43話 卒業旅行
「まだ採点途中なんですが、今回は難しい問題を出し過ぎたみたいですね。特に問8と問9は正答率がかなり低くて、ちょっと難しくし過ぎました。
いつも満点は出ないように作ってるんですが、ここ2回満点を取られてしまってたので、気合いを入れ過ぎちゃいました。
結果、物理が得意な人は点を落としてないのに、苦手な人への影響は大きかったみたいで、満点阻止ではなく赤点量産になってしまったみたいです」
試験翌日、物理の時間に教師は笑ってそう言った。こっちからしてみれば笑い事なんかじゃないのだが……。
「正直、とにかく満点を取らせまいとあんまり必要ない問題を出した自覚はあります。問9の(3)とか、そんなの知りませんよね。先生も問題を作るために調べました。そういうわけで、復習は、問7までと問9の(1)をちゃんとしてくれればいいです」
問題の難化はこれまでに満点を取った僕のせいだと。それなら仕方ないと思うしかないか。……この言い方、赤点取った人から恨まれたりしないよな?
「それじゃあ、問1から解説していきます。赤点取った人は再試になりますから、まだ試験結果は返してませんが、ちゃんと聞くように」
そんな風に始まった解説だが、それを聞くことによって特に得るものはなかった。物理はおそらく並び替えの1ミス。あれの配点は3点だったはずなので、たぶん97点だろう。……こう思っていて、ほかになんかミスがあったら嫌だな。
97点なら致命的に低い点ではない。先輩との勝負に少しは響くだろうが、満点逃したから即負けなんてシビアなことは……先輩が相手だとないとは言い切れない。あの人、本当に全科目満点取ってもおかしくないし。
まぁ、今更点数を気にしたところで結果は変わらない。今は気を楽にして結果が出るのを待つしかない。
*
「卒業旅行って泊まり? 日帰り?」
そういえば、今回の試験は先輩の卒業旅行の計画を誰が立てるかを賭けていたのだった。それについては全然気にしてなかった。
パソコン室に集まった僕たちは、まぁ、試験の話にならないわけがなく、流れで卒業旅行の話へと行き着いた。
先輩はホワイトボードの前に陣取り、僕たち3人は教師用のPCを挟んで座っている。
「私は、泊まりでちょっと遠出するのも、日帰りで近場のテーマパークなんかに行くのも、どっちもいいと思います」
旅行計画はこういう時に有能な紅林さんに任せたいので、とりあえず同意しよう。
「そうですね。僕もどちらでもいいと思います」
「俺もどっちでも」
「どっちもいいはどうでもいいだよっ! ちゃんと考えて!」
考えてなかったのが見透かされ、怒られてしまった。何か意見を言うか。
「テーマパークなら、夢の国とかだと僕は純粋に楽しめないタイプではあります」
「楽しめないって?」
「こう、雰囲気に酔えないというか、着ぐるみの中の人間のこととか考えちゃうタイプなんですよ。もちろん先輩の卒業旅行なんで、先輩の希望が1番ですが」
"着ぐるみでこの広い園内を歩き回るなんて、なんと大変な仕事なのか" とか考えてしまって、楽しめずに気疲れが増えていくのだ。
「テーマパークなら、雰囲気で売ってるタイプはダメってことね。あ、わたし絶叫系乗れないから、そういうので売ってるところもダメー」
もうテーマパーク案はダメだよな、これ。
「旅行なら、前回は鎌倉でしたが、どこがいいですか? 予算的にまた関東圏でしょうか」
「うーん。交通費にお金使うのは、なんかちょっともったいない気はしちゃうよね。関東なら、北より南がいい。また海行こ! 泳がないけどね! 泳げないけどね!」
先輩はホワイトボードに『海 (泳がない)』と書いた。やっぱり、夏に見たあの光景は印象的だ。……卒業旅行って3月とかだよな、泳いだら凍死まであるのでは?
