11話 微妙に普通とは異なる普通の日常
金曜日、部活に行くと、そこにあったのは僕の望むいつも通りの文芸部だった。すなわち。
「みんなの知ってる1番大きい素数って何?」
そんな謎の会話が繰り広げられる、僕にとっては居心地のいい空間。
「65537じゃないっすか、とりあえず」
何の意味もないのに、無駄に知識を問う会話。しかし、僕たちはその話題で案外盛り上がれる。素数に惹かれるのはあるあるだと思う。
「蒼くんと紅ちゃんは? わたしより大きい素数を知ってるか勝負だっ!!」
期末試験以来、先輩はどうでもいいことで勝ってマウントを取りたがろうとすることが増えた気がする。
「たしか、314159と2718281は素数だった気がします」
僕がうろ覚えの知識を言うと、先輩は「へぇー、そうなんだ。知らなかったぁ」と素直に感心した。
「9876543211はたぶん素数だったと思います」
残念ながら紅林さんの言った数字の方が大きかった。負けたか。まぁ、どうでもいいけど。
「わたしもそれは知ってる。さて、みんなの知ってる最大の素数がそれなら、わたしの勝ちだね。ドヤぁ」
先輩は渾身のドヤ顔で勝ち誇った。先輩の振ってきた話で先輩が勝つのは結構当然の結果ではあるけど、まぁ、そんなことを口にはしない。
「わたしの知ってる最大の素数は、えっと、10000——」
先輩は指を折りながら0と繰り返す。
「——000、で、6660000——」
指を折っていないこちらとしては何個かわからないだけ0が続き、その後666を間に入れてまた0の連呼。
……何を聞かされているんだ、これ?
「——0001! ドヤぁ」
なんかよくわからない数字を言い切ったところで先輩は再度ドヤ顔をした。
「1、0が13個、666、0が13個、で、最後に1ね。日本語で言うと、えっと……100穣6京6600兆1」
それ、素数なのか。いや、そんなの知っているわけがない。
「先輩は色々ご存知なんですね。すごいですね」
先輩の顔が「褒めて、崇めて」と言わんばかりだったので、棒読みで賞賛しておく。実際は、大きい素数を知っているからなんだという話なのだが。
「ふっふっふっ。ベルフェゴール素数って言うんだよ」
これ見よがしな棒読みでの賞賛にも先輩は満足げだった。
なんとも役に立たない知識が1つ増えた。13とか666とかベルフェゴールとか、宗教色強いな。あんまり好きになれそうにない。
「この質問で誰もメルセンヌ素数を挙げないの、ちょっと面白い」
先輩はそんなことを言って笑う。
4人で役に立つんだか立たないんだか微妙な話をする。そんな日常。これこそが心地よい現状。
「肩の数が77232917のメルセンヌ素数が発見済みの最大の素数っぽいっす」
「「「へぇ」」」
ググったらしい大白先輩に、僕たちは揃ってそう声を出した。
こんな話題で和気藹々と談笑できる友人は間違いなくレアだ。前に妹が言っていたように、僕の高校生活はとても恵まれている。
やはり、僕はこの現状をできる限り続けたい。
「さて、じゃあ、ちょっと素数に関する問題を聞いてくれるかな?」
先輩は意気揚々と口を開いた。
これ、話したいだけのやつだ。たぶん、それを話したいがためにこの話題を振ったのだろう。
雑学を披露してドヤ顔ができる相手、文芸部だけなんだろうなぁ。
僕たち3人は「なんですか?」と快くそれを聞く。僕たちが心優しいからとかではまったくなく、単に問題に興味があるから。このやりとりで気を使っている人なんていない。それでも成り立つのが心地いい。
「任意の自然数nに対して、合成数がn個連続する区間は存在するかって問題」
「存在します」
即答してみた。
「えぇー! もうちょっと悩んでくれてもいいじゃーん!!」
先輩は不満げに口を膨らませた。紅林さんと大白先輩はその反応に「ふっ」と笑う。問題はちょっと期待はずれだったけど、まぁいいか。
「ユークリッドの素数の無限性の証明との対応をね! わたしはね!」
「あー、わかるんで大丈夫です」
先輩がどんな話をしようとしてたのかは大体わかった。
「ひどっ!! 2人は? 2人はどう?」
「あれっすよね。階乗足す2からの」
「あぁ。なるほど」
大白先輩が答えたことによって紅林さんもわかったようで、先輩がドヤ顔するタイミングはなくなった。
「もういいよっ!!」
拗ねる先輩。「ふんっ!」とわかりやすくそっぽを向く。
「問題がちょっと簡単過ぎましたね」
「じゃあじゃあ! n^2 と (n+1)^2 の間には常に素数が存在するか!」
先輩は噛み付くようにそう言ったが、残念ながらそれについても僕は知っている。
「問題のレベル、上げ過ぎですよ。未解決問題じゃありませんでした?」
絶対に解けない問題出してやるってつもりだったのだろう。天才ならざる僕には、この場で解決なんて当然不可能だ。
「蒼くん、つまんないっ!」
「すみません」
「べつにいいけどぉー」
気のない謝罪をすると、先輩は不機嫌そうに受け入れた。本当は怒ってなんてないのだろう。
「ねぇねぇ、素数大富豪やろ!」
すでに表情から不機嫌さは完全に消え、バッグからトランプを取り出す先輩。この人、相当トランプ好きだよな。
それから、異常に計算力を必要とするゲームに4人で興じた。
この微妙に普通とは異なる、でも僕たちにとっては普通の日常。この気軽な感じにもっと続いて欲しいと、そう思うのだった。
素数は雑談の定番のはず。たぶん。少なくとも私の周りではそうですし。