと、妹はその思いを持ち続けていたのだろう。妹は前に、僕のことを母親の理想に寄りすぎていると言った。妹は母親に僕と比べられるたび苦しんできたのかもしれない。


 僕なんて、本当は妹よりずっと……。


「あのね、私が言っているのは、陸斗の学習意欲を見習いなさいってこと。陸斗と美月が違うってことは私だってちゃんとわかってる。どっちにもそれぞれ長所と短所がある。

 ただ、学習意欲については陸斗の方がちゃんとしているから、美月をそれを見習いなさいって、それだけのことを言ってるの。わからない?」


「……ねぇ」


 妹は熱が冷めたように、光を失ったような瞳で母親を見据え、ゆっくりと口を動かした。


「お母さん、betrayの意味ってわかる?」


 母親は答えない。


「大伴家持って何の編纂者かわかる? 球の表面積の公式は言える? 憲法14条って何の条文かわかる? エタノールの沸点は覚えてる?」


 妹は早口にまくし立てる。


「あのね、美月」


「兄さんは全部わかるでしょ」


 母親を無視して僕を見る妹。その表情は明らかに怒りを示しているけれど、どこか泣きそうな顔にも見えた。


「まぁ、そりゃあ」


 betrayはともかく、あとは間違いなく中学で習う。


「兄さんが僕みたいになれって言うならまだわかるけど、この程度のことがわからない人に勉強しろなんて言われたくない」


 妹はスッと立ち上がり、母親にはもう目を向けず、僕の横を通り抜けてリビングを出た。


「あと、なんとかしといて」


 横を通った時にそう呟かれた。いや、無理難題すぎる……。


 リビングに残された僕と母親。……どうしろと?


「反抗期かしらね」


 母親はそう言ってため息をついた。反抗期の一言で片付くのか、今のが。まぁ、その一言で片付けてしまえば楽だろうな。それはもう、思考停止に近いけど。


「万葉集と法の下の平等はわかったわよ。私、完全に文系なの」


 言い訳するように母親は言った。答えられなかったの、少しは恥ずかしかったようだ。


「美月も陸斗くらい素直だったらいいのだけど」


 僕が素直? こんな捻くれ者の僕を指して素直? なに言ってるんだ、この人。


「美月は僕なんかより真面目に頑張ってるよ。もう少し気を抜いてもいいくらい」


 あとを任されたのだから、母親と何かしら話す必要があるのだろう。僕は先ほどまで妹の座っていた、母親の向かいの椅子に座った。テーブルには妹の勉強道具が未だに残されている。


「はぁ。陸斗はあの子を甘やかしすぎ。だから厳しくする私により反発するんじゃない」


 いや、それは責任転嫁ってものだろう。


「結局さ、母さんって美月にどうしてほしいの?」


「うーん、一応、当面の目標は大学受験よね。一流と呼ばれる大学に入ることは、その後の人生で代え難いアドバンテージになるから」


 まぁ、母親の行き着くところは結局はそれなんだろう。


 さて、あとをなんとかしろと言われたわけだが、これ、どうなったらなんとかしたことになるんだ?


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