49話 兄さん楽しそう、ムカつく
「とりあえず2泊3日の予定で。予算の都合で1泊2日になる可能性はあり」
予定を出し合うといっても、3ヶ月も先の予定が埋まっている人はこの中にはおらず、先に3月27日から29日には予定を入れるなとお達しを受けた。
「そして気になる行き先は!」
僕たち3人は先輩に注目する。変なところを言い出すのではと、不安の眼差しで。
「まだ、秘密!」
「未定ってことですよね、それ」
「未定じゃなくて秘密!」
「はいはい」
そんな感じで、卒業旅行の話は一応 先輩に任せるということになり、時間もあって解散になった。
試験が終わった。あと2週間ほどで2学期も終わる。
高校に入学して、もう8ヶ月になるのか。1年の2/3が終わった。
短い帰路を、そんなことを1人考えながら歩く。
この8ヶ月、なんか色々あった気がしているが、まとめると試験勉強しかしていないかもしれない。
一般的な高校1年生は、この8ヶ月間をどのように過ごしたのだろう。いや、高校1年生を一括りにして一般的なんて言い出すのはかなり乱暴か。そんなの人それぞれだろう。平均化するようなものでもない。
個人にとって後悔がないなら、それでいいはずだ。
僕はやっと先輩に勝った。
それがこの8ヶ月の成果だと言っても、僕自身は納得できる。薄っぺらい8ヶ月間だったとは思わない。
8ヶ月かけて、やっと。……いや、冷静になると、先輩と勝負を始めたのは2学期中間からなのだから、実際は4, 5ヶ月だけど。
なんにしろ、ついにやった。そんな達成感を反芻しつつ、僕は家へと着いた。ただいまと言うこともなく上がる。
リビングでは受験もいよいよ迫ってきた妹が勉強しているようで、「あー、もうやだー」とやる気なさそうな声が聞こえてくる。
「帰ってきたのが僕だったからいいけど、母さんや父さんだったら今の発言マズいだろ」
リビングへと顔を出し、そう釘をさす。
嫌だ。やめたい。疲れた。その手のぼやきをうちの家族は本気で受け取りかねない。「はいはい、じゃあちょっと休憩したら?」なんて流れにはならない。
母親なら受験の大切さを切々と説き、父親ならならやめろと突き放すだろう。どちらにしても、気分が悪くなるのは妹だ。
「あ、おかえり。帰ったならただいまくらい言ってよ。それと、お母さんとお父さんがいつまでなら帰ってこないかくらいは、ちゃんと把握してる」
「ただいま。まぁ、それならいいけど」
「ねぇ、期末試験返ってきた? どうだった?」
妹はそう尋ねつつノートを閉じた。僕の試験のできに興味なんてないくせに。単に休憩の口実に僕との雑談を使っているだけ。
「まぁ、悪くはなかった」
「ちょっとニヤけた。相当よかったでしょ?」
そんな顔に出てるのか? 先輩に勝てたのが嬉しくて? なんかそれちょっと嫌だな。
「そんなことない。学年トップってわけでもないし」
今回の試験、文芸部の中で総合点で学年トップ取れてないの、たぶん僕だけなんだよな。
「でもなんか嬉しそうでちょっとムカつく」
「いや、それだけでムカつくのは心狭すぎるって」
「私はこんなに苦しい思いで受験生してるのに、兄さんは楽しんでるなんてムカつくでしょ」
妹が受験だと幸福は自粛しないとなのか? いや、まぁ、受験生には気を使おう。
「なら存分にムカついていいけどさ。でも、ストレスが溜まるほどこんを詰めなくてもいいんじゃないか? 一浜なら九分九厘受かる」
「九分九厘、9.9%」
「いや、違う。なら9割9分9厘9毛9糸9忽9微……次、なんだ? なんかあって、沙、塵、挨」
「雑学披露とかいらない」
「あ、はい」
文芸部で言ったなら、たぶん先輩あたりが張り合ってくるのだけど。
「一浜は安全圏だってわかってるよ。でも、受験生なのに気楽でいたら風当たり強いし、お母さんだってなんて言うかわかんないし」
「そんなこと気にしてストレス溜めるのはバカらしいでしょ」
友達から、「受験生なのになんで病んでないの?」とか糾弾されるのだろうか? そんなのもう友達じゃない。
母親はもうそういう人だと割り切るほかない。
「兄さんだって、余裕あるくせに定期試験なんかに必死になって勉強してたじゃん」
「いや、僕は自分がやりたくてやってたわけで、別に苦しんでなんてなかったから」
その言葉に妹は不機嫌さを隠さなかった。
「兄さんだって、初めから勉強が好きだったわけじゃないでしょ。お母さんにそうなるように育てられただけで。どうせ、私はそうなれなかった失敗作だよ。勉強、別に好きじゃないし」
受験ストレスが相当に溜まっているのだろうか。いくらなんでも、いつもならここまで踏み込んだことは言わない。
ここで「失敗作なんて言うなよ」とか言っても白けるだけだろう。妹は僕に綺麗な言葉とか、やる気の出る励ましとか、そんなものは求めてないだろうし。
求めているとしたら、きっと、母親が嫌いだというその共感くらいのもの。
僕は僕なりの、綺麗でもなければやる気が出るわけでもない、励ましの言葉ですらない何かを言っておけばいい。
「相手が知らないことを知っているのは気分がいい。それだけで、相手のことをバカにできる。マウントが取れるってやつかな」
「は? 何の話? なんか、超性格悪いね」
「そう。僕が好んで勉強をするのは性格が悪いから。母さんは関係ない。それでよくないか? 勉強が好きじゃないってなら、それはきっと、美月は僕より性格がいいんだよ。ただ、それだけ」
「……兄さん、キモい」
妹の僕を見る目は、本当に気持ち悪がっているそれだった。
「ひどいな」
「いいこと言ってやろうって思って言ったのかそうじゃないのか微妙な感じで、1番ひくやつ。ただただキモい」
「本当にひどいな……」
テキトーに思いついた軽口を言ったら1番ひくやつだったらしい……。それなら、熱血教師かというくらいよくわからない精神論をまくし立てればよかった。僕に似合わないことこの上ないけど。
「でも、こんな奴に劣等感なんて抱いてもバカらしいとは思った」
「あーそう」
「でも、やっぱりキモい」
「気持ち悪かったのはわかったって! なんか、結局 言いたいのは、美月なら受かるから、他人の不幸を願うようになる程こんを詰めるなってこと。あと2ヶ月も、『兄さん楽しそう、ムカつく』って言われるのはかなわない」
これ以上キモいと罵倒されるのも嫌だし、リビングから退散しよう。
「うん。でも、兄さんが楽しそうなのは、結構いつでもムカつくかも」
妹は少し笑っていた。その笑みは冗談って意味でいいのか? いいよな?
「お前、本当にコミュ力高いのか?」
「大丈夫。兄さんにしか暴言は吐かないから。兄さんは特別」
「嫌すぎるんだが、その特別扱い……」
「だって、家族だし」
「あーそう」
僕はリビングを後にした。
母親も父親も、一応家族ではあるんだけど。まぁ、そんなことはどうでもいいか。
今話で第7章終了に変えました。まだ冬休みまでは色々ありますが、次話から第8章の冬休み編ということにします。