22話 たぶん僕は家族に恵まれている
『真っ白最高: なんかもう8時過ぎてる!』
『蒼井陸斗: そうですね。そろそろ朝食を食べるので、どうでもいい話はこれくらいで』
『真っ白最高: わたしとの話がどうでもいいだとー!!』
いや、どう考えてもどうでもいい話をしてただろうに……。
『蒼井陸斗: どうでもいい内容でしたよ、間違いなく』
『真っ白最高: 何を話すかより、誰と話すかでしょ!』
あー、なんか面倒くさい。
『蒼井陸斗: では、僕はご飯食べてくるので。同じく風邪をひいている身ではありますが、お大事に』
スマホを閉じて、横たわっていた体を起こす。風邪をひいた以上、食事の時間は妹とズラすべき。休日のこの時間なら、あいつはまだ起きてこない。
マスクを付け、なんとなく朝一番よりは気怠さが改善した気のする体を動かしてリビングへと向かう。喉は相変わらず痛い。あんまり食事をする気にもならないし、テキトーに済まそう。
リビングには予想通りに妹はいなかった。しかし無人ではなく、母親がテレビを眺めていた。
「あら、マスクなんてしてどうしたの?」
「風邪ひいたみたい」
相変わらず声はガラガラに枯れている。2時間ほどで治るわけないのだから当然だ。
「ひどい声ね。病院は行くの?」
「行くよ。予約もしたし、父さんからお金ももらった」
「そう。ならいいわ。あっ、わかってるでしょうけど、美月には絶対に移さないようにね」
「わかってる」
「陸斗も試験が近いんだし、安静にして早く治しなさい。ご飯の用意は私がするから。……風邪の時って何がいいのかしら?」
母親はスマホを取り出して何かしらを調べ始めた。
「ありがとう。でもいいよ、自分でやるから」
自分の状態は自分の方がわかっている。正直、母親に用意してもらうより自分で用意する方が安心だ。あまり食欲があるわけでもないし。
「そう? なら、あるものはなんでも好きに食べていいわよ。……スポーツドリンクとかあるといいみたいね。ちょっと買ってくるわ」
僕はキッチンへと向かい、母親はテレビを消して身支度を始めた。
「ありがとう」
とりあえずそう言う。実際、スポーツドリンクはありがたい。
うちの母親は、子どもが風邪をひけば、ネットで何が必要か、どう対処すればいいかを調べて、それを用意・実行する。心配する言葉の1つをかけることもなく。あの人はそういう人だ。
それは正しい。母親が「大丈夫?」と問うことには意味はないが、スポーツドリンクを買ってくることには意味があるのだから。理にかなっている。
冷蔵庫の中にリンゴを見つけて、朝食はこれだけでいいやと取り出す。1人で1個食べればそれなりの量だろう。
リンゴを洗うために流しの前に立つと、そこには今朝僕が運んだ、父親の使った食器がそのまま残っていた。
「はぁ」
自然とため息が出ていた。一旦リンゴを置いて、それらの食器を洗う。1枚の皿と茶碗、お椀に湯のみと箸。たったそれだけ、別に大した手間じゃない。
「はぁぁ」
それなのに、それだけのことに僕は大きなため息をついていた。そのせいで喉が痛む。バカか僕は。
食器洗いを終えて、リンゴへと戻る。手早く剥いて切り分ける。移動するのが面倒に感じて、僕はキッチンでそのまま食事を始めた。感染のことを考えれば、部屋で食べるべきなのはわかりきっているのに。
「買ってきたから、冷蔵庫に入れておくわね」
食べ終わる頃には、母親がスポーツドリンクを買って帰ってきた。ありがたい。
「食べ終わったら早く部屋に戻りなさい。そして、極力部屋から出ないこと」
「わかってる」
そう言われてしまえば、部屋に戻るほかない。母親は消毒の準備を始めていた。徹底している。いや、妹に移すわけにはいかないのだから、それくらいはやるものか。
僕はスポーツドリンクを1杯飲んで部屋へと戻った。時間は8時半を過ぎている。病院は10時。それまでは寝るか。
しかし、横になってもやはり眠くはならない。暇だ。目がスマホの方を向く。先輩も同じく暇を持て余しているだろうか。いや、あの無駄話を繰り返すより寝る方がいい。
僕は目を閉じる。思考が止まると、喉の痛みばかりに意識が向かう。ダメだ、何か考えよう。
僕は取り留めもなく、試験範囲の問題を思い起こしては頭の中で解き始めた。
「兄さーん。大丈夫ー?」
10題ほど解いたところで、廊下からドア越しに妹の声が尋ねてきた。母親に僕が風邪だと聞いたのだろう。
「大丈夫だ」
ドア越しだと思って少し大きめの声を出すと喉が痛んだ。
「ものすごく大丈夫じゃなさそうな声だけど?」
「症状はほぼ喉だけだから。声出すのキツいからもういい?」
「あっ、ごめんね。えっと、何かしてほしいことあったら言ってね」
「特に気にしないでくれ。あと、僕にあまり近づかないように」
「……うん。わかった」
ただの軽い風邪。心配をかけるほどのものじゃない。やはり、対応としては母親のそれの方が正しいのだろう。
ただ、「大丈夫?」と問うその一言に、意味もないのにありがたく感じるのだけれども。
まぁ、総じて、たぶん僕は家族に恵まれている。それなのに、所々に不満を覚えてしまうのは、僕が過ぎたことを求めてしまっていることに他ならないのだろう。僕が勝手に母親と父親に苦手意識を持っているだけなのだ。
時間が9時半を過ぎた頃、僕は1人で病院へと向かった。15分の道のりを歩くのは少ししんどかったけれど、流石にタクシーを使う気にはならなかった。
診断結果はやはり風邪。インフルエンザではなかったことにまずは安心。抗生剤をもらって帰宅。抗生剤って細菌だけじゃなくてウイルスにも効くんだったか? いや、細菌感染の風邪の可能性もあるのか。
それから僕は部屋にこもって1日を過ごした。読書、勉強、先輩とのLINE、布団の中に入りつつも眠ることはなくそんなことをしていた。
『真っ白最高: 蒼くんが同じタイミングで風邪ひいてくれてよかったよー』
何がいいものかと思いつつも、先輩が同じタイミングで風邪になってくれてよかったと思う自分もどこかにいるのだった。