「なら、前回は神奈川でしたし、千葉とか静岡ですか?」
房総半島とか伊豆半島とかそういうイメージで訊いた。館山とか、熱海とか。日本地理には全く詳しくはないが、いくつかは地名が思い浮かぶ。
「別にまた神奈川でもいいよ。小田原とか、三浦とか。また鎌倉ってのはさすがにちょっとだけど。んー、でも、2回目だからこそみたいなのもあるかも?」
なるほど。太平洋沿いって観光地多いな。
「神奈川なら小田原・箱根はいいかもしれません。泊まるなら、夏みたいに1日目、2日目でそれぞれ行く場所があるといいと思います」
夏は鎌倉・江ノ島だったし、紅林さんの言うことはわかる。
「箱根! わたし、最近 芦ノ湖が舞台になってる小説読んだ! ……でも山だよね。大変そう」
「芦ノ湖なら、たぶん歩かなくてもバスが出てると思いますけど」
「山道をバスとか絶対無理っ!! 芦ノ湖に着いた時点でわたしグロッキーだよ、それ」
夏の時の話し合いでも、海は泳げないとか、山はつらいとか、乗り物は酔うとか言われたよな。ちょっと懐かしい。
「菜子先輩の場合、自然に触れ合う観光地より、文明に寄り添う方がよくないっすか? もう横浜とか、東京都内でもいい気がするんすけど」
文明に寄り添う観光地ってどこだ? 大白先輩は横浜を念頭においているみたいだが、他だとお台場とかだろうか?
「横浜、行くのはすっごく楽だね。わたし、中華街とか行ったことあったっかなぁ。 東京都内だと、例えば?」
「夢の国の手前の葛西臨海公園とかっすかね。そこ、俺は行ったことあるんすけど、結構楽しかったすよ。1日で十分だったんで、そこなら日帰りでいいっすけど」
「なるほどー」
「まっ、菜子先輩の卒業旅行なんですし、菜子先輩の行きたいところでいいと思うんすけど」
「わたしの行きたい所……青島?」
行きたい場所と訊かれて、先輩は小首を傾げてそう答えた。先輩のことだからまともな答えではないのだろうけど、どこだ、そこ。
「どこっすか、そこ?」
「猫の島の異名を持つところですよね? 確か、四国じゃありませんでしたっけ?」
紅林さんは青島なる場所を知っていたらしい。猫の島と言われると聞いたことある気はする。四国、絶対に無理だと言えないあたりが難しい。
「そうそう猫の島! たぶん愛媛」
「愛媛ですか……」
「愛媛っすか……」
「愛媛……」
黙ってしまう後輩3人。すると、先輩の方が焦ったように声を出した。
「冗談だよ!? 本気で "じゃあ愛媛で" なんて言われたら、わたしの方が困っちゃうからね! それに、青島、最近は色々大変みたいだし」
先輩はホワイトボードに『愛媛には行かない』と書いた。書かれている情報が『海』と『愛媛でない』だけで全く意味がない。
「場所はまた今度決めるとして、日程は? 春休みだよね? それとも冬休み?」
卒業旅行といえば普通は春だが、先輩はすでに受験が終わっているので冬でも問題はない。ただ、単純に冬は寒くないか?
「海に行くなら、冬は寒くないですか? 僕が寒いの苦手ってだけなんですけど」
「確かに寒いかも。なら3月の、みんなが春休みに入った後だから末だよね」
先輩はそう言うとホワイトボードの前から自分のバッグの所まで移動し、手帳らしきものを取り出した。先輩、手帳なんて使ってたっけ?
「3月最終週ってことでいいよね」
先輩の手にしている手帳には猫のワンポイントのカバーが掛けられている。僕の贈ったものだ。……使ってもらっているのは嬉しいが、微妙に気恥ずかしい感じもする。
「日帰りか1泊2日か2泊3日かも現状未定なんで、手帳に予定として入れられる段階ではまだないっすよね」
大白先輩がそう言うと、先輩は「そだね」と返して手帳をしまった。
結局、これといって何かが決まることはなく、行きたい場所とかやりたいことの候補を考えておくという宿題をもらって今日の部活を終えた。
「真白先輩、蒼井くんの贈ったブックカバー使ってましたね」
帰り際に紅林さんにそんなことを耳打ちされた。人から貰ったものを捨てたりしないし、使い道があるなら使うのは普通。それだけのこと。
「そうですね」
僕は素っ気なくそう返答した。
彼らが行くことになる場所にたぶん私自身も行くことになるので、どこにするのか悩みます。お財布の中身とも相談です。金欠なもので、私自身は日帰りできる場所がいいんですよね……。