46話 都合のいいことを正しいことにすればいい
「あの、私は、試験でいい点を取りたいのは当たり前だと思います。そのために解答欄に嘘を書くのも、その、仕方ないと思います。
それに、私たちみたいに確信を持ってないだけで、みんな多かれ少なかれ道徳の試験で嘘はついているんじゃないでしょうか?」
「みんな嘘を?」
「えっと、あの……」
紺野さんの主張は尤もだと思ったのだが、当の紺野さんが口ごもってしまった。仕方なく、僕が後を引き継ぐことにする。
「例えば、今回の試験問題。親友のショウとただのクラスメイトであるトモヤが喧嘩をしたという状況でしたよね。たぶん、1年全体の中には、現実だったらショウと一緒になってトモヤに嫌がらせをするような人だっているでしょう。でも、それを試験答案に書いたりはしない。嘘をついている。
つまりですよ、みんな、試験答案に現実で自分がする行動を書いたりなんてしてないんです。書いているのは、自分が思う道徳的な行動。であるなら、僕たちの答案だって、僕たちが思う、知識に裏打ちされた道徳的な行動を書いているに過ぎなくはありませんか?」
僕の書いた解答はまるっきり本心ではない。しかし、僕の考える道徳的な行動であることに間違いはない。ここでいう道徳的というのが、道徳の試験で評価を得るという意味であって、人の道に沿っているという意味でないのがアレだが……。
「いいえ。蒼井くんたちの方法は、自分で考えることを放棄して、国の出した結論をただコピーしているだけ。君たちの解答は、君たちの思う道徳的な行動ではなく、君たちの知っている道徳的な行動を書いているんです。その2つは似ているようで全然違います」
担任は、頭ごなしにこちらの言うことを聞きもせず否定しているのではない。ちゃんとこちらの主張を聞いて、理解して、その上で意味のある反論している。
この人は、教師という知的優位者の立場に奢らない、いい先生なのだと思う。
でも、相手がこちらの話を聞いてくれるからこそ、僕は自分の主張は曲げない。
「道徳的だと知っているということは、それが道徳的だと思っていることになりませんか? それを道徳的だと思っているからこそ、それを試験答案に書いていると」
知識と思想。それは外部から分離できるようなものではない。僕がそれを知識として持っているか、思想として持っているか、それがわかるのは僕自身だけ。
「君は本当にそれを道徳的だと思っているんですか?」
「僕の思う『道徳的』の定義は道徳の試験で点が取れるですから、もちろんのこと、道徳的であると思った解答を作っています」
「君は本当に正直ですね」
担任の口調には呆れのニュアンスが色濃く現れていた。
「今、僕は試験で嘘をついていることを糾弾されていたはずなんですけどね」
「はぁ。その軽口というか言葉遊びをして話を誤魔化すのは正すべき悪癖ですよ」
悪癖か。先輩に対してなら、案外その悪癖が功を奏す場面がある気もする。悪癖というよりは、一種の処世術なのだろうと自分では思う。
「まぁ、僕の癖なんてどうでもいいです。それより、この不毛な議論はまだ続けるんですか?」
「不毛ですか?」
「僕も先生も曲げる気がないんですから、不毛ですよ。相手の言葉を聞く気はあるだけマシですけど」
「紺野さんもそう思いますか?」
「えっ、あ、私ですか?」
話をこちらに丸投げして口を閉ざしていた紺野さんは、担任に指名されると慌てた様子で口を開けた。
「紺野さんもこの話し合いは不毛だと思いますか?」
「えっと、完全に無意味ではない、けど、あまり大きな意味もないと言いますか、えっと」
「なるほど。わかりました」
何がなるほどだったのだろうか。よくわからないが担任は納得したらしい。
「今日はここまでにしましょう。最後に言っておきますが、私は2人を叱りたいわけではないんです。ただ、道徳はそうではないとだけ伝えたいんです」
「はい」
「先生の言いたいことも、なんとなくはわかっているつもりです。まぁ、なんとなくですけど」
「放課後に残ってもらってすみませんでした。もしかしたら、また話をすることになるかもしれません」
僕と紺野さんは担任に軽くお辞儀をして、特別教室を出た。
「蒼井くん、先生相手でも全然物怖じしないんですね」
出るとすぐに紺野さんはそんなことを言い出した。
「私、こういうの初めてで、緊張しちゃって」
そりゃ、紺野さんほど品行方正な人なら呼び出しなんて食らった経験はないだろう。
「まぁ、担任から道徳の件で話をされるのは、僕にとってはもはや試験後の定番イベントみたいになってますから……。すみません。試験で点を取る方法を話した時に、担任からやめろと言われていることも伝えるべきでした」
「いえ。点を取るための勉強を注意されるのは、ちょっと理不尽な気持ちもします。でも、道徳はそうじゃないというのはわからなくないですし。何が正しいのか……」
「客観的に正しい主張なんてないですよ。僕は僕にとって都合のいいことを主張しますし、担任だって担任の立場に沿ったことを言います。紺野さんも、紺野さんにとって1番都合のいいことを正しいことにすればいいと思います」
「割り切ってるんですね……」
「正しい道徳観とか道徳教育とか、そんなものを考えるのは哲学者とか教育学者の仕事です。僕たち学生の仕事は、僕は試験で点を取ることかなと思うので、そのあたり、正しさを追うなんてことはしません」
正しさを追うなんてしないか。僕は本心でそう言っているのか、どうなのだろう。
「あの、私は勉強法を教えてもらって感謝してます。道徳も、物理も、世界史も、蒼井くんのお陰です」
紺野さんはそう言うと頭を下げてきた。あと1科目は世界史だったか。まぁ、全科目の中で1番 先生の好みが単純で対策しやすいしな。
「紺野さんの努力の結果で、僕がしたことなんて全然。道徳と物理に関しては負けてますしね」
「すみません……」
「謝ることなんて何もないですよ」
「物理のあの問題、当てずっぽうで書いた答えが当たっていて、それで1位で、申し訳なくて。蒼井くんに教わってなかったら、回路図の問題だって解けてなかったのに」
「申し訳なく思うことなんて何も。僕は今回、クラス順位や学年順位にこだわる理由もないですし」
先輩との勝負は平均点で決まる。順位は関係ない。
「すみません」
「だから、謝る必要なんてないですって」
僕はなんとなく笑っていた。この人はなんというか、真面目すぎる。日本人的日本人というか、先輩とは対極にあるかも。
「では、僕は部活に行きますので」
「あ、はい。頑張ってください」
「頑張らないといけないような部活ではないですけど、まぁ、さよなら」
「はい。また、明日」
さて、放課後になってから30分以上過ぎている。先輩、怒ってるかなぁ……。