31話 温かみのある人間
試験週間に入り、少しばかりクラスの様子も慌ただしくなってきた。僕としてはだからどうということもなくいつも通りに勉強するだけなのだが、普段まったく交流のない相手が勉強を訊きにきたりなんかのちょっとした変化はあった。
そんな試験週間も、すでに半ばの水曜日。
「蒼井くん! 助けて!」
HRが終わり、部活に向かおうとしたところ佐伯さんに引き止められた。隣には紺野さんもいる。
「はい?」
「会長が倒れちゃった!」
「……オーバーワークですか」
倒れるまで働いてたのか。生徒会、ブラック過ぎるな……。
「そうじゃなくて! 今、風邪がすっごく流行ってるでしょ?」
文芸部が全滅したあの風邪は、僕たちの感染から少し遅れて、今 学校全体で猛威を振るっている。うちのクラスの欠席者は3人。症状は軽度で1日休めば登校してくるのだが、それが逆に感染を広めているみたいだ。
「会長風邪ですか。大丈夫ですよ。大した風邪じゃないんで、明日には戻ってきます」
「それはそうかもだけど、そうじゃなくて、今日の勉強会! 会長がいないと回らないの!」
生徒会の勉強会はそれなりに好評だ。なんでも、学校の授業よりわかりやすいとか。先生の立場ないな……。
「それを僕にどう助けろと?」
当然だが、僕があの会長の代わりになるわけもない。
「私たちでやった勉強会の感じでいいから、問題出して、解説してくれない? あっ、2年生の方は先輩たちに何とかしてもらうから、1年生だけでいいの」
「前、会長は主に2年生の方について、1年生の方には関与しないみたいなこと言ってませんでした? なら、会長がいなくても1年生の方は大丈夫なのでは?」
そう返すと、佐伯さんと紺野さんは少し困ったような顔をした。
「それが、実際は会長、1年生の方にもガッツリ顔を出してて……」
「そうなんですか」
つまり、前の発言は僕を釣るための嘘だったと。別にいいけど。
「最初に予想問題を配って、しばらくした後、その解説をするって形にしてたんだけど、その解説を受け持ってたのが」
「会長だと」
「うん」
「で、僕にその役割の代わりをしてほしいと」
「うん」
「すみません。他をあたってください」
当然のように断った。なぜ僕が会長の代替品をやらなくてはならない。
「他にあたれる相手なんていないよ!」
「いや、僕である必要なんてないでしょう? それこそ、紺野さんだっていいじゃないですか」
さっきからただ横に立っているだけの紺野さんに目を向ける。僕と紺野さんの学力差なんて大差ない。他にも、百瀬くんなんか適任なんじゃないのか?
「私に兄の代わりなんて勤まりません……」
「なら、僕にだって勤まりませんよ」
「誰か勤めてくれないと困る!」
困ると言われても、僕は生徒会の勉強会に対して責任を負うような立場ではない。というより、何の関係もない。こんなの、自分が来れなくなった時に破綻する体制にしていた会長が悪い。
「もう、後10分もしないうちに勉強会始まっちゃう」
「会長が体調不良のため、勉強会は中止として、自習室としての部屋の解放のみってことにするんじゃダメなんですか?」
「だって、それじゃ、私たちだけじゃ何もできないって会長に言うようなものだし……。それに、蒼井くんが協力してくれればなんとかなりそうだから」
佐伯さんの目が、まるで「お前は私を救える立場にあるのにどうして助けてくれないんだ」と訴えているように思えた。
ここで手を貸すことが佐伯さんにとって救いになるのかもしれない。僕はそれができる人間なのかもしれない。
でも、助けられることが、助ける理由になんてならない。
「すみませんが、僕はご期待には添えませんよ」
「なんでよ……」
「無理をすることなんてないじゃないですか。会長が休んだら回らなくなった、それが事実なんですから、そこを部外者になんとか取り繕ってもらう必要なんてないですよ」
「蒼井くん、ドライだね」
ドライか。そうなのかもしれない。
佐伯さんからの感謝という見返りのために、よく知らない不特定多数の相手に勉強を教えるという労働をするのは、コストとリターンが釣り合ってない。そう判断した僕はドライで、相手が困っているなら当たり前のように力を貸す人間が温かみのある人間なのだろう。
「まぁ、僕は冷たい人間みたいです」
「なら、お金払えばやってくれる? それとも、他に欲しいものとかある?」
……佐伯さんは正常な判断能力を失っているのか? 紺野さんも不安げな視線を佐伯さんと僕の間を行き来させている。
「その金銭なり、ものなり、どこから出るんですか? 生徒会予算? それ、学校から絶対に咎められますよ」
「私のお小遣いから……」
なぜ? なぜそんなことを言い出す。言い出せる。おかしい。自身が不利益を被ってまで今日の勉強会の体裁を整えたい? 意味がわからない。
「なんでそこまで。1日くらい勉強会が滞っても、大きな問題にはならないでしょう?」
「会長が! 会長があれだけ一生懸命 準備してたんだもん! あの人は、ちょっとした失敗でも落ち込むから、今日もちゃんと開催しないとダメなの!」
半泣きに近い声だった。これ、完全に僕が悪者だ。佐伯さんは、僕がいくら突っぱねても諦める気がない。この人も、大概自己中じゃないか。
「私からもお願いします」
紺野さんからも頭を下げられ、僕は返答に窮する。クラスメイトとの関わりを作った結果がこれだ。やってくるのは面倒ごとばかり。
それでも断るか? ここまで頼まれても、僕が悪人になることを許容して断るか?
実際、会長の代替品などやりたくないのだ。やりたくないことで、やる義務もないこと。そんなもの、断るのが当たり前。
やはり、断る。僕はそう結論付けた時、ポケットでスマホが震えた。この状況でスマホを気にするのはアレだと思ったが、断ると決めた以上、もうどう思われようがいい。チラとスマホを確認する。
『真っ白最高: 今日、あの会長いないらしいから、勉強会荒らしに行こうぜー!』
……先輩、生徒会の勉強会 実は気になってたんだ。はぁ、まぁ、先輩がそう言うのなら。
僕は自分で出した結論を、先輩の一言ですぐ曲げることに納得してしまっていた。決断に対する言い訳を先輩に押し付けてしまっていた。
いつだかの担任の忠告が頭を過る。なるほど、僕は先輩に依存してしまっているらしい。よくないな、これは。
「部で、会長がいないから生徒会の勉強会行ってみようみたいな話になってるんで、まぁ、わかりました。会長の代替品が務まるかは知りませんが、一応、まぁ、勉強会のノリで解説するくらいなら」
「ほんと!? やった!! 時間ヤバい!! 急いで!!」
佐伯さんはそう言うなり駆け出した。廊下を走るのは生徒会役員としてどうなのだろう。
「行きましょう」
紺野さんに促され、佐伯さんの後を追う。極力速く、でも走らないようにして。
その場のノリで書き続けた結果、7章は他の章に比べて長くなりそうです。