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9話 現状維持では後退するばかりである


 部屋に戻りスマホを確認するとLINEの着信通知があった。面倒だな……。


 紺野さんからは犬が頭を下げる動画スタンプ。こちらは返信する必要もないだろう。


 問題はもう1つの方。


『紅林: 私が口出しすることではないと重々承知しているんですが、真白先輩がちょっとおかしな様子なので……』


 おかしな様子って、あの人はいつだっておかしいだろうに。


『蒼井 陸斗: 先輩はおかしいくらいが正常な人ですから』


 そんな、真面目に話す気がないと言わんばかりの言葉を返す。

 紅林さんと先輩がおそらくLINEでやりとりをしていて、その際に先輩の様子が変だったのだろうということはわかる。だが、その2人の話し合いに踏み込みたくない。


 30分以上前のメッセージへのレスポンスなのに、既読は数秒でついた。


『紅林: このまま有耶無耶に逃げ続けるのは、真白先輩に不誠実だと思いませんか?』


 不誠実。現状維持に逃げる行為はそんな風に言われなくてはならないことだろうか。

 先輩が変化を求めてきているなら、それをのらりくらりと躱すことは不誠実と言われても仕方ないだろう。

 だが、現実には、最終的に先輩だって現状維持を選択したのだ。現状維持に逃げたのは僕たちの総意だ。否定されるものではない。


『紅林: 真剣な忠告です。そもそも、どうして真白先輩は蒼井くんを好きじゃないって結論になってるんですか?』


 ……ん? あれ、紅林さん、帰ってたのでは?


『蒼井 陸斗: 紅林さんがどうしてその結論に至ったことを知ってるんですか?』


 断言しているし、カマをかけたわけではないだろう。帰ったと見せかけて実は廊下で聞き耳を立ててたとか? いや、さすがにそこまでしないよな。先輩ならともかく、紅林さんはそんなことしないはず。……しないよね?


『紅林: 真白先輩の恋愛相談の相手は私しかいないみたいです。だいたい全部教えてくれました』


 先輩……。まぁ、先輩の感情の話を先輩自身がしただけなのだから、文句を言う筋合いはないのだろうけれど。

 今回の件の感情の主体は先輩で、当事者であるはずの僕は自分の感情について言及しなかったし。


『紅林: 真白先輩、蒼井くんをいかに好きじゃないかを力説してくれました。

 私が言うことではないんだと思いますが、それを聞いて、やっぱり蒼井くんのこと好きなんだなと思いました』


 嫌いな相手をいかに嫌いかを伝えるならともかく、好きではない相手をいかに好きではないかを力説ってどう力説するんだ?


 例えば、僕は紅林さんに対して恋愛感情はないが、何か理由があって恋愛感情を抱いていないわけじゃない。ただそうではないというだけ。その根拠を説明するというのは難しい。


 先輩の力説って、いったい何をどう力説したんだ?


