25話 理解されないことに不満を覚えるなんてバカげている
「待ってた。助かった。2人頼む」
サイゼリヤに着いて5人のいるテーブルへと向かうと、百瀬くんにすぐにそう言われた。
「まぁ、はい。わかりました」
席配置的に、僕が受け持つのは和泉さんと黛さんになるか。
「とりあえず英語やってるんだけど、全然訳せなくて」
和泉さんは教科書を見せてそう言った。教科書の本文が訳せないと。……本文訳は授業中にやっているはずなのだが。いや、それを気にしてはダメなのだろう。
「訳がわからないのはどこですか?」
「……だいたい全部?」
「……どうやって授業聞いてたんですか?」
つい訊いてしまった。英語の授業は教科書の内容をベースに行われている。その内容がわかっていなければ、授業の半分以上を理解できていないのでは?
「えっと、なんかよくわからないけどとりあえずノートは取る的な」
「復習は?」
「今、してる」
「なるほど。あの、授業中にわからないことがあった時、それをわからないままで放置するとどんどんわからなくなりますよ」
僕はそんなことを言う立場でもないのだが、その言葉は口を突いて出ていた。英語はまだその傾向は少ないが、理系科目ではわからないものの放置は致命的だ。試験前に頑張るくらいでは取り返せない事態になる。
最初から説教じみたことを言ってしまったので、雰囲気が悪くなってしまった。これは勉強をするのにあまりよろしくない。
学力差や意識の差がある相手と共に勉強というのは、やはり難しい。
「とりあえず訳を確認して、その中で文法も復習しましょう。えっと、試験範囲の最初からですか?」
「はじめの方は百瀬くんが教えてくれたから。ここからかな」
教科書を開いて示されたページからは、試験範囲がまだ8割ほど残っていた。これはなかなかに難儀だ。
「じゃあ、最初の文。この文の主語はなんですか?」
1文ずつ精読をして訳をつける。時間はかかるが仕方がない。訳を丸暗記させても意味がないし。
2人に理解してもらいながら試験範囲の本文すべてに訳をつける作業は、2時間かけてもまったくもって終わらなかった。
「レッスン10終わったし、今日はこの辺でお開き?」
2人ともドリンクを飲みながら疲れた様子をしている。今回の英語の試験範囲はレッスン9からレッスン11、まだ1/3が終わってない。
「試験まであと2週間切ってますが、大丈夫ですか?」
英語は訳をつけられればいいわけではない。勉強すべきことは他にもたくさんあるのだ。まぁ、これだって僕が心配することではないけれど。
「赤点は取らないと思う」
「私もそんな感じ。蒼井くん基準で見たら全然大丈夫じゃないかもだけど、私たちからしたらこれが普通だから。それどころか、今回はいつもより順調?」
赤点回避。低過ぎる志。僕の主観から言ってしまえば、授業さえちゃんと聞いていれば、試験勉強なんてしなくても赤点にはならない。しかし、それはもちろん僕基準の話。
「蒼井くん的には、何点からが悪い点?」
投げられたその質問に、僕は少し考えてから答えた。
「間違いに納得できなければ、99点でも悪い点って思うでしょうね。逆に、この間違いは仕方なかったと思えるなら0点でも悪いとは思いません、たぶん」
極端な話、1か2のどちらかを運だけで選択する問題を間違えたところでなんとも思わない。正解できるロジックのない問題なら、間違えても納得できる。まぁ、そんな問題は試験に出ないのだが。
「その答えの時点で私たちとは次元が違うの。私たちは進級できればそれでいいんだから。試験結果に納得とか求めてないわけ」
進学はどうする気なんだと思った。しかし、それもやっぱり僕なんかが気にすることではない。僕が大学に進学する気があるならもっと勉強した方がなんて言うのは、ただただウザいだけだろう。
「蒼井くんはきっともう大学とか見据えて勉強してるんでしょ。正直、すごいとは思うけど、そこまで必死にならなくてもいいのにとも思うなぁ。蒼井くんに限った話じゃないけどね。受験とか、将来とか、そういうのも大事だけど、今を楽しむのだって大事でしょ」
僕は将来のために今を犠牲になんてしていない。将来の目標なんて見つからず、何も見据えてなんていない。今、先輩との勝負を楽しんでやっているのだ。
「僕は今を楽しんでいるつもりですよ」
僕という人間のあり方を決めつけたような言い草に憤ったのか、その言葉は自分で思ったよりも刺々しさを持って発せられた。
すぐに冷静に考え直す。こんなことに苛立ってどうする。
「あっ、えっと、蒼井くんを否定してるわけじゃないよ。すごいなぁって思ってるし」
「私たちなんかよりずっとしっかりしてるもんね」
「うん、そう!」
これは気を遣われているのだろう。僕のあり方は気を遣われなくてはならないものだろうか。そんなにも、彼女たちの目に僕のあり方は惨めに映るのだろうか。
しかし、そうであっても憤ることなどない。
彼女たちとは価値観が違う。彼女たちの物差しで測ったなら、僕は青春を犠牲にしていることになるのだろう。だが、それはただ、価値観が違うから。
そう、彼女たちと僕では価値観が違う。だから、彼女たちに僕の心情は理解できないし、逆もまた然りだ。それは当たり前のことで、理解されないことに不満を覚えるなんてバカげている。
「そうですか」
僕はただそう言った。この人たちと友人にはなれないと見限って。理解し合えるわけがないとそう悟って。
「うん。それより、今日勉強した範囲で特にテストに出そうなところとかある?」
「あっ、それ私も気になる」
「まぁ、訳を問う問題として出そうなのは——」
それから温和な空気を取り戻し、少しして解散の流れとなった。
もう彼女たちの言動に苛立つことはない。彼女たちと僕の違いを理解したから。
どうせすれ違うとわかっていれば、理解されるはずがないと最初から弁えていれば、失望することはないのだ。
クラスメイトとの他愛もない会話。それでこんなことを考えている自分が、客観的に見てクズだと思った。拗らせすぎている。それでも、そんな自分のことが案外嫌いでもなかった。