24話 先輩が静かだとなんか調子狂う
放課後、パソコン室のドアを開けると、マスクをした先輩が大白先輩を睨みつけていた。紅林さんの姿はない。
「お疲れ様です」
微妙な空気の中に挨拶をしつつ入室する。2人ともすぐにこちらを見た。
「おう、蒼井も風邪ひいたんだってな。もう大丈夫なのか?」
大白先輩は僕に会話を振りつつ、先輩の前から離れた。たぶん、場の雰囲気に耐えかねていたのだろう。一体なんの話をしていたのやら。
「はい。もう特に症状はありません」
「そうか。俺が移してたらすまん」
「いえ、それはわかりようもないことですし」
黙っている先輩の方に目をやると、すこし不機嫌そうにこちらを見ていた。
「先輩たちの方も体調はもう大丈夫ですか?」
「俺はもうすっかりよくなったんだが……」
大白先輩はそう答えてくれたが、先輩は無言でスマホを取り出して何かを入力し始めた。そしてすぐ、ポケットの中のスマホが震えた。
『真っ白最高: 声が変だから喋りたくない。なんで同じタイミングで罹った蒼くんはもう治ってるの? 不平等だぁあ!!』
……また目の前にいるのにLINEで会話か。まぁ、今回は僕の方は普通に話せばいいけど。
「そうなんですか。不平等だと言われても困りますが……。まだ快復してないなら、早く帰って休んだ方がいいんじゃないですか?」
『真っ白最高: わたし元気だし! 声以外はいつも通りなの!』
先輩はその場で飛び跳ねてみせた。健康状態以前にパソコンにぶつかりそうなのでやめてほしい。まぁ、とにかく元気ではあるのだろう。僕も今回の風邪では喉をやられたし、そういうのが流行っているみたいだ。
「俺はもう大丈夫なんだが、菜子先輩はこんな感じだし、紅林は昨日から風邪らしい」
「紅林さんもですか……。文芸部全滅したわけですね……」
「なんか、本当にすまん。ばら撒いたっぽくて」
その途端、スマホに通知。
『真っ白最高: 本当だよ。まったく』
「いや、それを僕に送られましても……」
やっぱり面倒だな、筆談。
「雑談はこのくらいにして、僕は勉強します」
話を終わらせるためにそう切り出した。2人とも異論はなかったようで、僕たちは黙って勉強を始めた。
いつもは勉強中も声を出している先輩が今日は黙っているので静かだ。紅林さんがいないことも相まって、部屋の雰囲気がいつもと違う。そのせいか、なんとなく居心地の悪さがある。落ち着かないというか、なんというか、しっくりこない。微妙に集中力を欠いてしまう。
ステップの多い面倒な幾何の問題を解くも、どこか周りが気になってしまう。別に、1人で勉強する時は無音の中ですることも珍しくないのに。
「√57って……」
つい声を出していた。答えが汚くてイラついたからというよりは、無音が嫌になって。
『真っ白最高: グロタンディーク素数だ!』
スマホが震えて、そのメッセージが来ていた。先輩も勉強に集中できていないらしい。当然だが、「57、グロタンディーク素数だ!」なんて思って声を出したわけではない。
「グロタンディーク素数じゃなくて普通に平方数になって欲しかったんですけど」
少しの間。先輩が入力する時間。
『真っ白最高: square freeだね。残念』
問題の答えがちょっと汚いくらい、どうでもいいことではあるのだけど。
「なんか、2人ともあんまり集中できてないみたいっすね。俺も他人のこと言えないっすけど」
今日の文芸部がなんとなく落ち着かないというのは僕だけではないらしい。
「はい、すみません。全部 俺のせいっす」
大白先輩はスマホを見てからそう言った。先輩が何かしらのメッセージを送ったみたいだ。この、1人は会話に入れなくなるという状況もなんかよくない。別にグループLINEで話せばいいのだが、文芸部LINEで話すと風邪で寝ているかもしれない紅林さんの迷惑になるし、かといって今日の会話のためだけに新たにグループを作る気も起きない。
「今日はもう解散にしませんか? なんとなく集中できないんで」
「菜子先輩が静かだとなんか調子狂うよな」
「はい。なんかダメですね」
いつもは少しうるさいくらいに思っていたはずなのだが、実際に静かになられるとこちらの方がずっと落ち着かない。
『真っ白最高: わたしも声出せないと捗らない』
いつもと違うとやはり効率は落ちるものだ。
「じゃ、今日はもう解散ってことで。菜子先輩は水曜までに喉を治して来てください」
そんなわけで、部活は開始30分ほどで解散になった。先輩たちと連れ立って職員室へと向かいつつ、LINEを確認する。
『A.Saeki: 今日はサイゼで!』
『百瀬拓人: 了解!』
この時間なら、佐伯さんたちはまだ勉強会をしているだろう。『部活が早く終わったので今から参加できます』とでも送れば、問題なく参加できそう。さて、どうしようか。
「じゃ、また水曜な」
「はい。さよなら」
『真っ白最高: バイバーイ (^-^ノシ』
校門を出たところで駅へと向かう2人と別れる。このまま学校近くのサイゼへと向かえば勉強会へと合流できる。……行くか。
『蒼井陸斗: 部活が早く終わったので今から向かえそうです』
すぐにいくつか既読がついた。
『百瀬拓人: 来てくれ! 1人で4人を教えるのはキツすぎる』
『A.Saeki: 待ってまーす』
『NAKO: サイゼだよ、一応』
「別に来なくていい」という言葉が返って来なかったので、僕はサイゼへと向かうことにした。
その歩みは、友達と勉強したいとか、友達の役に立ちたいとか、そんな動機からのものではまったくなく。
自分が試験で点を取るための布石。材料集め。それが動機の全てだった。
友人だか、ただのクラスメイトだかを、自分のために単なるエキストラとして扱って、『友情』や『クラスメイト』をテーマにした作文の材料にする。そんな状況が、正直、心底 胸糞悪かった。