『蒼井 陸斗: でも、話し合いの結果、先輩は別に僕のことを好きではないということになったので』


『紅林: そうやって2人して恋愛感情から逃げて、結果、今よりもっとモヤモヤしていくんですよ? そもそも、恋をしてるかどうかの話し合いって何ですか?』


 何かと言われると、本当になんなんだという感じではあるが、当事者2人が納得しているんだから別にいいだろう。


『蒼井 陸斗: 僕たちはそうやって、現状維持を選んだんです。そのまま放っておいてもらえると嬉しいのですけど』


 こんな恋愛がどうだの語るのは間違いなく僕のキャラじゃない。

 少なくとも僕は現状維持を望んでいる。今が心地よいと思っている。

 だから、かき回さないでほしい。


『紅林: 真白先輩は、理性と感情のミスマッチに対応できていない様子ですよ』


 なんだ、その初恋に戸惑う乙女みたいな……。先輩、そんなキャラではないだろうに。


『紅林: 真白先輩って、普段好き勝手にしているようでいて、その実、本当は真白菜子というキャラクターならどういう言動をするかを頭で考えて動いていると思うんです』


 ……なんか、先輩に関して踏み込んだ話が始まってしまった。これは先輩の在り方の話で、僕と紅林さんが語るべきものではない。


『蒼井 陸斗: そういう他人の在り方に踏み込むような話はしたくありません』


『紅林: 蒼井くんが踏み込んで行かないから、私がこんなお節介をしています』


 他者に踏み込んで行こうとしない。それはたしかに、僕の短所といえるかもしれない。

 自分の領域に他者が踏み込んで来ることが嫌いだから、自分も他人の領域に踏み込みたくない。

 人と深く関わりたくない。薄っぺらな関係と言われてもいい。気軽に談笑する程度がちょうどいいんだ。


 親友や恋人、そんな深い間柄を、僕はきっと求めていない。


 そういうところはたぶん僕の短所だ。でも、そういう考えを持っているのが僕だ。


 だから僕は、できることなら現状維持に甘えたい。


『蒼井 陸斗: そのお節介、僕には必要ないです』


『紅林: 蒼井くんにとってはそうでも、真白先輩にとってはそうじゃないと思うんです』


 いや、先輩だって現状維持には同意した。僕たちは2人で恋愛感情ではないと結論づけた。


 だからもう、それでいいじゃないか。


『紅林: うまく言葉にはできないですが、真白先輩は自分の中にアンコントローラブルな部分が存在することが嫌なんです』


『紅林: だから、その部分をなかったことにしようとしているというか』


『紅林: でも、それって結局自分に嘘をついているってことで、それは真白先輩に1番似合わないことだと思うんです』


 先輩に自分を偽ることは似合わない。本当にそうなのかは、難しいところじゃないだろうか。


 紅林さんが先ほど言ったように、先輩は、子どもっぽくて自己中な自由人『真白菜子』というキャラクターを意識的に演じていると僕だって思う。


 それはある意味で自分を偽っていると言える。本当は常識だってあるし、人の気持ちもわかる。協調しようと思えばできるだろうし、空気を読むのだってその気になればできるだろう。


 でも全部できないことにしてあのキャラを作っている。


 自分を曲げて周りに合わせることだってできるのに、できないように偽っている。


『自分に嘘をつくことができない』という嘘を自分についている。


 だから、先輩に自分を偽ることが似合うか否かは微妙だ。


 まぁ、こんなのは結局、僕の思う先輩像であって、本当のところがどうかはわからないけれど。


『蒼井 陸斗: でも、僕は現状維持を本心で望んでいますから。僕だって、自分に嘘はつきたくないタイプですから。不誠実と罵られても、先輩の心情に踏み込んで行くような真似はしません』


 それまで即時返ってきていた紅林さんのレスポンスがそこで止まった。

 既読はついている。長文作成中かと思い、一旦スマホから顔を上げて右手で軽く目をマッサージをする。


 体感時間にして3分。たぶん実際にはもう少し短い時間の間をおいて、返ってきたメッセージ。


『紅林: 蒼井くんは真白先輩が好きではないんですか?』


 それはたったその1文だけだった。

 紅林さんはこの質問をするの悩んだのだ。

 ということは、この質問は紅林さんにとってクリティカルなものなのだろう。

 きっと、ある程度の覚悟を決めて放たれた踏み込んだ質問。これに不鮮明な返答をするのは、それこそ不誠実というものか。


『蒼井 陸斗: 好きですよ。でも、僕は今の関係が好きです。だから、僕は現状維持を望みます』


 次の紅林さんの返答はすぐにきた。


『紅林: わかりました。ただ一言だけ。現状維持では後退するばかりですよ』


 たしか、ウォルト・ディズニーの言葉だったか。


『蒼井 陸斗: 夢の国を作った人の言葉は心に沁みますね』


『紅林: 蒼井くんも自己中だってことを失念してました。すみません。蒼井くんは蒼井くんの望むようにしてください』


『蒼井 陸斗: はい』


『紅林: ただ、私は蒼井くんではなくて真白先輩の味方です』


『蒼井 陸斗: 先輩の味方なのは大いに構わないのですが、加えて、僕の敵にならないでもらえると助かります』


『紅林: それは約束できません』


 なんというか、やはり人間関係ってのは面倒くさいものだ……。


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